91話~おや?何をしているんだ?~
「おはようございま~す!」
土曜日の早朝。我が家の玄関に元気な声が響き、俺は急いで急行する。
でも、俺が着いた時には既に、ジュンさんの周りに妹と母の姿があった。
「お待ちしていましたわ、ジュン姉様」
「ほら、舞花。時間が無いのだから、早くジュンちゃんを私の部屋にお通ししなさい。貴女、朝ごはんはちゃんと食べたかしら?」
「ええっと、あんまり食べちゃいけないと思って、軽くしか食べて来ませんでした…」
「それはダメね。結婚式は長丁場だから、シェフに何か作ってもらいましょう。虎二、頼んだわよ」
ええ…。俺まだ、ジュンさんと会話すらしてないんだが?
そう心の中では不満を垂れるが、今の女性陣に変なことを言ったら不味いのはよく理解している。なので、母に言われるがままにキッチンへ向かう。
ぐぅっ…。仲良くなり過ぎるのも問題だな。ジュンさんが2人に取られてしまう。
そうして、朝も早くから準備を進めていたジュンさんだが、段々と出発の時間が無くなって来ていた。彼女が来た時は、出発前に撮影会でもしようと提案するつもりだったが、このペースだとそれも難しい。
事前に着付けをしてこれだ。やはり、彼女を事前に家へと招いたのは正解だった。
俺は時計から視線を外し、参考書へと視線を戻す。
と、その時、
「おや?何をしているんだ、虎」
開かずの扉前で勉強していると、声をかけられた。視線を上げると、そこにはタキシード姿の龍一兄が立っていた。
あっ、そう言えば。今回の結婚式には兄も呼ばれているんだったな。
「パートナーの着替えを待っているところです」
「ああ、そうか。お前は今回、父の代理を任されているんだったな」
そう。どちらかと言えば、俺達が後から追加された側。兄は最初から呼ばれていて、本来は父と2人で出る予定だったのだ。その父親がどうしたのかと言うと…何処かに出張らしい。詳しい内容は教えてもらえなかった。
…本当に出張だろうか?
「しかし、随分と懐かしい物を着ているな。そのスーツ、確か中学の時に着ていた奴じゃないか?」
「ええ、はい。サイズの合うものが、これしかありませんでしたから」
このスーツが中学生の時の物とは知らなかったが、俺は上着をヒラヒラしてアピールする。
去年着ていた奴は、サイズが大き過ぎてとても着られなかったからね。ジュンさんじゃないけど、嬉しい悲鳴だ。
俺が内心で誇らしく思っていると、兄の目が少し鋭くなった。それが、俺の手元に向けられる。
「最近は、随分と頑張っているそうだな。以前、母と舞花が話していたのを聞いたよ。勉強にスポーツにと、多方面で活躍しているとね」
「ええ、はい」
頷きながら、彼の様子を観察する。何を危惧しているのかと、彼が何を聞きたいのかを探る。
虎の中にある兄の情報、それに、以前のパーティーで舞花が言っていた「兄には言うな」と言う話の内容から察するに…。
「実は、好きな子が出来まして。その子に振り向いてもらおうと、似合わない努力などしてみたところなのです」
俺は恥ずかしがっている風に苦笑しながら、頭の後ろに手を当てる。兄の足元を見て「ははっ」と乾いた笑いを漏らす。
すると、
「ああ、そう言う事か」
兄の声が、半オクターブ上がる。こちらへ数歩近付いて、俺の肩を軽く叩く。
「お前も年頃になったんだな。それで?その子はもう落としたのか?」
落としたって…ちょいと乱暴な言い方だな。
そうは思うが、笑みは崩さずに首を振る。
「いえ、なかなか上手くいかず。努力と苦労を重ねているところです」
「ふんっ。見てくれは随分と良くなったと思うんだがな。こうして触るだけで、お前の体が引き締まってるのが分かる。加えて、学力も上がっているのだろ?学年でもトップクラスだと、母が鼻を高くしていた。そんなお前に、後は何が足りないと言うんだ?」
親身になって聞いてくれる兄。
優しい兄という虎の情報も、あながち間違ってはいないのかも。
「足りないものはまだまだあります。背とか、美的センスとか、学力もまだ上げ代があります。でも何より、彼女との信頼関係を積み重ねることが大事だと考えていて…」
「ふんっ。心の問題ということか。ならば、夏休みに何処か旅行に行くと良い。君達高校生は、そろそろ夏休みだ。そこでその子の為にと言って、クルーズ船でも借りてやれ。金をちらつかせれば、女なんか幾らでも落ちる」
「おおっ。なるほど!」
俺は目を大きく開いて、喜んでいる風を装う。だが、内心では首を振っていた。
またこの兄は、優しい口調で乱暴な事を言って。そんな事で落ちる人に、マトモな人は居ないだろう?
少なくとも、ジュンさんはそんな事で喜んだりしない。お金大丈夫?って、心配するのが彼女である。兄の周りには、そんな娘が居ないのか?
俺が疑問に思っていると、開かずだった扉がゆっくりと開く。そこから、満足げな表情の母が現れた。
「待たせたわね、虎二。あら?龍一さんも居たのね」
「おはようございます、お母様。待たせたとは?」
首を傾げる兄。その横を通り過ぎて、俺は扉の前に待機する。そこから出て来たお姫様に、手を差し伸べる。
「お疲れ様、ジュンさん。とても綺麗だ」
「あっ、ありがと、虎ちゃん」
薄くお化粧をした顔に朱色を差し、ジュンさんが小さく頷く。
長い髪をアップにして、口紅も大人っぽい色にしている彼女だったが、その可愛らしい表情は年相応に見えて、ギャップでまた魅力を一段と引き上げる。
「どうかしら?虎。少し雰囲気が変わったでしょ?髪型をより清楚系にしてみたのよ」
「ええ。とても大人っぽくて、でもジュンさんの可愛らしさがより一段と引きたって見えます。とても良い仕上がりだと思います」
「…貴方、良くそんな事を平然と言えるわね」
「ホントだよ、虎ちゃん…」
母は呆れたように呟き、ジュンさんはより顔を赤くしてしまった。
…俺は何か、間違ったことを言ったのだろうか?
「こちらは…今日のパートナーの子か?虎」
兄も少し驚いた顔で、俺とジュンさんを交互に見る。
それに、俺はしっかりと頷く。
「はい。こちらは同級生の式部純さんです」
「同級生?式部と言う苗字も聞いたことがないな。もしかして、一般の子か?」
一般って、別に我々だって貴族や財閥の人間じゃないだろ。
兄は家柄を重視するのか?と思っていると、彼は「ああ、なるほど」と何かに納得する。
「虎の愛人…いや、お前は婚約もしていないから、"遊び相手"の1人と言ったところか」
「なっ!」
余りの言動に、俺は一瞬言葉を忘れてしまう。この男が何を言っているのか、理解が追い付かなかった。
そして、理解すると怒りが込み上げて来る。軽々しく失礼な言葉を吐き出す彼を、今すぐここから叩き出したい衝動に駆られる。
その衝動を、大きく深呼吸して抑える。こいつは兄であり、父の右腕であり、将来この黒沢家を引っ張っていく御旗だ。下手な反抗は身を滅ぼす。
俺は笑顔の仮面で、怒りを隠した。
「冗談は止してください、龍一兄さん。彼女は先程もお話した、俺の大切な人です」
「なんだと?では何か。お前はこの子の為に、そこまで痩せたというのか?」
ああ、全部バラすじゃないか、この残念イケメンは。なんでジュンさんの目の前でそれを言ってしまうんだ。
憤りを覚えるも、俺は大きく頷く。
「はい。その通りです。俺はこの子に好かれる為にと、日々努力しているのです」
そう言うと、後ろで母の小さな悲鳴が上がった。
「ちょっ、ちょっと、しっかりしなさい!ジュンちゃん!」
「しゅ~…」
見ると、ゆでだこみたいに赤くなったジュンさんが、母に支えられてフラフラしていた。
ええっ!?
「大丈夫か!ジュンさん」
「貴方のせいでしょ、虎!」
ええ…。
「いや、でも…あそこで嘘を吐く訳にもいかんし」
「虎兄さん。こんな公の場で愛を宣言するなんて、デリカシーが足りませんわよ?」
そう言ってたしなめて来る舞花だが、興奮し過ぎて鼻息が荒くなり、顔には特大の笑みが浮かんでいた。
お前が1番、喜んでるじゃないか。
「まさか、ただの一般人に恋をするとは…」
兄は兄で、まだそんな事で驚いている様子だった。
どうでも良いが、愛人とか遊び相手とか、暴言を吐いた事はちゃんと謝って下さいよ?
出発前にひと騒動が起きてしまったが、何とか予定通りに家を立つことが出来た。
でも、ジュンさんはまだ調子が戻らない。頬が少し赤く、何処か憂いている様に見える。兄から謝られた時も、口では全然気にしていないと言っていたが、何処か上の空と言うか、気持ちが入っていない感じだった。
きっと、心の中では許せないのだろう。そりゃそうだ。あんな暴言、男で言えば「当て馬」だとでも言われたのと同じではないか。そんな事を初対面の、それも異性に言われたらショックだ。
兄のしでかした事だが、弟の俺がフォローしなければな。
そう意気込んでいたのだが、俺が何か言う前に、同乗したエリさんが声を上げた。
「ねぇ、ジュン。どうしたの?何かあった?」
「えっ!?う、ううん。なんでもない!」
「怪しいなぁ。黒沢君関係?」
「う、うん…」
「ふ〜ん。なるほどねぇ〜」
エリさんがニヤニヤした笑みを、こちらに向ける。
ええ、そうなんです。俺達、黒沢兄弟がやらかしたんです。
俺は少しだけ顔を伏せ、反省の色を全面に出す。
「ねぇ、黒沢君。今日の私、どう思う?」
うん?どうか、だと?
てっきり糾弾されるかと思っていたので、俺は一瞬呆気に取られた。
今の質問は、服装の事を聞いてきたんだよな?お洒落しているから、それを褒めて欲しいって事だろ?
「とても良く似合っていると思うよ。きっと式場でも注目されるだろうから、ナンパされないように、ヒデちゃんの傍を離れないでね」
「うふふ。流石だね、黒沢君。君に、100点をあげる」
良かったらしい。満点を貰えてしまった。
満足そうに微笑んだエリさんは、ちょっと厳しい目になって、俺の隣を…ヒデちゃんを見る。
「これだよ?ヒデ君。これこれ」
「いや、あの…あっしには、ハードルが高すぎっす…」
なにっ?
「まさかヒデちゃん、エリさんに感想を伝えてないのか?」
「いや、言ったっすよ!」
弁明しようとするヒデちゃん。でもエリさんが「え〜?」と言うと、ぐっと押し黙る。
「ヒデ君は…良いと、思うっす…ってしか言ってくれなかったんだよぉ」
「それは、その…恥ずかしくて」
おいおいヒデちゃん。
「ヒデちゃん。自分の思いは、しっかりと伝えるべきだぞ?彼女達が折角、時間をかけて着飾ってくれているんだから」
「いや、だって…虎二さんは言えたんすか?式部さんに」
「ああ、勿論」
頷いて、気付く。ヒデちゃんの言いたいことを。
つまりあれか?好きな人を相手にしたら、言葉が出ないでしょ?と言いたいのか?好きな娘だからこそ、言葉では伝わり切らないと。
だがな、ヒデちゃん。それは甘えだ。本当に好きなら、自分のプライドより相手の喜ぶ事を優先すべきなんだ。
そう言う意味では、俺もまだまだであった。
もっと正確に伝えねば。
「ジュンさん!俺は君の…」
「ストップ!虎ちゃん」
…止められてしまった。
何故に?
「もう充分言って貰ったから、それ以上はストップだよ、虎ちゃん」
「そんな…俺はまだ、君の愛らしさとすばらしさを言葉で表しきれていな…」
「だから、ストップして!また倒れちゃうから!」
おっと。それは不味いな。
俺は大人しく引き下がる。
ハウスだ、俺の感情。
「えぇ~?なになにぃ~?なんて言われたんだよ、ジュン。言っちゃいなよぉ~」
「ダメダメ。エリ。この話はここでお終い」
「えぇ~?なんでぇ~。もしかして、愛の告白でもされたのかぁ?」
いたずらっ子みたいに絡んでくるエリさんに、厳しい顔をしていたジュンさんがビクンッと肩を跳ねさせる。
途端に、より笑みを深くするエリさん。
「マジで?ひゅー!大胆でね、黒沢君」
「俺はただ、正直に述べているだけだ」
「ちょっ、虎ちゃん、やめて…」
息も絶え絶えに、ジュンさんが訴えて来る。
う~ん。あまり正直に伝え過ぎても、困るみたいだ。
済まん、ヒデちゃん。俺の持論は間違っているかもしれん。
「ほれほれ、ヒデ君。ちゃんと黒沢君を見習ってさ。ほれ」
「いや、無理っすよ!こんなの普通、出来ないですって!」
こんなの呼ばわりされてしまった。
ヒデちゃん。後で話し合おうじゃないか。




