第6話:スポーツテストと最先端スポーツ科学
初夏の陽差しが降り注ぐ秀英学園のグラウンドに、全校生徒が集結していた。
年に一度のスポーツテストである。
力也は指定の体操服に身を包み、入念なストレッチを行っていた。
パンパンに張った大腿四頭筋が、体操服のハーフパンツをはち切れんばかりに押し上げている。
「おはようございます、力也くん。今日のスポーツテストは力也くんの筋肉の見せ所ですね」
クラスメイトの小鳥遊が、敬意と期待に満ちた目で声をかけてきた。
「当然だ。俺の全身の筋肉たちが、自己表現の場を与えられて歓喜の雄叫びを上げているからな」
力也が爽やかに笑うと、近くにいた生徒たちは威圧感に一歩後ずさった。
最初の種目は五十メートル走だ。
力也の隣のレーンには、陸上部で短距離のエースと目される二年生が立っていた。
エースはスポーツ推薦で入ってきた一年生を威嚇するように、軽くステップを踏んで見せた。
「一年坊主、スポーツ推薦だからって調子に乗るなよ。陸上のトラックスピードってものを教えてやる」
「ご忠告痛み入ります、先輩」
力也はスタートラインに立ち、クラウチングスタートの姿勢をとった。
(地面反力を最大化するための重心位置、ストライドとピッチの最適解、全ては計算済みだ)
力也の脳内では、瞬時にバイオメカニクスの方程式が組み上がっていた。
「位置について、用意、ドン」
ピストルの音と同時に、力也の体が弾け飛んだ。
完璧な前傾姿勢から繰り出される爆発的な推進力は、まるで砲弾のようだった。
隣のレーンを走るエースが、スローモーションのように後方へと置き去りにされていく。
結果は五秒四という、高校生の規格を外れた驚異的なタイムだった。
「ば、馬鹿な……なんだあのスタートダッシュは……」
陸上部のエースは膝から崩れ落ち、信じられないものを見る目で力也を見上げた。
「先輩、地面反力とストライドの最適化が足りていませんね」
力也は息一つ乱さずに言い放った。
「足の裏の筋肉が地面と対話すれば、自ずと最適な力のベクトルが見えてくるはずです。筋肉の声を無視するから重力に負けるのですよ」
高度な力学の概念を筋肉のポエムでコーティングされたエースは、完全に戦意を喪失してうつむいた。
その後も力也の独壇場は続いた。
ハンドボール投げでは投射角と初速の完全な計算によって計測不能の彼方へボールを消し飛ばした。
立ち幅跳びでは作用反作用の法則を利用して学園記録をあっさりと塗り替えた。
全ての種目を終え、力也はグラウンドの隅でプロテインを煽っていた。
そこに、熱血体育教師の山田が顔を真っ赤にして駆け寄ってきた。
「中山、お前は本当にすごい奴だ。全種目で学園記録更新だぞ」
山田は感極まった様子で力也の肩をバシバシと叩いた。
「あの驚異的な記録、一体どれほどの気合と根性で限界を超えたんだ。お前のその熱い魂、教師として誇りに思うぞ」
山田は涙ぐみながら精神論を熱弁した。
(くくく、気合や根性などという非科学的なもので限界が超えられるか。よし、この熱血教師の脳髄に科学の楔を打ち込んでやろう)
力也はわざとらしく天を仰ぎ、筋肉への感謝を捧げるようなポーズをとった。
「精神論ではありませんよ、先生」
「えっ?」
「あの記録は、細胞内のミトコンドリアにおけるTCA回路が、極めて効率的にATPを産生した結果に過ぎません」
山田の目が見開かれた。
「さらに、俺の脳細胞が運動単位に的確な指令を出し、速筋繊維を限界まで動員させたのです。気合などという曖昧なものではなく、純粋な生化学反応と神経伝達の勝利ですよ」
「て、ティーシーエー……?エイティーピー……?」
熱血と根性を信条とする山田は、突如として投げつけられた大学レベルのスポーツ生理学の専門用語を前に、完全にフリーズした。
「つまり、俺の筋肉が科学的に完璧な仕事をした、ということです」
力也は爽やかな脳筋スマイルを浮かべた。
山田は精神論を根底から否定され、しかもそれを筋肉のせいにされるという理解不能な事態に陥り、虚無の表情で立ち尽くした。
周囲で聞いていたクラスメイトたちも、狂気と最先端科学の入り交じった力也の言葉にドン引きして完全に沈黙していた。
(あっはっは、いい気味だ。熱血教師のアイデンティティが、生化学の暴力で崩壊していく瞬間は最高だな)
力也は内心で邪悪な笑いを噛み殺しながら、グラウンドを後にした。
放課後、寮へ向かう夕暮れの道を力也は一人で歩いていた。
(今日は最高のデータが取れたな。人体の生化学的限界値の算出に成功した)
満足感に浸りながら歩いていると、曲がり角の先からひょっこりと神崎凛が顔を出した。
「奇遇だね、力也くん」
「神崎か。君も今帰りか」
力也はいつも通りの熱苦しいトーンで返した。
「うん。ねえ、さっきの山田先生とのやり取り、遠くから聞いてたんだけど」
凛はふわりと微笑みながら、力也の隣に並んで歩き始めた。
「TCA回路とかATPとか、普通の高校生が知ってる言葉じゃないよね」
力也の心臓がドクンと跳ねた。
(こいつ、また俺の言葉の端々から矛盾を拾い上げやがったか)
「俺の筋肉が細胞レベルで対話を求めた結果、自然と口から出た言葉だ」
力也は動揺を隠し、腕を組んで見せた。
「ふふっ、またそんな嘘をついて」
凛は力也の方へと少しだけ身を乗り出した。
「山田先生、気合と根性を否定されてすごくショックを受けてたよ。あんな専門用語で論破しちゃうなんて、力也くんって本当に意地悪だよね」
「俺はただ、大胸筋の真理を伝えただけだ」
「そういうことにしておいてあげる」
凛は夕日に照らされた力也の逞しい腕を、指先でツンと突いた。
「でも、力也くんのその凄い知識、どこで勉強したのか気になるな」
凛は上目遣いで力也の瞳を覗き込んだ。
「今度、私にもこっそり教えてよ。力也くんの本当の頭の中のこと」
凛は小悪魔的なウインクを残し、足早に先へと歩いていった。
力也は彼女の残した微かな香水の香りを嗅ぎながら、口角が自然と吊り上がるのを隠しきれなかった。
(ただの筋肉バカを演じているだけなのに、こいつの前では常に油断ができない。だが、この知的なスリル、たまらないな)
力也は己の知性を暴こうとする凛との秘密の遊戯に、確かな高揚感を覚えていた。




