第15話:台風の夜の密室劇と伝説の補強工事
夏休みが明けた九月、記録的な超大型台風が秀英学園の学生寮を直撃していた。
深夜、猛烈な暴風雨によって寮は停電し、寮生たちは懐中電灯を片手に一階の談話室へと避難してきていた。
「ひぃぃ、窓ガラスが割れそうだよぉ」
星野が怯えきった声で頭を抱えている。
寮長の東雲も懐中電灯の光を揺らしながら焦燥感を隠せずにいた。
「このまま風速が上がれば、一階の南側の窓ガラスが風圧に耐えきれずに吹き飛ぶぞ」
(くくく、真面目な寮長殿も自然の猛威の前では形無しだな)
力也は暗闇の中で密かに口角を吊り上げた。
(だが、俺の安眠を脅かすこの暴風雨は少々鬱陶しいな、よし、物理学の力でこの寮を要塞化してやろう)
力也は素早く立ち上がり、談話室の窓際へと向かった。
(現在の風速から推測する動圧と、窓ガラスの耐風圧性能、そしてベルヌーイの定理から負圧の発生箇所を特定する)
力也の脳内で瞬時に完璧な流体力学と構造力学の計算が完了した。
「みんな、段ボールとガムテープ、それに物干し竿を持ってこい」
力也は的確な指示を出し、自らも驚異的なスピードで作業を始めた。
ガラスの共振周波数を分散させるためにテープを特定の幾何学模様に貼り、段ボールを緩衝材として噛ませ、物干し竿で物理的な支柱を作る。
数分後、先ほどまで悲鳴を上げていた窓ガラスの揺れがピタリと収まった。
「す、すごい、あんなに揺れていたのに完全に固定されている」
東雲が驚愕の声を上げた。
「中山、お前は一体どうやってあの短時間で完璧な補強を思いついたんだ」
「決まっているだろう、先輩」
力也は暗闇の中で爽やかな脳筋スマイルを浮かべ、自身の大胸筋を叩いた。
「俺の筋肉たちが、この愛すべき寮を守りたいと激しく叫んだからだ」
「き、筋肉が叫んだだと」
「筋肉の危機察知能力は自然現象すら凌駕する、ただ筋肉の導くままに補強しただけのことだ」
東雲は完璧な応力計算に基づいた補強と、意味不明な筋肉理論のギャップに眩暈を覚えた。
「理屈は全く分からないが……お前のその筋肉のおかげで命拾いした、感謝する」
(あっはっは、いいぞ、命の恩人という事実が、理不尽な筋肉理論を強制的に肯定させているな)
力也は寮生たちから英雄のような眼差しを向けられながら、満足げに腕を組んだ。
翌朝、台風は過ぎ去り、台風一過の抜けるような青空が広がっていた。
力也は被害状況を確認するという名目で、誰もいない寮の屋上へと足を運んでいた。
(見事な快晴だ、昨夜の俺の物理演算も完璧だったな)
力也が清々しい気分で深呼吸をしていると、背後のドアが開く音がした。
「奇遇だね、力也くん」
振り返ると、少しだけ風に髪を揺らした神崎凛が楽しそうに微笑んでいた。
「神崎か、君も筋肉の息吹を感じに来たのか」
「ふふっ、相変わらずだね」
凛はゆっくりと歩み寄り、力也の隣に並んでフェンスから外の景色を眺めた。
「昨日の夜の補強、すごかったね」
「俺の広背筋が寮を守っただけだ」
「でも、力也くんがテープを貼る位置を指示した時、建物の図面とアプリの天気予報で風向きを確認してたの、私見逃さなかったよ」
力也の肩がピクリと動いた。
(暗闇とパニックの状況下で、俺のわずかな手元の動きから情報収集の痕跡を看破しただと)
「あんな極限状態でも瞬時に計算して寮のみんなを救っちゃうなんて、力也くんって本当に意地悪で……かっこいいよね」
凛はふわりと甘い香水を漂わせながら、力也の腕に自分の腕を絡ませてきた。
「なっ」
「力也くんの完璧な頭脳も、その嘘つきな筋肉も、私が一番知ってるからね」
凛は背伸びをして、力也の耳元で甘く囁いた。
力也は彼女の柔らかい感触と、知性を完全に暴かれているという敗北感、そしてそれ以上の心地よい高揚感に包まれていた。
(完璧な偽装を演じていたはずが、この恐ろしい女の手のひらの上で踊らされていたとはな)
力也は観念したように、小さく、しかし心底楽しげな笑い声を漏らした。
「……俺の筋肉の秘密を知ったからには、ただでは済まさないぞ」
「望むところだよ、力也くん」
青空の下、力也のイタズラと知的な駆け引きに満ちた高校生活は、最高の共犯者を得てさらに加速していくのだった。




