第7話:ゲームセンターの記録と正当防衛
休日の午後、力也は駅前のゲームセンターに足を運んでいた。
目的は息抜きであり、決して遊びほうけているわけではない。
フロアの奥にあるパンチングマシーンの前に立ち、力也は小さく息を吐いた。
(さて、運動連鎖の力学を完璧に再現すればどの程度の数値が出るかな)
力也の脳内で、瞬時に複雑な物理演算が開始される。
(床から得る地面反力を足首から体幹へと伝え回旋運動で増幅させる、そして広背筋から拳へと連動する運動エネルギーの伝達ロスをゼロにするのだ)
力也は構えをとり、鋭い踏み込みと共に拳を振り抜いた。
ドゴォォォォンという、ゲームセンターにあるまじき爆音がフロアに響き渡る。
的のパッドが悲鳴を上げ、筐体全体が激しく揺れた。
画面のデジタル数字が凄まじい勢いで上昇し、計測不能を示すエラーコードが表示される。
「ふむ、どうやらこのマシンの筋肉は俺の情熱を受け止めるには少々ひ弱だったようだな」
力也は満足げに己の拳を眺め、颯爽とゲームセンターを後にした。
大通りから一本路地に入った場所で、力也の耳に不穏な声が届いた。
「おい、ジャンプしてみろよ、小銭の音がするじゃねえか」
「ご、ごめんなさい、本当にこれしか持ってなくて……」
壁際で怯えているのは、クラスメイトである小鳥遊だった。
彼を取り囲んでいるのは、派手な服装をした他校の不良三人組である。
(くくく、ベタなカツアゲ現場だな、小鳥遊の奴も相変わらず弱々しいことだ)
力也は内心で面白がりながらも、ゆっくりと路地裏へ足を踏み入れた。
「おい、俺の後輩の筋肉がいじめられていると聞いて飛んできたぞ」
「あぁ?なんだお前、引っ込んでろ」
不良の一人が、力也の体格に一瞬怯みながらも威嚇してくる。
「り、力也くん!助けてください!」
小鳥遊が涙目で力也へ助けを求めた。
「安心しろ小鳥遊、俺の大胸筋が平和的解決を望んでいるからな」
力也は爽やかな脳筋スマイルを浮かべたまま、不良たちとの間合いを詰めた。
「なめてんのか、ぶっ殺してやる!」
激高した不良が、力也の顔面に向かって右ストレートを放った。
(来るのは分かっている、さてここからが法学の出番だ)
力也の脳内で、今度は刑法第三十六条の条文が展開される。
(急迫不正の侵害に対し自己又は他人の権利を防衛するためやむを得ずにした行為は罰しない、これが正当防衛だ、しかし防衛の程度を超えれば過剰防衛として罪に問われる可能性がある)
力也は飛んでくる拳を最小限の動きで躱した。
(相手に恒久的な後遺症を残さずかつ確実に行動不能にする最小限の物理的制圧、それこそが正当防衛の最適解だ)
力也は不良の腕を軽く払い、そのままスッと指先を伸ばした。
腕の関節の可動域の限界点、そして首筋の星状神経節へ、ミリ単位の正確さで適切な圧力の打撃を叩き込む。
「あぎっ……!?」
不良は痛みというより、全身の神経が麻痺したような感覚に陥り、糸が切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。
「な、なんだ!?こいつ、何をしたんだ!」
残りの二人がパニックになり、同時に力也へ飛びかかってくる。
力也は踊るようなステップで二人の攻撃をいなし、今度は腹部の太陽神経叢へと軽い掌底を当てた。
ボフッ、という鈍い音が響く。
「ごふっ……げほっ、げほっ……!」
全く力を入れているように見えなかったにもかかわらず、二人の不良は胃袋がひっくり返るような衝撃を受けて地面をのたうち回った。
「お前たち、筋肉への理解が足りないな」
力也は息一つ乱さず、倒れた不良たちを見下ろした。
「筋繊維は過度なストレスを与えると断裂してしまう、だから俺の広背筋が君たちに最も優しい刺激を与えてあげたんだ」
理解不能な強さと狂気じみた筋肉ポエムを前に、不良たちは恐怖で顔を引き攣らせた。
「ひ、ひぃぃぃっ!バケモノだぁ!」
彼らは這うようにして立ち上がると、一目散に路地裏から逃げ去っていった。
「大丈夫か、小鳥遊」
力也は倒れたままの小鳥遊に向かって、逞しい右腕を差し出した。
「は、はい……力也くん、本当にありがとうございます、でもどうしてあんな軽く触れただけで倒せたんですか?」
小鳥遊は力也の手を借りて立ち上がりながら、尊敬と疑問の入り交じった目を向けた。
(くくく、刑法に則った正当防衛のラインと人体構造の急所を完璧に計算した結果だとは絶対に言えないな)
力也はポンポンと小鳥遊の肩を叩き、真剣な表情を作った。
「ジムの器具は優しく扱うのがマナーだ、それと同じさ」
「……え?」
「彼らの筋肉はまだ未熟なトレーニング器具のようなものだ、乱暴に扱えば壊れてしまう、だから俺の筋肉が優しく触れるべきだと判断したんだよ」
小鳥遊は目を瞬かせた。
「えっと……力也くんの言っている意味が分からないです……」
感動から一転、完全に脳の処理が停止した小鳥遊を見て、力也は内心で邪悪な笑みを噛み殺した。
(あっはっは!最高のリアクションだ、助けられた恩義と全く意味不明な理屈の板挟みでバグっているぞ)
「さあ、帰ってプロテインを飲もう、筋肉がカテボル前に栄養補給だ」
力也は困惑して立ち尽くす小鳥遊を背に、ご機嫌な足取りで寮への帰路についた。




