第二章 虚脱
キュッと蛇口をひねる。水が止まって、雫が落ちる音だけが木霊する。シークが体を激しく震わせると壁中に水がまかれた。
一つ溜息を漏らして、彼は浴室を出て、タオルで体を拭く。
昨日帰ったのは深夜になってからだった。偶然宿主に会ってしまい睨まれたが、それ以上はなかった。ただ眼が以後はないようにと訴えているのが分かった。
シークは長い髪を拭きながらバスローブに袖を通した。そして、扉の下に入れられた朝刊を引っ掴んで、ソファーに腰掛け、それを広げた。
一面には昨日のパレードのことが大々的に載っていた。その内容はいかに王が偉大か語られており、平和ボケした人間の様子が伺えた。
虫唾が走る。そう思い、もう読むのをやめようと思った所で、気になる記事がシークを思いとどまらせた。
「後継者か」
どうやら今後継者で揉めているらしい。王の子供は正室の男と側室の女の二人。それぞれ歳は、十四と十七らしい。どう考えても男が継ぎそうなものだが、どうも側室の女の方が出来がよく、王はそちらを押しているらしい。そして、パレードの時のことを思い出す。十七で女といえばおそらく、視線が合ってしまったあの少女だろう。
確かに、と思った。あの女からはただならぬものを感じた。王になるための威厳も度量も覇気も、十分すぎる程あるように思えた。
同時に同じ髪色をした青年を思い出す。
逆にこちらは不思議な青年だった。中性的で艶冶でありながら、どこか信念を感じた。思えば、彼は彼女に似てはいないだろうか。
まさか。そう思ってシークはあの名を必死に探して呆然とした。
「何かの間違い、だろう……」
シークは朝刊を放り、そのまま服を着替える。そしてまだ乾ききっていない髪もそのままで帽子を被った。
とりぜず、城の下見をすることだけを考えよう。
荷物をまとめて早足でシークは部屋を出て行く。ドアの開け閉めで朝刊が飛ぶ。
めくれたそこには『ウィスタリア』という名が載っていた──
朝食は外でとることにした。宿近くのテラスのある店で取ることにした。室内だと帽子が目立つからという理由から選んだ店だったが、人気があるらしく、気付けば満席になっていた。しかもテラスのため外からの視線にも晒されていた。
早く出ていった方がいいだろう。だが、時すでに遅く、シークに視線が集まっていた。
「わぁ。あの人一人かな? 話しかけようかなぁ」
「食事中くらい帽子とればいいのにぃ!」
「お兄さーん」
女から呼ばれる。これが逆ナンという奴か。見た目だけで人を見るなど、やはり低俗な種族だと残りのパンを一気に口に頬張った。
さぁ、もう帰ろうとした時、一人の子供が目に入った。
「お母さーん」
十歳程度だろう。両親の許へと走っていく。少年の行き先には、優しげに微笑む父親と母親が待っていた。
その優しげな母親に抱きつき、父親には頭を撫でられる少年。
「………」
その光景にシークは昔を思い出す。
美しくいつも優しく微笑んでくれた母。厳格で強く、手が大きかった父。楽しかった、幸せだった日々。
シークはその場から、その思い出から逃げるように去った。
そして何度も自分に言い聞かせる。
これから潰すんだ。彼らがやったように。やり返すんだ。壊してやる! 壊してやる! 壊してやる!
憎しみを糧に、シークは城まで歩き出した。
城の警備は手薄だった。高い柵はあるものの、中は丸見えで警備に当たる人間もほとんどいなかった。シークは周りを見渡す。ちょうど柵の向こうまで枝が伸びている木を見つける。ここからならば、侵入できるかもしれない。
視線がない事を確認して、その木のふもとへ向かう。木は枝分かれが多く、狼族に分類される自分でも登れそうだった。
計画の第一歩は容易いかもしれない。心の中で笑った。人間に失う恐ろしさを味あわせてやれる。この三年間味わった以上の恐怖を与えてやる。
そう考えていたところにガサガサと葉が擦れ合う音がした。直後、
「ちょっ、どけー!」
「なっ!?」
上から声が降ってきたとほぼ同時に、何かが背に落ちてくる。受け止めるのが間に合わず、下敷きにされてしまった。
「あー悪い」
そう言って馬乗りになったものが謝罪する。一瞬消さなくては、と思ったが、聞き覚えのある声に熱は冷めた。
「……どけ、ウィスタリア」
「アンタ、よく俺だと分かったな」
「いいからどけ」
「分かったよ」
勿体なさそうに、ウィスタリアはそこをどく。そして体に付いた葉を払った。
シークは起き上がり、大きく溜息をついた。これでもうはっきりした。
「なんで男装なんてしてるんだ? 王女様」
「そっちこそなんでまだココにいるんだ?」
おどけた様子のウィスタリアに、シークは殺気を放つ。彼女は観念したように両手を上げて、岩の上に座り込んだ。
「どこまで俺の事、掴んでるんだ?」
「お前が王族だったことと、女だってことだな」
「へぇ、なる程な。ちなみに女って確信したのは上に乗っかった時か?」
「……ノーコメントだ」
「ふーん」
彼女は余裕の笑みを見せ、足を組んでみせた。シークは続けた。
「聞かせろ。なぜ亜人のお前が人間の国の王族なんだ。どうしてお前はここにいられている」
そう言って、シークは腕の金のリングに触れる。転瞬、リングは両刀へと姿を変えた。それに初めてウィスタリアが驚きの表情を見せた。そして、シークは刃をウィスタリアへと向けた。
「答えろ」
喉に刃を突きつける。殺気すら含んだそれにはウィスタリアは表情を変えなかった。そして、むしろその刃に手をかけた。
「教えてやるが条件がある」
「条件? 言っとくが渡せる物は」
「昼、これから俺に付き合え」
「何?」
突拍子のない条件に、シークは疑念を覚えた。彼女の目的がわからない。一体何をする気なのか。亜人の己を売る気なのか。だが彼女も亜人。そんな危ない事をするようには見えない。
悩むシークを余所に、ウィスタリアは笑ったままだった。
そして、しばし間があって。シークは結論を出した。
「分かった」
「OK. そう来なくっちゃな」
そう言って彼女はシークの手を取る。
「覚悟しとけよ、シーク」
彼女は不敵に笑って歩き出す。
これで二日連続で、シークは彼女に連れ出されることになった。
彼女は城下をシークに案内して回った。出店を巡り、服屋に行き、公園へ行き。公園では仲睦まじい親子が見られた。そうして気付けば、夕方になっていた。そこでシークが限界を迎えた。
「一体何がしたいんだ!?」
シークは繋がれた手を放し、叫んでいた。幸い人のいない通りだったため、注目を受けることはなかった。
付き合えば何か分かるかと思った。或いは秘密の場所に連れて行かれるのかと思っていた。
だが、そんなものじゃなかった。もうシークには分からなくなっていた。彼女が伝えたいことが。
「お気に召さなかったかい?」
「見せたい物などどこにあった!? ただ人間がいただけだろう!!」
「それさ。俺が見せたかったのは」
意味が分からなかった。人間の暮らしを、平和な街を見せられただけだ。
「人間を見せたかった。だとでも言うのか」
まさかと思って問う。それにウィスタリアは微笑んだ。
「アンタに見せたかったんだよ。人間がここで生きている様をさ」
「生きている?」
「アンタに何があったかは知らねぇ。けどよ、人間も亜人も同じ命だろう?」
同じと言われシークの中の熱がかっと頭に登った。
「同じ? 違う……違う違う!!」
そう言ってシークは壁にしこたま拳をぶつけていた。そして、三年間溜めてきたものを叫ぶ。
「人間は平気で亜人を殺す! 私利私欲のために! 亜人が人間に何をした? 何もしていない! なのに殺されても誰もそれを悪としない。人間にとって亜人は家畜なんだ!!」
一気にぶちまけた物はドロドロとしていた。瞳孔を開かせ、手を血が出る程握り締める。その眼には一人になったあの時、全てが崩れた去ったあの日の血だまりを映し出していた。
「悪かった。触れちゃまずかったらしいな」
神妙な様子で、彼女はシークの肩を持つ。だが、シークはそれを手で払って拒んだ。慰めも何もいらなかった。
ウィスタリアはそんなシークをそっとした。何も言わずただ興奮が冷めるのを待っていた。
そして落ち着いたところで彼女は口を開いた。
「昨日の湖に行こう。そこで、全部話す」
そう言って、ウィスタリアは歩き出す。
「来いよ、シーク」
そして、優しく笑った。
「俺さ、ハーフなんだよ。母親が亜人でな」
そう言ってウィスタリアは小石を湖に投げる。ボチャンと小さな音がして、水が揺れた。
「親父がな、一目惚れだったらしい。ああ、あの人……母親もだぜ? だから二人は両思いだった」
そこで彼女は言葉を詰まらせた。帽子を取り、水面に映る自分の姿を見つめる。彼女は嘆息を漏らした。
「でも亜人は認められなくてな。それでも一緒になりたかった二人は、亜人のあの人が側室として人目に触れないところに住まわす事で結ばれた。そして側室のあの人が懐妊して女の子を産んだ」
再び彼女は石を投げた。
「分かったろ。その子供が俺さ」
自嘲気味に彼女は笑った。先程までの余裕はなく、今にも壊れそうな人形のように儚く見えた。
シークは彼女の変わりように驚いていた。だからじっと話を聞いていた。なんと声をかけるか。それだけを考えていた。
「俺は後継ぎに相応しくない。弟の方がいい。けど親父は俺に期待してる。お前なら亜人と人とが手を取り合って生きていける国を作れるって」
「何?」
「親父は亜人と人間が共存する国作りを目指してるのさ」
そう言われて昨日のやり取りを思い起こす。確か待ってくれと、早すぎると言っていた。それはこの事だろうか。
「本気なのか?」
「ああ」
「……不可能だ」
「まぁ正直俺もそう思う」
苦笑してウィスタリアは寝転んだ。そして手を空にかざす。もう夜になって幾多の星々が力強く瞬いていた。
シークは緩慢な動きで、彼女の少し離れたところに座り込んだ。彼女はそれに微笑んだ。
「アンタ俺には優しいんだな。俺は亜人でも後継ぎ候補だぜ?」
「………」
シークは考えた。彼女は仲間だ。だが、敵でもある。きっと彼女を殺すだけでも、人間たちは恐れおののくだろう。それから王もその周りの一族も根絶やしにする。そうして国が潰れれば、平和ボケした人間は路頭に迷うだろう。
腕のリングを撫でる。
殺すか。同じ亜人を? いや王族を。人間じゃないのに?
頭の中が回る。これまでで一番使っているかもしれない。
今更復讐をやめられない。ただこのまま彼女と別れたくはなかった。
ならば、結論は一つしか出なかった。
「来い」
「え?」
「俺は今、お前を誘拐する」
愕然とする彼女の手を引く。決して放さぬようにとその細い腕を引いた。




