第22話:期末テストの隠蔽工作と赤点回避理論
一学期の期末テストが終わり、秀英学園はまもなく訪れる夏休みの気配に少しずつ浮き足立っていた。
しかし、一年A組の担任である太田先生の顔色は、梅雨空のようにどんよりと曇っていた。
放課後の誰もいない進路指導室。
太田は、手元にある一枚の成績表と、目の前にそびえ立つ筋肉の塊――中山力也を交互に見比べ、震える声で口を開いた。
「な、中山くん……これは、一体どういうことなんだね!? 中間テストの時もそうだったが……!」
「どういうこと、とは?」
「君の期末テストの点数だよ! 現代文、数学、英語、物理、化学、日本史……またしても全科目で、100点満点じゃないか!
学力特待生の結城くんすら超えて、ぶっちぎりの学年トップだぞ!」
太田が半泣きになりながら成績表をバンッと叩く。
対する力也は、腕を組み、目を閉じて深く息を吐いた。
『……またやってしまった。
中間考査での反省を活かし、今回は適度に間違えて平均点付近に着地する計画だった。
しかし、テスト用紙に向かった瞬間……出題者の意図の浅さと数式の美しさに、俺の脳内スーパーコンピュータが歓喜のあまり暴走してしまった。
気がつけば、全ての解答欄を完璧な最適解で埋め尽くしていたというわけだ』
自分の異常な知性を隠蔽するという目的において、これは二度目の致命的なミスである。
だが、力也にはすでに中間テストの時に用いた「理論」のアップデート版が用意されていた。
「太田先生。中間テストの時にも申し上げましたが、その成績表をそのまま掲示板に貼り出せば、学園の生態系は崩壊しますよ」
「ま、また生態系の話かね……!?」
「俺はスポーツ推薦で入学した、ただの筋肉を愛する男です。
そんな俺が二度も連続で全科目満点を取ったと知れれば、日々勉学に励む一般生徒たちのアイデンティティは完全に粉砕され、学園全体のモチベーション低下という深刻な事態を招くでしょう」
「そ、それはそうかもしれないが……二度も事実を捻じ曲げるわけには……!」
力也はゆっくりと目を開き、太田に一歩近づいた。
見下ろすような形になり、巨大な大胸筋のプレッシャーが太田にのしかかる。
「そこで、今回も提案です。
『個人情報保護法』の観点、ならびに『スポーツ推薦枠における特例カリキュラムの適用』という学園の規約の拡大解釈を用いれば、俺の成績を再び『評価対象外』として非公開にすることは法的に十分可能です。むしろ、前例がある以上、今回も適用するのが自然な流れというもの」
「えっ? ほ、法的に……またそれを使うのかね……?」
「俺の成績を隠蔽しろと言っているわけではありません。 ただ、俺の名前を『スポーツ枠特例のため順位除外』として処理するだけで、生徒たちの平穏は守られ、先生のクラス運営も円滑に進む。 ……ウィンウィンの関係だと思いませんか? それとも、俺の筋肉に学園の秩序が破壊されるのを見過ごすおつもりで?」
「ひっ……わ、わかった! わかったよ中山くん! 今回も君の順位は非公開という措置をとろう!」
太田は、力也から発せられる謎の法的説得力と物理的な圧に完全に屈服し、またしても白旗を揚げた。
『よし、論破完了。これで俺の脳筋キャラは守られた』
力也は内心でガッツポーズを決め、「賢明な判断に感謝します」と爽やかに進路指導室を後にした。
***
翌日。
廊下に貼り出された期末テストの成績上位者掲示板の前は、生徒たちでごった返していた。
「1位、結城翔太。2位、神崎凛。3位、御子柴蓮……か」
結城が自分の名前を確認し、満足げに眼鏡を押し上げる。
隣にいる御子柴も、「君には一歩及ばなかったよ、結城」と知的な笑みを浮かべていた。
そこへ、プロテインシェイカーを振りながら力也が通りかかった。
「おっ、お前ら順位の確認か? 脳細胞のパンプアップも順調みたいだな!」
力也が豪快に笑いかけると、結城と御子柴は鋭い視線で力也を睨みつけた。
「ふざけるな、中山力也。……中間テストの時もそうだったが、僕らは知っているんだぞ」
結城が声を潜め、力也に詰め寄る。
「職員室で奇妙な噂を聞いた。……お前が、今回も全科目で満点を取ったという噂をな!」
「なんだって!?」
周囲にいた生徒たちがざわめく。
「太田先生が『中山くんの成績は今回も特例で除外した』と漏らしていたのを、この僕の耳は聞き逃さなかった! さあ、白状しろ! お前のその筋肉の裏には、恐ろしいほどの計算能力が隠されているんだ!」
御子柴も結城に加勢し、完全に力也を追い詰める構えを見せた。
『チッ……あのメタボ教師、相変わらず口が軽すぎるだろ。
だが、ここで少しでも動揺を見せれば、俺の高校生活は完全に崩壊する!』
力也の脳細胞がフル回転し、瞬時に絶妙なカウンター理論を構築した。
「はっはっは! 満点だと!? 冗談は休み休み言え!」
力也は掲示板をバンッと叩き、教室中に響き渡る声で高笑いした。
「いいか、インテリども! テストで100点を取るためには、脳に大量のブドウ糖を送り込まねばならん!
だが、それは筋肉の合成に必要なカロリーを無駄に消費する行為だ!」
「な……何を言っているんだ……?」
結城が呆気にとられる中、力也はさらに熱弁を振るう。
「スポーツ推薦で入学した俺は、赤点(30点)さえ回避すれば、留年することなく大好きな部活に打ち込める! つまり、テストは『30点』を取るのが最もエネルギー効率が良く、残りの70点分のカロリーをすべてベンチプレスに回せる! これが俺の編み出した『赤点回避・カロリー保存の法則』だ!!」
「っ……!?」
「俺が100点などという、筋肉に対する冒涜的な点数を取るはずがないだろうが!
特例で除外されたのは、俺が『赤点ギリギリを攻めすぎて、採点基準のバグを引き起こした』からに決まってるだろ!!」
力也の放った、もはや狂気とも言える独自の理論。
「ば、バカな……! 70点分のカロリーをベンチプレスに……!?」
「論理が……論理が筋肉のブラックホールに吸い込まれていく……っ!」
結城と御子柴は、頭を抱えてその場にしゃがみ込んでしまった。
彼らの優秀な頭脳では、力也のあまりにも強引な「赤点回避理論」を処理しきれなかったのだ。
「さすが力也様ですわーっ!! 勉強のカロリーすら筋肉に変換するなんて、究極の効率主義!!」
野次馬の中にいた白鳥くるみが、目をハートにして歓声を上げている。
『ふぅ……なんとか押し切ったな。やはり筋肉を盾にすれば、大抵の論理は破綻させられる』
力也は安堵の息を吐きながら、「俺は今から大胸筋と語り合う時間だからな!」と、颯爽とその場を立ち去った。
***
放課後。
力也は、静まり返った図書室の奥、一番人目につかない書架の陰で、難解な海外の物理学専門書を広げていた。
『ふむ……超弦理論における余剰次元のコンパクト化についてだが……』
先ほどの狂気的な振る舞いが嘘のように、極めて知的な表情で数式を追う力也。
ここは彼にとって、唯一「素の自分」に戻れるオアシスだった。
しかし。
スッ……。
力也の読んでいた分厚い専門書の上に、細くて白い手が突然置かれた。
「……!」
ビクッとして見上げると、そこには、いつの間にか音もなく近づいていた神崎凛が、涼しげな笑みを浮かべて立っていた。
「奇妙な噂を聞いたわよ? 力也くん」
凛は声を潜め、力也の座る椅子の背もたれに手をかけた。
「……中間テストに続いて、期末も全科目満点、なんだって?」
『また俺をからかって動揺させるつもりか?いい加減悔しくなってきたが、どうも勝てるイメージが湧かない……』
力也の背中に冷や汗が流れる。
自分が天才であることはすでにバレている。だからこそ、「また目立ってしまったこと」に対する共犯者からの強烈なイジりが来ることは明白だった。
力也が言い訳をしようと立ち上がろうとした、その瞬間。
凛は素早い動きで力也の肩をグイッと押し込み、彼を再び椅子に座らせた。
そして、そのまま流れるような動作で自分も隣の椅子を引き寄せ、力也の太ももの上に、ポンッと自分の頭を乗せた。
「なっ……!? り、凛!?」
「しーっ。図書室ではお静かに」
凛は力也の膝の上に頭を乗せたまま(いわゆる膝枕の状態)、悪戯っぽく微笑んで力也を見上げた。
力也が慌てて身を引こうとするが、凛は両手で力也の太い腕をガッチリとホールドしており、逃げられない。
力任せに振り払えば凛に怪我をさせてしまうため、力也は完全に身動きが取れなくなっていた。
「な、何をしてるんだ、お前は……!」
「満点のお祝いよ。……それとも、『罰ゲーム』って言った方がいいかな?」
凛は力也の膝の上で少しだけ体勢を変え、甘いシャンプーの香りを力也の鼻腔へと送り込んだ。
力也の心拍数が、筋肉のトレーニング中よりも激しく跳ね上がる。
「中間テストの時にあれだけ隠蔽工作に苦労したのに、また完璧な点数を取っちゃうなんて。……本当に学習能力がないんだね、力也くんは」
凛の指先が、力也の腕の筋肉をツンツンと小突く。
「結城くんたちにはあんなトンデモ理論で誤魔化してたけど……私には最初から隠す必要ないでしょ? ……どう? 自分の一番の秘密を知ってる女の子に膝枕させられて、逃げられない気分は」
「っ……!」
凛の上目遣いと、膝から伝わる彼女の体温、そして柔らかい感触。 力也の脳内スーパーコンピュータは、この極度に甘く危険な物理的接触に対する最適解を導き出せず、完全にフリーズしていた。
「……顔、真っ赤だよ? 筋肉の計算は完璧なのに、こういうのは全然ダメなんだね」
凛はクスクスと笑いながら、力也のシャツの裾をキュッと軽く握りしめた。
「これからも、その『天才な頭脳』が暴走しちゃった時は……私にだけは正直に報告すること。
もし黙ってたら……もっとひどいお仕置き、しちゃうから」
図書室の奥深くの密室。
力也は、己の完璧な頭脳が、この小悪魔な共犯者の甘い手口の前では何の意味もなさないことを痛感しながら、ただ顔を赤くして沈黙するしかなかった。




