第23話:抜き打ちロッカー検査と差し替えられたラブレター
一学期も残りわずかとなり、秀英学園の生徒たちはまもなく訪れる夏休みに向けて、どこかソワソワとした空気に包まれていた。
しかし、そんな浮ついた雰囲気を一刀両断するような号令が、一年A組の教室に響き渡った。
「席につけ! これより、夏休み前の抜き打ち生活指導、およびロッカーの持ち物検査を実施する!!」
教室のドアをバンッと開け放ち、威圧的な声を上げたのは、生活指導担当の鬼頭先生だった。
担任の太田先生がその後ろで「皆、協力してね……」と小さくなっている。
「げっ……マジかよ。俺、昨日買ったゲームソフト入れっぱなしだ……」
寮生でゲーマーの星野海斗が、青ざめた顔で頭を抱えた。
「大丈夫ですよ星野くん! いざとなったら俺が身代わりになって、プロテインの粉の中にゲームを隠しますから!」
「いや、余計に怒られるだろそれ!」
小鳥遊健太が頓珍漢な励ましをしている横で、中山力也は自身の席に座ったまま、顔面を蒼白にしていた(※ただし、日焼けした肌と筋肉のおかげで周囲にはバレていない)。
『まずい……! 最悪のタイミングだ!』
力也の脳内スーパーコンピュータが、自身のロッカーの中身を瞬時にリストアップし、致命的なエラーを弾き出す。
『俺のロッカーの奥には現在、暇つぶしのために持ち込んでいた海外の専門書……『非線形動力学とカオス理論』の分厚い原書が入っている!
あんな英語の数式だらけの学術書を「筋肉バカ」の俺が持っていると知られれば、これまで積み上げてきた完璧な偽装がすべて水泡に帰す!』
「さあ、出席番号順にロッカーを開けろ! 怪しいものがないか、私が直接確認する!」
鬼頭先生の厳しいチェックが始まった。
一人、また一人と検査が進み、ついに力也のロッカーの順番が目前に迫る。
『時間がない……! 隠すか? いや、鬼頭の目は誤魔化せない。ならば……!』
力也は鞄の中に手を入れると、部活用の「テーピング用テープ」をむんずと掴み出した。
「お次! 中山力也、ロッカーを開けろ!」
鬼頭先生が力也の前に立つ。
隣では、星野と小鳥遊が固唾を飲んで見守っている。
「押忍!!」
力也は勢いよくロッカーを開けた。
一番手前には、体操着とプロテインの巨大なボトル。そしてその奥に、黒い装丁の分厚い洋書が鎮座していた。
「ん……? 中山、その後ろにある分厚い本はなんだ? お前が読書とは珍しいな。見せてみろ」
鬼頭先生が手を伸ばそうとした、その瞬間。
「ハッハッハ! 先生、これは『本』などというヤワな代物ではありません!」
シュルルルルッ!! バリバリバリッ!!
力也は目にも止まらぬ速さで洋書をひったくると、手に持っていたテーピング用のテープを、本に対してグルグルと無造作に、かつ強烈な力で巻き付け始めた。
「な、何をしている中山!?」
「力也くん!? それ、英語がいっぱい書いてある難しそうな本じゃ……!?」
星野が驚きの声を上げるが、力也の顔に一切の動揺はない。
数秒後、力也の手の中には、テーピングでぐるぐる巻きにされ、もはや何の本だか完全に判別不能になった「白い長方形の塊」が握られていた。
「見よ! これこそが、俺が独自に開発した『ピンチ力(指先でつまむ力)強化用・特製ブロック』です!!」
力也は、テーピングでカチカチになった洋書を、親指と人差し指だけで力強くつまみ上げ、鬼頭先生の目の前に突き出した。
「この絶妙な厚み! そして約800ページ分の重量感!
これをこうして指先だけで保持することにより、前腕の筋群に強烈なパンプアップをもたらすのです!
本? 英語? 違います、これはただの『ダンベルのグリップ』です!!」
『完璧な言い逃れだ……! テーピングで表紙のタイトルを完全に隠滅し、物理的な「質量」という事実のみを抽出して筋肉の文脈に落とし込んだ! 俺の圧倒的な発想力と反射神経に隙はない!』
鬼頭先生は、目の前で嬉々として白い塊をつまむ力也を見て、呆れたようにため息をついた。
「……お前の筋肉への執念には恐れ入る。だが、学校にトレーニング機材を持ち込むのは感心せんな。没収はしないが、持ち帰っておけ」
「押忍! ありがとうございます!!」
「さすが力也くん! どんなものでも筋肉の肥やしにしちゃうなんて、究極のストイックさです!」
「あ、ああ……本にしか見えなかったけど、俺の気のせいだったか……」
小鳥遊が感動の涙を流し、星野が首を傾げる中、力也は内心で安堵の冷や汗を拭っていた。
『ふぅ……なんとか乗り切った。俺の愛読書がテーピングまみれになったのは痛手だが、平穏な高校生活には代えられない』
***
抜き打ち検査が無事に終わり、放課後。
一年A組の教室から人がまばらになった頃、廊下からこっそりと教室を覗き込む影があった。
一年C組の白鳥くるみである。
「よし……誰もいませんわね」
くるみは周囲を警戒しながら、A組の後方にある力也のロッカーへと忍び足で近づいた。
彼女の胸には、ピンク色の可愛らしい封筒がしっかりと抱きしめられている。
『力也様……。あの台風の日の朝、わたくしをそのたくましい大胸筋で受け止めてくださってから、わたくしの心は力也様の筋肉の虜ですわ』
くるみはうっとりと目を閉じ、頬を染めた。
これまで「知的な男性こそ至高」と信じてきた彼女の価値観は、力也の圧倒的な(ように見える)野性味とパワーによって完全に粉砕されていた。
『力也様はきっと、女の子からの手紙なんて読み慣れていらっしゃらないはず。
だからこそ、わたくしのこの溢れんばかりのポエムと愛の言葉で、その純粋な心をわたくしのものにしてみせますわ!』
くるみはロッカーの隙間から、ピンク色の封筒をスッと差し込んだ。
「ふふっ。明日、これを見つけた力也様がどんな顔をなさるか……楽しみですわ!」
くるみは自身の完璧な作戦に酔いしれながら、足取り軽く教室を後にした。
***
しかし。
くるみが去った直後、教室の掃除用具入れの陰から、静かに、そしてスッと一人の少女が姿を現した。
神崎凛である。
「……随分と、古典的なアプローチね」
凛は涼しげな瞳を細め、無表情のまま力也のロッカーへと歩み寄った。
そして、ためらうことなくロッカーを開け(力也は鍵をかけるという概念がないため、簡単に開いた)、ピンク色の封筒を摘み出した。
『……白鳥くるみ。最近、力也くんの周りをチョロチョロと嗅ぎ回ってると思ったら。
手紙で呼び出して、告白でもするつもり?』
凛の胸の奥で、チリチリと黒い炎が燃え上がる。
力也のあの「計算し尽くされた筋肉バカ」という芸術的な偽装を一番近くで楽しむことができるのは、共犯者である自分だけだ。
他の女の子が、あんな甘い手紙で力也の心を揺さぶるなど、断じて許されることではない。
「力也くんの筋肉の『管理者』として、こんな恋愛感情という不要なドーパミンを分泌させるものは、排除しなくちゃね」
凛は冷酷な笑みを浮かべると、ピンクの封筒を自身の鞄の中に放り込んだ。
『でも、ただ手紙を無くすだけじゃ面白くない。
……彼には、もっと彼の「キャラクター」に相応しいものをプレゼントしてあげないと』
凛は自分のノートを破り、ペンを取り出した。
そして、彼女自身の優秀な頭脳をフル回転させ、あるものを書き連ねていく。
『……よし。大殿筋とハムストリングスを極限まで追い込む、スポーツ医学に基づいた完璧な超高負荷メニュー。
これなら、あの筋肉バカも大喜びで飛びつくはずよ』
凛は書き上げたその「地獄の筋トレメニュー」の紙を綺麗に折りたたみ、力也のロッカーへと滑り込ませた。
「ふふっ。頑張ってね、力也くん」
凛は、自分の小悪魔的な暗躍に満足し、微かなシャンプーの香りを残して教室を去っていった。
***
翌朝。
「おはようございます、力也くん!」
「おう! 健太、今日も朝からプロテインが美味いな!」
登校してきた力也と小鳥遊が、連れ立ってロッカーを開けた。
その瞬間。
ヒラリ。
力也のロッカーから、一枚の折りたたまれた紙が落ちた。
「ん? なんだこりゃ」
力也が紙を拾い上げる。
「えっ!? 力也くん、それって……もしかしてラブレターじゃないですか!?」
小鳥遊が目を輝かせて覗き込んでくる。
その声に反応し、教室の後ろのドアの陰に隠れていたくるみが、「来ましたわ!」と心の中でガッツポーズを決めた。
「ラ、ラブレターだと? 俺の筋肉に惚れた女からの挑戦状か!?」
力也が豪快に笑いながら紙を開く。
しかし、その紙に書かれていた内容を見た瞬間、力也の脳内スーパーコンピュータは激しい処理落ちを起こした。
『な……なんだこれは!?
《バーベルスクワット(自重の1.5倍)10回×5セット、インターバル45秒》
《ブルガリアンスクワット 限界まで×3セット》
《ルーマニアンデッドリフト……》
生化学と解剖学に裏打ちされた、下半身の筋肉を完膚なきまでに破壊するための、狂気のオーバーロード・プログラム!?』
力也の顔が引きつる。
「おおおおっ!? なんだかすごい数字がいっぱい並んでますね! 筋肉への愛のポエムですか!?」
「あ、ああ……そうだな……。誰かは知らんが、俺の脚の筋肉の弱点を的確に見抜いた、恐ろしく理詰めの……愛の告白だぜ……」
力也は、あまりのメニューの過酷さに冷や汗を流しながらも、キャラを保つために「最高に燃えてきたぜ!」と叫んでみせた。
「え……?」
ドアの陰でその様子を見ていたくるみは、完全に思考が停止していた。
『ど、どういうことですの!? わたくしの愛と情熱を込めたロマンチックなポエムが、どうしてスクワットの回数に変換されているんですの!?
力也様の脳内では、恋文すらも筋肉の言語に翻訳されてしまうというの……!?』
くるみは、自分のラブレターが「地獄の筋トレメニュー」にすり替えられたことなど露知らず、力也の底知れぬ(と勘違いした)筋肉至上主義に、ただただ戦慄するしかなかった。
「……おはよう、力也くん。随分と朝から嬉しそうだね?」
そこへ、凛が涼しい顔をして登校してきた。
彼女の目は、力也の持っている紙切れをチラリと見て、微かに悪戯っぽく細められている。
「あ、ああ凛。なんだか俺の筋肉を熟知した挑戦状が届いてな……。今日の放課後は、足の筋肉が千切れるまでスクワットをやらされそうだ」
力也が引きつった笑顔で答えると、凛はふわりと微笑んだ。
「へえ、良かったじゃない。
……手を抜いたらダメだからね? 私がしっかり、回数を数えて監視してあげるから」
「お、おう……頼む」
『どうしてこいつは、俺の筋トレの回数を数えるのが、こんなに楽しそうなんだ……?』
力也は全く状況が飲み込めないまま、共犯者からの絶対的な「監視」のもと、迫り来る放課後の地獄のトレーニングに恐怖の汗を流すのだった。
教室の片隅では、くるみが「わたくしのポエムが……スクワットに……」と膝から崩れ落ち、ハンカチを噛み締めていた。




