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光を背負った王――戦場から始まる、王になるまでの物語  作者: RE:ANNE
第12章 光を編む日々

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第82話 〜残る光〜



 アルマー渓谷の測量を終えて部屋へ戻ったあと、ルーソルは鏡の前に立っていた。


 フィーラから血を譲り受けるのも、これで五度目になる。


 最初の頃は、城へ戻る前には消えていた。

 身体の軽さも、冴えすぎるほどの感覚も、時間が経てば元へ戻った。


 けれど、回数を重ねるごとに残る時間が少しずつ延びている。


 今日は、城へ戻ってからもう一時間以上経っていた。

 それでもまだ、身体の奥にはあの感覚が残っている。


 寒さへの耐性。

 感覚の鋭敏さ。

 高所でもぶれない平衡感覚。


 それだけではない。


 地形の線が、以前より速く頭の中で繋がる。

 風向きと尾根の形が、ほとんど一つの情報として入ってくる。

 地上からでは拾えない小さな起伏まで、紙の上へ落とせる。


 便利だった。


 正直に言えば、驚くほど。


 アルマー渓谷の涸沢も、国境沿いの尾根も、隣接領との曖昧な境界も、この力がなければ、ここまで短い期間で形にはならなかっただろう。


 ルーソルは鏡の中の自分を見た。


 見た目は、ほとんど変わっていない。


 髪も。

 顔つきも。


 ただ、灯りの加減によっては、瞳の奥が普段よりわずかに明るく見えることがあった。


 そして最近、フィーラの姿をよく目で追うようになった。


 声がすれば、自然とそちらを拾う。

 少し離れていても、どこにいるのか気づくことがある。


 会えば、妙に落ち着く。


 それが血を受けている時だけなのかは、自分でもよく分からなかった。


 ルーソルは鏡から視線を外した。


 机の上には、今日持ち帰った測量図が広げられている。


 渓谷。

 尾根。

 街道候補。

 境界線。


 その先には、これから造る国境門がある。


 フィーラから借りた力で見えるものを、地図へ落とす。


 道を通す。

 境を定める。

 人と物が動けるようにする。


 それは全部、エルドウルフが目指している国の形へ繋がっていた。


 ルーソルは椅子へ腰を下ろし、測量図を引き寄せる。


 まだ力は残っている。


 なら、消える前に使えばいい。


 そう思って、紙へ線を引いた。


 気になることがないわけではない。


 力が切れたあとは、決まって強い疲労が残る。

 身体が重くなり、眠気がくる。

 冴えていた感覚も、時間とともに元へ戻っていく。


 ただ、その時間は以前より長くなっていた。


 それが何を意味するのかは、まだ分からない。


 ルーソルは測量図へ目を戻した。


 アルマー渓谷。

 国境。

 これから造る門。


 どれも、以前より確かな線になっている。


 フィーラから与えられた力を、人の世界のために使う。


 それは、最初に決めたことと何も変わらない。


 エルドウルフは、まだ先へ進む。


 なら、自分もついていく。


 使えるものなら、使う。


 今は、それでよかった。

 

 

 ◇◇◇

 


数時間前、アルマー渓谷上空。


 

 ルーソルは地上へ視線を落とした。


 しばらく黙って見ていたが、やがて眉を寄せる。


「……違うね」


「なにが?」


「ここだけ、周りと違う」


 連なる山脈の中で、アルマー渓谷だけが不自然に持ち上がっている。


 峰が続いているのではない。

 巨大な地面そのものが、下から押し上げられたように隆起していた。


 しかも、周囲の山とは岩の色も層の向きも違う。


 上から見ると、それがよく分かる。


 山脈の途中に、まるで別の土地を一つ置いたようだった。


「前から、こんな地形だとは思ってたけど」


 ルーソルは観測板へ目を落とし、もう一度地上を見る。


「空から見ると、もっと変だね」


「へん?」


「うん」


 少し考える。


「ここだけ、何かが起きたあとみたいだ」


 フィーラは答えず、下を見た。


 乾いた沢が、隆起した台地の中央を裂くように何筋も走っている。


 途中で途切れるもの。

 岩壁に塞がれているもの。

 崩落した斜面の下へ消えるもの。


 その中で、軍や荷車が通れるのは一筋だけだった。

 


 門を置くなら、最初に考えていた場所ではない。


 あそこでは狭すぎる。

 運び上げた部材が詰まるうえ、組み上げるための場所も足りない。支柱を立てられる岩盤はあるが、その手前で荷車が曲がり切れなかった。


「……そこじゃないな」


「もっと手前?」


「いや。もう少し奥」


 ルーソルは涸れ沢の先を目で追った。


「左右の壁が近くて、沢底はある程度広い。でも、広すぎない場所がいい」


 フィーラはきょろ、と辺りを見回した。


「あの尾根と、おなじ高さでいい?」


「うん。それで合ってる。この前と同じ位置で止まってくれる?」


「できるよ」


 答えに迷いはなかった。


 移動の間は手を繋ぐ。

 作業に入れば、フィーラが背後から肩に手を置く。


 三度、四度と繰り返すうち、それが一番ぶれない形になっていた。


 ルーソルは、もう一度地上へ視線を落とした。


 石の標点。

 沢の折れ。

 尾根の肩。

 古い道筋。


 百の石標は、最初こそ多すぎると思った。


 だが、こうして上から見ると意味がある。


 地上で測った点。

 山頂に打った目印。

 空から見える沢の線。


 それぞれ別に拾っていたものが、ようやく一枚の地図の上で繋がっていく。


 門は完成品を運ぶわけじゃない。

 支柱、横梁、落とす板、金具。全部ばらして川で近くまで運び、そこから荷車で上げ、最後は現場で組み上げる。


 現地では、エルドウルフの力も使う。


 だからこそ、どこを削り、どこを残し、どこまで荷車を入れるか、最初から一つも間違えられない。


 そのための地図だった。


 ルーソルは紙の上に引いた線を見下ろした。


 ここまでは取れた。

 だが、まだ足りない。


 涸沢の奥が曖昧だった。

 曲がり方は見える。けれど、どこで細くなり、どこで荷車が詰まるのか、その決め手だけが拾いきれない。


「……もう少しだね」


 ぼそりと漏らした、その時だった。


 風が変わり、指先の感覚が鈍る。

 高度が少し上がって、空気が冷えているのだ。


 ルーソルは指先を擦り合わせた。

 吐く息が白い。


 背後から、フィーラの声がした。


「ルーソル、寒そう」


「少しね」


「じゃあ、あげる」


 わずかに得意げな声だった。


 そのやりとりも、これで五度目になる。


 最初の頃にあった戸惑いは、もうほとんどなかった。


 肩に置かれていた手が離れる。

 フィーラが前へ回り込むと、ルーソルも自然に観測板を片手で胸へ押さえた。


 額が近づく。


 いつの間にか、その距離にも慣れていた。


 ルーソルは目を閉じる。


 呼吸が重なる。


 次の瞬間、温かいものが口の中へ流れ込んできた。


 甘い。


 何度受け取っても、何に似ているのか分からない。

 血の味ではない。蜜でも、果実でも、砂糖でもない。


 口に触れた瞬間、味は消える。

 代わりに、冷えた身体の中で、何かが正しい場所へ戻るような感覚だけが残った。


 谷の曲がり。

 乾いた沢の落ち口。

 崩れやすい壁。

 荷車が一列で通れる幅。

 支柱を立てるべき岩盤。


 さっきまで曖昧だった線が、一つずつ定まっていく。


「……ああ」


「見える?」


 フィーラが覗き込んでくる。

 期待を隠さない目だった。


 ルーソルは少し黙ってから、苦笑に近い息を漏らす。


「うん。見える」


「ほんと?」


「かなりね」


 観測板を持ち直し、地上へ視線を戻す。


 紙の上へ、一気に線を落とす。


 涸沢は、想定より深く、二度曲がっていた。

 ハンサンからの報告だけでは真っ直ぐに処理されていた線が、ようやく嘘をつかない形になる。


 さらに一本。

 荷車を通せる幅。

 支柱を立てる岩盤。

 組み立てのために残すべき平地。


 必要な場所だけが、紙の上に静かに定まっていく。


「……助かってるよ、フィーラさま」


 その一言で、フィーラの顔がぱっと明るくなった。


「役に立った?」


「役に立った。今日は特にね」


「すごい?」


「そうだね。さっきの高さ、ほとんど動いてなかった。あれはすごいよ」


「えらい?」


「はは、えらい。とても」


 フィーラは満足そうに頷いた。

 本当にただ、役に立てて嬉しいだけなのだと分かる顔だった。


 ルーソルはもう一度、観測板へ目を落とした。


 この力がなければ、アルマーの涸沢はここまで正確に拾えなかった。

 エルドウルフが力を使う場所も、荷車を通す線も、支柱を立てる岩盤も、まだ曖昧なままだったはずだ。


 必要なのだ。

 そのことに迷いはない。


 ルーソルは指先を握って、開いた。

 まだ、よく見える。


「……便利すぎるね」


 ぼそりと漏らす。


「うん?」


 フィーラがすぐ拾う。


 ルーソルは観測板から目を離さず、小さく肩を竦めた。


「ううん、こっちの話」


「でも、見えたでしょ?」


「うん。よく見えた」


「じゃあ、よかった」


 あっさりした返事だった。

 少しも疑わない。少しも疑われていない。


 ルーソルは一瞬だけ空を仰いだ。


 こういうところが、この人は本当にずるい。

 悪気もなく、ためらいもなく、必要なものをそのまま差し出してくる。


「……また、頼むかも」


 フィーラが、少し不思議そうに瞬きをした。


「まえも、そう言ったよ?」


 ルーソルは一瞬黙って、それから笑った。


「そうだったね」


「なんかいでも、いいよ」


 前と同じ答えだった。


「うん。ありがとう」


 フィーラは満足そうに頷く。


「だって、わたし、役に立つもん」

 そう言って、えへんと小さく胸を張った。


 ルーソルはとうとう吹き出した。


「そうだね。本当に助かった」

 

「できた?」


「これで使える」


「ちゃんと谷?」


「ちゃんと、って。ははは。見てみる?」


 フィーラは後ろから紙を覗き込み、満足そうに頷いた。


「きれい」


「地図にそういう感想を言う人、あまりいないな」


「でも、きれいだよ?」


「……まあ、そうかもしれない」


 ルーソルは紙を押さえたまま、もう一度だけ谷を見下ろした。


 これで、どこを削り、どこを残し、どこに門を立てればいいかが決まる。

 限りある神力を、無駄なく、一番必要な場所に落とせる。


 兵を余計に死なせないために。

 戦を起こさせないために。


 そのために使うと、もう決めている。


「帰ろうか、フィーラさま」


「うん」


 フィーラはまた横に移り、手を繋いだ。


 高度が安定する。

 風が変わる。


 アルマー渓谷は、紙の上でようやく一つの形になった。

 そのために借りた光は、まだルーソルの中に残っていた。





更新 月曜日/木曜日 20:00


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たまにイラストも

https://x.com/REANNEcreative

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