漫遊7
1556年 8月
井伊家の面々に見送られながら、駿府へ向かう。ここから一泊を挟むことになる。
「若様は、まだ子が生まれぬのに妾だけが増えてい行きますな。」
「全くだ。照にどうやって言い訳すればよいか。下手をすると近衛家から横槍が入ってくるかもしれんのだ。真剣に考えねばならん。」
「御正室に置かれましては事のままを嘘偽りなく述べられればよろしいかと。」
「それしかあるまいか。いやしかし、真のことを言っても信じられぬのではないか。まるでお伽噺のようなことである故。」
定持らと話しながら歩を進めていく。頭が痛いことばかりである。道中一泊したのち、無事に駿府に就くことが出来た。流石は伝馬制がしっかりと整備されているだけあって、道の状態は良く、野盗に襲われるようなこともついぞなかった。
「流石は今川殿のお膝元。小京都と呼ばれるだけのことはある。」
眼下に広がるのは、京都を模したような碁盤目状の市街地が広がっている。市街地を分断するように流れる安部川を挟んで五千軒余りの家屋が所狭しと並ぶ。
「殿、今川殿はこの駿府周辺の山々に愛宕山、丸山と名付けたり、寺には清水寺と京と同じ名前を付けておりますようですな。」
「だとすると、市内を流れるあの安部川は、京の鴨川ということか。となると今川殿は中々京への文化に御執心のようだ。」
皆で、駿府の街並みについてあれやこれやと話していると、向こうから騎馬を含む一団がやってきた。
「馬上より失礼仕る。六角殿御一行で間違えござらぬか。」
「そうである。」
「某、今川家家臣関口伊豆守にござる。主君より六角殿御一行のお迎えを命ぜられております。」
関口伊豆守といえば関口氏純だろう。彼は、今川刑部少輔家に養子に入った人物であり、徳川家康の正妻築山殿の父にあたる人物でもある。我らを出迎える人物として申し分ない格を持った人物だろう。これなら粗相に扱われることもあるまい。
「ささ、旅のお疲れもありましょう。屋敷を用意してります故、長旅の疲れをお癒し下さい。」
関口伊豆守に案内され駿府の市街地に入り、屋敷に案内された。流石は東の京、贅を尽くした豪奢な屋敷である。屋敷に就くと、早速人足の頭である弥太郎を呼び出す。割れ物も多い、品々を傷一つ付けずに運んでくれたことについて感謝を述べる。
「弥太郎、此度の旅は其方らの横関商人の協力なくばここまで早く駿府に着くことはできなかったであろう。褒めて遣わす。これが、私からの気持ちである。」
「太守様よりこれほどまでお褒め頂けるとは商人冥利に尽きます。」
「今川殿と交渉し、駿府で横関商人が商業に関われぬかの交渉もしておこう。」
「何からな何まで。太守様にはこれからも横関商人を良しなに。」
さて、今川義元殿との会見に備えて準備を進めることとしよう。
二日ほど後に、関口伊豆守が義元との面会の準備が整ったので日程を伝えに来た。彼によると、我々一行が到着する少し前に何人かの貴族が下向してきてそれを義元殿が出迎えていたので予定に遅れが出ていたということだ。
「このことは、六角殿を軽んじているわけではなく、思いもよらぬ公家の方々の下向を受けて予定が混乱したことに端を発します。六角殿に置かれましてはどうかご理解のほどをお願いいたす次第であります。」
「我らも今川殿にお会いするために幾らかの準備をする時間が必要であった故、これは願ってもないこと。今川殿には、互いに万全の状態で会見をしたいとお伝えせられよ。」
「六角殿のお言葉必ずや主君にお伝え申し上げます。」
直ぐに会えないのは残念だが、まだ荷解きの終わっていない荷物も幾らか抱えている状況ではありがたい限りだ。このまま確りと時間を有効活用させて頂こう。
駿府 今川館
今私は東海道一の弓取りと評される人物の前にいる。確かに、化粧やお歯黒をしているが、これはつい最近まで下向してきた公家との対応に追われていたからだろう。しかし、その化粧の下にあるのは、文弱な公家ではなく、頑健な弓取りであるという事実がひしひしと伝わってくる。
「ほほ、其方が近江の麒麟児か。噂はこの駿州にも届いておる。まずはここまでの長旅ご苦労であった。旅の中で我が領国を見て回ったと思うが、どうであったが。」
「今川殿の御領国、騒乱の最中にある三河においてさえ今川殿の治める土地は規律が保たれておりました。遠江、駿河に置かれましては盤石な統治体制が引かれており、各地を治める方々は今川殿への忠誠を誓い、忠勤に励んでおりました。」
見たまま感じたことをそのまま伝える。こういうのは変に繕おうとはしない方がいいのだ。特に悪いと思うようなことは見つからなかったからな。
「左様であろう。左様であろう。この領国は代々の今川家当主、某と亡き雪斎とともに作り上げた賜物。六角殿に置かれては短い間ではあるが、領国経営良く学んで変えられるとよろしい。そして土岐殿は痛ましい最後を遂げられたと聞いた。名門の意地を最後まで持って戦ったときいておる。其方の祖母にはこの今川治部大輔が悔やみの言葉を述べていたと伝えてくれ・」
今川殿から有難いお言葉を頂くことが出来た。足利家の分家であり名門中の名門今川家を前にしては流石の六角家の私としても平身低頭で対応しなければならない。
「土岐殿へのお悔やみのお言葉、我が祖母も喜びましょう。土岐殿の御領国復帰へのご支援への礼として、今川殿は茶の湯を好まれるということで、茶碗をお持ちいたしました。どうかお納めください。」
「なんと、有難き事。」
私の捧げた木箱の中から茶碗を取り出した義元殿が固まった。東海一の文化人である彼をそこまで驚愕させた茶碗とは何か。それは天目茶碗の一種、最上級のものである曜変天目茶碗である。中国福建省にある建窯で作られた希少品であり史実においては3品が日本の現存している。
何と言っても、漆黒の器の内側に大小の斑文が散らばり、斑文の周囲は暈状の青色や青紫色で、角度によって玉虫色に光彩が輝き移動する。星のようにもみえる斑文によって器の中に宇宙が見えると評されるまさに珍品である。
「なんとなんと。」
「唐国の商人から仕入れた物でありかつて南宋の貴人が使っていたとされる由緒正しき一品にございます。」
本来は茶道具の中で最も重要視されている茶壷を送りたかったが、思いもよらず曜変が手にはいいたのでそれを送ることにしたのだ。
「早速や、茶を入れようではないか。六角殿、某直々に其方に茶を入れてやろう。」
今川殿に連れられて茶室に入る。茶室には私と今川殿の二人しかいない。
「さて、ここなら衆人の目も無く腹を割れるというもの。六角殿は確か清州の織田を従えておったであろう。」
「確かに誼は通じておりますな。」
茶室に入ると今川殿の雰囲気が一気に変わった。朗らかな雰囲気が抜き身の太刀のような危なさを感じる雰囲気に変わった。茶碗をじっくりと眺めながら尾張のことについて聞いてきた。
「どうであろう、清州の織田を使って忌まわしき信長の領内をかき回すことはできぬか。知っての通り、三河での騒乱は信長や今は亡き道三がその手を伸ばして起こさせたこと。やり返してやらぬと腹の虫がおさまらぬ。」
「今川殿、今や清州の織田は我が六角の援助によって辛うじてその家名を保っている状況であります。とても、信長の領地を荒らすようなことはできませぬ。」
「なに、清州の織田だけではない。信長の弟や他の一族からも内応の約束がある。蜂起する相手が多ければ多いほど尾張は荒れるというものよ。その後は六角と今川で尾張を分割するとしよう。」
なかなか魅力的な提案である。尾張は濃尾平野の一部であり平地が多く、石高も高い。美濃への進出も楽になるだろう。しかし、なぜここまで、六角を尾張にかかわらせたいのか。三河が落ち着けば尾張統一もままならない。信長を倒すことは容易いはず。現に桶狭間の戦いがなければ今川殿が尾張の大部分を切り取っていたに違いない。
「不思議に思っておろう。なぜ三河を収めたのちに尾張を攻め取れば良いのになぜ態々尾張を分割するのかと。それは簡単なことよ。我が今川の本当の敵は別にある。」
「本当の敵と。織田や斎藤は敵ではないと。」
「無論その通り。本当の敵とは虎狼之国甲斐の武田の事よ。今は婚姻同盟を結んでおるが、あれは同盟を結んでおっても相手が弱ったと見れば同盟を結んでいても襲ってくるような輩に率いられておる。北条や武田と結んだのも武田の目を長尾や信濃に向けるためよ。」
確かに史実でも、今川義元亡き後武田は駿河に攻め込み領地を奪っていったからな。それに父を追放したりと外から見れば中々不穏な動きをするように見えないこともない。まあ、隣国である今川殿には何か部外者からは見えぬ何かが見えるのであろう。
「話がそれたが、織田家の件持ち帰ってもらえぬか。」
「確かに、清州の織田は我らが支援しておりますが、対等な同盟にございまして私が何か働きかけるような事はありませぬ。今川殿におかれましてはどうかご理解のほどを。」
「そうか。某の早とちりであったな。」
その後は、茶を頂き今川氏真殿と蹴鞠をして親交を深めることが出来た。




