002
それから少しして。生徒全員が鐘の音で起床。朝食のために食堂に集まった。
僕もそのなかのひとりだけど、入場待ちの列に並ぶことはなかった。
「なにしてんだ! あんたはこっち! ったく、トロいねぇ!」
食堂で大量の食事を作る炊事士のおばちゃんに手を掴まれて、キッチンに連行された。昨日の夕飯もそうだった。説教を受けながら洗い物をさせられるのだ。
「今月入った奴隷のくせに、あたしらより遅く来るとは良い度胸だ! 罰として今日はメシ抜きだよ!」
「い、いや僕は………」
「言い訳するな! どうせ貧民街から売られてきた奴隷なんだろ? だったら働きな! 昼飯の仕込みもさせるからね。それにも遅れてきたら昼飯にもありつけないと思いな!」
理不尽だ。
厨房に入ってガミガミと怒鳴られる。他の炊事士は僕を睨むばかり。朝食を食べにきた生徒は僕を見て嘲笑っている。
………泣きたい。
『ひっでぇパワハラだな。コンプライアンスをフル無視しやがって。客の目の前で部下を叱りつける行為。罰と称して食事───この場合報酬の削減か。いいかエール。こういうのはな、許しちゃいけねぇ。とはいえ、コンプライアンスなんてもんはその時代、その国、その土地の風習なんてもので、どうにでも変わっちまうんだけどな。でも人権を無視するような言動を許してちゃ、なにも改善されねぇ。………この愉快なババァをどうにかして黙らせてぇな。うん。ちょっと試してみようか。頭のなかを空っぽにしな。青空をイメージするんだ。昨日はうまくいったから』
泣きそうになった僕にエー先輩が囁く。
それは悪魔の囁きに等しかった。エー先輩はすごく………悪そうなひとが浮かべる笑みをしていたから。きっと良からぬことを企てているのだろう。
けど僕はそれに従ってしまった。悲しくて、炊事士をあっと言わせたかったのもある。エー先輩が約束してくれた環境改善が現実になるならと、淡い期待を持っていた。
言われたとおり青空を思い浮かべる。故郷の広い畑で見上げる、どこまでも続いていそうな青空を。
すると『よっしゃ』と喜んだエー先輩は、僕のなかにスルンと侵入して───
「お、できた」
───僕の肉体のコントロールを得てしまったのだった。
もちろん僕の意識はある。けど体は動かない。まるで夢を見ているようだった。
「おい奴隷。なにができたって? 皿洗いはなにひとつとしてできてないじゃ───」
「うるせぇよ。いくらお前が愉快すぎるっつっても限度がある。キャンキャン喚くなよ。つい破滅させたくなる未来を与えたくなるだろ?」
「………ぁあ?」
な、なんてことを言うんだろう。
エー先輩は僕の体で悪罵を炸裂させる。
するとどうだろう。キッチンのボスたるおばさんが、顔に青筋を浮かべながら僕を睥睨した。怖くて泣きそうになる。でもそれは僕の意識で、肉体はそうではない。むしろ肉体のコントロール権を得たエー先輩から伝わるのは、愉悦。この状況をなぜか楽しんでいた。
「奴隷風情が、反論しようってかい」
「なにが奴隷だよ。生徒の顔さえわからねぇか? まぁ仕方ねぇわな。こんな姿してたら? 制服じゃないし。そりゃ奴隷にも見えるか。でもな、残念だけど俺は奴隷じゃない。ここの生徒だ。飯を食いに来たんだよ。だからもう行くぞ。文句があるなら、入学を許した学園長に言うんだな。じゃ」
「待ちな! あんたの言うとおり、それじゃあ奴隷にしか見えないじゃないか。その姿で生徒? 笑わせるんじゃないよ。逆に言ってみな。あんた、どうやってここの生徒だって証明するんだい?」
おばさんの言うとおりだ。生徒手帳とか、そういうものが支給されるなら話は別だけど、それは今日の講義の前で配布されることになっている。タイミングが悪すぎた。
だから今の僕には、僕がアスクノーツ学園の生徒であるという証明ができない。
「そうだなぁ。他の奴に証言してもらうってのはどうだ? で………もし証言が取れたら愉快な未来がお前に待ってるけど、いいよな? 仮にも生徒を奴隷扱いし、全校生徒の前で罵倒したんだ。人権剥奪と侮辱の罪は重いぞ?」
「上等だ小僧が! もしあんたがここの生徒だって証明できるなら、あたしはペンタリブル湖を泳いで10周してやるよ!」
「へぇ。東京ドームが400入りそうな巨大湖をねぇ。面白ぇ。全校生徒の前で言ったんだ。とぼけられねぇぞ」
「あんたこそ、証明できなかったら一生ここで奴隷として働いてもらうからね!」
「ああ。いいぜ」
すごい………僕にはない話術だ。
おばちゃんと論争した結果、なんと活路が見えてしまった。そして僕にも、頼れる宛ならある。この学園には僕の知り合いがいる。隣町の
けれどそれを伝えようとするも、うまく伝えられない。言葉に出せない。僕のなかにエー先輩が入ると、こうなってしまうのか。
エー先輩はキッチンを出て、ホールに悠然と足を踏み入れるのだった。
そして向かった先というのが───
この状態を憑依と言うのだと思う。俺はエードの肉体に入り、精神をコントロールできた。
なるほど。こいつはそういうチート能力を持っているんだなと感心する一方、一応チート扱いではあるけど、なんの役にも立たなさそうだと同情の念を禁じ得なかった。
この世界の仕組みは少しだけ知った。深夜に侵入した職員室に、開いたままの書類があった。俺は触れられないので目を落とすことしかできない。次のページを捲れないのがもどかしい。壁に貼られていた書面にも余すことなく目を通して、学園の伝統やルールを把握する。あとは注意事項とか。
そのなかのひとつに興味深いものがあった。
1年生の伝統行事とかいうの。1週間後に行われる御前試合。新入生ふたりが代表を務めて、先輩たちに技能をアピールするとか。
ひとりは決定していた。新入生主席のジェイスとかいう奴。インパクトを得るためには格好の生贄だ。
実力はある。そしてジェイスの実家というのが、これまた金の力で権力を買えるだけ買ったような胡散臭さがあり申し分ない。ジェイス自身も親の権力をファッションのように着飾って目立ちたいタイプだ。すぐに発見した。食堂の入り口の近くで、女子を無理矢理侍らせている馬鹿がいる。従わなければ親に言って退学させるぞとかほざいて脅迫したのだろう。見れば侍らせているのは平民出身の女子ばかりではないか。そりゃ逆らえないわな。
俺はどちらかといえば、こういう人種は大好きだ。殴っても少しも心が痛まない。駆除すれば周囲が喜ぶ。強がってみせたいお年頃だろうけど、だからって周囲に被害を与えてはいけないな。
「よう、おはようゴミクズ。朝から踏まれたい女たちを集めてご苦労なことだな。いくら尻に敷かれたい趣味があるからって、今からいじめてストレスを与える徹底ぶりには頭が下がるよ。ド変態の極みだな」
「………あ゛?」
こういう人種は扱いが楽だから助かる。皆無に等しい虚飾の尊厳を、便所掃除を終えたばかりのブラシで拭うように挑発してやればあら不思議。ジェイスは秒で俺が叩き売った喧嘩を買ってくれるんだな。
「気のせいか? ………下等生物が気安く俺に話しかけたような気がしたんだが………俺の勘違いか? なぁ、おい。そこの物乞いみてぇな形したネズミが。今のってまさか、この俺に言ったのか?」
「排泄物にしちゃ上等なお耳を持ってるんだな。そうだよ。今のはこの人間様が、排泄物が擬人化したみたいなお前に話しかけてやったんだ。感謝して頭下げな?」
「はは………マジでこいつなんなんだ? 面白えな。噂で聞いたんだが、貧民の特待生ってお前だろ。スキルスコアだけが俺以上とか? どんな奴かと思えば、この俺にマジで喧嘩売るとか………は、はは! 気に入ったぜぇ! 嬉しくてぶっ殺してやりてぇなあ!」
よし、乗った。いついかなる時代、どんな世界にも扱いやすい奴ってのはいるもんだ。そういう奴こそ話が早くて助かる。まるでハーモンを見ているようだ。どこか懐かしくなる。
「嬉しいからってはしゃぐなよ。その願いは来週叶えてやる」
「ぁあ?」
「御前試合だよ。お前、選手に選ばれたんだって? あとひとりは指名できるらしいじゃねぇか。俺にしとけよ。お前に敗北ってやつを教えてやるからさ」
「………くくく………ははは!」
ジェイスはなにが面白いのか、笑いまくっていた。
この感情の正体───そうか。嘲弄だ。
周囲の空気は凍り付いていたが、俺の発言でジェイスと同じように笑い声が混じり始める。
なるほど。馬鹿にされてるのか。そうかそうか。
じゃあ、嫌でも戦うって言わせてやらないとな。
ブクマありがとうございます!
このままでいくとエー先輩がただのヤベェ奴になってしまうのですが、ご安心ください。ただのヤベェ奴です。
ハーモンという人物については、前作をご覧いただくとわかると思いますので、上のシリーズのリンクから移動していただけると助かります!
皆様、私に力をください! 皆様のブクマ、評価、感想が私の動力となります。ある意味物乞いのようなものですがなりふり構ってはいられないのです!
次回は明日、更新します!




