第10話:特待生の刺客と論理的プロテイン
中間考査の成績が掲示されてから数日後。
学園内では一つの奇妙な噂が流れていた。
力也が全教科で満点を取りながらも自ら名前の掲示を辞退したという突拍子もない噂である。
放課後の図書室で力也は分厚い解剖学の洋書を読んでいた。
そこにコツコツと嫌味な足音を立てて一人の男子生徒が近づいてきた。
「君が中山力也くんか」
「俺の筋肉に何か用かな」
「僕は一年B組の結城翔太、学力特待生としてこの学園に入学した者だ」
結城はインテリぶった細いフレームの眼鏡を押し上げ力也を鼻で笑った。
「君がテストで満点を取ったのに掲示を辞退したという非論理的な噂を聞いてね、スポーツ推薦組の君がそんな点数を取れるわけがない、おそらく自分の無学を隠すために虚勢を張っているのだろう」
(くくく、典型的な選民意識の塊みたいなエリート様のお出ましだ)
力也は内心で邪悪な笑みを浮かべつつ本を閉じた。
「虚勢ではないぞ、俺の脳細胞という名の筋肉が暴走した結果だ」
「ハッ、筋肉で勉強ができるなら苦労はしない、君の主張は論理学における『論点のすり替え』であり証明の責任を放棄している、知性が低い証拠だ」
結城は得意げにディベートの用語を使って力也を見下した。
(論理学でマウントを取ってきたか、よろしい、ならばその貧弱な論理を粉砕してやろう)
力也はゆっくりと立ち上がり結城を見下ろした。
「君こそ大胸筋への理解が足りないな、君のその発言は『人身攻撃の虚偽』であり論理的妥当性を欠いているぞ」
「なっ、なぜスポーツバカが論理学の用語を知っている」
「さらに言えば君の脳内におけるタンパク質の合成プロセスは極めて非効率的だ」
力也は結城に一歩にじり寄り分厚い胸板の威圧感を放った。
「細胞増殖を制御するエムトア経路において必須アミノ酸であるロイシンの血中濃度が不足している、その結果として神経伝達物質の分泌が滞り君の思考は極めて浅薄なステレオタイプに陥っているのだ」
「え、エムトア経路……ロイシン……」
「つまり君の論理が破綻しているのは脳の筋肉に良質なタンパク質が足りていないからだ」
結城の顔色が悪くなり後ずさりをした。
「ば、馬鹿な、完璧な論理学の指摘と高度な生化学の知識がなぜ筋肉の理屈に着地するんだ……意味が分からない」
「さあ、このプロテインバーを食べて脳のバルクアップを図りたまえ」
力也はポケットから取り出したプロテインバーを結城の胸ポケットに強引にねじ込んだ。
「ひぃっ……筋肉の圧と謎の理屈が怖い……」
結城はアイデンティティである知性を蹂躙され涙目になりながら図書室から逃げ出していった。
(あっはっは、頭でっかちの秀才が論理と筋肉の暴力でパニックになる姿は最高のエンターテインメントだな)
力也が満足げに席に座り直そうとした時だった。
「相変わらず容赦ないね」
本棚の陰からふわりと甘い香りを漂わせて神崎凛が姿を現した。
「神崎か、また俺の筋肉の指導を見学していたのか」
「うん、すごく面白かったよ」
凛は力也の向かいの席に座り楽しそうに頬杖をついた。
「人身攻撃の虚偽なんて論理学の専門用語を使いこなしちゃう筋肉なんて世界中探しても力也くんだけだよね」
力也の肩がピクリと動いた。
(こいつ、また俺の論理武装の的確さを指摘してきやがったか)
「俺の広背筋が相手の論理の矛盾を察知して反射的に口に出ただけだ」
「ふふっ、本当に嘘が下手だね」
凛は身を乗り出し力也の顔を至近距離から覗き込んだ。
「あんな風に特待生のエリート気取りを鮮やかに論破しちゃうなんて、力也くんって本当に意地悪で頭がいいよね」
力也は平常心を装い腕を組んだ。
「俺の頭を良くしているのは良質なタンパク質だ」
「そうなんだ」
凛は小悪魔的な笑みを浮かべ力也の制服の袖を軽く引っ張った。
「じゃあ、私の脳にもその論理的なプロテイン、ちょうだいよ」
凛の挑発的な瞳と甘い声に力也は一瞬だけ言葉に詰まった。
「……俺のプロテインは刺激が強すぎるぞ」
「期待してるね、力也くん」
凛はイタズラっぽくウインクを残し図書室から出て行った。
力也は静まり返った図書室で大きく息を吐き出した。
(完璧に論破したはずなのに、こいつのペースにはいつも巻き込まれてしまうな)
力也の口角は彼自身も気づかないうちに楽しげに吊り上がっていた。




