第16話:神崎凛の観察記録と共犯者の特権
休日の午後、私は学生寮の自室でハーブティーを飲みながら窓の外を眺めていた。
思い出すのはいつも、あの規格外で嘘つきな同級生のことばかりだ。
「中山力也くん、本当に意地悪で面白い人」
私は誰に言うでもなく呟き、自然と頬を緩ませた。
(初めて彼がおかしいと気づいたのは、入寮してすぐの新入生歓迎会の夜だったわね)
東雲先輩が分厚い寮則マニュアルを押し付けてきた時、新入生は誰もが怯えていた。
でも彼だけは、プロテインを振りながら消費者契約法の概念を用いて先輩を完封してみせた。
しかも、その法的な正論を全て筋肉のせいにして。
(あの時の東雲先輩のバグった顔、傑作だったな)
私はその時から、彼の完璧な偽装を見破るというゲームに夢中になってしまった。
彼は自らを筋肉バカだと偽り、周囲を困惑させることに全力を注いでいる。
柔道の乱取りではテコの原理を使いこなし、調理実習ではメイラード反応を計算し、バレーボールでは流体力学を操る。
そしてその全てを、大胸筋の直感だの上腕二頭筋のバネだという出鱈目な理屈でコーティングしてしまうのだ。
真面目な委員長さんや熱血な体育の先生が、狂気と正論の板挟みになって頭を抱える姿を見るのは、確かに最高のエンターテインメントだった。
「でも、私だけは騙されないからね」
私はカップをテーブルに置き、楽しげにクスクスと笑った。
彼がどんなに筋肉のポエムを語っても、行動の端々に必ず真実が隠されている。
調理実習で火加減を見る時の秒針を追う視線。
バレーボールのサーブを打つ前の空調を確認する目の動き。
クラスメイトを不良から助けた時の、無駄を完全に省いた体捌きと全く乱れない呼吸。
(言葉で嘘をつけても、身体の反射や視線までは誤魔化せないものよ)
だから私は、彼が一人になったタイミングを見計らって、その嘘をそっと暴きに行くのだ。
彼がわずかに動揺し、言い訳を考えようと頭をフル回転させるあの数秒間が、私にとってたまらなく愛おしい時間だった。
みんなの前では堂々たる脳筋を演じているのに、私の前でだけは少し焦った素顔を見せてくれる。
その優越感と特別感が、私に甘い高揚感を与えていた。
(台風の夜の屋上で、ついに宣戦布告しちゃったしね)
彼の知性も筋肉も私が一番知っていると耳元で囁いた時の、彼の敗北感に満ちた、でもどこか楽しげな笑顔。
彼は観念したように笑い、私を共犯者として受け入れてくれた。
「さて、明日はどんな筋肉理論でみんなをバグらせてくれるのかな」
私はクローゼットを開け、明日彼に会う時につける香水を選び始めた。
完璧な頭脳を持った愛すべき筋肉バカとの知的な駆け引きは、まだまだ終わらない。




