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【完結済】月曜日、私はわたしと入れかわる  作者: 泉華


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2/10

第二話 もうひとりの私からの一文

『ななみちゃん。ななみちゃん、朝だよ』


額に、柔らかいものが触れていた。


ぽん。ぽん。


ああ、白猫さんの肉球だ。

気持ちいい。あと少しだけ、目を閉じていたい。


『ななみちゃんってば』


……あれ。呼ばれてる?

ぱちっと目を開けると、すぐ目の前に金色の瞳があった。


「わっ」


白猫さんが、私の額から前足を離した。


『もー。呼んでいるのに、全然起きないんだから』


「ごめん。肉球が、気持ちよくて」


白猫さんは自分の前足をひっくり返し、肉球をじっと見た。


『……これかあ』


周りの景色は、少しにじんでいる。白猫さんの姿だけが、すぐそばではっきり見えた。


カーテンのすき間から、光が漏れている。朝だ。

廊下の向こうから、水の流れる音が、遠く小さく聞こえていた。ママかな?


机の上に、白いものがあった。輪郭はぼやけていたけれど、あの貝殻だと分かった。

昨日の夜は、本棚の一番上にあったのに。

私は体を起こした。本棚を見て、もう一度、机を見る。


「……帰ってきたんだ」


『うん。おかえり』


白猫さんは、右の前足で天井を指し示した。


『上を見てごらん』


天井に、七色に光る文字がくっきりと浮かんでいた。


〈かえちゃん、かなしかったみたい。〉


私は、息を止めた。


「……私の字に、似てる」


『もう一人のななみちゃんが、残したんだよ』


昨日、自分が書いた言葉とは違う。


かえちゃんといっしょにやりたかったって言えばよかった。


そう書いたはず。

でも、目の前にあるのは、かえちゃんの気持ちだった。


かなしかったみたい。


私は、ゆっくり読み直した。

金曜日、かえちゃんの顔から笑顔が消えたとき、怒らせてしまったと思った。土曜日も日曜日も、まだ怒っているかどうか、そればかり考えていた。

かえちゃんも、悲しかったんだ。

私は布団の端を握った。


もう一人の私は、どうして分かったんだろう。

かえちゃんと、何を話したんだろう。

文字の続きを探すように天井を見たけれど、そこには、その一文しかなかった。


「……謝らなくちゃ」


小さな声が出た。

胸がどきどきする。緊張してるんだ、私。

かえちゃんが、聞いてくれなかったら。

また、うまく言えなかったら。

私は、深呼吸をした。


『それじゃあ、またね』


白猫さんがふわりと浮いた。私が顔を向けると、尻尾の先がカーテンのそばで揺れていた。


チリン。


まばたきをすると、もう白猫さんの姿はない。

天井の文字も、少しずつ淡くなっていく。

私はその文字が消えるまで見つめていた。


家具の輪郭が、少しずつはっきりしてきた。台所の水音も、さっきより近く聞こえる。

それから時計を見た。六時。

いつもより、一時間早い。


まだ、考える時間はある。


「かえちゃん、金曜日は……」


そこまで言って、止まる。


誰もいない部屋でも、言いにくかった。

私は膝の上で手を握り、もう一度、口を開いた。


     *


台所では、ママが朝ごはんの支度をしていた。


「ななちゃん、おはよう。今日は早いのね」


「おはよう。今日、私がかえちゃんのお迎えに行こうと思って」


「そう。じゃあ、支度ができたら教えてね」


「うん」


いつもは、かえちゃんが迎えに来てくれる。でも今日は、私がかえちゃんのお迎えに行こう。

話したいことがあるって、ちゃんと言おう。

朝ごはんを食べ、歯を磨いた。ランドセルの中を確かめ、玄関で靴を履く。


「いってきます」


かえちゃんの家までは、そう遠くない。

歩きながら、部屋で考えた言葉を何度も繰り返した。


金曜日は、ごめんね。

本当は、かえちゃんと――。


門の前に着いたら、さっきよりも心臓がうるさい。

私はチャイムに指を伸ばした。深呼吸をしてから、押す。


「おはようございます。七海です。かえちゃんを迎えに来ました」


「はーい。ちょっと待ってね」


かえちゃんのママの声だった。


家の中で足音がして、ドアが開いた。


「……ななみ?」


ランドセルを背負ったかえちゃんが立っていた。いつものような「おはよう」の笑顔は、ない。


昨日、曲がり角で手を振ってくれたかえちゃんとは違う。

このかえちゃんには、まだ何も言えていない。


「おはよう。ちょっと、話したくて」


かえちゃんは私の顔を見た。それから、家の中に「いってきます」と声をかけた。


「……歩きながらでいい?」


「うん」


二人で歩き出した。

靴が地面に当たる音が、いつもより大きく聞こえる。


「あのね」


かえちゃんが私を見た。

さっきまで考えていた言葉が、全然出てこない。

ゆっくり、慎重に。謝るんだ。


「金曜日、あんな言い方して、ごめんね」


隣から返事はないけれど、かえちゃんが聞いてくれているのがわかる。


「私、本当は……かえちゃんと組みたかった」


声が、小さくなった。


「組みたかったわけじゃないって言ったの、うそ」


かえちゃんのほうを見ようとして、見られなかった。


「赤い屋根にして、庭にぶらんこを作って。そういう家を、かえちゃんと作ろうと思ってたの」


「……そうだったの?」


私はうなずいた。


「でも、私、一人で楽しみにしてただけだったから。なんか、恥ずかしくなっちゃって」


ランドセルを握る指に、力が入った。


「それで、あんなこと言った。ごめん」


かえちゃんは、少し黙っていた。


「ななみ、私と組むの、そんなに嫌なのかなって思った」


私は顔を上げた。


「違う。嫌じゃない」


「だって、組みたかったわけじゃないって言うから」


「うん……」


そう聞こえる言葉を、自分が言った。

胸の奥が、きゅっと痛くなった。


「一緒にやりたかった。ほんとは、それだけだったの」


今度は、かえちゃんの顔を見て言った。

かえちゃんは口元を少し緩めた。


「先に言ってよ。私、分かんないよ」


「……うん」


「凛ちゃんが誘ってくれたから、いいよって言ったんだもん。綾となら、ななみも楽しく作れるかなって」


「うん。かえちゃんは、悪くない」


私は息を吸った。


「仲直り、してくれる?」


かえちゃんが、こくんとうなずいた。


「今度は、一緒にやろうね」


同じ言葉を、昨日も聞いた。

でも、今日は、自分で謝って、本当の気持ちを伝えてから聞くことができた。


「うん。約束」


差し出されたかえちゃんの小指に、私は自分の小指を絡めて、笑いあった。


     *


指をほどいて歩き始めると、かえちゃんがぽつりと言った。


「昨日は、もう仲直りできないかと思った」


私はかえちゃんを見た。


「昨日?」


「朝、おはようって言ってくれたから、話せるかなって思ったのに。そのあとは、全然話しかけてくれないし」


私の知らない月曜日だった。


「私から、金曜日のこと、どう思ってるのって聞いたのに。あんなふうに言われて、悲しかったんだよって」


かなしかったみたい。


天井にあった文字が浮かんだ。

あの一文は、かえちゃんから聞いたことだったんだ。


「でも、ななみ、困った顔して。『私……そんなこと……』って言ったきり、黙っちゃったから」


かえちゃんは足元を見た。


「もう、話したくないのかなって」


もう一人の私は、何を言いかけたんだろう。

知っている金曜日と違う話を聞いて、びっくりしたのかな。

かえちゃんを困らせたくなくても、何と答えたらいいのか分からなかったのかもしれない。


「私、今朝、なんて言ったらいいのか分からなくて。部屋で、何回も練習した」


これは、私の話だ。もう一人の私がどう思ったかは、分からないけれど。


「今日、一緒に帰りたい」


かえちゃんが顔を上げた。


「……うん。私も」


私の手に、かえちゃんの手が触れた。私は、その手を握った。

見慣れた道なのに、さっきよりずっと歩きやすい。


もう一人の私も、ちゃんと、ここにいた。

かえちゃんの話を聞いて、私に残してくれた。

私は、つないだ手を小さく振った。


「ねえ、かえちゃん」


「ん?」


「今日、学校が終わったら、うちで、さっきの家を作らない?」


「赤い屋根の?」


「うん」


「いいね。ぶらんこ、二人で乗れるやつにしようよ」


二人でお互いの顔を見て、笑い合う。

仲直りできてよかった。


白猫さん、ありがとう。

それから、もう一人の私も。


心の中で言って、私はもう一度、かえちゃんの手を握った。


お読みいただきありがとうございます。

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