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六角氏軍記~戦国乱世を生き抜きたい~  作者: タスマニア


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漫遊

 1556年 5月 観音寺城


 さて、皆は今川家と聞いて何を思うだろうか。そう聞かれて頭に思い浮かぶのは、今川家歴代当主の中でも有名な今川義元・氏真親子だろう。この両者は、名門今川家を衰退滅亡させたとして長い間評価が低かった。



 今川義元は、公家かぶれの軟弱な武将として長年描かれていたが、これは後世の創作であるという説もあるらしい。実際の義元は内政面において辣腕を振るったことが史料で確認できる。1552年には今川仮名目録の追加法を制定を行っている。さらに商業保護や流通統制、寄親寄子制度による家臣団の結束・統制強化を図るなど優れた行政改革を進めている。



 この動きは朝倉宗滴にも伝わり、朝倉宗滴話記のなかで国持、人つかひの上手。よき手本と申すべく人として武田晴信・織田信長・三好長慶・長尾景虎・毛利元就らと同列に評価されているようだ。



 そのんな義元の嫡男である氏真においても史料から見られる彼の姿は、どうやら一角の人物であったようだ。大名時代は内政、特に治水工事に注力していたようだ。具体的には菊川市棚草の雲林寺跡地に今川さまと呼ばれる今川氏真公を祀る祠がある。そこにある木札には今川用水と呼ばれる丹野川から取水する用水路がありるのだ。



 遠州棚草村文書の中には、氏真が棚草の領主であった朝比奈孫十郎公宛てに出した朱印状が残されていて、他郷からの干渉を禁止する等の用水に関する特権を保証する内容が書かれている。治水工事に関するいくつかの郷にまたがる治水工事を認め、領内の石高を増やし農民の水不足を大幅に改善したようだ。



 他にも和歌・連歌・蹴鞠などの技芸に通じた文化人であり、その生涯において多くの和歌を詠んでいる。観泉寺史編纂刊行委員会編今川氏と観泉寺には1,658首が収録されている。



 やはり、俯瞰してみると優秀な親子であるが桶狭間の戦いで織田信長に今川義元が討たれる等の不運の連続によって、惜しくも大名家としては没落してしまったように感じる。



 だが、さきにも話した通り今川仮名目録を初めとする優れた統治体制を敷いている。これを参考にする為にまた、歴史を愛好していた者として傑物今川義元に直に会ってみたいという望みがあるのだ。



 「父上、どうか今川殿に会うために駿府へ赴く許可を頂けませぬか。」



 そう願いでると父は困った顔をする。無理もない。道中の尾張は先程まで戦をしていた織田信長がその大半を治めており、三河においては史実よりも規模は小さいながらも三河忩劇と呼ばれる今川氏に対する反乱が起きている。



 「其方は、嫡男である換えがきかぬ存在。勉強熱心な事は多いに褒められるべきことであるが勉強の為にその身を危機に晒すことはまかりならん。」



 「申し上げますれば、七里の渡しに乗れば織田領は熱田・鳴海城の間だけで済むでしょう。そもそも、我ら六角と織田は和議を結んでおり、危害を加えてくることは考えにくいでしょう。そこからは今川領であり、三河においても反乱が起きているのは加茂郡だけであります。我らが通る事になる東海道においては、今川によって安全が確保されている聞いております。」



 「御屋形様、恐れながら充分な護衛を付け、危ういことがあれば直ぐに引き返すことを申し付ければよろしいかと。それに、今川義元殿には亡き定頼公が土岐頼芸殿の国主復帰の為の協力を要請する文を送っております。事の顛末を話し、今までの協力に感謝を表すべきではありませぬか。」



 「確かに今川殿への御礼を忘れておったわ。されど、嫡男ではなく重臣を送れば良いではないか。それに七里の渡しも中々の難所と聞く。危なき道中を行かせる訳にはいかん。」



 「御屋形様、今川殿は東海道一の弓取りと呼ばれるお方。忠定様にも必ずや良い影響を与えるに違いありませぬ。」



 どうやら、三雲定持もこの件には賛成してくれているようだ。父の説得に参加してくれている。このまま一気に押し切れないか。



 「後藤、其方はどう思う。」



 堪らず父は、後藤賢豊に助けを求めた。



 「今、国元は斎藤、三好を退け多いに安定しております。今この機会を逃すことはありますまい。国外を見聞することもまた重要な経験になるでありましょう。忠定殿を今川殿の元に送られても宜しいかと。」



 三雲に続き後藤も賛同してくれた。やはり事前に根回しをしておいて良かった。この時代、当主が反対していても周りの家臣の大多数が賛同すれば、幾ら当主といえどもその意を押し通すことは出来ないのだ。



 「皆が良いと言うなら、許そう。されど、自らが替えのきかぬ存在である事を理解し、自重する事を誓って貰わなければならん。忠定は、家や国元の事等の公においては慎重になるが、それらの束縛から解き放たれると危ない橋を渡りたがる性がある。軽挙妄動を自ら戒める事を誓わなければ許可を出すことはできぬ。」



 私事での行動は、信用されていないようだ。まあ、自らを顧みない行動が多かったのは事実であるが今は、落ち着いていると思っている。誓紙を書いて旅の準備をしよう。

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