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【完結済】月曜日、私はわたしと入れかわる  作者: 泉華


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3/10

第三話 二度目の月曜日

ぶらんこは、二人乗りにしたら、傾いた。


「あれえ」


火曜日の放課後、私の部屋の床には、空き箱と色紙が広がっている。かえちゃんが小さな紙の椅子を指で押すと、ぶらんこは右へ寄ったまま揺れた。


「こっちのひも、長いんじゃない?」


私は結び目をほどこうとした。けれど、短く切ったひもは、爪を入れてもなかなか緩まない。


「……かえちゃん、ここ、押さえててくれる?」


「いいよ」


かえちゃんが椅子を押さえ、私は両手でひもをつまむ。しばらくすると、小さな輪がほどけた。


「あ、取れた」


結び直して赤い屋根の家の隣に置くと、今度はまっすぐになった。


「できたね」


かえちゃんの声にうなずいて、私はぶらんこの真ん中をそっと押した。二人で乗れる椅子が、ゆっくり揺れた。


     *


その次の月曜日は、何も起こらなかった。


朝、私は目を開けると、机の上を確かめた。白い貝殻も、二人で作った家も、昨日と同じところにある。鈴の音は聞こえず、台所から、朝ごはんよとママの声がした。


学校ではかえちゃんと笑って、算数の問題を一つ間違えて、帰り道には給食の話をした。夜、布団に入っても部屋の景色はにじまなかった。


あの一日だけだったのかなあ。

白猫さんにはもう、会えないのかなあ。


天井に七色の文字はもうなかったけれど、書いてあった言葉は覚えていた。


     *


その週の水曜日、音楽の先生が六年生を送る会の歌詞を配った。


「先生、私、その曲弾けます」


凛ちゃんが手を挙げた。先生が椅子を譲ると、凛ちゃんは姿勢を正し、鍵盤に両手を置く。

最初の音が音楽室に広がり、私は歌詞の紙から顔を上げた。知っている曲だ。右手の明るい音に、左手の低い音が重なっていく。

途中で、凛ちゃんの左手が止まった。


「あ、ここ、なんだったっけ」


先生が楽譜を指さす。凛ちゃんはうなずき、少し前から弾き直した。その音を聴きながら、私は膝の上でそっと親指を動かした。

私の家にも電子ピアノがある。三年生のときにやめてからは、布をかぶったままだ。

最後の音が響くと、教室に拍手が起きた。私も手をたたき、席へ戻ってきた凛ちゃんに声をかけた。


「左手も、あんなに動くんだね」


「最初、右手につられちゃってさ。そこばっかり練習したの」


凛ちゃんは笑って、自分の指を曲げたり伸ばしたりした。


「ななみも、前、習ってたよね」


隣のかえちゃんが言った。


「うん。この曲も、少しだけ。右手で」


「そうなんだ」


私はもう一度ピアノを見た。自分が弾いていたときには、メロディーだけだった。そこへもう一つの音が重なると、こんなふうに聞こえるんだ。


家へ帰ったら、弾いてみようかな。


     *


その日の夕方、私はリビングの電子ピアノの前に立つ。布の上には、はるくんの赤と青の紙飛行機が並んでいる。二つをソファに移して布をめくり、電源を入れた。

白い鍵盤を一つ押すと、懐かしい音がした。

凛ちゃんが弾いていた曲を右手で探してみる。最初のところは思い出せるけれど、その先はなかなか思い出せない。


「ななちゃん、ピアノ?」


洗濯物を抱えたママが、リビングをのぞいた。


「今日、この曲を凛ちゃんが弾いてたの」


私が覚えているところをもう一度弾くと、ママは「ああ」とうなずいた。


「前に練習してたね。楽譜、出そうか」


「うん」


ママが棚から出してくれた楽譜には、大きな花丸がいくつも付いていた。弾けるようになると嬉しくて、同じ曲を何度も弾いた。ママも、はるくんも聴いてくれた。


目当ての曲は、最後のほうにあった。そのページには花丸はなく、左手の音符のそばに、鉛筆で「片手ずつ」と書いてある。

私は譜面台に楽譜を置き、左手の音を一つずつ確かめた。別々なら指を動かせるのに、両手を合わせると、弾けていた右手まで止まってしまう。


私、そういえば両手で弾くのが苦手だった。

学校から帰ると、片手ずつ何度も練習していた。両手の音が少しつながった日は、次こそ丸をもらえると思った。


でも、レッスンではなかなか成功しなくて、悔しい思いを何度もした。

先生と一緒にゆっくり弾くと進めるのに、一人になるとできなくなる。「もう一度、一緒にやって」と頼みたかったけれど、何度も教わったところだったし、もう一度と頼むのはなんだか恥ずかしくて、できなかったんだ。


やめたいとママに話したときも、「難しい」とは言わなかった。


「もう、ピアノ好きじゃない」


楽譜を見つめる。

本当に、ピアノが好きじゃなくなったのかな。


「ななちゃん、ひこうきは?」


はるくんの声に、私は振り返った。


「ソファにあるよ。ごめんね、動かしちゃった」


「ピアノ、ひくの?」


「ちょっとだけね」


はるくんが赤い紙飛行機を持って、そばに座った。私は、右手で弾けるところをゆっくり弾いた。


     *


週末にも、私は同じページを開いた。片手ずつなら音を拾えたけれど、両手ではまだ、なめらかにつなぐことは難しい。

休憩しようと部屋へ戻り、机の上のぶらんこを指で揺らした。かえちゃんに押さえてもらった結び目は、ほどけずに椅子を支えている。


あのときも、先生にもう一度教えてほしいと言ってみればよかったのかな。

今からまた練習することはできる。でも、やめていなかったら、今ごろ何が弾けたのかな。

日曜日の夜になっても、そのことが頭から離れなかった。


布団に入って目を閉じると、音楽室のピアノの音が浮かんだ。

あのとき、好きじゃないなんて言わなければよかった。難しいって言って、続けていたら。


遠くで、鈴が鳴った。

私が目を開けると、机も天井も布団もなかった。どこまでも白いところに、私は座っていた。


チリン。


「……白猫さん?」


『ななみちゃん』


少し離れたところで、白猫さんが尻尾を揺らしていた。私が立ち上がると、白猫さんもこちらへ歩き出す。


「また、会えた。この前のね、かえちゃんと、仲直りできたよ」


『うん』


「自分で、言えた」


『そうだね』


白猫さんは、甘えるように私の足元に擦り寄ってきた。


「ねえ、白猫さん。名前、教えてよ」


私は白猫さんの隣にしゃがんで、背中をやさしく撫でた。


『んー、名前ねえ』


白猫さんは、迷うようにゆっくりと尻尾を揺らした。


「決まってないの?」


『ななみちゃんは、なんて呼びたい?』


私は少し考えた。


「……ころちゃん」


『ころちゃん?』


「うん。呼んでみたら、そんな感じがしたの。どうかな?」


ころちゃんは、私の顔をじっと見た。それから、ゆっくり目を細くした。


『うん。それがいい』


ころちゃんの喉から、ぐるぐると小さな音がした。


「気に入ってくれた?」


私も少し笑って、ころちゃんの顎を撫でた。指を動かしていたら、昨日のピアノを思い出した。


「ねえ、ころちゃん。また、あのとき違うことを言えばよかったって、考えちゃった」


ころちゃんが顔を上げた。私は続けて尋ねた。


「もう一度、行けるの?」


『行く?』


「前に会えなかった私に、お礼も言いたい」


ころちゃんは、ゆっくり首を振った。


『今度は、また別のななみちゃんのところだよ』


「……別の?」


私は顔を上げた。ケンカをしなかった私だけじゃないってこと?


『どんなところかは、行ってみてから』


ころちゃんが立ち上がると、私も歩き出したころちゃんを追いかけた。


チリン、チリン。


七色に光る尻尾の先が、白い向こうへ揺れていく。


     *


目が覚めると、私は枕から頭を上げ、部屋を見渡す。

机の上に小さな写真立てがある。あれ?そこは、昨日まで、赤い屋根の家があった場所。


写真には、グランドピアノの前に座っている私が写っていて、はるくんと、ママとパパも隣に立っている。

……これ、発表会? こんな写真、撮ったことがない。


え。どういうこと?

私は布団から飛び出すと、こっちの私の机を確認する。

見覚えのない楽譜が何冊も並んでいる。一冊抜き取って開くと、細かい音符がページいっぱいに並んでいた。


表紙の裏には、見慣れた字で「双葉七海」と書いてある。

ここで暮らしている私が、書いたんだ。


廊下の向こうではるくんがママを呼んでいた。私は楽譜を戻し、リビングへ向かう。

電子ピアノには布がかかっていなかった。譜面台には楽譜が開かれ、その横に削った鉛筆が一本置いてある。


「ななちゃん、おはよう。今日は早く練習するの?」


私が近づくと、台所からママの声がした。


「……練習?」


「昨日、寝る前にも弾いてたでしょう。朝ごはん、もうできるから、あとにする?」


昨日の夜、布団の中で、やめなければよかったと思っていた時?

その間、こっちの私はピアノを弾いていたんだ。

私は椅子に座り、開かれたページを見た。送る会で歌う曲だった。音符の並びも、左手のそばにある「片手ずつ」の文字も、自分の楽譜と同じだ。


一つだけ違ったのは、大きな花丸が付いていたこと。

その横には、あとから書き足したような「ゆっくり」の文字もある。


こっちの私は、あのあとも練習したんだ。

私は右手で、覚えている最初の音を押した。次の音へ進みながら左手を置くと、指が鍵盤の上にすっと収まった。

低い音が、右手のメロディーに重なった。


「あれ……?」


両手が一緒に動いている。昨日、何度やっても止まったところを、音がつながっていく。


嬉しくて少し速く弾こうとしたら、違う鍵盤を押してしまった。私は手を止め、自分の指を見た。今の動きを練習した覚えはない。次の音を頭で探すと、かえって分からなくなる。


楽譜の「ゆっくり」が目に入った。私はもう一度、最初から弾いてみた。

急がず、知っているメロディーを心の中で歌うと、左手もついてきた。いつも止まっていたところを過ぎても、指は次の音へ動いていく。


音の離れたところでは少しもたついた。速さを落とすと、また両手がそろった。楽譜を目で追ううちに、最後の段にたどり着いた。


最後の音を押して、私はしばらく指を置いたままにした。


「……弾けた」


最初から、最後まで。右手だけじゃなく、両手で。

へへ。だめだ、にやにやしちゃう。練習した日のことは何も思い出せないのに、指の動きだけが残っているようだった。

こっちの私の手が、覚えているのかな。何度も、この鍵盤で練習したから。


「ななちゃーん、ごはんよ」


「はーい」


もう一度、鍵盤を見た。あとでまた弾こう。

朝ごはんの席へ向かう足が軽くなった。


     *


迎えに来たかえちゃんがいつもどおりに笑っていて、少し安心した。

喧嘩してないね、よかった。

ランドセルを握る指が、さっきの曲に合わせて動きそうになる。


「今日の昼休み、音楽室に集まるんだよね。送る会の歌、伴奏と合わせるからって。ななみ、頑張ってね」


「伴奏って……」


私が顔を向けると、かえちゃんは少し身を寄せた。


「ななみ、弾く前に合図してね。歌い始めるところ、ちゃんと合わせたいから」


思わず、自分の両手を見た。

あの椅子に座るのが、私。みんなの歌に合わせて、最初の音を鳴らすのが。

胸がどきんとした。今朝はゆっくり、自分の速さで弾いた。みんなの歌と一緒でも、指は動くだろうか。


私は曲の始まりを、小さく口ずさんでみた。かえちゃんも隣で歌い始める。少し先へ進みかけた私は、かえちゃんの声を聴いて速さを緩めた。


二人の声がそろった。

昼休みには、この歌声に、自分のピアノの音が重なる。

私はかえちゃんの横顔を見た。こんなふうに頼まれることが、こっちの私には、いつものことなのかもしれない。


「最初、ゆっくりでもいい?」


「うん。私も歌詞、まだ間違えちゃうし」


かえちゃんが笑った。私も笑って、続きを歌う。

早く、みんなの声と合わせてみたい。朝、鍵盤に置いた指の感触が、まだ残っていた。


お読みいただき、ありがとうございます。

とても嬉しく思います。

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