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吉井理子物語  作者: 水前寺鯉太郎


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第18話

吉井理子物語 第18話


――浮上する潜水艦、崩れゆく赤き城。

 一回裏、広島球場。

 三万人の「敵」が吐き出す熱気が、マウンド上の理子を押し潰そうとしていた。だが、理子はそれを不快な圧迫感ではなく、自分の「毒」を撒き散らすための燃料に変換していた。

「……打てるもんなら、打ってみんさいや」

 

 理子はロジンを指先でなぞり、深く、深く身体を沈め込んだ。

 地表数センチ。スパイクの側面が土を削り取る。

 放たれた一球は、重力を嘲笑うように、打者の手元で「跳ね上がった」。

 百四十キロの直球フォーシーム。だが、下から来るその球は、打者の目には百六十キロの火の玉に見えたはずだ。

「ストライッ! アウト!」

 

 一番・正田は、バットを振ることすらできず、白球が顔の横を通過する衝撃波に頬を震わせた。

 続く二番・町田。粘りに定評のある巧打者だが、理子の「潜り込むフォーク」に翻弄され、最後は内角を抉るホップにのけ反って三振。

 三番・緒方。フルスイングが持ち味の若き主砲は、理子の放つ「絶望の軌道」を無理やり捉えようとしたが、芯を外された打球は力なく外野の空へ。

 完璧な三者凡退。

 理子は帽子を直し、一塁側ベンチへ向かって悠然と歩き出した。スタンドからは、広島弁の罵声が雨のように降り注ぐ。

「理子ぉ! 広島の恥さらしがぁ!」

「まぐれじゃ! 次はスタンドに叩き込んだるけぇな!」

 

 理子はその罵声を子守唄のように聞き流しながら、ベンチで待つ實森と視線を交わした。

「……ええよ、理子。ここの連中、みんな目が点になっとるわ」

「たいぎぃのぉ。……わしを殺すなら、もっとええ球投げてこい言うてくださいや」

 試合は、そこから息詰まる泥沼の投手戦へと突入した。

 山内の「UFO投法」もまた、シーガルズ打線を嘲笑い続けていた。消えるツーシーム、手元で動くスライダー。五回まで、シーガルズのスコアボードには、あの忌まわしい「〇」が四つ並んだ。

 均衡が破れたのは、五回表だった。

 九番・吉田正志。チームで最も存在感の薄い男が、バッターボックスで一変した。

 山内の投じた、内角高めへの高速ツーシーム。

 吉田は、バットが折れることも厭わず、その一球に食らいついた。

 

 ――ガキィィン!!

 

 鈍い、だが執念の乗った破壊音が響く。

 打球は低い弾道で右中間を破り、フェンスを直撃。

 吉田は泥にまみれ、ヘッドスライディングで三塁を陥れた。

 

「……よしっ!」

 

 ベンチの理子が、思わず立ち上がる。

 一番・加藤。さっきまで死んだような目をしていた男が、吉田の泥だらけの背中を見て、顔つきを変えた。

 加藤が放った打球は、浅い外野フライ。

 本来なら自重する場面。だが、三塁上の吉田は、捕球の瞬間にロケットのように飛び出した。

 本塁、クロスプレイ。

 土煙が舞う中、審判の両手が横に広がった。

「セーフッ!!」

 マリーンシーガルズ、先制。

 ついに、王者の牙城に「一」の傷をつけた。

 スタンドのドラゴンズファンが、一瞬の静寂に包まれる。その隙を、シーガルズの「反乱」が突き破った。

 

 二番・藤田が、指先の痺れを無視して三遊間を破る安打。

 三番・山崎が、一球で完璧な送りバントを決め、走者を二塁へ進める。

 死んでいた打線が、一つの生命体のように繋がり始めた。

 バッターボックスには、遊撃手・島崎大成。

「……お嬢さんにばっかり、格好ええ真似させるわけにはいかんのよ」

 

 島崎は、山内の「UFO」から放たれた、今日一番のキレを持つ外角のスライダーを待っていた。

 逃げない。踏み込む。

 

 ――ドォォン!!

 

 確信の感触。

 白球は、広島の夜空をオレンジ色の照明に照らされながら、高く、遠くへ舞い上がった。

 ドラゴンズファンの絶望が詰まった、左中間スタンドへの二ランホームラン。

 三対〇。

 

 ダイヤモンドを回る島崎を、理子はベンチの前で迎えた。

 戻ってきた島崎の背中を、理子はありったけの力で叩いた。

「……ナイスじゃ、島崎! あんた、最高にダサくないわ!」

「……へっ、当たり前だろ」

 島崎は、照れくさそうに唾を吐いた。

 ベンチに、確かな熱が宿っていた。

 それは、勝利への渇望。一度は死んだ連中が、初めて取り戻した「プロの体温」だった。

 だが、四番・鳥居が山内の意地の三振に倒れると、スタジアムに再び冷たい風が吹き抜けた。

 三点リード。

 しかし、ここは真っ赤に染まった「処刑場」だ。

 理子はグラブをはめ直し、マウンドへと視線を戻す。

 

 ドラゴンズベンチ。緒方監督が、ついに「あの男」をブルペンへ向かわせた。

 津田恒斗。炎のストッパーが、アップを始めている。

「……三点か。足りんね、まだまだ」

 理子はメガネを押し上げ、再びマ…


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