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光を背負った王――戦場から始まる、王になるまでの物語  作者: RE:ANNE
第11章 神話のある食卓

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第80話(2)神話異聞



 食堂へ向かうには、自室のある二階から階段を下り、長い廊下を一つ抜ける。


 ヴェルカ家の屋敷は、領都に構える貴族の邸宅としては十分に広い。

 家族の居室のほかに、客室や執務室、使用人たちの区画もある。


 それでも、クワルノー城で過ごす時間が長くなった今では、自室から食堂までの距離さえ妙に短く感じた。


 食堂へ入ると、すでに夕食の支度が整っていた。


 十人ほどがゆったり座れる長卓。

 磨かれた天板の上には、銀の燭台が三つ並んでいる。


 天井から下がる小ぶりのシャンデリアが二基。

 夕暮れにはまだ少し早いが、室内はすでに灯りが入れられていた。


 壁際には、食器を収めた濃い木目の飾り棚。

 その上には銀器や陶器が並び、正面の壁には先々代のヴェルカ当主夫妻の肖像画が掛かっている。


 派手さを競う部屋ではない。

 だが、居心地の良い落ち着いた食堂だった。


 長い卓の片側にいたアレクシアが、ゴディエの姿を見るなり立ち上がる。


 淡い栗色の髪に、ヘーゼルの瞳。

 目を引くような派手な美貌ではない。

 だが、視線を向ければ自然ともう一度見てしまう。


 整った目元と、よく通る声。

 何より、そこにいるだけで場を収めるような気配があった。


 夫がエルドウルフの腹心として政務に追われる間、アレクシアは当主代理としてヴェルカ家を切り盛りしている。


 そのアレクシアが、まず夫の顔を見た。

 次に、頭から足元までざっと確かめる。


「お帰りなさいませ、あなた」


「ああ」


「……お怪我は?」


「ない」


 そこでようやく、アレクシアの表情が少し和らいだ。


 向かいには、二人の息子がいた。


 八歳のアルノーと、六歳のジル。

 二人とも父親譲りの、蜂蜜色をくすませたような金茶の髪。

 瞳は母親と同じヘーゼルだった。


 二人とも利発で、よく喋り、よく笑う。

 そして年相応に、元気だった。


 父の姿を見た瞬間、揃って目を丸くする。


「父上!」

「はやい!」


 その次には、もう椅子から身を乗り出していた。


「父上、今日ね!」


「僕も! 今日ね!」


「ジル、僕が先だよ」


「僕も話す!」


 ゴディエは思わず口元を緩めた。


 最近は、帰る頃には二人とも眠っている日が多かった。

 朝食だけはなるべく一緒に取るようにしているが、それすら叶わない朝もある。


 寝顔を見て、額に口づける。

 それだけで一日が終わることも珍しくない。


 アレクシアが二人を見て、それからゴディエへ視線を戻した。


「先ほどから、ずっとこの調子なのです」


「そうか」


「ですから、今日はクワルノー城が崩れたのかと思いました」


「崩れていない。王都も沈んでいない」


 答えると、アレクシアの口元がわずかにゆるんだ。


「それは何よりです」


 そう言って、自分の席へ戻る。


「では、座ってくださいな。今日の授業の話をしたくて、二人とも待ちきれないようですから」


「分かった」


 ゴディエが席へ向かう。


「順番に話せ」


「はい!」


「僕から!」


「僕が先でしょ!」


 騒がしくなり始めた食卓を前に、ゴディエはようやく腰を下ろした。


 ベルトが軽く手を上げる。


 壁際に控えていた二人のフットマンが動き、すぐにゴディエの前へ皿が置かれた。

 鶏と根菜を煮込んだ澄んだスープ。

 卓の中央には焼きたてのパン、白豆と玉葱の煮込み、香草を添えた仔牛肉、それに人参と蕪の温野菜が並んでいる。


 豪奢な晩餐ではない。

 家族で食べる、いつもの夕食だった。


「父上、今日ね、ミシェル先生が闘神の話をしてくれた!」


 アルノーが待ちきれないように言った。


 すぐにジルも身を乗り出す。


「シュバリエの前の国、二回も闘神さまに助けられたんだって!」


「ジル、それは僕が言おうと思ってたのに」


「だって、そこがすごかったんだもん」


 ゴディエはスープの湯気を見ながら頷いた。


「ほう。そこまで進んだか」


「聖教会の歴史のお勉強ですって」


 アレクシアが言う。


「今日はずいぶん盛り上がっておりましたよ。食堂まで聞こえてきましたもの」


「ミシェルは教えるのが上手いからな」


 ゴディエはパンを取り、二つに割った。


「難しい話でも、子どもが聞きたくなるように話す」


「ミシェル先生のお兄様も、父上と同じお城にいるんだよね?」


 アルノーが尋ねた。


「ああ。双子の兄のイザークだ。南館で、殿下付きの執事をしている」


 ゴディエがスープへ匙を入れる。


「何をやらせても、そつなくこなす男だ」


「それでは、弟君も負けてはいられませんわね」


 アレクシアがくすりと笑った。


「昔から、あの二人はそういうところがある。あれを兄に持てば、ミシェルも手は抜けんだろう」


 給仕を手伝っていたマルグリッドが、感心したように息をつく。


「まあ。さすがゲラン家ですこと」


 その横で、ジルが温野菜の皿から人参だけを器用に避けている。


「ジル」


 アレクシアの声が飛んだ。


 小さな手が止まる。


「……はい」


「人参」


「あとで食べるよ」


「今でも食べられます」


 ジルは助けを求めるように父を見る。


「父上」


「俺を見るな」


「父上も人参、好きじゃないでしょ?」


「好き嫌いの話ではない」


「では、お食べになりますよね?」


 アレクシアが穏やかに言った。


 ゴディエは無言で人参を一つ口へ運んだ。


 アルノーが笑い、ジルが観念したように自分の人参へ匙を伸ばす。


「闘神さまって、昔の絵にも残ってるんだって!」


 人参を食べ終えた途端、ジルはもう次の話へ移っていた。


「闘神さま、青空と同じ髪の色なんだって」


 アルノーが言った。


「白い羽なんだよね」


 ジルも続く。


「すごく綺麗な女神さまだって、ミシェル先生が言ってた」


 ゴディエは、何も言わなかった。


 青い髪。

 白い羽。


 そこまでは、間違っていない。


 だが、彼の知るその少女は――。


「ミシェル先生がね、古い聖堂には壁掛けとか刺繍にも描かれてるって言ってた」


 ジルがまた匙を持ち上げる。


「食事中に振らないの」


 アレクシアに言われ、素直に手を下ろした。


 その間に、フットマンが空になったスープ皿を下げる。

 次に運ばれてきた仔牛肉から、香草と焼けた脂の匂いが立った。


 アルノーがそこで、母の顔を見る。


「母上の刺繍の会でも、神さまを縫ったりするの?」


「神さまを?」


 アレクシアが少し考える。


「あまりありませんわね。花や鳥、それに季節の模様が多いかしら」


「じゃあ、何のお話をするの?」


「いろいろですよ」


 アレクシアは笑った。


「最近なら、フィーラ様のお話がよく出ます」

 

「フィーラ様?」


「殿下のご保護下にある姫君ですよ」


 アレクシアは答える。


「母上も、フィーラ様に会ったことがあるの?」

 

 ジルが尋ねる。

 

「ええ。ストラス邸の刺繍の会で、ご一緒することがあるのです。ストラス夫人が場を開いてくださっておりますから」


 マルグリッドが新しい皿を置きながら笑った。


「フィーラ様が、今日は誰と何をした、誰が何を言ったと、城でのことをたくさんお話しくださるのです」


「それで、フィーラ様のお話をしていたはずが、いつの間にか腹心の皆さまのお話になってしまうのですわね」


「最後には、どなたが最初に花嫁をお迎えになるのか、ですものね」


「そこへ行き着きますのよね」


 アレクシアも笑った。


 マルグリッドがパン籠を持って卓を回る。


「フーガ様もアンリ様も、もうよいお年ですし」


「アンリ様は……」


 そこで少し考えた。


「騎士団の方々からの人気が、少し違う方向に強すぎますわね」


「人気というより信仰だな」


 ゴディエが言った。


 アレクシアが笑う。


「分かりますわ。アンリ様のお名前を出すと、騎士の皆様だけ急に目つきが変わりますもの」


「それに比べると、フーガ様はずいぶん華やかですのに」


「遊んでいそうには見えるな」


「でしょう?」


 マルグリッドがすぐ乗る。


「でも、不思議なくらい本命のお話は出ませんのよね」


「本人が隠すのが上手いのか、本当にないのか」


 ゴディエは仔牛肉を切り分けながら言った。


「そこは俺も知らん」


「まあ。では、やはり今一番人気なのはルーソルディア様ですわね!」


「ルーソル様、そんなに人気なの?」


 アルノーが聞いた。


「大人気ですとも」


 マルグリッドは嬉しそうにパン籠を持ち上げた。


「お若くて、お優しくて、気が利いて、お顔立ちも美しくて。しかもロワール家ですもの」


「人気だな」


 ゴディエも頷く。


「人当たりがいい。あの三人の中では、一番近づきやすいんだろう」


「王都では、ルーソルディア様がお出ましになると分かった舞踏会は、若いご令嬢方の出席が目に見えて増えるそうですわ」


 アレクシアが付け加える。


「それで、仕立屋も大変なのでしょう?」


「ええ」


 マルグリッドが楽しそうに頷いた。


「少し大きな舞踏会になりますと、リノンの人気のブティックは予約が取れなくなるとか。皆様、少しでも素敵なお姿でお会いしたいのでしょうね」


「ルーソル様が来るだけで?」


 ジルが目を丸くする。


「来るだけで、です」


 マルグリッドはきっぱり言った。


「大変だな」


 ゴディエは仔牛肉を切り分けた。


「何がでございます?」


「男が一人、舞踏会へ顔を出すだけで、街のブティックが埋まるんだろう」


「ルーソル様ですから」


 間を置かずに返される。


「……そうか」


 ゴディエは切り分けた肉を口へ運んだ。


「本人は、たぶん何も考えていないぞ」

 

「そこも人気の理由なのでは?」


 アレクシアが笑う。


「じゃあ殿下は?」

 ジルが素朴に尋ねた。


 アレクシアとマルグリッドが、ほんの一瞬だけ顔を見合わせる。


「殿下は……」


 アレクシアがナプキンで口元を押さえた。


「美しすぎますし、近寄りがたいのです」


「ええ」


 マルグリッドが即座に頷く。


「お声をかけようと思った途端、皆様、何をお話しするつもりだったかお忘れになるのですわ」


「忘れちゃうの?」


 ジルが首を傾げる。


「お妃になりたいと願う前に、皆様まず、近づくことまで考えられなくなるのです」


 アレクシアが真面目な顔で言った。


「それじゃあ殿下は、舞踏会では誰と踊ってるの?」


 アルノーが尋ねた。


「従姉のストラス夫人か、ネレア様くらいですわね」


「……それだけ?」


「それだけです。そもそも、殿下が踊られること自体、珍しいのです」


「ですが、踊っていただけなくてもよろしいのです」


 マルグリッドが、待っていたように口を挟んだ。


「殿下は、舞踏会では観賞用でございますから」


「マルグリッド」


「美術品と同じです。近くへ寄れずとも、眺めているだけで心が満たされます」


 ゴディエは思わず吹き出しかけ、咳払いでごまかした。


 息子たちは、何がおかしいのか分からないまま、つられて笑った。


 


 笑いがひとしきり落ち着いたところで、アルノーが話を戻した。


「それでね。闘神さまは、この国を二回助けてくれたんでしょう? 本当に人の世界へ降りてきたの?」


 ゴディエは、ちぎりかけていたパンを皿へ戻した。


「そう伝えられている」


「伝えられてる?」


「昔のことだからな。今残っているのは、当時の記録と、それを後の人間がまとめたものだ」


 少し考えてから続ける。


「ただ、二度の戦で、人の力だけでは説明しにくいことが起きた。それを当時の人々が闘神の御業だと考えたのは確かだろう」


「だから、シュバリエでは闘神さまが特別なの?」


「それも理由の一つだ」


「王家と聖教会が、闘神を特別にお祀りする理由でもありますわね」


 アレクシアが穏やかに言った。


「きっと、二度も救ってくださったのでしょう」


 ジルが嬉しそうに頷く。


 アレクシアはパンを小さくちぎった。


「でも――」


 何でもないことのように続ける。


「二度とも、本当にこちらを救おうとなさったのかしら」


「え?」


 アルノーとジルが揃って母を見る。


「一度は、そうだったのかもしれません。でも、もう一度は」


 アレクシアは少し考えた。


「相手の国が、闘神様のお怒りを買っただけ、ということもありませんか?」


「シュバリエを助けたんじゃなくて?」


「結果として、こちらが助かったってこと?」


 アレクシアは頷いた。


「敵を退けてくださった。それをこちら側から見れば、“闘神様が国を救ってくださった”というお話になりますもの」


「ミシェル先生、そんなこと言ってなかった」


 ジルが少し不満そうに言う。


「ミシェル先生は、まず伝わっている歴史を教えてくださったのでしょう」


 アレクシアは笑った。


「でも、物事は見る場所が変われば、少し違って見えるものですよ」


 そして夫へ視線を向ける。


「ねえ、あなた」


 ゴディエはすぐには答えなかった。


 妻は、ただ歴史の見方を話しただけだ。


 それなのに、妙に引っかかった。


 ゴディエは、この話をただの神話として聞いているわけではない。


 フィーラが。


 あの少女が、闘神フェギスノーラその人だと知っている。


 ハンサンで神力を振るい、ミッドガロンの軍勢を退けたことも知っている。


 それでも。


 夕食のあと、南館のサロンで顔を合わせることは多い。


 文字を覚えるために絵本を読み、小説を読み、分からない言葉があれば尋ねてくる。


 街の子どもたちに読み書きを教えたいのだと、どんな本を選べばいいのか、どう教えればいいのかと相談してきたのもフィーラだった。


 刺繍の会では真面目に針を持ち、ときには指を刺しながら、それでも少しずつ上達しているのだと、アレクシアから聞いている。


 青い髪。

 白い羽。


 聖堂に描かれた闘神と、同じ特徴を持つ少女。


 国を救ったと伝えられる神。


 そのどちらも、同じ存在なのだ。


 事実だと知っている。


 それでもゴディエには、まだどうしても一つの姿にはならなかった。


 

更新 月曜日/木曜日 20:00


X更新情報/活動報告など発信してます

たまにイラストも

https://x.com/REANNEcreative

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