82話〜お前さぁ、いい加減にしろよ?〜
※ご注意を※
〈是非来てくれ!〉と、虎ちゃんから色よい返事を貰えた。
彼が否定なんてしないのは分かっていたけど、あたしを快く受け入れてくれた彼に安心する。早く会いたくて、あたしはハンドバックを片手に立ち上がる。
途端に、ルームメイトがニヤケ面を向けて来る。
「なに?ジュン。気合入ってんじゃん。好きピのとこ?」
「ええっ!何で分かるの?」
エリって、エスパーなの?
「顔に書いてあるもん。ジュン、分かりやす過ぎぃ~」
「黒沢君によろ~」
「もぉ~」
トワ達が揶揄うから、ちょっと顔が熱くなっちゃった。
あたしは廊下に出て、顔を仰ぎながら虎ちゃんの元へと急ぐ。
部屋に着くまでに、顔の赤み引くかな?ちょっと冷ましてから行く?ううん。虎ちゃんはきっと、あたしのことを待ってくれてる筈。早く行かなくちゃ。
早足で廊下を進んでいくと、中央通路が見えて来る。まだまだ就寝時間まではあるし、先生も簡単に通してくれるよね?
そう思ったけど、そもそも先生が居なかった。いつも彼らが座っている所には、疲れたように座る生徒が1人。その子がふっと顔を上げて、あたしと目が合った。
「あっ!ジュン!」
「えっ?」
その子は、上郷君だった。
「お前!ちょっと、こっち来い!」
大きな体と大きな声で近付いて来る男性に、あたしはビックリして足がすくんでしまった。
そんなことはお構いなしに、上郷君が迫って来る。自分を守る為に出したあたしの左腕が、ガシッと彼の手に掴まれてしまった。
ミシッて、腕が軋む。
「痛いっ!離して!」
走る様な痛みに、あたしは自然と声が出ていた。
それを、彼は鼻で笑う。
「離してだぁ?お前なぁ、お前らがなかなかトイレから出て来なかったから、俺のスマホが壊れちまったんだぞ?ちゃーんと責任、取ってもらうからな?」
えっ?スマホの、責任?
一体、何を言って…。
「待ってよ。スマホが壊れたのは、上郷君の使い方が悪かったからじゃないの?」
「お前なぁ、全く反省してねぇじゃねぇか…。良いか?俺がどれだけ心を痛めているか、少しはその足りない頭で考えろよ。そんでちょっとは、俺の事を敬いやがれ」
上郷君がグイグイと、あたしの腕を引っ張る。
それに、あたしは両足に力を入れて抵抗する。
「いや、放して!」
「お前さぁ、いい加減にしろよ?」
あたしが確かに嫌だって言ってるのに、何故か上郷君は呆れ顔を向けて来た。
「そうやって、嫌だとか、止めてだとか、心にもない事を言ってさぁ、俺の気を惹こうとしてるんだろ?好き避けとかって言うらしいけど…ぶっちゃけ面倒なんだよ、お前らのそういう所がさ。俺の事が好きなら、好きだって素直に態度で示せよ」
「えっ?何の事?」
この人は一体、何を言っているの?嫌だから嫌って、そう言ってるだけなのに…。
訳が分からなくて、あたしは彼を見上げる。すると彼は、あたしを見てニヤッといやらしく笑った。
「だからさ、もういいって。そうやって惚けても、俺は全部分かってんだぞ?本当は、嬉しくて仕方ねぇんだろ?俺がこうして、お前を構ってやってる事がよ。全く、全部バレバレだっつうの。下手な演技しやがって…そう言うの面倒なんだよ。ぶっちゃけ俺は、従順な奴の方がタイプなの。俺の言う事をちゃんと守って、俺が呼んだらすぐ駆けつけて、俺の横でバカみたいに笑ってる奴の方が、ぶっちゃけ俺の好みなんだよ」
えっ?この人って、こんな酷い人だったの?自分勝手な奴だとは思っていたけど、こんなにもワガママで、幼稚な人だったなんて…。
あたし、こんなのが好きだったの?
「分かったか?分かったら、ほら、大人しく付いて来いよ」
あたしがショックを受けている間にも、上郷君はグイグイあたしを引っ張っていく。
そんな彼の様子が怖くて、あたしは震えが止まらなくなっていた。それでも、頑張って声を上げる。
「ちょっ、ねぇ。お願い、離してよ。あたし、行くところがあるの。だから…」
「おいおい。何言ってんだよ?お前が居るべきところは、ここしかねぇだろ?俺の左隣。それがお前の指定席だ。そんで、右側がノゾミで、前がコハル。後ろがナツな。ちゃんと約束通り、取っておいてやったんだから、ワガママ言ってんじゃねぇよ。他に3人も居るんだから、ちゃんと自分の立場を弁えろよ」
はぁ~…と、大きなため息を吐きながら、上郷君があたしの腕を引っ張る。幾ら「痛い」って言っても、全然放してくれない。本気で、あたしが照れ隠しで嘘を言っていると思っているみたい。
怖い。
彼が、怖い。
話が通じなくて、意志が通じなくて、思いが通じなくて。
彼が理解できなくて、堪らなく怖い。
彼の考えが分からず、この後何をされるのかも全く見えなくて、あたしは全力で彼を拒否する。両足をいっぱい踏ん張って、出来る限りの抵抗をした。
でも、
「ったく、こいつ…また俺の気を惹こうとしやがって。よーし、分かった。そんな悪い子のジュンには、俺がタップリとお仕置してやるからなぁ」
恐ろしい言葉を吐きながら、非常階段の方へと連れ込もうとした。
お仕置きって、何をする気なの?そんな人気の無い所に連れ込んで、あたしをどうする気なの!?
嫌だ…嫌だ!
「いやぁあ!助けてぇえ!虎ちゃぁあん!」
余りの恐怖に、あたしは泣き叫んでいた。
それに上郷君は「なに、誤解されるようなこと言ってんだよ」と呆れた様子で返すけど、あたしの中にあった恐怖は消えていた。
肩を竦めるその人の向こう側に、待ち望んだあの人が見えたから。
「ジュンさーーん!!」
「虎ちゃん!」
あたしが彼の名前を叫ぶと、上郷君も後ろを振り返る。こちらに全速力で迫り来る虎ちゃんを見て、「ひっ」と短い悲鳴を上げた。そのまま、壁際まで大きく飛び退いた。
「大丈夫か?ジュンさん。一体、何をされ…」
そんな上郷君を無視して、虎ちゃんがあたしの両肩を持つ。息を切らせて、あたしの顔を覗き込む。
途端に、彼の目が鋭くなる。あたしの左腕を見て、そこに刻まれた赤い痕を目にすると更に、鋭く危険な色に変わる。
黒色から、紫眼へと。
「……」
紫の閃光が、壁際を向く。そこで、不満そうな顔を向けていた上郷を睨みつける。無言で、壁際へと向かう。
その言い知れぬ圧力に、上郷君が慌てた様子で両手を突き出す。
「ちっ、違うぞ。黒沢。騙されるなよ?今のはジュンが演技しただけで、俺を好き過ぎて悪ふざけしてるだけなんだ。だから、俺は何も悪くな…」
「……」
情けない言葉を並べるその人に、虎ちゃんは止まらない。震える拳を硬く握りしめ、それを高く掲げた。
上郷君に狙いを絞り、大きく引き絞る。
あっ!
「ダメぇ!」
咄嗟に叫んだあたしの声に、虎ちゃんはピクリッと反応した。繰り出した拳を、上郷君の顔面スレスレで止めてくれた。
「ひっ!ひぃい!」
拳の風圧を顔に受けた上郷君が、情けない悲鳴を上げながら尻もちを着く。ガクガク震えながら、虎ちゃんを見上げる。
虎ちゃんは少しの間、彼を見下ろした後、あたしに振り返る。まだ薄ら紫色の瞳を携えて、でも、何時もの優しい顔に戻って、あたしの元へと小走りで駆け付ける。
「済まない、ジュンさん。遅くなっ…」
「虎ちゃん!」
あたしは堪らず、彼の胸へと飛び込んでいた。
彼の顔を見た途端、色んな感情が溢れそうになった。さっきまで感じていた恐怖と、信じていた彼が来てくれた事への喜びが入り混じって、あたしを前へと突き動かしていた。
そんなあたしを、虎ちゃんは受け止めてくれる。力強く、優しく包み込んでくれた。
途端に、胸の中にあった破裂しそうな感情が全て涙となって溶けだし。ひび割れた心の隙間に心地良い感情が入り込む。大きな安心感で、満たされていく。
「虎ちゃん…虎ちゃん…」
「ああ、もう大丈夫だ。ジュンさん。もう、大丈夫」
泣き止まないあたしに、虎ちゃんは優しく声を掛けてくれる。大きくて少し硬い手のひらで、あたしの頭を撫でてくれた。
彼の暖かさで、乱れていたあたしの心が、少しずつ落ち着いてきた。
と、そこに。
「なんやありましたか?お客様」
別の声が入り込む。
見ると、着物を着た女性がこちらへと歩いてきていた。
確か、副支配人さんって名乗っていた人だ。
「廊下が騒がしい言うて、他のお客様から苦情が来てはったんやけど…」
副支配人さんはそう言って、あたしを見る。あたしの泣き腫らした顔を見て、目を細めた。
「痴情のもつれ、やろか?」
「そっ、そうなんだよ!」
急に、上郷君が声を上げる。怯えもすっかり取れた彼は、ニタニタと気持ち悪い笑みを浮かべて立ち上がり、副支配人さんへと近付く。
「それがさ、聞いてくれよ。俺とジュンが”楽しく”歩いてたら、急にこいつが”割り込んで”来てさぁ。俺がモテるからって”怒鳴り込んで”きて、俺を殴ろうとしてきたんだぜ?そのせいで俺、倒れちまって怪我するとこだったんだ。ほら、見ろよ!手もこんな、赤くなっちまってよぉ」
馴れ馴れしい口調で、上郷君は副支配人さんの肩に手を置く。相手が女性だからって、もう自分の味方みたいに接していた。
でも、副支配人さんはその手をパンッと払い除けて、その狐目で睨み上げた。
「タヌキやな」
「はぁ?タヌ?」
「薄汚いタヌキ言うたんや。なぁ?そないな妄言で、うちを騙せると思うてはるん?その良う回る舌、引っこ抜いて鍋ん中に放り込んだろか?」
「あっ、なに?」
味方かと思っていた相手から、急に厳しい言葉を吐かれた上郷君は、ただ口を開けて情けない声を上げるしか出来なかった。
そんな彼を見て、副支配人さんは胸元から扇子を取り出し、それで口を隠す。
「誰がどう見たかて、あんさんが悪いんは一目瞭然やろ。女の子を泣かせといて、タダで済むと思わんといてな」
「いや、あの、俺は、別に…ジュンが泣いてるのは、”黒沢のせい”で…」
尚も言い訳を述べようとする上郷君。
それに、副支配人さんは扇子をピシャリと閉じる。その先を上郷君の胸に突きつけ、鋭い視線を飛ばす。
怒気を、飛ばす。
「早う、散りなんし」
「はっ、はひっ!」
悲鳴を上げて、上郷君は逃げ出す。途中で盛大に転んで、後ろを振り向き、まだ自分を睨みつけている副支配人さんを見て、また慌てて駆け出す。
何度も転びながら消えていった彼を見送ると、副支配人さんがクルリとこちらに振り向く。鋭かった目を細目の中に隠して、あたし達に向かって小さく頭を下げた。
「お見苦しいところをお見せしました。深う、謝罪致します」
「いえ。こちらこそお騒がせして、申し訳ありません」
すぐに虎ちゃんも頭を下げたので、あたしも彼から離れ、彼の隣で頭を下げる。
「ごめんなさい」
ぺこり。
「ええんですよ。学生さんやからね。色々あるんは理解しとります。それを御せんかったんは、うちらの力不足や」
また頭を下げた彼女に、虎ちゃんが慌てる。
「そんなっ、ホテルの対応に過失は無く…」
「お客様に怖い思いさせたんは事実やさかい。責任取らせたってな」
彼女に言い切られて、虎ちゃんは口を閉じる。
それを見て、副支配人さんは目を細めたまま笑みを浮かべ、「どうぞ、こちらに」と言ってあたし達を何処かに誘う。
どうしようかと思ったけど、虎ちゃんが付いていく風だったので、あたしもそれに付き従う。
虎ちゃんはあたしの手を握り、もう片方の腕で肩を抱いてくる。もう襲われないようにと、周囲に目を光らせている。
ちょっと過保護だとは思う。すぐ側に虎ちゃんが居て、目の前には副支配人さんも居る。こんな心強い人達に囲まれたら、あたしに近付くことすら出来ないと思うから。
でも、過保護なくらいの方が安心できた。もう大丈夫なんだって体から伝わって来て、とっても安心する。彼から伝わる優しさが、とっても嬉しかった。
「こちらです」
そうして着いた場所は、このホテルの最上階。そこの天空レストランのオープンテラスへと、あたし達は通される。
「営業時間外やけど、今夜は特別に開けときます。京都の夜空を、どうぞ堪能しとくれやす」
副支配人さんは深く頭を下げて、静かにテラスから出ていった。
そこに残されたのは、あたしと虎ちゃんの2人。そしてあたし達の頭上には、満点の夜空が広がっていた。
「キレェ…」
露天風呂からも見えた空だけど、ここからの方がより広く感じるそして鮮明に見えた。




