第2話:波乱の新入生歓迎会とヒロインの看破
入学式から数日が経った夜。
秀英学園の学生寮にある広い食堂兼談話室に新入生の寮生たちが集められていた。
新入生歓迎会という名目ではあるが雰囲気はまるでお通夜のように重苦しい。
正面に立つ三年生の寮長である東雲宗谷が分厚いファイルを机に叩きつけたからだ。
「いいか新入生ども、この秀英学園学生寮において寮則は絶対だ」
東雲は神経質そうに銀縁メガネを中指で押し上げた。
「門限は午後八時、消灯は午後十時厳守、破った者には連帯責任としてペナルティを与える」
厳しい表情と冷たい声色に新入生はすっかり怯えきっていた。
(くくく、典型的なルール絶対主義の堅物メガネだな)
力也はパイプ椅子に深く腰掛けながら内心で邪悪な笑みを浮かべていた。
(こういう真面目ぶった奴の脳を破壊するのが一番快感なんだよな)
シャカシャカシャカシャカ。
静まり返った談話室に突如として軽快な音が鳴り響いた。
全員の視線が一番後ろの席に座る力也へと集中する。
力也は真剣な表情でプロテインシェイカーを激しく振っていた。
「おいそこの一年生、私の話を聞いているのか」
東雲の額に青筋が浮かんだ。
「聞いていますよ先輩、ただ上腕二頭筋がタンパク質を急かしているもので」
「ふざけるな、ここは神聖な歓迎会の場だぞ」
力也はプロテインを一気に飲み干すと大きく息を吐き出して立ち上がった。
制服のシャツ越しでも分かる異常なまでの胸板の厚さに東雲の言葉が少し詰まる。
「先輩、その寮則マニュアルについて一つ質問があります」
「なんだ、言ってみろ」
「消灯時間が午後十時というのは筋肉の成長において極めて重大な阻害要因です」
「はあ?」
東雲は力也が何を言っているのか理解できず間の抜けた声を出した。
力也は堂々とした態度で一歩前に出た。
「筋肉の超回復には良質な睡眠が必要不可欠ですが十時消灯では副交感神経への切り替えが間に合わず成長ホルモンの分泌ピークを逃してしまいます」
「お前の筋肉の都合など知るか、寮則は絶対だと何度言えば分かる」
(よし、ここからが本番だ。論理と筋肉の挟み撃ちを見せてやる)
力也はわざとらしく大胸筋をピクピクと動かしながら東雲を真っ直ぐに見据えた。
「俺が入寮の契約書にサインした時点ではその分厚い寮則マニュアルの提示はありませんでした」
「それがどうした」
「消費者契約法における不利益事実の不告知、あるいは民法上の錯誤にあたる可能性を大胸筋が示唆しています」
「は?」
「つまり、俺の筋トレ時間に関わる重要なルールを事前に開示せず、後出しで押し付ける契約は無効であると俺の筋肉が怒っているのです」
談話室の空気が完全に凍りついた。
小鳥遊たちは力也が先輩に反抗していることに怯えつつもその言葉の難解さに首を傾げている。
東雲は脳内で力也の言葉を反芻しそれが法的に極めて正論であることに気づいてしまった。
「な、何を言っているんだお前は、筋肉が法律を語るわけがないだろう」
「語りますよ、筋肉は裏切りませんから」
力也は逞しい右腕を掲げて力こぶを作った。
「消灯時間を午後十一時に延長してください。さもなくば俺の広背筋が法的措置も辞さないと主張しています」
「くっ、わ、分かった、消灯時間は十一時に変更する、だが特例だからな」
東雲は論理的な反論ができず完全に敗走する形となった。
(あっはっは、チョロいな。筋肉の圧で押し切られたと思っているだろうが完全に論破されただけだぞ)
力也は内心で腹を抱えて笑いながら席に座り直した。
新入生たちからは恐れ知らずの勇者を見るような尊敬の眼差しが向けられていた。
歓迎会が終わり寮生たちがそれぞれの部屋へ戻っていく中力也は一人で一階の自動販売機に向かった。
勝利の美酒ならぬ勝利の炭酸水を買うためだ。
ボタンを押してペットボトルを取り出した時ふいに背後から声をかけられた。
「さっきの交渉、すごく鮮やかだったね」
振り返るとそこにいたのは同じ一年A組の女子生徒だった。
艶やかな黒髪と涼しげな目元が特徴的な美少女だ。
名前はたしか神崎凛といったはずだ。
「ああ、神崎か。君もこの寮だったんだな」
力也はいつも通りの脳筋スマイルを浮かべた。
「俺の筋肉の主張が先輩に届いただけさ。大胸筋の情熱は全てを凌駕するからな」
「ふふっ、本当にそうかな」
凛は自販機の薄明かりに照らされながら面白そうに微笑んだ。
「消費者契約法第四条第二項、不利益事実の不告知。それを筋肉のせいにして相手を煙に巻くなんてすごく意地悪だよね」
力也の心臓がドクンと大きく跳ねた。
(なっ、こいつ、俺の意図を完全に理解しているだと)
力也は表情に出さないよう必死に平常心を保った。
「何のことか分からないな。俺はただ筋肉の赴くままに」
「隠さなくてもいいよ、誰にも言わないから」
凛は力也に一歩近づき見上げるように目を細めた。
「力也くんって本当はすごく頭が良いのにわざと筋肉バカのフリをして周りをからかって楽しんでるんでしょ」
(完全に看破されている。入学早々最大のピンチじゃないか)
力也は内心の焦りを押し隠し低く落ち着いた声で返した。
「……もしそうだとしたら、君はどうするつもりだ」
「どうもしないよ。ただ……」
凛は力也の逞しい腕にそっと指先を這わせた。
「そういうイタズラ好きなところ、私嫌いじゃないよ。だからこれからも力也くんの面白い筋肉理論、一番近くで見させてね」
凛は小悪魔的な笑みを残し足早にその場を立ち去った。
残された力也は手元の炭酸水を握りしめたまましばらく動けなかった。
(くそっ、完全に主導権を握られた。だが……悪くない)
力也の口角が自然と吊り上がった。
ただの脳筋キャラを演じるだけの高校生活に予想外のスリルが加わったのだ。
「面白くなってきたじゃないか。俺の筋肉と知性のハイブリッドをどこまで見抜けるか勝負だ」
童〇が強がっているだけにしか見えないが、幸いにも目撃者は居なかった。




