第25話:合宿1日目!プライベートビーチの熱力学
「さあ皆様! わたくしの家のささやかな別荘へようこそ!」
抜けるような青空と、どこまでも続くエメラルドグリーンの海。
秀英学園の面々を乗せたマイクロバスが到着したのは、海辺に建つ白亜の豪邸だった。
「さ、ささやか……!? これ、ちょっとしたリゾートホテルじゃないか!」
「すげえ……! マジで目の前が全部プライベートビーチだぞ!」
星野と小鳥遊が、信じられないものを見るように目を丸くしている。 クラス委員長の鈴木栞も、「白鳥さん、あなたのお家は、ここまで凄かったのね……」と呆れ半分、感心半分の声を漏らした。
「ふふっ。存分に羽を伸ばしてくださって構いませんわ! さあ力也様! 早速水着に着替えて、愛と情熱の砂浜へ駆け出しましょう!」
くるみが目をハートにして力也にすり寄る。
「おう! この広大な砂浜……不整地でのダッシュは、ハムストリングスと大臀筋に極限の負荷をかける最高のトレーニンググラウンドだぜ! 燃えてきたああっ!」
力也が巨大なスポーツバッグ(中身はほぼプロテインとサプリ)を背負い直して雄叫びを上げると、その後ろから、銀縁眼鏡をスッと押し上げる影があった。
御子柴蓮である。
「……ふん。威勢がいいのは今のうちだぞ、中山力也」
御子柴は、同じく水着に着替えるため更衣室へ向かう結城翔太に耳打ちをした。
「結城。今日の太陽は容赦ない。あの砂浜は今、フライパンのように熱せられているはずだ」
「なるほど……。裸足であの灼熱の砂浜を歩かせれば、いかに筋肉バカを装おうとも、熱さに耐えかねて本性を現すというわけだな?」
「その通りだ。あいつの化けの皮、この僕が完膚なきまでに引っぺがしてやる!」
知性派コンビの二人は、邪悪な笑みを浮かべて頷き合った。
***
数十分後。
男子たちは一足先に着替えを終え、プライベートビーチの砂浜に集まっていた。
「あっちぃぃぃっ!! なんだこれ、砂が熱湯みたいだぞ!?」
星野がビーチサンダルを履いたままピョンピョンと飛び跳ねている。
夏の強烈な直射日光を浴びた白い砂浜は、素足で歩けば確実に火傷をするほどの熱を帯びていた。
「おい、中山力也」
そこへ、御子柴が冷笑を浮かべて歩み寄ってきた。
彼はしっかりと分厚いマリンシューズを履いている。
「君は『海はトレーニンググラウンドだ』と言っていたね? トレーニングというからには、まさか軟弱にビーチサンダルなんて履かないだろうな?
君のその自慢の筋肉なら、この砂浜を『裸足』で歩くことくらい造作もないはずだが?」
露骨な挑発。
小鳥遊が「そんなの無茶ですよ! 筋肉関係ないじゃないですか!」と庇うが、御子柴の目は力也を真っ直ぐに射抜いていた。
『ふむ……。典型的なトラップだ。
現在の気温34度。日照時間から逆算すると、石英を主成分とするこの砂浜の表面温度はおよそ60度近くに達しているはずだ。
普通に歩けば、足裏のタンパク質が熱変性を起こす(火傷する)』
力也は砂浜の熱力学的なパラメーターを瞬時に脳内で処理した。
『だが、熱伝導率と接触面積の問題に帰結させれば回避は容易い。
足の裏全体を接地させるから熱を奪われるのだ。
接地面積を極限まで減らし、かつ砂との接触時間をコンマ数秒の世界に抑え込めば、熱エネルギーが皮膚の深層に到達する前に次の一歩を踏み出せる!』
「はっはっは! 御子柴、お前は筋肉というものを全く分かっていないようだな!」
力也は履いていたサンダルを蹴り飛ばし、灼熱の砂浜の上に素足でドスッと降り立った。
「なっ……!?」
「いいか! 日々のデッドリフトによって、俺の足裏の角質層は強靭なアーマーと化している!
さらに! 下腿三頭筋の圧倒的なバネを使えば、俺の足はもはや砂浜に『触れていない』も同然!」
力也は、常人には目にも止まらぬ速さのステップで、灼熱の砂浜の上を軽やかに、かつ力強く跳ね回って見せた。
それは、つま先のごく一部だけを接地させ、熱が伝わる前に瞬時に筋力で体を浮き上がらせるという、物理演算と身体能力の悪魔的融合だった。
「熱意とは筋肉の温度! 砂浜の熱など、俺の大胸筋の熱さに比べれば常温も同じだぁぁぁっ!!」
「ば、バカな……っ!!」
御子柴が戦慄して後ずさる。
「あの表面温度で……物理法則を無視しているとしか思えない! これが……これが筋肉だというのか!?」
「論理が……僕たちの熱力学の論理が、筋肉のステップに踏み潰されていく……っ!」
御子柴と結城は、またしても力也の強引すぎる「筋肉理論」の前に、敗北感を味わうしかなかった。
***
「お待たせしましたわーっ!」
男子たちの騒ぎをよそに、ビーチハウスの方から女子たちが姿を現した。
「力也様! わたくしの水着姿、いかがで――」
くるみが、フリルがたっぷりとあしらわれた可愛らしいピンクの水着姿で駆け寄ってくる。
しかし、力也の視線は、くるみの少し後ろを歩いてくる「もう一人の少女」に完全に釘付けになっていた。
「お待たせ。……力也くん」
「っ……!!」
力也の心臓が、今まで経験したことのないほどの警鐘を鳴らした。
神崎凛である。
普段の彼女は、制服のボタンを第一ボタンまできっちりと留め、清楚で落ち着いた優等生の雰囲気を纏っている。
しかし、今彼女が身につけているのは――。
黒を基調とした、極めて面積の少ない、大胆なデザインのビキニだった。
抜けるような白い肌が、夏の太陽の下で眩しいほどに輝いている。
華奢に見えて、女性らしい柔らかな曲線を描くウエストと、蠱惑的な谷間。
濡れたような艶を帯びた黒髪を片側に寄せ、彼女は少しだけ上目遣いで力也を見つめていた。
「お、おい見ろよ神崎さん……! いつもと雰囲気全然違うぞ……!」
「スタイルめっちゃいい……。っていうか、あの水着、布面積少なすぎないか!?」
星野と小鳥遊が、鼻の下を伸ばして顔を赤らめている。
結城と御子柴でさえ、「なっ……」「あんなはしたない……しかし、造形美としては……」と、動揺を隠しきれずに視線を奪われていた。
その瞬間、力也の胸の奥で、突如として『不快なエラー』が発生した。
『なんだ……? 周囲のオスどもの視線が、一斉に凛の肌に集まっている。
この状況……なぜだか無性に腹が立つ。
網膜に映るアイツらのだらしない顔面に、俺の広背筋のラリアットを叩き込んで視神経を物理的に遮断してやりたい衝動に駆られるのは……なぜだ!?』
『面積の最小化による視覚的インパクトの増大!?
いや、それ以上に、普段の「清楚」というバイアスからのギャップが心理的アンカリング効果を破壊している上に、他の奴らに見られているという事実が、俺のドーパミン受容体を直接焼き切ろうとしている!
け、計算が……論理的な計算が……全く機能しないっ……!!』
力也が無自覚な嫉妬と熱暴走によって完全にフリーズしていると、凛は周囲の視線など気にも留めず、ふわりと小悪魔のような笑みを浮かべて力也に歩み寄った。
「どう? ……筋肉以外には興味ない、って言ってたけど。少しは、見とれてくれた?」
微かに香る、ココナッツとシャンプーの入り混じった甘い匂い。
凛が至近距離で見上げてくるその破壊力に、力也はついに顔を真っ赤にして後ずさった。
「お、おう……。そ、その……体幹のスタビリティ(安定性)が……よく分かる素晴らしい布面積だな……。だが、他の奴らの前であまり隙を見せるなよ!」
「ふふっ。何それ、全然褒めてない。……それに、ちょっと怒ってる?」
凛は楽しそうにくすくすと笑いながら、力也の太い腕にそっと自分の腕を絡ませた。
「なななななっ……!!!」
その光景を見て、背後で完全に石化していた白鳥くるみが、悲鳴のような声を上げた。
「か、神崎さん!? なんですのその……は、はしたない水着は!! 力也様の理性を狂わせるおつもり!?」
「あら」
凛は腕を絡ませたまま、涼しい顔でくるみを振り返った。
「海なんだから、これくらい普通でしょ? それとも白鳥さんは、自信がないからそんなにフリフリの布で隠してるの?」
「キィィィィッ!! 言いましたわねこの女狐!!」
くるみの額に青筋が浮かぶ。
彼女はギリッと歯を食いしばると、「鈴木さん! 隠し玉の『アレ』を持ってきてちょうだい!」と叫び、猛ダッシュで更衣室へと戻っていった。
「ええっ!? 白鳥さん、アレ着るの!? 本当に!?」と、鈴木が慌てて後を追う。
***
数分後。
更衣室のドアがバーン!と勢いよく開いた。
「お待たせいたしましたわ力也様!! さあ、わたくしの愛の形をその目に焼き付けてくださいませ!!」
再登場したくるみの姿を見て、その場にいた全員(男子も女子も)が息を呑んだ。
「お、おいおい……なんだあれ……」
「白鳥さん、攻めすぎだろ……!」
くるみが身につけていたのは、布面積という概念を置き去りにしたような、過激すぎる真紅のマイクロビキニだった。
紐だけで繋がっているようなその水着は、彼女のプロポーションをこれでもかと強調し、動くたびに危うい色気を振り撒いている。
「ぶっ……!!」
星野が鼻血を吹き出しそうになって天を仰ぎ、小鳥遊が「直視できません!」と目を覆う。
そして、誰よりも衝撃を受けていたのは、くるみに密かに想いを寄せる御子柴だった。
「く、くるみ……!? 君という人は、なんて破廉恥な格好を……っ! け、けしからん! 実にけしからんぞ!!」
御子柴は顔を茹でダコのように真っ赤にしながら、口では非難しつつも、その銀縁眼鏡の奥の瞳は完全にくるみの際どい水着に釘付けになっていた。
隣の結城も「理論上、あの布面積と紐の細さで物理的な張力を維持できるはずがない……! どういう摩擦係数だ……!」と謎の力学計算を始めて混乱している。
「さあ! 神崎さんなんかより、わたくしのこの肉体美を見て――」
くるみが力也に向かってセクシーなポーズ(本人はそのつもりだが、どこかチアリーディングの動きが入っている)を決めた、その瞬間だった。
バッ!!
力也の視界が、突如として真っ暗になった。
「……え?」
背後から伸びてきた二つの冷たい手が、力也の両目をピタリと塞いでいたのだ。
「り、凛!?」
「…………」
視界を奪われた力也の耳元に、凛のひんやりとした、それでいてチリチリと燃えるような熱を帯びた吐息がかかる。
背中には、先ほどの水着姿の凛の、柔らかくもはっきりとした感触が押し付けられていた。
「見ちゃダメ」
それは、普段の余裕を持った小悪魔的なからかいとは違う。
絶対的な独占欲と、ギリギリまで膨れ上がった嫉妬心がそのまま声になったような、低く震える囁きだった。
「……他の子のそんな姿、力也くんに見せたくない」
「っ……!」
「私のことだけ見てって言ったでしょ。……それとも、あっちの方が良かった?」
目を塞がれたまま、背中から伝わる凛の体温と、耳元での甘く危険な尋問。
力也の計算能力はすでにシャットダウンしており、心拍数はオーバートレーニングの限界値を超えて跳ね上がり続けていた。
「ち、違う! 俺はただ、筋肉の反射で視線が……っ!」
「言い訳は聞かない。……ばか力也」
一方、目の前で力也の視界を完全に遮断されたくるみは、「なっ……!!」とワナワナと震え上がっていた。
「神崎さん!! わたくしがせっかく勝負水着に着替えたというのに、物理的に視界をブロックするなんて卑怯ですわよ!!」
「卑怯じゃないわ。力也くんの目の『管理者』として、目に毒なものを遮断しただけだから」
凛は力也の目を塞いだまま、くるみに向かって絶対的な勝者の笑みを浮かべた。
夏の太陽が照りつけるプライベートビーチ。
力也の完璧な物理演算は、ヒロインたちの熱すぎるジェラシーと無自覚な己の感情の前に、合宿初日から完全に無力化されていた。




