011
「くっ!」
奇襲をかけた直後に背後を取ったエールは、なぜか反撃に出なかった。私を愚弄するか。と頭に血が昇りかけるが、ここで激昂するのは二流以下の仕事人だ。一瞬で思考を切り替えて冷静さを取り戻し、私はエールから距離を取る。
ところが、異変はそれで終わることはなかった。
エールは、私が距離を取ることを一切許さなかったのだ。
「んー。まぁ速い方なんだろうけどさ。それが全力なわけ? そんなはずねぇだろ? ほれ、もっと速く走りな。さもなきゃ俺を引き剥がすことはできないぞ」
「ば、馬鹿なあっ!」
取り乱すことこそ二流以下───と理解していながらも、これだ。
私は狼狽するだけでなく、声を上げてしまった。
エールはバックステップする私の背後に張り付いて、まったく同じ速度で移動していたのだ。
反転するもそこにはエールはいない。「こっちだぞー」と遊ぶような声が背後から聞こえて、また振り返るもエールはいない。
完全に見失った。かつてこんなことがあっただろうか。姿が見えないのに、声だけが聞こえるなど。
「怖いか? これ、案外効くんだよな。自分から見えないところに、それもすぐ近くに敵が張り付くことで、いつ襲われるのかわからないもんな。これをやると、大の大人でも決まって泣き喚く。でもお前は泣かないのか。大したもんだ」
「このクロウボマーでも追えないだと!?」
「発想が甘いんだよ。動物の力を得ただけで、お前らは他人より強くなったと勘違いしちまう。だからこうも簡単に追い詰められてしまう。これはお前の慢心が招いた結果だよ。俺も簡単に倒せると思ったんだろ? 残念だけど、これから倒されるのはお前だからな?」
なんなのだこの男は。
私の全力の疾走に合わせている?
軽微そうでも重厚な装甲がある、あの鎧でそれを可能にしていると? 馬鹿げている。そんなことがあってたまるか。
「えぇいっ! 鬱陶しい!」
「おっと。その手には乗らない」
私は旋回しながらクロウボマーの羽を撒き散らす。広範囲にて、私以外を焼き払う炎を展開した。
ところが、その爆炎に包まれるはずの影がなかった。
「回転しながら爆発する羽を撒き散らす。定番の攻撃モーションだな。でもその程度で俺は倒せない。攻撃したいなら、もっと工夫するんだな」
一瞬で私の間合いから離脱し、再び接近するエール。
炎を踏み倒すように私に迫るエールに、私はその姿に悪魔を重ねて見てしまった。これまでの敵とは、ターゲットとは明らかに異なる。私の本能は正しかったのだ。
この男に正面から立ち向かってはいけない。かつて一度だけ目にして、敗走することになった敵がいる。当主がウルスラ家専属になるよう圧力をかけたが一切応じなかったので、報復にために私を差し向けた。それは英雄だった。ソータという男だ。あの時の私は、特例で飛び級しアスクノーツ学園を卒業したソータなど、英雄と周囲に持て囃され、学園長をしているクランドがプロパガンダなどのために世に送り出した子供と思っていたが、奇襲を仕掛けた直後で悟った。この子供にはなにがあっても勝てないと。
そしてまさに、あの時の焦燥感が蘇っている。煮詰めて味が濃くなったスープのように、ドロッとした焦りが心を蝕み続ける。
目立ったところもない、ただの子供が、英雄と同格であると錯覚するほど追い詰められてしまった。ほんの数秒で。これを失態と言わずなんと言う。
「くっ! だがこちらも情報がないわけではない。知っているぞ。その鎧に武器は無いと!」
ジェイスと衝突する際に教員にそう申告していた。一方で私は、趣味ではないが使えるという理由で、クロウボマー専用のクローを腕から展開する。これは鎧を破壊するというよりも。装甲が薄い場所に突き刺したり、隙間に潜り込ませて本体を攻撃するための武器だった。腹に突き立てれば臓腑も貫く。
「前ならな。でもコンバージョンした、俺だけのタキオンは違う」
エールがなにかをする前にクローを突き立てて殺すしかない。右腕を上げたその時、私は合わせるように飛び出した。
「しね………っ!?」
「だから、遅えんだよ。なにもかもな」
両腕のクローが弾かれる。エールが右腕を一閃しただけで。
いや、新しい造形になったタキオンという鎧の右腕から、なにか突出している?
「なんだそれは」
「ヒートナイフ。リーチこそ短いけど、案外使えるんだぜ?」
両刃の赤い刃が、右腕から飛び出して、クローを溶断したのだ。
「炎の魔法を併用したというのか!」
「いいや? 俺、そういうのよくわからないし。それよりもどうしたよ、ノーディアスくぅん? さっきからビックリしてばっかで、俺を殺すと豪語した割には大したことねぇな。ああ、やっぱり人間ばっか相手にしてるから弱いのか? もしかして化け物と戦ったことない? そんなんで、よく鎧を纏えるもんだ」
「ほざけ! 私とてこの職を選ぶ前は鋼鉄騎士として各地で敵と戦っていた!」
「あ、そう。でも結果がこうじゃな。お前は逃げたんだよ。化け物との戦いから。楽な人間同士の殺し合いに足を踏み入れた。そんな奴が、俺に勝てるはずねぇだろうが!」
「くうっ!?」
タキオンの推進力は、敏捷力が問われる暗殺者としての私の倍以上はあった。
クローだけでなく装甲まで溶断されると、次は翼まで焼き切られてしまう。
普通なら、それで終わりだ。鎧を纏った騎士が、修復できなくなると敗北と断定される。先程のジェイスのように。
しかしこれはルール無用の殺し合い。ご法度は存在しない。
私はあえて素手のまま前に出た。
そして「お?」と興味深そうな顔をしているエールの顔面を掴む。
「対人戦を知らぬお前に教えてやる。スキルスコアの恐怖を!」
「毒手ってわけでもなさそうだし………いいぜ? やってみな」
「私の能力は、相手の闇を暴くこと。生きていようが死んでいようが、当主が知りたい事実を知ることができる。覚悟しろよ小僧。生者でこれを受けて、数秒と持ち堪えた者はいない! 自らの記憶に溺れて死ね!」
これが私の最後の手段だった。鎧が通用しない時、こうして不意をついて相手の記憶や認識を爆発させ、読み取りつつも、相手の自我を崩壊に導くのだ。あとは抜け殻となった相手の息の根を止めるだけだ。
だが………私が能力を受けたエールの記憶が私に流れてきた途端、ビクンと体を跳ねさせたのは………私の方だった。
「な、なんだ………なんなんだ。この記憶………漆黒の空………一面の漆黒。大地が、ない!? あ、ああぁ………銀色の………化け物!? 大きい………なんという巨大な………あ、あぁあ! あああああああ!」
「どうした? もっとよく味わえよ。まだ序盤だろうが」
なぜエールは平然としている? なぜ私がダメージを受ける?
こんなことは今までなかった。
理屈はわからないが、おそらくなんらかのスケールの違いが、この現象を起こしていると考察できる。私が知らない、どこかの場所で、エールは私が知る敵とは違う化け物と戦っていた。
それだけではない。エール………違う。これはエールの記憶ではない。別人の記憶だ。
「あぁう、あ! 腹に鉄が刺さって………あぐ、右腕が………頭が………ぁぁああああああ!! や、やめろ! なにをする!」
「逃がさねえよ馬鹿野郎。途中退場は許さねえ。どうやら一度使ったら中断できないみたいだし、どうせなんだから最後まで拝んでいけよ」
「うわ、ぁああああ! ああああああああ!!」
エールではない誰かが、私の右腕を掴んで顔に押し当てている。
なぜこの男は動くことができる? 平然としていられるんだ!?
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