漫遊5
1556年 7月
岡崎城
「六角殿、長らく岡崎にとどめ置くことになって申し訳ありませぬ。我が主より、駿河入国の許可と道中の関所を通るための書状が届きました。本来なら、盛大な祝宴をもってお出迎えすべきではありますが、戦なさなか故、平にご容赦を。」
「山岡殿、何をおっしゃられる。早く三河の騒乱を収めることが山岡殿の御使命。本来は、前触れもなくやってきた我らこそ無礼を働いた側。山岡殿には短い間であったが大変お世話になりもうした。」
「六角殿の道中の安全をお祈りしております。」
山岡殿とはこれから取次として長い付き合いになる可能性があるから、ここはしっかりとした対応をしておこう。お礼の品として近江の麻織物や最近作られ始めた日野漆器を送った。彼がこれらの品物の評判を広めてくれることも期待できる。
三河を抜けるまでは、山岡殿の御厚意にて護衛の兵をつけてもらえたので野盗の心配はなく旅をすることが出来た。遠江と三河の国境で護衛の兵士と分かれ、旅を続ける。
「流石は天下の今川殿の御領国。関所はしっかりと機能し、野盗の気配もない。隅から隅まで御威光が行き渡っているのだろう。定持、我が近江は湖南は栄えているが湖北は荒れていると聞く。近江守護職を代々務める我らもこの遠江のような状態に近江一国を変えたいものよな。」
「そうでありますな。されど若様、弟君の京極家への養子入りが成れば六角家の御威光も湖北に行き渡るでしょう。」
そんな会話を続けながら我ら一行の速度は落ちることなく、井伊谷に到着することが出来た。遠江は、街道も確りと整備されており歩きやすかったので想定よりも早く到着することができた。今日の宿所である井伊氏の菩提寺である自浄寺に挨拶に向かう。今に伝わる龍潭寺という法号は1560年の桶狭間の戦いで、戦死することになる井伊家22代井伊直盛の戒名から改められたので今はまだそのひとつ前の法号である自浄寺なのだ。
この寺は、寺伝によると733年、行基によって開かれたとされている由緒あるお寺である。今は、南渓瑞聞が二世住職を務めているはずだ。この人も通説としては井伊谷城主井伊直平の次男もしくは三男とされていたはずだが位牌や、南渓過去帳に父実田秀公居士と記載されていてその出自がはっきりしない人なのだ。
早速、寺の門をくぐると見事な体格を持った偉丈夫が寺内の掃除をやってた。こちらに気付いたようで偉丈夫が話しかけてきた。
「そこのお三方、身なりからして武家の方とお見受けする。されど、この辺りでは見ないお顔。我が寺に何の御用がおありでしょうか。」
「これは失礼。某は近江国より今川殿にご挨拶の道中に参った六角伊賀守四郎忠定である。」
「三雲新左衛門尉成持であります。」
「坂井右近将監政尚だ。」
「これは。六角様御一行でありましたか。拙僧、自浄寺で修行のみであります傑山宗俊にございます。皆さまのことは南渓瑞聞よりお聞きしております。ささ、客殿におあがりください。」
「傑山どの他の者は伽藍の外で待機しているのだが、入れてもらっても構わぬか。」
「構いませぬ。他の者に宿坊に案内させましょう。」
案内を受けて、客殿に入るとそこには一人の僧侶が待っていた。40半ばぐらいであろうか、その佇まいからは、徳の高さが伝わってきた。
「南渓和尚、六角様をお連れしました。」
「傑山、ご苦労でした。六角様御一行の寝食の準備を手伝ってきなさい。」
「改めまして、拙僧が臨済宗龍潭寺二世住職を務めております南渓瑞聞と申します。六角殿と井伊家当主井伊直盛の取次も務めさせていただきます。長旅でお疲れでしょう貧しい寺ではありますかどうか長旅の疲れを癒してくださいませ。」
「六角伊賀守四郎忠定である。此度の和尚の温かい気づかいになんと感謝を述べればよいか。こちらはほんの気持ちでありますがお納めくだされ。」
南渓瑞聞に幾らかの銭と近江の麻布、日野の漆器という近江お馴染みの特産物が書かれた目録を布施として渡す。泊めてくれたこちら側としては当然の配慮である。我ら一行の数日分の食糧・薪などの諸経費を差し引いても結構な額が残るようになっているはずだ。
「六角様からのお布施ありがたくいただきましょう。」
そののち南渓瑞聞とたわいもない話をする中で、実父は実田氏であり井伊直平の養子となったことが判明した。会話や言葉の節々に教養や頭の回転の速さが伝わってきた。このような親戚縁者がいる井伊家は人材の面において同じ規模の国衆を凌駕しているといえるだろう。
和尚との会話を終えると、三雲成持を伴って井伊谷を探索することにした。親書は和尚に渡したので、返事が来る明日明後日にならないと何もすることはないのだ。
自浄寺の隣にある宗良親王の墓所を訪れる。親王の安寧を祈る気持ちとともに、准勅撰和歌集である新葉和歌集の撰者、私歌集に李花集がある親王の和歌の才能のほんの一欠けらでも授けてもらえないかと邪な気持ちが混じってしまった。
墓所に参った後、周囲を馬上から見渡してみると神宮寺川の傍に立つ尼僧がいたので井伊谷について詳しく聞こうとしたら、なんと尼僧がずんずんと川の中に入って行くではないか。いくら浅いからとはいえ袈裟や頭巾を被って川に流されたらまず助からないだろう。
「成持、さすがに僧侶を見捨てると罰が当たろうか。」
「当たるでしょうな。」
流石に目の前で死なれるのは気分が悪いし、僧侶を見殺しにしたとあっては私個人の名誉や家名に傷がつくことになる。今から身軽になるには時間がないので意を決して馬ごと川に乗り入れる。徒歩の成持も後から追ってくる。尼僧よりも川下の場所から川に入る。山に雨が降ったのだろうか水位が高い。もう尼僧の太ももの半ばまできている。足を滑らせたらそのまま流されてしまうだろう。
そう感じていた時、尼僧が突然川に流された。おそらく川底が急激に深くなったのか、足を滑らせたのだろう。馬を急がせ尼僧の近くに流れてくる場所に馬を寄せるそのまま飛び降りる。尼僧の体は辛うじて浮かんでいるが袈裟が水を吸って重そうだあれを馬上から引き上げるのは困難だろう。
流れてきた尼僧の体を抱き上げ、何とか馬に乗せようと奮闘する。気を失っている故、暴れないのは良いが私のきている着物も水を吸い、体にまとわりついて上手くいかない。
「兄貴、手伝うぞ!」
追いついた成持と協力し何とか馬に尼僧を載せ、安全な堤の上まで運ぶ。
「息してない!この人息してないよ兄貴!」
水を大量に飲んだのか息をしていないようだ。意識はなく、正常呼吸・脈はない。まずは気道を確保して胸骨圧迫を行う。飲み込んだ水は自然に排出されるので無理に吐かせないず、腹部の圧迫は逆流した水が気管に入るなど、かえって危険である。
胸骨圧迫と人工呼吸を行って自然な呼吸が再開したのを確認したのち、水の吐き出しに備えて体を横向きにする。何度か水を吐き出したのち、意識が戻ったようだがまだはっきりしていないようだ。木陰で暫し休ませる。
「兄貴、尼さんの懐からこんなものが落ちてきたんだよ。」
成持が差し出したのは小さな袋であった。確か室町時代の日本人には香料や薬、火打石などを入れた小さな袋を腰に下げて持ち歩く習慣があったので、小さな袋を持ち歩いているのはおかしなことではない。しかし、その袋には井伊家の家紋である橘紋があった。
「家紋を見るに井伊家の者かその縁者。どうやらただの尼さんではなさそうだな。」
「兄貴、尼さんの意識が戻ったどうする。」
「自浄寺に連れていき南渓瑞聞に尋ねるか。」
今後のことを話し合っていると野次馬の誰かが駆け込んだのか、傑山が血相を変えて走りこんできた。
「六角殿...人から聞きましたが、こちらの尼僧を救って...頂いたようですね。」
そうとう焦っていたのだろう。息も絶え絶えである。しかし、尼僧が入水自殺しようとしただけでここまで血相を変えて飛んでくるはずはない。やはり、井伊家、しかも嫡流かそれに類する方なのだろう。
「傑山殿、息も整わぬようであるが、この尼僧を早く寺に運び込まぬと体が冷えてしまう。」
「そうですな...六角殿の馬を...使わせていただいても。」
「構わない。」
さて、薄々あの尼さんがどんな人か目星はついたがこれが正しかったらとんでもないことに巻き込まれたことになるな。




