98話~止めろ!セイジ!~
「きゃー!」
「大胆ね、式部さん」
「でぃ、ディープ…」
頭の中に、雑魚女子達の声がキィキィ響いてうるさい。考えが、全然纏まらない。
なんで、ジュンはあんな奴に抱き着いてんだ?あんな奴を相手に、なんであんなことをしてるんだ?俺が居るのに。俺という完璧な男が居るって言うのに、なんで他の男と、そんな、俺もしていなかったことをして…。
俺は訳が分からなかった。ジュンの気持ちが、考えが、全く分からない。俺を好きな筈なのに、その行動はまるで裏切りみたいじゃないか。
まるで、黒沢を好きみたいじゃないか。
呆然とする俺。
その間にも、あいつらの行為は終わる。終わった筈なのに、互いに見つめ合っている。ジュンの奴も頬を染めて、顔を蕩けさせて奴を見ている。黒沢の事を、熱い視線で見ている。
あんな顔、見た事なかった。あんなエロくて、可愛くて、美しい顔、俺には一切見せた事がなかった。
黒沢にしか向けない表情。
黒沢にしか向けない感情。
自ずと、分かってしまった。
ジュンの心はもう、俺を向いていないって事が。
ジュンが、奪われたという事実が。
「あぁああああ!!!」
頭の中がグシャグシャになる。堪えがたい怒りで血が逆流しそうだ。
俺の頭の中で、今までの記憶が浮かんでは消えていく。
動物園ではしゃぐジュン。ランチで卵焼きを食べさせてくるジュン。勉強会で湯気を上げているジュン。
その全部が、徐々に色あせてしまう。全部、上書きされてしまう。
今のジュンの表情に、全部塗り替えられてしまう。
あの日々が、消えていく。
「何してんだ!お前!お前ら、何をしてんだぁ!!」
違う。これは違う。何かが違う!
俺の方が上だ。俺の方が偉いんだ。なのに、なんで黒沢なんかが俺の物を奪ってんだよ。俺はこの世界の主人公様だぞ!お前ら雑魚は、勇者に便利アイテムと称賛を差し出すだけの哀れな存在。俺の活躍に歯噛みして、美女達を侍らせる俺を羨むのが、お前達の役割なんだ。
決して、主人公の領域を汚してはいけないんだ。
「それは俺のだ!俺のを勝手に、お前は、俺がぁあ!」
なのに、こいつはそれを汚した。踏み込んじゃいけないラインを超えやがった。
俺のハーレムを、壊しやがった。
ふざけやがって。ふざけやがって!
俺がちょっと油断している間に。
俺が少しよそ見をしている隙に。
甘かったんだ、俺は。俺は優し過ぎた。ハーレムを壊さない様にと、手加減し過ぎた。
それも、もうお終いだ。
変身してやる。
覚醒してやる。
主人公様の本気、見せてやる!
「俺は、本気で、本気で許さねぇぞ!」
俺は走り出す。それを見て、雑魚女共が恐れおののく。慌てて左右に避けて、俺の覇道を飾る。
見たか、黒沢。これが俺の、主人公の力だ!
「くろさわぁあああ!!」
お前は俺にとっての敵…いや、この世界の敵だ。俺が倒してやる。勇者である俺が、魔王黒沢をこの拳でボッコボコにして、また平和なハーレムを…。
そうして振り上げた拳が、黒沢の腹に突き刺さる。
ボフッ。
どうだ!
「……」
俺の必殺パンチを受けた黒沢は、しかし、微動だにしなかった。
冷たい目で、俺を見下ろす。
呆れた表情で、俺を見下す。
俺より黒沢の方が、上であるかのように。
そんな、こんな事ってある筈ない!
俺は何度も黒沢を殴る。腹を、胸を、腕を殴る。
でも、全く効かない。奴の足は、一歩もその場を動かなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…」
息が上がる。久しぶりの運動で、肺が痛い。
「いっ」
手にも激痛。見ると、手の甲の皮が剥けていた。
「もう良いだろ」
冷めた目の黒沢が、小さく呟く。奴の後ろから、ジュンの顔が覗いていた。まるで邪魔者を見るようなその目が、余計に俺を苛立たせる。
違う。こんなもんじゃない。こんなはずじゃないんだ、俺の力は。
俺の本気は、こんなもんじゃない!
「まだだぁ!」
俺は慌てて黒沢達から距離を取り、雑魚女の1人の腕を掴む。
ジュンの友達とかって奴だ。こいつを使って、黒沢を脅して…。
そんな風に作戦を立てていると、
「触んなし!」
俺の腕が、振り払われる。名前も無い雑魚女が、主人公の手を叩いた。
なっ、なにが起きた?
驚いていると、雑魚女の前にオカッパの男が立ち塞がる。名も無いモブが、俺を睨みつけて来やがった。
「エリさんから離れろ!」
「はぁ?」
何なんだ、これは。
俺はまた一歩、後ろへ下がる。すると、周りの状況が見えて来た。
ナツはヤンキーの隣で、顔を歪ませてこっちを見ている。コハルも、デカい男に肩車されて俺を見下ろしている。
俺が侍らせていた女がみんな、俺以外のモブ男と共にいる。
「俺の、俺の女が、夢が…。俺のハーレムがっ!」
ヤバい。ヤバい、ヤバい!
俺の内側で、強烈な焦燥感が膨れ上がる。このままだと盗られると、頭の中で警告が鳴り響く。
俺の物が奪われる?ふざけるな!俺の物は俺の物。俺は選ばれた存在。奪う側の人間なんだ!
「こんなの間違ってる!俺は、俺は主人公なんだ!」
強烈な負の感情が、俺を突き動かす。体の中から熱くうねる何かを感じ、それが全身から迸っているような気がした。
視界が、クリアになる。見上げた青空の彼方に星が見え、美しい空間が広がっていた。
そして、周囲の女に目をやると、途端に彼女達が笑顔になる。俺に、熱い視線を送って来た。
全能感。
そうだ、これだ。これが俺の力だ。何もしなくても、俺がちょっと目をやるだけで尻を振る。それが正常。それこそが俺の世界。
ああ、これこそが、俺の本気。昔から感じていた清々しい世界に、やっと治った。
「止めろ!セイジ!」
黒沢の焦った声。
見ると、奴が俺に向かって怖い顔を向けていた。今までムカつくくらいに上から見ていた奴が、必死になって訴えてくる。
「それ以上その力を…魅了を使うな。崩壊するぞ!」
いい気味だ。やっと俺の力を思い知ったか。
でも、もう遅い。お前らは這いつくばって悔しがれ。俺が、女共と交わる様を見て後悔しろ。
勝ちを確信して、俺の内側から幸福が溢れ出る。
喜びを、叫ぶ。
「ははははっ!!ざまぁみろ!これが俺の、本気の…」
その途端、世界が赤く染まる。さっきまで真っ青だった空が、夕焼けの様な血色に染まっていく。
その、直後。
激痛。
「あっつう…ぐぅっ…うぁああああああ!!」
目の奥が、焼けるように痛い。頭の中を、ナイフが何本も突き刺すみたいな痛みが続く。
何度も、何度も、俺の脳みそが串刺しにされる。
「いだいぃっ!いだい、いだい、いだい!いだぁあああ!!」
叫んでも、目を抑えても、何をしてみ痛みが引かない。
何なんだ、これは。俺は、どうなっているんだ?
俺は、どうなっちまうんだ?
〈◆〉
「あぁあああ…」
急に眼を抑えて暴れ出したセイジ。その異様な光景に、周囲の女子生徒達は恐怖で固まり、自然と彼から距離を取った。
俺も、近づくことが出来ないでいた。奴の能力がどう暴走するか分からず、みんなを更に退避させることしか出来ないでいた。
そうしていると、セイジは叫ぶのを止める。荒い息を繰り返しながら、床に座り込む。
そして、暫く伏せていた彼が顔を上げると。
「はぁ、はぁ、はぁ、何だ?目が、おかしい?」
セイジの目からは、真っ赤な血の涙が溢れ出ていた。
その異様な光景に、周囲は「ひぃっ」と声を上げ、顔を顰める。逃げるように彼から距離を取る。
そんな彼女達とは逆に、俺は一歩彼に近付く。何とかせねばと足が動いていた。
でも、
「虎ちゃん」
歩む途中で腕を掴まれた。
ジュンさんだ。
「危ない。近づいたらダメだよ…」
「ジュンさん」
俺を心配してくれるのか。
「ありがとう。でも、行かないと」
俺は彼女を宥め、みんなに近付かないようにと釘を刺してからセイジに近付く。奴は俺が近づいているのを、不安そうに見上げてきた。
でも、なんだ?俺を見ているようで、見ていない。目の焦点が合っていない。
一体、何処を見ているんだ?
「上郷君」
「…なんだ。黒沢かよ」
はぁ、と。大きなため息を吐くセイジ。
ここまで来ても、俺だと認知できていなかったのか?まさか…。
「目が、見えないのか?」
「…違う。ただ、メチャクチャボヤけてる。全部ボヤけて、なんか暗くて、もう、何が何だか分かんねぇ…」
ボヤける?それって、視力が落ちたって事か?
あれだけのたうち回る程痛がっていたからな。脳の一部を損傷してしまったのかも。十中八九、魅了の力を使い過ぎたのが原因だ。人知を超えた力だとは思っていたが…こんな代償を伴うものだったとは。
「だから、あれほど使い過ぎるなと言ったのに…」
「ぐっ…うぅ…」
俺が溜め息混じりに苦言を呈すと、セイジはまた血の混じった涙を流し始めた。
「どうした?まだ痛むのか?」
俺が屈んでセイジの背中を摩ると、彼は血をまき散らしながら首を振る。
「違ぇよ。違ぇけど…なんで俺ばっか、こんな目に遭うんだよ。俺はただ、楽しい時間が続いて欲しかっただけなのに。心地いい場所がずっとあって欲しいって、そう願っただけなのに、なのに…」
セイジが俺の上着を掴む。焦点の合わない目で、俺の顔を探す。
「なんでだよ!なんでこんな、俺ばっか辛い思いをしなくちゃいけねぇんだよ!楽しい事が続いて欲しいって思う事の、何が悪いって言うんだよ!?なぁ!」
悲痛な叫び。本気で分からないと、セイジは咽び泣く。
その声で、ジュンさん達が駆け寄って来ようとしてしまったので、俺は手で「来るな」と合図する。
「上郷君。願うだけであれば、それは悪い事ではない。だがな、願うだけではダメだ。それに見合いだけの、努力をせねば…」
「うるさい!」
セイジが腕に力を入れて、俺を突き飛ばそうとする。でも、それでバランスを崩したのは彼の方だった。尻餅を着いて、床に這いつくばる。でも直ぐに起き上がり、ヨロヨロと不安定ながらも立ち上がった。
俺が彼をサポートしようと肩を掴もうとするも、腕を振って「触るな!」と強く拒絶した。
「お前の小言なんて、聞きたくねぇ!お前の手なんか借りなくても、俺は全然平気なんだよ!」
そう言いながら、セイジは足取り怪しく歩き出す。フラリ、フラリと彷徨うその様は、まるで幽霊の様であった。
ちょっと目が悪くなったとかいうレベルじゃない。もう、殆ど見えていない様子。これは、相当なダメージを負っているようだった。
それでも、彼は出口まで辿り着いた。ガチャガチャと必死にドアノブを探し終えると、あらぬ方向に顔を向ける。
「精々いい気になってろよ、黒沢。俺が本気でやったら、お前なんか簡単に追い抜いちまうんだからな。その時は、お前の大事なもの全部、奪ってやる」
捨て台詞を吐いて、セイジは出て行った。暫くしてドアの向こうからすすり泣く声が聞こえたが、彼の物かは定かではない。
大丈夫だろうか。あの目で、階段を降りられるのだろうか?
俺は少し、罪悪感を覚えていた。
もしも彼が、魅了の力を制御出来てさえいたら、こんな結末にはならなかったかも知れない。
もしも俺が、彼の隣でアドバイスをし続けていたら、彼はあそこまで狂わなかったのかも知れない。
俺は彼の力を恐れて、こうして敵対する道を選んでしまった。万が一彼女達が巻き込まれたらと思い、彼を犠牲にする道を選んでしまった。
でもそれは、間違いだったかもしれない。
「虎ちゃん」
今からでも彼の後を追うべきかと思案していると、ジュンさんが駆け寄って来た。そのまま俺の胸に飛び込み、見上げて来る。
「行かなくて良いよ。あの人は、それだけのことをしたんだから」
「そうよ。私達に服を脱げ!なんてことを言ってたのよ、あいつ」
…そんな暴言を吐いていたのか、あいつ。
ノゾミさんの報告を聞いて、俺の中にあった彼への罪悪感は消え去る。
「ところで」
上目遣いで見てくるノゾミさん。
「いつの間に付き合い始めたの?貴方達」
薄っすらと笑みを浮かべる彼女だが、その瞳はとても鋭い。結婚式の事がバレたら、何をされるか分からない。
そう、以前の俺なら考えていただろう。
だが、
「一昨日だ。一昨日、ジュンさんを知り合いの結婚式に呼んでね」
もう、配慮する必要は無い。セイジの異能は崩壊し、彼女がそれに囚われることは無くなったのだから。
だからもう、曖昧な態度を取る必要もない。俺にはジュンさんが居るのだから。
「ふぅ~ん。そうなんだ。プロポーズ、ねぇ」
そう思って正直に話したのだが、ノゾミさんの表情は読めない。暗く影を落とし、瞳は吸い込まれそうな程の深淵を形作っていた。
刺されそう…。
そう思ったが、彼女はニコリと笑顔を貼り付けて、足取り軽やかに教室へと戻っていった。
…助かった、のか?
「虎ちゃん」
ノゾミさんを見送ると、ジュンさんが俺の腕を引く。天使のような笑みで、俺を見上げて来る。
でも、その手は震えていた。今まで気丈に振舞っていたが、こうして安全になったから恐怖を感じてしまっている様だった。
彼女の弱った姿を見た途端、俺は彼女を抱き寄せていた。
「ジュンさん」
また、彼女を傷つけてしまった後悔と、彼女のぬくもりを守り切った安心感が、俺の中に生まれる。
でも、そんな物よりも、彼女の震えを受け止めたい。彼女の傷を癒したいという気持ちが膨れ上がる
「済まない。でも今度こそ、君の傍に居られる。君の一番近くで、君を守らせてくれ」
「もうっ。十分守ってもらって…ううん。そうだね」
胸の中で、ジュンさんが「ふふっ」と笑う。
「近くで守ってね?あたしのナイト様」
「ああ」
俺はジュンさんをしっかりと抱きしめる。彼女も、俺の背中に腕を回す。
向こうの方でエリさんが「あれよ、ヒデちゃん。あれ」という声と、ヒデちゃんの「ハードル高いっす」という声が聞こえる。
ああ、そうさ。俺達は今、高い頂きの上に居る。ここまでやっと、登って来たんだ。
だからな、ヒデちゃん。しっかり覚悟を決めて、ここまで登って来てくれ。
これにて、上郷の異能、この世界のバグは取り払われたのでしょうか?
「そうだな。ひとまず。我々の役目は終わった」




