第三章 開花
◆ ◆ ◆
少女は孤独だった。
幼い時、彼女は父と母しか会えなかった。十を超えた時に世話役の男とも会えるようになった。だが他は変わりなかった。
部屋を一歩出るためには帽子が必須だった。誰にも言ってはいけない。父が口を酸っぱくして言っていた。少女は秘密を隠し通した。
「母上……」
手を伸ばす少女のその手を張り飛ばし、女は彼女の耳を引っ張った。
「痛い、痛い、痛い!!」
「どうしてそんな姿なの!? どうしてあの人に似なかったの!?」
女は少女を罵倒し、痛めつけ続けた。ずっと、ずっと、ずっと。
父は母を止めた。それでもそれが終わることはなかった。そして、優しい父は多忙でなかなか会えなかった。
次第に母とも会えなくなり、世話役の男と一緒にいることが主になった。
それでも母に認められたくて色々したが、全てが裏目に出ていた。
いつしか信頼できるのは父とその世話役だけになっていた。他は誰も信じられない。信じられなくなっていた。そして、その二人でさえ全てを晒すことはできなかった。
そう、彼女は孤独だった──
◆ ◆ ◆
「一人増える」
そう言ってシークは宿屋の主にその分のお金を渡す。後ろでウィスタリアはむくれていた。
ここまで彼はついて来いの一点張りで、訳を、目的を話してはくれなかった。これから自分をどうするかも返答なし。結果こうして手を引かれてついていくしかなかった。
「一人増えるんかいや」
「料金は今払った」
「ふん」
宿主はその金を取ると、さっさと奥へと戻っていった。
「来い」
そう言って、シークはまたウィスタリアの手を引いた。
「うぁ、わかったから引っ張んな! アンタ力強いんだよ!」
半ば憤慨してシークを睨む。だがシークは涼しい顔で返した。
「これでも加減している」
「……そうかい」
そんな会話をしながら、二階の突き当たりにある部屋に向かう。気遣ってくれているのか、少し腕を掴む力が弱くなっていた。
「入れ」
「……わかったよ」
渋々入る。さっきの腕力からして、彼に丸腰で挑むのは無謀だ。今は指示に従った方がいいだろう。
ウィスタリアはシークの様子を伺いながら、ゆっくり部屋に入る。ウィスタリアが入ると、すぐシークは内鍵を閉め、荷物を机の上に置いた。
「楽にしてていいぞ」
「楽にねぇ……」
誘拐すると言われてリラックスできるわけがない。それでも何食わぬ顔で作業する彼に、苛立ちを顕に鼻で笑った。
「アンタ冷静に今してることわかってんのか?」
「誘拐だ」
「あー、じゃあなんでまた誘拐なんて馬鹿な事してんだ?」
「お前は後継ぎ候補だ。十分餌になる」
「ふーん」
どうにも腑に落ちない話だった。大体自分を捕らえてどうするのか明確じゃない。思えば会ったのも偶然だ。前もって計画していたことではないだろう。それにどう考えてもリスクの方が大き過ぎる。
「そう簡単にいくかねぇ」
この時間には帰る約束をしてある。今頃血眼になってあのおせっかいな世話役が探し回っているはずだ。大体誘拐はこれが初めてではない。
ウィスタリアは余裕の表情でソファーに座り込んだ。
「で、アンタはこれからどうするつもりなんだ?」
大体欲しがる物は金だが、今回は違うだろう。なら何が望みを聞いてみる。不思議とこういう犯行直後は興奮してるからか、本音を漏らす輩が多い。
目的が分かればこちらも動きやすい。ウィスタリアは心の中で笑った。
だが、答えは期待とは全く違うものだった。
「……まだ、考えてない」
「あん?」
「だから、今! 考えてるから、その、放っておけ……」
目を瞬かせた。今考えている。思わぬ答えにウィスタリアは思わず大声でからからと笑った。
「何がおかしい!?」
「あんだけ啖呵切っておいて、どうするかが決まってないなんて笑わない方がどうかしてるぜ!」
「……うるさい」
そう言い残してシークは冷蔵庫から食料を出す。それをウィスタリアにも出してさっさと食事を始めた。
「一応聞くが、捜索隊はいつ出る?」
「一週間くらいじゃねぇか?」
「……遅いんだな」
「見つからない方がいい奴らもいるんだよ」
そう言ってウィスタリアは苦笑した。
正室は我が子を王にと考えているはずだ。なら自分は邪魔者でしかない。あの性悪女ならこれよしと捜索隊より暗殺部隊を派遣しそうだ。
「探しに来ると言えば、一人だけだな」
「一人だけ?」
「俺の世話役ってところだ」
「……亜人か?」
「いや、人間だ。律儀な、な」
「律儀な人間、か」
それから二人は無言で食事を終えた。シークの皿にはだいぶあった肉も綺麗さっぱりなくなって、残した自分の分まで食べてもらった。大食いか、とウィスタリアはその食べっぷりに感嘆していた。
そして、食事が終わったところで、シークは縄を取り出した。ああ、この時が来たのかと、ウィスタリアは溜息を漏らした。
「立て」
「縛るのかい?」
「後ろ手にしろ」
「へいへい」
すぐさま腕をきつく縛られる。と、次の瞬間ふわりと身体が浮いた。
「ふぁっ!?」
変な声が出てしまい、慌てて口を閉ざす。だが、それを気にすることなく、シークはウィスタリアをベッドに寝かせ足を縛った。
「もう寝るぞ」
彼は踵を返し、毛皮のコートに丸まってソファーに横になった。
「一体なんなんだ?」
彼に聞こえないようぼやく。そして、これからどうなるか不安に思いつつ、ウィスタリアも眠りについた。
夜中ウィスタリアは目を覚ました。まず仰向けになって辺りを見渡す。よくある宿の一室。そして問題の男はソファーでぐっすり寝ているようだった。
「よし」
手をひねる。すると不思議なことに、縄がするりと抜けた。
「伊達にあんなとこで生きちゃいねぇ」
これまで幾度となく誘拐や監禁をされてきたウィスタリアには、こんなのはお手の物だった。その手で足の縄を解けばもう自由だ。
いつもならここで撤退するところなのだが、どうしても気になってシークの様子を見ようと思った。理由は分からない。ただなんとなくだった。
「うぅっ……!」
酷くうなされていた。時折父さん、母さんと両親を呼んでいた。
ウィスタリアはそっと起きないように、そっと彼の頭を撫でてみた。
「う、ん……」
ぎゅっと顰められていた眉が緩む。そして、
「母さん……」
すぅっと頬を雫が流れ落ちた。それはただ一筋の涙だった。だが、ウィスタリアの眼はそれに奪われていた。そして、思う。
彼はどうして人間を恨んでいるのか。好奇心ではなく真剣に知りたい、と思った。もしかすると、母以外で初めて亜人に会えたからなのかもしれない。
緩慢な動きで彼から離れる。そして、部屋を探索した。そこで、彼女は彼の目的にたどり着いた。
「人類抹殺計画……」
各国の国王を殺し、それを皮切りに国を潰し、人間も滅ぼすというものだった。単純だが確かに単独でやるならこれが一番効率がいいだろう。ただ気になったのはその最初のターゲットが父、現国王であったことだ。
「父上を殺すために……」
だからあの時城への侵入路を探していたのかもしれない。そして、この男の身体能力を考えればおそらく不可能では、ない。
おもむろにウィスタリアは台所へ向かった。そして包丁を手に戻る。こちらのターゲットは起きる様子はない。ウィスタリアは大きく深呼吸をした。
敬愛する父を殺されるわけにはいかない。今ここで、この男を殺さなければ。手にぐっと力が入る。
さぁ決めろ。殺してしまえ。殺されるより前に。早く。気づかれる前に。
握り締めた包丁を振り上げる。振り下ろせばそれで終わる。そのはずだった。だが、
「っふぅ……」
ウィスタリアは包丁を振り下ろすことはできなかった。なぜだか分からない。まだ会って二日だというのにもう情が沸いてしまったのだろうか。しかし、彼の計画は阻止しなければならない。
包丁を元あった場所に戻し、ウィスタリアはベッドに座り込んで考えた。
父が殺される。いや、それはダメだ。それは阻止する。だが、この男を殺すことはできない。
頭をフルに回転させる。殺されず、殺さない。その答えは一つしかない。
「よし、やってやろうじゃねぇか」
ウィスタリアはいまだ殺されかけた事など知らず、熟睡しているシークを見つめる。
「覚悟しとけよ、シーク」
一人呟いて艶冶に微笑んだ。
懐かしい料理の香りにシークはハッとして飛び起きた。そして、慌ててシークはベッドを見る。誰もいない上、綺麗になっていた。
「よぉ、目が覚めたかい?」
見れば台所から背を向けて調理しているウィスタリアと目が合った。シークは愕然とした。
「お前、縄はどうした。どうしてそこに立って……料理なんて……」
警戒心やら疑念やらで綯交ぜになった頭では、そう言うのがやっとだった。縄はちゃんと縛ったはずだ。足にも。なのに彼女が動いていて、しかもなぜか料理をしている。意味が分からなかった。
身構えることすらままならないシークに、何もなかったかのようにウィスタリアは新しく出来上がった料理を机に並べた。
「はっ、縄抜けぐらい体得してるんでな」
ウィスタリアはこんなもんかと一息つく。まだ警戒を緩めないシークに、彼女は椅子を引いて座るよう促した。
「そう構えんなって。大体腕力で勝てないのは分かってんだ。縄解けたからって無駄な抵抗なんてしねぇよ」
そう言って両手を上げてみせる。それにシークは眉を寄せた。
「じゃあ聞く。なぜ逃げなかった」
昨日まであれ程拒んでいたはずなのに、今日はその逆の態度。朝食を並べてくれている上、椅子に座れときている。
一体どこで変わったのか、シークは疑念を隠しきれなかった。
「アンタに興味が沸いたんだ」
「興味?」
「ああ」
信じられない言葉だった。不信感はむしろ増した。彼女が考えていることが分からない。
「興味が沸いたから、誘拐作戦に乗ってやる、とでも言うのか?」
「そうとってくれて構わないぜ。むしろ、その上も協力しようと思ってる」
「その上?」
どんどん彼女の言ってる事がわからず、頭がこんがらがってくる。協力するというのも、なんのことだかが分からなかった。だが、ふと思う。彼女の口ぶりはまるで全て知っているようではないか。
「まさか……!」
「生憎とカバンの中身、見せてもらったぜ」
突如シークはウィスタリアの胸ぐらを掴み、壁に叩きつけた。
「あれを読んだのか!?」
喉を鳴らして最大限に威嚇する。立派な牙が今にもウィスタリアの喉仏を噛み切りそうだった。それでも彼女は笑みを崩さなかった。
「そう、恐い顔すんなよ」
しばらく睨みつけ、そしてシークは手を一度放した。彼女は亜人だ。言い分だけでもを聞こう。そう思った。
「お前はもう国に戻せない。あれを見たのなら……」
「殺す、か?」
真顔でウィスタリアは答えた。沈黙が重く二人に落ちる。
「俺は……亜人は殺さない。殺すのは人間だけだ」
シークは彼女から離れて椅子に座る。
頭が痛い。ハーフとはいえ亜人である彼女は殺せない。かと言って国家転覆を目論んでいることを知っている彼女は放置できない。元々持て余しているところだったというのに、余計に困った事になった。
シークは頭をかかえて悩む。
「で、どうする?」
彼女は笑みを絶やさず、聞いてくる。その余裕がどこからくるのか。シークには分からなかった。ただ聞くべき事は定まった。
「お前は俺の敵か? 味方か?」
「敵になるつもりなら昨日アンタを狩ってる」
そう言ってウィスタリアは自分の首をすっと指でなぞった。まだ笑みは崩れない。
「計画にあったはずだ。最初のターゲットはお前の父親だぞ」
「あぁ、そうらしいな」
まるで他人事のように、彼女は鼻で笑った。どこか誇らしげに昨日父親を語っていたように見えたシークには意外だった。
「いいのか?」
「アンタに殺されるならその程度のもんだったって事だろ。だからそれはいい。ただその前に一人、俺の命を狙っている奴が居る。そしてそいつは今をチャンスとして襲ってくるだろう。分かるかい? アンタにつけば俺にも利があるのさ」
誰かはすぐシークにも分かった。正室とその息子の弟だ。その隠れ蓑になってくれということか。それより父の事をそう容易く切り捨てられるのだろうか。
「本気か?」
「ああ」
即答だった。更に彼女は続けた。
「ここじゃアンタも俺も追われる身だ。俺は例え城に帰れても、待ってんのは生き地獄。ならアンタと一緒にいる方が幸せかもしれないと思った迄だ」
一度言葉を切る。そして、今度は憂いを帯びた瞳で微笑んだ。
「信じる信じないは、アンタの自由だ」
生き地獄。王宮内ではそれほど肩身が狭いのだろうか。確かにずっと人間のふりを常にするのは苦痛だろう。
シークは一つ頷き、最後の質問をした。
「お互い利用し合おうという意味か? それとも仲間に加わるという意味か?」
どちらだ?
眼で訊く。これの答え次第だとシークは決めていた。
「仲間にしてくれってことさ。大体、利用するつもりならもっと甘い言葉で擦り寄ってるぜ?」
彼女はシークの頬に己の頬を寄せる。爽やかな香りがシークの鼻腔をくすぐった。
「仲間に、なるんだな」
「ああ」
瞳を閉じる。そして、シークはそのままウィスタリアを抱きしめた。驚く彼女を置いて、彼は一度離れた。
「お前は亜人だ。喜んで迎え入れる」
初めてシークは初めて笑顔を見せた。
「っ、……有り難う」
顔を赤らめてウィスタリアは下を向いた。仲間になれた。なのに彼女は眉を顰めていた。




