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六角氏軍記~戦国乱世を生き抜きたい~  作者: タスマニア


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漫遊6

自浄寺

 「六角様、此度は御身を危険にさらしながら我が寺の者、そして井伊家の者を救ってくださり、この南渓瑞聞が井伊家を代表して御礼を申し上げます。」



 流石に、一族の者が自死しようとしたところを止められず、他家の者に助けられるという外聞が悪いことが起こっては、この高僧も動揺を露わにしこちらに平伏せざるを得ないようだ。私の歳以上の差がある人物、しかも領主である井伊家の者の頭を下げさせたままにしておくのも居心地が悪い。



 「南渓瑞聞殿どうか頭を挙げてくだされ、私はただ仏の教えにしたがったまでの事。これほどまで感謝されるほどの事ではありませぬ。」



 「六角殿は、我ら井伊家の大事な客人。その客人を我が一族の者が内輪の問題で客人を危険な状況に陥れたとあらばどれほどの言葉を尽くしお詫びをすればよいか。」



 「和尚よ、私はこの通り五体満足でありけがもない。今はただ、一つ徳を積めたことに感謝の心があるのみ。井伊家の者に悪感情を抱くようなことは決っしてない。されど和尚らの狼狽ぶりより井伊家の中でも当主にお近い女人であると思っていました、どうやら予想が当たっていたようですな。」



 最後に余計なことを言ってしまったことを後悔する。まだこの体は興奮状態にあるのだろう。口が軽くなっている。自重しなければ。



 「知恵者で知られる六角殿。そこまで分かっておられたとは。隠し事はできませぬな。」



 「まだまだ若輩の身。碩徳の南渓瑞聞殿から見ればまだ未熟者である。」



 「そのようなことは決してありますまい。さて、あの尼僧は井伊家十八代当主井伊直親の一人娘である次郎法師にございます。訳あって行動が不安定になっておりましたがまさかこのような行動をとるとは。」



 やはり、あの尼僧は次郎法師で間違いなかったようである。とすると通説としてはこの後井伊直虎として井伊家の事実上の当主としてふるまうことになるはずだ。



 「なんと、それは和尚らが大きく慌てたもの分かる。井伊直盛殿の唯一の御息女がそのような行動を取るとは大事であるからな。」



 「お恥ずかしながらまことにその通りにございます。」


 

 どうやら次郎法師が井伊直盛の娘であり、それ以外に子供がいないことが分かった。ここで次郎法師が女性であることは確定した。だが、彼女が本当に井伊直虎になるかは分からないのが残念だ。史実では井伊直虎と次郎法師は別人であるという説もあるのにすぐに証明とはいかないのが歯がゆいところだ。



 「殿、三雲殿よりお聞きしましたぞ。衆人の前で尼僧と接吻をしたと、三雲殿が臨場感たっぷりに語ってくれました。」



 「坂井、決してやましい思いがあって接吻したのではない。あれはかつて唐から伝わったとされる医学書に書いてあったれっきとした治療行為である。其方なら私が一刻を争うときにそのようなことをするような人物ではないことは分かっておるだろう。」



 「無論わかっております。されど三雲殿があまりにも接吻を強調するので少し気になってお聞きした次第です。」



 どうやらあの調子者は嘘こそついていないが、大いに脚色して言いまわっているにちがいない。坂井まで知っているということはもう手遅れであるようだ。全く、このように三雲成持の口のうまさと行動の速さには驚きあきれるしかない。



 夜、次郎法師を助けた時の疲れが一気にやってきたので、熱い湯舟と料理を頂いて、早めに床に就くことにした。明日はおそらく、井伊城で会見を行うことになるだろう。



 「六角殿、我が娘をお救い頂きお礼の言葉もない。」



 「直盛殿、頭を挙げられよ。これもまた、六角と井伊の中を深める良い契機である。まずは次郎法師殿の快癒を祝おうではないか。」



 井伊城城内での井伊直盛との会談は、謝罪より始まったが順調に進んでいる。



 今朝、和尚より次郎法師があのような行動を取った原因を教えてもらうことが出来た。通説とは少し年代が異なる部分がある。まず、次郎法師は直盛の養子となった直親は次郎法師と夫婦になる約束だったが、1544年に直親の父である直満が小野和泉守政直の讒言によって今川義元に誅殺され、直親は信濃国に逃れることになった。それを受けて、次郎法師は龍潭寺の住持である南渓和尚の弟子となって出家し、南渓和尚から次郎法師の名を与えられた。



 しかし、信濃国に逃れた直親は現地では塩澤氏の娘との間に高瀬姫と吉直の1男1女を儲けていた。これも事実であったとは驚いた。1556年に井伊谷への帰参が叶うと塩澤氏の娘との間に儲けた1男1女を連れて帰国しそのまま約束を違え、祝田を拠点とし奥山朝利の娘を娶ったのであった。一応、奥山朝利の娘を娶ったのは今川義元の意向に大きく影響をうけたようであった。しかし、この行動に次郎法師は大きな衝撃を受け以後行動が不安定になったようだ。



 井伊家の者たちと話していると、鎌倉より井伊谷一帯を治める彼らにとって新しくやってきた駿河の今川が遠江を支配している現状はあまりよろしくないものなのだろう。十二年前には井伊家の家老であった小野政直の讒言によって今川義元に井伊直満・直義兄弟が駿府で殺されているし、桶狭間の後でも小野政直の子小野道好の讒言によって井伊直親が駿府への道中、朝比奈泰朝によって打ち取られている。大体の要因は家臣の讒言であるが、最終的な承認をした今川氏に恨みや不信感を持つのは仕方ないだろう。



 今川氏は、井伊家をかなり警戒し圧力を加えているようだ。井伊直盛の娘である次郎法師との結婚を取りやめさせ、実力者ではあるが井伊家分家の奥山朝利の娘と結婚するようにとの意向を示したのも、直親の当主としての正当性を少しでも削ろうとする意図があったと深読みしてもおかしくないだろう。



 「六角殿、某井伊直親にございます。どうかお見知りおきを。」



 「其方が直親殿であるか。直盛殿から機略に富んだお方であると聞いておりますぞ。」



 「お養父様がそんなことを。まだまだ学ぶことの多い若輩者でございます。」



 「時に、直親殿。貴殿は笛の名手であるとお聞きしたのだが、どうかこの忠定の為にその音色を聞かせてくれまいか。」



 「直親、六角様の為に吹きなさい。」



 「承知しました。」



 祝宴では多くの井伊家の者が挨拶にやってきた。その中でも直親は挨拶に来るものがまばらになってきた頃にやってきた。彼には、遠江から逃れる際に直親を射殺そうとした右近次郎を復帰後に機略を用いて成敗したという伝承や、笛の名手で逃亡した際に援助を受けた僧に愛用の笛である青葉の笛を寄進した伝承などがあるのでそれとなく聞いてみると、この二つはどうやら事実であるようだった。



 ならばその音色を聞きたいと思うのは当然のことではないだろうか。早速、話しかけてきた彼に笛を吹いてもらえないか聞いてみると、直盛に目配せをして許可をもらった彼は懐から笛を取り出した。喧騒が落ち着いた。



 静寂を打ち破るその音色は何処か物悲し気な雰囲気を纏いつつも、その中に活力・闘志と形容すべき力強さを内包していた。聞くものの心を落ち着かせ、活力を与えてくれるこのような演奏ができるとあらば皆が名手と讃えるのも納得である。



 「六角殿、少し中座させてもらう。どうかこのまま祝宴を楽しまれよ。」



 直親殿は席を立って外に出て行った。大体夜風にあたりに行ったか、厠に用があるのだろう。それから何人かが席を外し、外に出て行った。皆かなり飲み食いしているので酔いが回ってきているのだろう。




  井伊直盛


 「お義父様、お時間よろしいでしょうか。」



 「何かあったか。」



 「六角様でありますが、次郎法師様のことをかなり気にかけておられました。おそらく南渓和尚から色々と聞いているのでしょう。」



 腕組みをして考える。娘は、あの行いのせいで南渓和尚を激怒させてしまい寺より追い出されてしまった。和尚は、仏教において自殺は罪ではないがせっかく真理を悟り解脱する機会を得たというのに、真理を悟らぬまま自殺しようとしたことにお怒りになった。



 もともと快活であったあの子が悲しみここまで苦しんでいるとあらば、目の前の直親より、高位高官の者を連れてきて結婚させてやるのがやさしさというもの。そして実際に、家柄も高く朝廷から正式に官位を頂き、近江・伊賀・伊勢の三ヶ国を有する大名とあれば今川に勝るとも劣らぬお方が目の前におられる。ここは強引な手に出るべきか。



 「直親、其方は六角様のお連れの方を何とかして部屋から連れ出すように図れ。六角殿がお一人になったら娘を頂いてくれないか、談判いや脅しをかけるつもりで話す。」



 「お義父さま、流石にそれは飛躍しすぎであります。急いているとはいえ、あと二段ほど段階を踏むべきでしょう。」



 発した言葉に、直親は狼狽する。正常な反応だ。これに関してはこの直盛が狂っていると言われてもおかしくない。しかし、六角殿は早ければ明日にでも井伊谷を出立すると言っていた。ならば今夜、酒に酔って正常な判断が下しにくく、我が一族に囲まれている状況を利用するしかない。



 御正室をお持ちになり、さらに側室を持つ六角殿の良心につけ込む卑劣な策であるが、我が井伊家の血は井伊谷から出て遠くの近江に広がる。今川から圧迫を受けている我が一族に何かがあっても近江で家を保つことが出来るかもしれない。



 「直親、其方も腹をくくるのだ。もし娘に申し訳ないと思う気持ちがあるのなら、これをもって罪滅ぼしとせよ。」



 「....承知しました。」




 六角忠定


 祝宴もそろそろお開きとなる時が見えてきた。多くの者が外から戻ってきて今一度締めに入るのだろう。足が痺れてきたので立ち上がるとかなり酔ってしまったのかふらついてしまった。人前で転ぶわけにはいかないので再び座りなおす。



 その時ふと周囲を見渡すと、井伊家の者はその殆どが席に帰ってきているのに今日供として連れてきた、坂井や三雲親子は席におらず残っているのは坪内と青地の二人であった。ここで襲われると危ない状況だなと感じたその時。



 「六角殿!この井伊直盛恥を忍んでお頼み申したいことがありもうす!」



 あまりの大声、剣幕に危うく漏らすところであった。目だけで周囲を覗うと周囲の者も皆驚いていた。どうやら井伊家当主のこの行動は予め共有されていたものではないらしい。



 「どうか!どうか、なにとぞ我が娘次郎法師を娶っていただけませぬか!」



 似たような状況が伊賀でも起こったような気がするが、あの時とは違い我ら一行は完全に孤立している。断るという選択肢があるようでない。ここで断ったら酒が入っているものの中で実力行使に出る者が現れるかもしれない。こんなことが起こる気は薄々感じていたが実際に来られると驚愕してしまうものだ。



 「井伊殿のお気持ち、南渓和尚より事情をお聞きしておりますのでよくわかります。されど次郎法師殿も見ず知らずの男に嫁ぎ、見ず知らずの土地に赴くことに合意を得られましょうか。私も正室と側室をすでに持っている身。おいそれと側室を増やすことはできませぬ。」



 正室を持つ身となった今では勝手に側室を迎え入れるようなことはしたくない。ここは何とかして断る方向にもっていきたい。



 「そこをなにとぞ!なにとぞ!」



 「六角殿!某からもお願い申す!」



 対する直盛殿も必死である。これぐらいではへこたれない。と思ったらよこから直親殿が出てきて直盛殿と一緒に土下座をしてきた。それに追随するかの如く、井伊家の親類衆やその家臣達が次々と土下座をしてきた。ここまで来られると、断るに断れない。ここまでされてしまっては断れない。本当に斬られてしまう。



 「分かり申した。当主を始め皆様にここまでされては、お断りできませぬ。しかし、次郎法師殿の合意を今すぐお取りしていただきたい。この場で合意を得られるのなら、今から祝言を挙げても構いませぬ。しかし、合意を得られなかったらこの話はいったん保留といたしましょう。」



 なかなか、苦しいが次郎法師の合意を焦点とすることで、断りではなく保留に持っていく可能性を高める。流石に今から合意は無理ではなのだろうか。



 「お初にお目にかかります。わたくし、井伊直盛が妻であります。そして隣におりますが我が娘次郎法師にございます。此度は、娘を室にお迎え頂けるということでかたじけなく存じます。」



 「次郎法師にございます。此度はお命をお救い頂きかたじけなく存じます。不束者ではありますがよろしくお願いいたします。」



 今から合意は無理だと思っていた私が馬鹿者であったようだ。流石に合意ぐらいは取ってあったのだろう。すぐに井伊直盛殿の奥方と次郎法師が入ってきて祝いの言葉と合意の返事をもらってしまった。



 「こちらこそよろしく頼み申す....」



 周囲に誰もいなかったら暴れ狂いたい気持である。

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― 新着の感想 ―
かもがネギと鍋持って歩いてるんだから仕方ない まぁ身分はハッキリしてるんで悪縁では無いのが救い と言うか本心では気になってたんじゃないのかな?
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