72話〜前の席に行こう〜
苦しい期末テストを終えて、追試があった人は死に物狂いで勉強に明け暮れたその数日後、ご褒美の時間が始まった。
即ち。予算増し増しで企画立案した特別宿泊学習である。
「みんな!おはよう!」
早朝の四葉学園。
その昇降口で待機していた俺は、正門付近に人影が見えたので、大きく手を振って登校したばかりの生徒に挨拶を飛ばす。すると、その生徒はちょっと鬱陶しそうな顔をして近付いてくる。
「なんだよ、黒沢。滅茶苦茶はぇえじゃねえか。何時から居んだよ」
おっと。ジュンさん親衛隊の佐野君達だったか
「俺は朝6時からだ」
「変態じゃねぇか!そんなにこのイベントが楽しみだったのかよ?」
「ああ!楽しみだ!」
元気よく答えて誤魔化すが、別に楽しみが過ぎて早起きした訳じゃない。
バスの手配は俺がやったから、バスが来る前に待機しておいて、駐車場の案内等をしていたのだ。
でも、それも不要だったかもしれない。俺が来てすぐに体育の先生も来てくれて、バスの誘導を手伝ってくれたからだ。
「おら、お前ら。くっちゃべってないで、早くバスに乗れ」
先生に感謝していると、その彼がやってきた。
体育教師の雨田先生だ。普段は優しいが、怒ると怖いらしい。付いたあだ名がカミナリ先生だとか。
俺からしたら、優しい先生に見える。マラソンの時、歩いて良いって許可くれたし。
「んな事言ってもよぉ、カミナリ。こんなにバスが並んでたら、どのバス乗りゃいいか分かんねえよ」
「あぁん?そんなの、お前…黒沢、どのバスだ?」
先生が俺に聞いてくる。
済まんね。大量に呼んだから、一目じゃ分からんよな。
「8組はあのバスだよ。席順はドア前に貼ってるから」
「おう。席の方は大丈夫だぜ。なんせ、苦労して勝ち取ったポジションだからな」
そうか。8組はバスの席順でも揉めたのか。
俺はすぐに決まった。何時も通り、ヒデちゃんと組んだから。そこは平和だった。
ただ、部屋割りと班行動のメンバーは荒れた。特に班分けは、男子がどの女子と一緒になるかでデットヒートを繰り広げていた。
とは言え、全体行動の班分けなんて、行動を行い易くする為の割り振りに過ぎない。自由時間の様に、好き勝手動ける訳じゃない。
それでも、男子達はノゾミさんを獲得しようと躍起になっていたし、女子達はセイジと一緒になる事に必死だった。
…ああ、いや。セイジだけじゃなかったな。女子達が必死で奪い合った男子は。
「サンキューな、黒沢」
あの時の悲惨な状況を思い出していると、佐野君が手を上げてバスへと向かう。
おっと、まだ連絡事項はあるぞ。
「佐野君!バスの中にペットボトルのお茶用意してるから、1人1本持ってってくれ!」
「あいよー!」
彼が大きく手を振るので、俺も負けじと振り返す。
ちょっとは、彼と打ち解けられたかな?
「虎二くーん!」
それから暫く、生徒達への挨拶運動を繰り返していると、俺の名前を呼ぶ声が。
振り返ると、ノゾミさんが輝く笑顔で走って来ていた。
「ごめんね、虎二君。案内までさせちゃってたんだ」
「いや、良いさ。俺が手配したから、心配で来てしまっただけなんだ」
「うふふ。貴方らしいわね。私にも手伝わせて」
そうしてノゾミさんが張り切ってくれたお陰で、その後の整理は随分と楽になった。
男子達も、我が校のアイドルに朝から挨拶されて、凄く嬉しそうだ。
またノゾミさんを手伝おうと、続々と委員会の生徒達が集まって来たので、俺はそこでお役目御免となった。
さて、俺もバスに乗るかと思っていると、先生達が暗い顔を付き合わせていた。
なんだろうか?
「どうかしましたか?」
「ああ、黒沢か。実はな、まだ来ない生徒が数人居るみたいで」
「もうすぐ出発だと言うのに…遅刻したら、俺のハーレーを使うしかないぞ?」
雨田先生が苛立たしげに首を振ると、英語の武井先生がちょっと嬉しそうにフルフェイスのヘルメットを叩いた。
いや先生、ハーレーで二人乗りって、タンデムシートでも付けているんですか?
まぁ、どちらにせよ。
「大丈夫ですよ、先生方。こんな事もあろうかと、ジャンボタクシーを手配してますから。ほら、あそこに」
「なにっ!?お前、そんな事まで手配してたのか」
「Excellent!ミスタータイガー。ご褒美に、俺のハーレーに乗せてあげよう」
いや、結構ですって、武井先生。そんな事されたら、悪目立ちするでしょ?
先生達の褒め言葉を適当に受け取って、俺はバスに乗り込む。
「よっしゃー!カラオケしようぜ!」
「私、映画観たい!」
バスが出発してからも、みんなのテンションは変わらず高い。席を立つなと注意されても、男子と一部の女子は易々と破ってくる。
おいおい。あまり迷惑は掛けるなよ。あと、そのオプションは付けてないんだ。悪いけど。
俺はみんなの要望を聴きながら、帰りのバスには付けとくか?と思案する。
そうして周囲を見渡していると、顔色の悪い生徒を見つけた。
ノゾミさんだ。
「ヒデちゃん。ちょっと前を済まん」
俺はヒデちゃんを跨いで、揺れるバスの中を歩く。危険行為を自ら破ってしまうが、人命救助だ。仕方ない。
「ノゾミさん」
「虎二、くん」
空いていたノゾミさんの隣に俺が座ると、彼女は青い顔をこちらに向けた。
うん。これは、バス酔いだな。
「前の席に行こう」
こうなると思ったから、最前列は開けておいたのだ。
「うん。ごめんね…迷惑かけて」
「謝る必要は無いさ。頑張り過ぎたのが原因だろうからね」
朝も早かったし、俺の手伝いをさせてしまった。その疲れも原因の一旦だろう。
俺がノゾミさんを労うと、彼女は「ありがとう…」と弱々しい笑みを向けてくる。
うん。早く楽にしてあげなければ。
弱々しい足取りの彼女をがっちりとサポートしながら、俺は最前列へと向かう。彼女をシートに座らせたら、バスに準備して貰っていた酔い止め薬を彼女に差し出した。
本当は乗車前に飲むのがベストだが…今からでも効果はある筈。
「ありがと…虎二君。あの、悪いんだけど、隣に居てくれない?」
ふむ。そうだな。気を紛らわせた方が、酔いもマシになるだろう。彼女の隣が居なかった事も、酔った原因の一つかもしれないし。
「分かった。では、この前のテストの話でもしようか?」
「うん…お願い…」
俺は彼女の隣に座り、彼女の目を見ながらベラベラと喋る。ノゾミさんのお陰で、社会科が50位以内に入ったこと。でもポカミスしていて、選択肢の〈d〉と〈b〉を間違えた事。でも何とか、総合順位を32位まで上げたことなど…。
あれ?俺の話ばかりになってしまってるぞ。これは不味いな。
「うふふ。ダメよ、虎二君。全部解き終わったら、ちゃんと見返さないと」
だが、そんな詰まらない話でも、ノゾミさんは笑ってくれた。気を遣っての事だろうが、顔色は確実に良くなっている。
薬の効果が出てきて、少しは気も紛れたみたいだ。
「いや、ホントそうだったよ。大丈夫だろうって思って見返しちゃったから、ボロボロ取りこぼしてしまった」
「ああ、それ。よくやっちゃう奴よね」
良かった。自然な笑が出るまで回復してくれた。
後ろの野郎共から、恨めしそうに見られるだけの価値があったよ。
そうしていると、時間は瞬く間に過ぎて行き、運転手さんから『間もなく駅に着きます』とアナウンスされた。
さて、ここからは新幹線だ。流石に高校生だから、駅で迷子にはならんよな?
俺が後ろの奴らを心配していると、俺の手がキュッと握られる。
ノゾミさんだ。
ちょっと不安そうな表情で、重ねた手に視線を落とす。
「ずっと、バスだったら良かったのに…」
…それは、俺の隣が良かったってこと?
いやいや。自惚れるな。やっとバスに慣れてきたのに、次は新幹線の揺れに耐えるのかって事だろう。
俺は彼女の手に、反対の手を重ねる。
「大丈夫だよ。さっきの薬の効果があるから、もう酔わない。東京⇔京都間は揺れも少ないから、安心して」
逆に、大阪⇔小倉間はまぁまぁ揺れる。ノゾミさんが西日本に行く時は、飛行機の方が良いな。
…飛行機は、天候に寄って揺れるけど。
「…うん。分かった。じゃあそれまでは、暫くこうさせて」
そう言って、ノゾミさんが俺の肩に寄りかかってきた。
むっ。もしかして、気分が回復したと思ったのは俺の勘違いだったか?実はかなり無理しているのかも。
ここは、俺が支えねば。バス移動を採用したのは俺なのだから。
そうして、俺はバスが停まってからもノゾミさんを介抱する。観光バスだから、入口の階段も結構急で、彼女が降りる際は手を繋いで支えた。
ふむ。この分だと、ノゾミさんの荷物は俺が持つべきだな。今の彼女に背負わせたら、ペシャンコになってしまう。
「おい!黒沢!」
ノゾミさんの荷物を持ち、彼女を支えながら歩いていると、俺を呼ぶ声がした。
振り返ると、肩を怒らせてこちらへ歩いてくるセイジの姿があった。
「何やってんだよ!なんでお前、ノゾミにそんなベタベタ触ってんだ!」
なんでって。
「彼女がバスで酔ってしまったんだ。だからこうして、荷物も持っている」
俺が背中のリュックを揺らすと、セイジは「ぐっ…」と苦悶の表情を浮かべる。でもまたすぐに、俺に指を突き付ける。
「だからって、お前がやる必要ねぇだろ。ノゾミだって嫌がってるし…」
「私が、頼んだのよ」
ノゾミさんが俺から離れ、セイジに向き合う。
「黒沢君は話し相手になってくれたの。誰かさんが遅刻して、隣に居なかったから」
「うぐっ。だって、何時もみたいにお前が、電話で起こさないから…だから俺は遅刻しちまって…」
「はぁ…分かったわ。私が悪いのね」
ノゾミさんはため息を吐いて、こちらを振り返る。弱々しく笑って「ごめんね、ありがと」と荷物を受け取ろうとする。
だが俺は、拒否する。
「列車の席までは俺が運ぼう」
「でも…」
「無茶をしないでくれ。次は新幹線なんだから、少しでも自分の体調を回復させる事に専念してくれ」
「…うん。ありがとう」
ノゾミさんは微笑んで、俺を見上げる。
そんなノゾミさんを隠す様に、ズイっとセイジが割って入った。
「貸せよ。俺が持つ」
ほぉ。そういう気概はあるのか、この男にも。
俺はちょっと、彼への評価を上げる。
「ああ、よろしく頼むよ」
「別に、お前に頼まれなくても持つ、ぐぉっ!重いぃ…!?」
ちょっと持っただけで、よろけてしまうセイジ。
セイジ株、ストップ安。
おいおい。朝はノゾミさんだって持っていた荷物だぞ?脆弱過ぎるだろ、お前。
「やはり俺が持とう」
「…勝手にしろ」
押し付けるように荷物を渡してくるセイジ。
ったく、こいつは。少しは今のを恥ずかしいと思って、筋トレでもしろ。
後で後悔しても、知らないぞ?
「ほら、行くぞ。ノゾミ」
「…分かったわよ。だから、あまり早く歩かないで」
ノゾミさんは渋々頷きながら、セイジの後ろを追う。
口ではセイジの愚痴を言っていても、彼が望めば付き従ってしまう。
なんて理不尽な力なのだろうな。セイジの魅了は。
俺は小さくなっていくノゾミさんの背中を見詰め、鼻から息を吐き出した。
〈◆〉
「それで?黒沢とバスで、何を話してたんだよ?」
「別に。なんでもないわよ」
虎二君の姿が見えなくなったのを確認して、私は背筋を伸ばす。あの甘い時間を忘れない様に、セイジとの会話は極力省エネモードで対応する。
「しっかし、ジェットコースターでも平気なお前が、乗り物酔いとはな。そんだけ酷い運転だったって事か?」
「ただ、体調が悪かっただけよ」
本当はただ、本を読んでいただけだけど。
そしたら案の定、気持ち悪くなった。そして思った通り、虎二君が助けてくれた。
本当に、蕩けてしまいそうなくらい彼は優しかった。酔い止め薬も準備してくれていたし、私の興味がある話を振ってくれた。
本当に、あのままずっと一緒にいたかった。ずっと彼の隣で、甘やかして欲しかった。
「体調ねぇ。ただバスが合わなかっただけじゃねぇの?やっぱバスなんか止めときゃ良かったんだよ。それなのに黒沢が余計な事するから」
「その黒沢君が手配したタクシーに乗ってきたのは、何処の誰なの?」
「ぐっ…」
セイジが押し黙ったので、私はさっさと彼を追い越して先に行こうとした。
そんな私に、セイジが「待てよ!」と声を上げるので、振り返る。そして小さく彼に笑いかけた。
「でも、来てくれてありがとう」
お陰でまた、虎二君が私を見てくれたわ。今も私の事を、心配してくれている。そこだけは、あんたに感謝しているから。
「おっ、やっとデレたな」
「はぁ?」
セイジのニヤケ顔に、私はちょっとキツめに返してしまった。
それでも、セイジの表情は崩れない。自信満々に言い放つ。
「知ってるぜ。お前らが最近俺に冷たいのは、そういうキャラ付けなんだろ?ツンデレとか、好き避けとかって奴でさ」
「…はぁ」
なんだか、反論するのも疲れたわ。
私は今度こそ、セイジを置いて新幹線へと向かった。




