第29話:バレバレの告白と大興奮の岩陰
二泊三日の夏期合宿も、いよいよ最終日の夕暮れを迎えていた。
プライベートビーチの西の空は、太陽が水平線に沈みかけ、海面を燃えるようなオレンジ色に染め上げている。
波の音だけが静かに響く、ロマンチックなシチュエーション。
その砂浜の波打ち際で、中山力也は腕を組み、沈みゆく夕日を真剣な眼差しで見つめていた。
『ふむ……。大気中の微粒子によって波長の短い青い光が散乱され、波長の長い赤い光だけが目に届くレイリー散乱。
この美しい光学現象を前にすると、人間の副交感神経は優位になり、心身の回復が促進される……。
まさに、合宿の締めにふさわしい光景だ』
力也が脳内で完璧な物理法則と生理学のウンチクを語っていると、背後からコツ、コツと、砂浜には似つかわしくないヒールの音が近づいてきた。
「……力也様」
振り返ると、そこにはおめかしをした白鳥くるみが立っていた。
いつもは自信満々な彼女だが、今は頬を夕日以上に赤く染め、もじもじと両手を前で組み合わせている。
「おう、白鳥! どうした? 散歩ならプロテインを飲んでからにした方がいいぞ。空腹時の有酸素運動は筋肉を分解するからな!」
力也が爽やかに笑いかけると、くるみはフルフルと首を横に振った。
「違いますわ。……今日は、力也様に、どうしてもお伝えしたいことがあって、お呼び立ていたしましたの」
くるみは、意を決したように顔を上げ、潤んだ瞳で力也を真っ直ぐに見つめた。
『……ん? この雰囲気、そしてこのシチュエーション。 心理学的に見て、相手の親密度を極限まで高めようとする『告白』の予備動作に酷似している。 ……いや、待て待て! なぜただの筋肉バカである俺に……!?』
力也の脳内スーパーコンピュータが、突如として危険信号を鳴らし始めた。
***
しかし、このドラマチックな展開を、当の本人たち以外にも「全員」が知っていた。
「……ちょっと、押さないでよ星野くん」
「無理言うなよ小鳥遊! 結城たちが後ろから押してくるんだって!」
力也とくるみから少し離れた場所にある、巨大な岩の陰。
そこには、なんと凛、鈴木、結城、御子柴、そして小鳥遊と星野の全員が、身を潜めて二人の様子を覗き見していたのだ。
夕食後にくるみが「力也様を浜辺に呼び出しましたの!」と堂々と宣言してしまったため、気になった(あるいは気が気でない)面々がこっそり後をつけてきた結果である。
「くそっ……! くるみ……本当にあの筋肉バカに告白してしまうのか……!」
御子柴が、岩肌をギリギリと爪で引っ掻きながら血涙を流している。
その隣で、結城が冷静に眼鏡を押し上げた。
「落ち着け御子柴くん。中山力也の行動パターンから推測するに、ロマンチックな返答が返ってくる確率は極めて低い」
「だが、万が一ということがあるだろう!? ああ、僕が代わってあげたい……!」
そんな男子たちの後ろで、ひときわ静かに、しかし絶対零度のオーラを放っている少女がいた。
神崎凛である。
『……白鳥くるみ。合宿の最後に、思い切った行動に出たわね。
力也くんが本気にするわけないって分かってるけど……それでも、あの距離感で他の女の子から想いを伝えられるのは、すごく……腹が立つ』
凛の涼しげな瞳の奥では、どす黒い嫉妬の炎がチリチリと燃え盛っている。
岩を掴む彼女の白い指先には、うっすらと力が込められていた。
一方、その岩陰のさらに奥、一番狭いスペースに押し込められていたのが、小鳥遊と星野だった。
「ちょ、星野! お前肘当たってるって!」
「しょうがないだろ、岩のくぼみなんだから! 動くな小鳥遊、バランス崩す!」
ドサッ。
「あっ……」
足場の悪い砂浜と狭い空間のせいで、星野が体勢を崩し、小鳥遊の上に覆い被さるようにして倒れ込んでしまった。
小鳥遊は岩壁を背にし、星野がその目の前に両手をつく形になる。いわゆる「壁ドン」の、さらに密着度が高い状態だ。
「……わりぃ、小鳥遊。怪我ないか?」
星野が至近距離で小鳥遊の顔を覗き込む。
小鳥遊は、普段は頼りないゲーマーの星野が、ふと見せた男らしい真剣な表情に「お、おう……大丈夫だ」と少しだけドギマギしてしまった。
その瞬間。
二人のすぐ横で、異常な熱量の息遣いが聞こえた。
「フンッ……! フシューッ……!!」
クラス委員長の、鈴木栞だった。
鈴木は、力也とくるみの告白の行方など、もはや1ミリも見ていなかった。
彼女の眼鏡の奥の瞳は、完全に「捕食者」のそれと化し、ゼロ距離で密着する小鳥遊と星野をガン見していたのだ。
『キタキタキタキタァァァッ!!
合宿最終日にして、最高のシチュエーション!!
狭い岩陰! 不意のアクシデント! そしてこの身長差と密着度!
星野くんの「わりぃ」っていう低音ボイス、からの、小鳥遊くんの上目遣い!!
ああああっ、尊い! 尊すぎますわ!!』
鈴木の脳内では、昨日のオリエンテーリングで開かれた「新しい扉」が、もはや完全に取り外され、妄想のビッグバンが無限の宇宙を創り出していた。
「す、鈴木さん……? なんでそんなに鼻息荒いんですか……? あと、手元のノートにすごいスピードで何か書いてますけど……」
「……フンッ! 気にしないで小鳥遊くん! 私は今、後世に残すべき神話を記録しているだけだから! さあ、もっと! もっとそのままの姿勢でいて!!」
「ええええ!?」
鈴木が完全に自分の世界(腐の妄想)に入り浸っている中、波打ち際の二人の会話は、いよいよ核心へと迫っていた。
***
「力也様……」
くるみは、胸に手を当て、震える声で紡ぎ出した。
「わたくし……入学式の時に力也様を見た時から、いえ、あの台風の朝に助けていただいた時から……。
貴方のその、たくましくて、頼りがいのある大胸筋の……虜になってしまいましたの!」
「なっ……!?」
『!! 直球すぎる愛の告白!!
やはりそうだったか! しかし、どうする!?
ここで彼女の気持ちに応えれば、俺の「筋肉以外に興味のないストイックな男」というキャラクター設定に致命的な矛盾が生じる!
それに、俺の心は……いや、誰の顔を思い浮かべてるんだ俺は! とにかく、ここは「筋肉」を盾にして完全防御するしかない!』
力也の脳内スーパーコンピュータが、自身の動揺をかき消すように、最適かつ最も非情な「筋肉式・断り文句」を弾き出した。
「白鳥……。お前のその真っ直ぐな気持ち、確かに俺の広背筋に響いたぜ」
「力也様……! では!」
くるみが顔をパァッと輝かせた、その瞬間。
「だが、すまない!! 俺にはすでに『心に決めた恋人』がいるんだ!!」
「えっ……?」
岩陰で聞いていた全員(鈴木以外)が、息を呑んだ。
凛でさえ、ピクリと肩を揺らして力也を見つめる。
「こ、恋人……? ど、どこのクラスの方ですの……?」
くるみが絶望に染まった顔で尋ねると、力也は西日に向かって、己の分厚い大胸筋をドンッと叩いてみせた。
「俺の恋人はな……ジムにある『鉄の塊』だ!!
俺は、女性の柔らかい肌を抱きしめるような浮気は絶対にしない! 俺の両腕は、ベンチプレスを限界まで押し上げるためだけに存在しているんだ!
すまん、白鳥! 俺は筋肉と添い遂げる男だ!!」
沈黙。
波の音だけが、虚しく砂浜に響き渡った。
「て、鉄の塊……?」
くるみは、あまりの斜め上の理由に、ポカンと口を開けたまま固まってしまった。
フラれた悲しみよりも先に、「自分がバーベルに負けた」という理不尽すぎる事実が、彼女の脳の処理能力を完全にオーバーさせていたのだ。
「ああ、そうだ。お前の気持ちには応えられないが……これからは『筋肉を愛する同志』として、共にスクワットに励もうじゃないか! はっはっは!」
力也が豪快に笑い飛ばした、まさにその時だった。
「ふざけるなああああああっ!!」
岩陰から、一人の男が猛烈な勢いで飛び出してきた。
御子柴蓮である。
「み、御子柴!?」
「中山力也! 貴様、こんなに可愛くて一途なくるみの告白を、『バーベルが恋人』などというふざけた理由で断るだと!?
男なら、もっと誠意を持って断らんか! いや、なんで断るんだ! くるみの魅力が分からないなんて、お前は本当にただのバカだ!!」
御子柴は完全に理性を失い、力也の胸ぐらを掴もうと飛びかかった。
しかし、力也の反射神経と圧倒的なフィジカルの前では、それは赤子の突撃も同然だった。
「おっと。……なんだ御子柴、お前ら全員で覗き見してたのか。
というか、お前、白鳥が俺に振られてなんで怒ってるんだ? むしろお前的にはチャンスじゃないのか?」
力也がヒョイッと御子柴の突進を躱しながら、極めて論理的なツッコミを入れる。
「うるさいっ! 僕はくるみが傷つくのが許せないんだ!! うおおおおっ!!」
「やめろ御子柴くん! 君の貧弱な筋肉では彼に勝てない!」 「ちょ、御子柴くん落ち着いて!」
結城や小鳥遊たちが慌てて岩陰から飛び出し、暴れる御子柴を取り押さえにかかる。
フラれて呆然とするくるみ、暴れる御子柴、それを止める男子たち、そして岩陰でひたすらノートにペンを走らせる鈴木。
ロマンチックだったはずの砂浜は、一瞬にしてカオスな修羅場と化していた。
***
「……まったく。騒がしいったらありゃしない」
そんなドタバタ劇から少し離れた場所で。
凛は、静かに、そして深く安堵の息を吐き出していた。
『……よかった。力也くん、ちゃんと「筋肉バカ」のまま断ってくれた。
あんなトンデモな理由で振るなんて、本当に最低で……最高にバカな男の子』
凛の涼しげな瞳から嫉妬の炎が消え、代わりに、甘く、独占欲に満ちた柔らかな光が灯る。
騒ぎを収めようとしている力也の大きな背中を見つめながら、凛は誰にも聞こえない声で、そっと呟いた。
「……私の特等席は、バーベルにも、白鳥さんにも、誰にも譲らないからね。
……覚悟しておいてよ、共犯者くん」
夏の終わりの海風が、凛の艶やかな黒髪を優しく揺らしていた。
波乱に満ちた二泊三日の合宿は、こうして誰も予想しなかった(一部は別の意味で大興奮の)結末を迎え、幕を閉じようとしていた。




