第24話:終業式と夏期合宿(2泊3日)の承諾書
窓の外からけたたましいセミの鳴き声が聞こえる、一学期の終業式の日。
秀英学園の各教室では、ホームルームが行われ、明日から始まる長い夏休みに向けて生徒たちの熱気が最高潮に達していた。
一年A組の教室。
教壇に立つ担任の太田先生が、額の汗をハンカチで拭いながら、声を張り上げていた。
「えー、皆。明日からは待ちに待った夏休みだが、秀英学園の生徒としての自覚を忘れないように!
宿題は計画的に終わらせること! 未成年だけで夜遅くまで出歩くなどの違法行為はもってのほか!
……それから、その、なんだ。最近の若者はませていると聞くが……不純異性交遊などは、絶対に厳禁だからな!!」
太田先生は「不純異性交遊」という言葉を強調しながら、なぜか教室の後方に座る力也と、その近くにいる凛のあたりをチラチラと見ていた。
『ふむ……。夏期休暇という非日常の解放感が、思春期の脳内におけるドーパミンやテストステロンの分泌を異常に促進させ、衝動的な行動へと走らせるリスクが高いことは、統計学上も明らかだ。
教師としてリスクマネジメントを徹底するのは理にかなっているが……俺に向けられたあの視線はなんだ?』
力也は脳内で冷静な分析を下しながらも、自分の「筋肉キャラ」としての正解を導き出す。
彼はガタッと立ち上がり、太田先生に向けてビシッと敬礼した。
「押忍! 太田先生、ご心配には及びません!!」
「な、なんだね中山くん! 急に立ち上がって……」
「俺にとっての恋人は、バーベルとダンベルという『鉄の塊』のみ!
もし万が一、俺が女性の柔らかい肌に触れるようなことがあれば、それは筋肉に対する浮気!
そんな不純な真似をして、大胸筋のパンプアップが阻害されるようなリスクは絶対に冒しません!!」
力也が暑苦しいまでの筋肉至上主義を宣言すると、クラスの男子たちから「おおーっ!」「ストイックすぎるぜ力也くん!」と歓声が上がった。
「そ、そうか……中山くんの筋肉への愛はよくわかった。うん、少し安心したよ……」
太田先生が苦笑いしながら頷いた、その直後だった。
ガラッ!!
またしても、一年A組の教室のドアが勢いよく開け放たれた。
「ごきげんよう、皆様! 終業式が終わった瞬間に駆けつけましたわ!」
現れたのは、一年C組の白鳥くるみ。
彼女の後ろには、ため息をつきながら引きずられてきたA組のクラス委員長・鈴木栞の姿がある。
「白鳥さん!? またA組に……っていうか、まだホームルーム中なんだけど!」
鈴木が慌てて止めるが、くるみは全く意に介さず、力也の席へ一直線に歩み寄った。
「力也様! 夏休みのご予定はお決まりでしょうか!?」
「おう、白鳥。夏休みは筋肉のゴールデンタイムだ。午前は胸と三頭筋、午後は背中と二頭筋を日替わりで追い込む予定だぜ!」
力也が豪快に笑うと、くるみは頬をピンク色に染めてモジモジと身をよじらせた。
「もぉっ、力也様ったら相変わらず筋肉に夢中ですのね!
でも、夏と言えば海! 海と言えば肉体美のお披露目ですわ!
わたくしの家のプライベートビーチがある別荘へ、二泊三日の夏期合宿にいらっしゃいませんこと!?」
「なんだと? プライベートビーチ?」
「ええ! 完全貸し切りで、誰にも邪魔されずに泳ぎ放題! もちろん、最新のトレーニングマシンを備えたジムルームも完備しておりますのよ!」
くるみが「ジムルーム完備」というキラーワードを放った瞬間、力也の目がキラリと光った。
『ほう……! 避暑地での合宿となれば、高地トレーニングに似た心肺機能の強化が期待できる。
さらにプライベートビーチの砂浜(不整地)でのダッシュは、下半身のスタビライザー筋群を鍛えるのに最適……!
完璧なトレーニング環境じゃないか!』
力也が内心で合宿のメリットを高速演算していると、廊下からズカズカと教室に入ってくる二つの影があった。
御子柴蓮と、結城翔太である。
「待て、くるみ! 君をこんな野蛮な筋肉バカと、お泊まり合宿などに行かせるわけにはいかない!」
御子柴が、銀縁眼鏡を押し上げながら悲壮な顔で叫ぶ。
「そうですわよ、御子柴くん! だから貴方や結城くん、それに鈴木さんたちも『監視役』としてお誘いするんじゃないですか!」
くるみはちゃっかりと、自分と力也の二人きりだと親(と学校)の許可が下りないことを見越して、大所帯でのグループ合宿を計画していたのだ。
「なるほど、そういうことなら僕も行こう。……中山力也、二泊三日も同じ屋根の下で過ごせば、必ずお前のその『化けの皮』を剥がしてみせるからな!」
結城が不敵な笑みを浮かべて力也を指差した。
「力也くん! もちろん俺も行きますよ! 砂浜でのスクワット、一緒にやりましょう!」
「お、俺も行こうかな……クーラーの効いた部屋でゲームしててもいいなら……」
小鳥遊と星野もノリノリで参加を表明する。
どうやら、いつものメンバーでの夏期合宿が、くるみの強引な手引きによって決定しそうになっていた。
***
「……ちょっと待って。私も行くわよ」
騒がしい教室の中で、ひときわ冷たく、静かな声が響いた。
神崎凛である。
凛は自分の席から立ち上がると、ゆっくりとした足取りで力也の隣へとやってきた。
そして、くるみを涼しげな目で見下ろす。
「あら、神崎さん。貴女もおいでになりますの? 筋肉のことなんて何も分からないくせに」
くるみが露骨に敵意を向けるが、凛はふわりと蠱惑的な笑みを浮かべた。
「ええ。力也くんの筋肉の『管理者』として、長期間の合宿に付き添わないわけにはいかないでしょ?
……素人の白鳥さんが、また力也くんの筋肉を分解するようなご飯を出したら困るもの」
「なっ……! キィィィッ! 言わせておけば!」
バチバチと火花を散らす凛とくるみ。
その様子を見ていた太田先生が、慌ててパンッと手を叩いた。
「こ、こらこら君たち! 勝手に合宿なんて決めて!
いいか、行くなら必ず親の『承諾書』をもらってくること! それと、さっきも言った通り、絶対に不純異性交遊はしないこと!!
先生は信じてるからな!」
こうして、秀英学園の面々の、波乱に満ちた二泊三日の夏期合宿が幕を開けることとなった。
***
その日の夜。
学生寮の力也の部屋では、合宿に向けた緻密なパッキング作業が行われていた。
『二泊三日、計6食。
砂浜での高負荷トレーニングによる消費カロリーの増加を考慮し、基礎代謝と活動代謝の合計から必要なタンパク質量を逆算する。
……よし、プロテインパウダーは$800\mathrm{g}$。BCAAは$150\mathrm{g}$。マルトデキストリン(糖質)も多めに持っていくか。
これをすべて、怪しまれないように「筋肉バカの過剰な荷物」として偽装する』
力也の脳内スーパーコンピュータは、極めて真剣に「完璧な筋肉合宿」の栄養素を割り出していた。
一方、その頃。
同じ寮の女子フロアにある、凛の部屋。
凛はベッドに寝転がりながら、スマートフォンを耳に当てていた。
実家の母親との通話である。
「ええ、お母さん。明日から二泊三日で、お友達の別荘へ行ってくるわ。ええ、親の承諾書が必要なの」
『珍しいわね、凛がそんなふうに大勢で遊びに行くなんて。男の子もいるんでしょう? 大丈夫なの?』
電話の向こうから心配そうな声が聞こえるが、凛の表情はどこまでも冷静だった。
「大丈夫よ。……ちょっと、私がしっかり『監視』しておかないと、すぐに周りを巻き込んで無茶をするバカな子がいるの。
私が目を光らせておかないと、何をしでかすか分からないから」
『あらあら。凛がそんなに世話を焼くなんて、ひょっとして好きな子なの?』
母親のからかうような言葉に、凛はピタリと動きを止めた。
涼しげな瞳の奥で、チリチリとした熱いものが揺れる。
「……違うわ。ただの、筋肉しか頭にないバカよ。
でも……あの子の秘密を知ってるのは、私だけだから。他の子に好き勝手させるわけにはいかないの」
凛の言葉には、確かな独占欲が滲み出ていた。
電話を切り、凛は画面に映る承諾書の画像を見つめた。 そして、クローゼットを開け、明日持っていく水着を引っ張り出す。
『……白鳥くるみ。随分と気合が入ってるみたいだけど。
力也くんの隣は、誰にも譲る気はないから』
凛は、自分の選んだ少し大胆なデザインの水着を胸に当て、鏡の前でふふっと小悪魔のように微笑んだ。
***
翌朝。
寮のロビーで、巨大なスポーツバッグ(中身のほとんどはプロテインとサプリメント)を背負った力也が待っていると、カツカツと軽い足音が近づいてきた。
「おはよう、力也くん」
「おう、凛! 随分と荷物が少ないな。筋肉のケア用品はちゃんと持ったか?」
力也が尋ねると、凛はキャリーケースを片手に、少しだけ上目遣いで力也を見上げた。
「私のケア用品は、力也くんには必要ないものばかりだから。
……ねえ、力也くんは、海に行ったらやっぱり『筋肉』しか見ないの?」
「当たり前だ! ビーチには、鍛え抜かれた肉体が集まる! 他の奴らの筋肉の仕上がりをチェックするのは、ビルダーとしての礼儀だからな!」
力也が豪語すると、凛は少しだけ拗ねたように唇を尖らせた。
「ふーん。……じゃあ、私の水着姿なんて、どうでもいいんだ」
「え?」
凛は力也の顔にスッと近づき、微かなシャンプーの香りを漂わせながら、耳元で囁いた。
「もし、私が他の男の子に見とれられちゃっても……力也くんは『筋肉』しか見てないから、助けてくれないんだね。
……ちょっと、寂しいかも」
「なっ……!?」
『!! 水着という男性心理の揺さぶりと、庇護欲を煽る言葉のコンボ! この絶妙な距離感と声のトーン……俺の脳内コンピュータの論理回路に、直接エラーを叩き込んできやがる!』
力也が完全にフリーズして顔を赤くしていると、凛は「あはっ」と楽しそうに笑い、パッと距離を取った。
「冗談よ。……でも、少しは『筋肉以外』のものにも、目を向けてよね。共犯者くん」
凛はそう言い残し、キャリーケースを引いて先へと歩き出した。
残された力也は、「……合宿が始まる前から、俺の心拍数は限界突破しそうだぜ」と冷や汗を拭い、巨大なバッグを背負い直して、慌てて凛の後を追うのだった。




