第一章 蠱惑
◆ ◆ ◆
まだ陽の差す昼過ぎ。鮮やかな赤が艶やかな木の家具を濡らしていた。
こじんまりとした小屋。机や椅子は投げ飛ばされていて、部屋中しっちゃかめっちゃかになっていた。割れた窓からはその場にそぐわない穏やかな風が吹いていた。
そこに一人の少年が立っていた。
赤く染まった体に、その身の丈に合わないソレを手にして。
「父さん……母さん……」
少年の視線は人より大きな二つの毛皮に向けられていた。ただ一つは毛皮を取る途中で、皮が捲れ見るも絶えないものだった。
ポタリポタリと規則的に雫が流れ落ちる。一つは身を清め、一つは床の赤を広げた。
誰もいないそこで、少年は一言吐き捨てた。
「俺の望みは……人間への復讐だ」
風が応えるように吹く。鉄の匂い充満するそこで、人間の屍を踏みつけて、まだ幼い少年は誓った。
人間を根絶やしにすることを──
◆ ◆ ◆
深夜の暗い街を一人のフード男が歩いていた。その顔は全くと言っていいほど見えない。ただその服のラインから精悍な男だとすぐわかった。
時間が時間だからだろう。街はネオンの光に溢れ、行き交う人々は下品な笑い声を上げながら歩いていた。
男は舌打ちをして、更に暗い所へと歩いていく。段々と人は減り、誰もいなくなった所で、彼は溜息と共にそのフードを取った。
年の頃は十七、八と言ったところか。長身に高い鼻梁。茶こけた髪は前と横はバッサリ切られ、後ろだけは腰下まで伸びていた。ただその黄金色の瞳は冷然としていて、誰も寄せ付けない光を放っていた。
そして、彼には人にはないはずの獣耳が生えており、尻尾までスラリと伸びていた。
これが彼にとって最大の秘密。
ここは人間の国。亜人は彼らからずっと迫害を受けてきた。もし亜人と知られれば殺されるのが当たり前。
そう、人間にとって亜人やエルフは『狩り』の対象だった。
亜人の毛皮は大金になる。そしてエルフは富裕層のおもちゃとして高値で売れた。
だから彼らは人間からもう何百年も身を潜めて、ひっそりと生きることを強いられていた。
ただこの青年は違った。
「フードもずっと着てると暑いな」
彼はコンクリートの壁にもたれかかり、そのまま腰を下ろした。
ここは人間が収める国の一つ。その中でも最も大きな国だ。こんなところにいる亜人など、彼くらいだろう。
「ここまで来たよ。父さん、母さん……」
暗い空に向けて彼は呟いた。
「ちゃんと根絶やしにしてみせるから」
彼は身に纏った毛皮を強く握り締めた。
四年前の悲劇が脳裏を過る。
何もできなかった己。弱く、守られるしかなかった自分。
でも、もう今は違う。
彼、シークは左腕のリングを見つめる。それに触れたと同時に、数人の足音にシークは立ち上がった。
最初の獲物だ。そう思い、シークは陶然と笑った。
シークは通路を塞ぐように、丸腰のままそこに立った。
そして、すぐに目的の三人の男たちが歩いてきた。中肉中背の男たちでゲラゲラと笑って賭け事の話をしているようだった。
だが、シークに気づくと彼らは興奮したように鼻を鳴らした。
「オイオイ、こいつ亜人だぜ?」
「亜人君~こんなとこいたら殺されて皮、剥がされちまうぜ?」
「ってか俺たちがしてやろうか?」
「いいねぇ、それ!」
下卑た笑いをする三人組。それにシークは逆に笑みを浮かべた。
「汚いな」
ただ一言漏らす。そして、左腕のリングに改めて手を当てた。
「殺せるならやってみろ」
直後リングが光を放つ。それは一瞬の事で、気づけばそれは両刀へと姿を変えていた。
さすがのことに男たちは怯んだ。丸腰だとでも思っていたのかもしれない。
ただシークにはそんなことはどうでもよかった。
「ディルカイザ」
そう彼が囁くと刃が煌めいた。そして、三人は逃げる前にその頭を失っていた。
「汚い」
そう一言吐き捨てて、彼はまたフードを被った。
身を清めよう。そう思うと踵を返し、彼はその場を去っていく。 あとは首と胴が別れた男の死体だけが残っていた。
「三泊で」
「はいはい、帳簿に名前書いてね」
フードを目深に被り、シークは差し出される帳簿に己の名前を丁寧に書く。子供が書くような拙いものだったが、宿屋は何も言わなかった。
そして、書き終わるのを確認すると、主人はシークに興味が失せたように、新聞を読み出す。
シークが大きく溜息をついたところで、思い出したように宿主が机の上に乱暴に鍵を置いた。
「203号室だよ」
「……どうも」
シークは鍵をやや乱暴に引っ掴むと、言われた部屋に向かった。
二階の突き当たりが自分の部屋だった。鍵は自動ロックではなく、回すだけの古いタイプの鍵。
部屋に入り、シークは内鍵を閉める。それから部屋のカーテンを全て閉めてから、フードをベッドに脱ぎ捨てた。
ここに亜人がいることを知られてはならない。内鍵とカーテンは部屋の必需品だった。
もし見つかれば計画が終わる。頓挫する程度ならまだいいが、殺されれば次はない。
そう、この時を三年も待っていたのだ。
「やるよ。父さん、母さん」
シークはそう呟くと荷物を解いて片付けていく。
ここが今日からの根城だ。計画に効率よく、なおかつ異常が見つからないように整えなければならない。
それは服装も言える。フードはどうしても目立ってしまう。だから、そのための用意も夜の街でしてきた。
シークは血で汚れた服を脱ぎ捨てシャワーを軽く浴びる。そして、街で調達した薄手の服に袖を通す。その上から襟と後ろ生地に毛皮をあしらった上着を羽織る。あとは帽子を被れば完璧だ。
「よし」
シークは机に紙を広げる。そこにはこれからの彼の計画が描かれていた。
「人類抹殺計画」
我ながら捻りのない作戦名だと思ったが、一番しっくりくるのがこれだった。
今度は貴様らが狩られる番だ。
憎しみが体中の血をより熱く滾らせる。
自分たちが上に立つ。そして今度は人間たちが奴隷となる。考えるだけで知らず笑みが浮かんだ。
シークはそれをベッドの下に隠し、鍵を手に外に出た。
まずは下見だ。見るのはこの国でふんぞり返っている王。ちょうど今日は国立記念日だ。人に紛れて王の顔を見るのは可能なはずだ。
手をグッと握り締め、シークは計画の一歩を踏み出した。
王都は夜と違い騒がしく、裕福層が煌びやかな出で立ちで闊歩していた。パレードは豪華絢爛で、街中が着飾られえていた。
シークはそこを自然に歩く。凍りついた表情だけは変わらずだったが、誰も気にしてない様子だった。シーク自身、人の眼など気にしていなかった。
目的は下見と王の姿をみることだけ。他の人間などどうでもよかった。
「皆の衆、ありがとう! ありがとう!」
その言葉にシークは敏感に反応する。帽子が邪魔をしているが、、シークは亜人。人間より数弾耳もよかった。
王が近くにいる。
シークは足早に声のした方へと行く。そしてターゲットを確認したとは言っても人間なら見えない距離だが、亜人であるシークには十分見えていた。
王は凛々しい男だった。精緻な衣服に負けない気品と貫禄。泰然とした様子は、シークには意外だった。もっと見るからにダメな王を想像していたからかもしれない。
だが、
「っ!?」
視線を、感じた。いや、もう眼が合っていた。それは王の後ろで控える女。
黒に近い茶色の髪に白皙の肌。そしてなにより己の光の強さに近い黄色の瞳から発せられる、その視線にシークはその場を去った。
なぜだかわからないが、自分の全てを知られた気分だった。眼力で負けたというのもあったかもしれない。
ただシークは無心でがむしゃらに走った。
気付けば夜だった。王都に来たのは初めてだというのに闇雲に走ってしまった。結果今は迷子だ。とりあえず、城近くまできて大通りを通って帰るしかないと、シークは城近くまできていた。
「くそっ」
壁に拳を打ち付ける。
失態だ。王の姿を見る以外何もできなかった。それどころか、あの女の印象が強すぎてそれすら薄れそうな程だった。
「畜生! 畜生!!」
出始めがこんな様でどうする。人殺しをしたいんじゃない。国潰し、人類を潰しに来たんじゃないか。何のためにここまで来たんだ。
何度も何度も壁を殴る。手に血が滲みだしたところで、突然その手を止められた。
シークは振り返って唸った。癖で威嚇してしまったが、抑えきれず牙まで剥いてしまっていた。
「アンタ、ちょっと来い」
そう言って青年と思わしき者は、シークを暗がりまで引きずった。振り払おうとして、大人数足音が聞こえ、やむを得ずそれに従った。
二人で肩を並べ、息を潜めてじっと黙って、その足音が去るのを待つ。
そして、遠ざかったのを確認して、その者は大きく息をついて立ち上がった。
「危なかったな、アンタ。亜人ってバレて騒動になるとこだったぜ?」
暗がりから抜けたその者に光が当たる。少し茶色い黒髪に軍服のような装いをした男だった。顔立ちもよく、その笑みには男とは思えぬ色気があった。
シークはしばし彼に見とれてハッとする。今この男は亜人と言わなかったか。
シークは再び暗がりへと彼を引きずり込み、壁に叩きつけた。
「貴様何者だ!? 亜人だと? どうしてそう思う!?」
「アンタっ苦しいって! 落ち着け!」
「いいから早く吐け!!」
ぐっと力を込めた瞬間、彼が被っていた帽子が落ちる。と、ひょこりと久方ぶりに見る物が見え、シークは彼から手を放した。
シークが見たのは耳だった。ツンと立った自分と同じ獣耳。ということは。
「お前……亜人、だったのか……?」
困惑するシークを余所に、彼はあーあ、とぼやいて帽子を拾い、土埃を払った。そして、かぶり直した所でシークに微笑みかけた。
「よぉ、アンタ凄い腕力だな。牙も立派で俺の好みだぜ」
言われている意味がわからず目を瞬かせる。
なぜ亜人が人間に紛れてこんなところにいるのか。どうしてそんな男が自分のピンチを救ったのか。そもそも好みってなんだ。
疑問は増えていくばかりで、呆然と立ち尽くすしかなかった。
「まぁいいや、とりあえずついてこいよ」
そう言われて手を取られ引っ張られる。
いくら亜人でも初めてあった気のおけない相手など、振り払う対象なのにそれもできずに、何もわからぬままシークはそれに従っていた。
赤い月がぼんやりと二人を照らしていた。
彼がシークを連れ出した場所。それは城の外れの湖畔。人間が近くに住んでいるとは思えない程、湖もそれを囲む木々も美しかった。
「アンタ、なんでまたあんなとこいたんだい?」
帽子を取り、彼は背を伸ばした。細い手足だなぁと、思いつつ、シークは口を尖らせて言い返した。
「そう言うお前こそ、どうしてこんなところにいるんだ」
「んー、まぁ成り行きってやつだ」
適当な返事にシークは眉を顰めた。
人間社会に本来の姿を隠してまで住まう理由がわからない。そもそも彼は人間が憎くはないのか。もし、人間の仲間なら彼は敵だ。
シークは腕のリングに触り、そっと彼の背後を取った。
「別に俺はアンタをどうこうしようなんて思ってないぜ?」
殺気を殺したはずなのに悟られたことに驚く。だが、続けてシークは警戒心を顕にした。
「信用できないな」
すると困ったように彼は頭を掻く。そして、シークの殺気をものともせずに、振り返った。
「まだアンタが来るにゃ早すぎるんだよ」
「早い?」
「まだ亜人差別がまかり通ってるからな。それがなんとかなってから、また来てくれねぇか?」
言っている意味がわからなかった。彼は人間と亜人が共存できるのを待て、とでも言っているのか。そもそもそんなことができるとでも思っているのか。
シークは鼻で笑った。
「差別が無くなってから? そんな日がくると思ってるのか? そもそもこれまであった迫害を、俺たちが許すとでも?」
罵詈雑言を浴びせた。不可能だ。そう言い切った。
「そうだな」
それに彼は一言、ただそれだけ返した。
バカバカしいと言おうと彼を見る。直後シークは固まった。彼はじっとシークを見ていた。きっと憤然として罵声を浴びせた時も、彼はずっとこうして己を見ていたのだろう。ずっと目を逸らさずに。
「お前……本気、なのか……?」
今日二度目の驚愕だった。凝然としているシークに彼は笑う。
「お遊びでこんな大それたこと言える程、ガキじゃねぇさ」
よし、と一声上げると彼は帽子を被り直した。
「ここから先に行けば、人間に見つからずに街から抜けられる。アンタは早くここから出て行きな」
それだけ言い残して、彼は踵を返す。
「待て!」
納得がいかず、彼を呼び止める。聞きたい事も今は数え切れない程あった。
その声に一度彼は振り返った。
「悪いな。もう行かなきゃマズいんだよ。でもまぁアンタになら名乗るくらいいいかな」
一度帽子を取り、彼は微笑む。
「俺はの名はウィスタリア」
「……ウィスタリア」
反芻する。美しい名だと思った。彼のためにある言葉にすら思えた。
「アンタは?」
「お、俺は……」
いいのかと迷う。だと言って偽名がすぐでるような頭は持ってない。そしてつい流されて名乗ってしまった。
「シーク、だ」
「へぇ、いい名だ。やっぱりアンタ好みだぜ」
彼は満足げに笑うと再びシークに背を向け走り出した。
「じゃあな、シーク!」
「ウィスタリア!」
思わず彼を追いかける。だが、その姿は消えて、気づけば街の路地に出てきてしまっていた。
一体彼は何者だったのか。わかったのはその名だけ。
「ウィスタリア……」
彼の名を呼び、シークはただただ赤い月を見上げていた。
なぞが多いままですが二章へと向かいます!




