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光を背負った王――戦場から始まる、王になるまでの物語  作者: RE:ANNE
第10章 命令と取引とお願い

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第77話 〜商売だけがわからない〜



 沈黙がゆっくりほどけた。


 サリムは茶器へ手を伸ばす。

 湯気が細く揺れている。


「三つ目を」


 穏やかな声だった。


 エルドウルフはわずかに視線を外した。

 

 ニカは、ネルマとハンサンに近い地で、長く交易を止めずにきた。

 王家に媚びず、隣国のどちらにも寄りかかりすぎない。

 それでいて、戦の火をラクトゥへ持ち込ませず、利益を残している。


 土地の運だけではない。

 サリム・ド・ニカが、その均衡を見誤らずに守ってきたのだ。


 戦わずに土地を守る術を、この男は知っている。


「教えてほしい」


 副官の指先が止まる。


「商売を」


 部屋が、わずかに静まり返る。


 サリムは瞬きをした。


 戦を語り、国境を動かし、世代の未来を論じた男が、いま、静かに頭を下げている。


「クワルノーを、ラクトゥのような商業都市にしたい」


 エルドウルフは続けた。


「大河セシールが流れ、アザンクールとリノンの中継地にもなる。立地は悪くない。道を引き、桟橋を造り、製鉄も始める」


 サリムは何も言わない。


「商人もいる。俺の商会もある。管理は執事長に任せている」


 そこで、少しだけ言葉を探す。


「報告は読む。収支も分かる。税も予算も扱える」


 視線を戻す。


「だが、俺は自分で物を仕入れたことも、売ったこともない。商人が何を見て街を選び、どう金と物を動かすのかを知らない」


 率直だった。


「政治は分かる。戦も分かる」


 短く区切る。


「商売だけが分からない。——商会を増やせば、それで街がラクトゥになるわけでもない」


 エルドウルフは続けた。


「商人が安心して集まり、物を運び、金を落とす。そのために領主が何を整え、どこまで手を出し、どこで退くべきか」


 視線を戻す。


「その術を、教えてほしい」


 副官が主君を窺(うかが)う。

 護衛たちも視線を動かさない。


 サリムは茶を一口含んだ。


 その奥で、何かがやわらぐ。


「王太子が商人(わたし)に師事するか」

 かすかに笑みが混じる。


「必要なら」

 迷いのない返答だった。


 副官が目を見開く。

 王族の口から出る言葉ではなかった。


 サリムは茶器を置く。


「商会を持つことと、商業都市をつくることは別です」


 声が少し低くなる。


「商いは、商人一人を置けば始まるものではない。人脈、取引先、信用。荷を保管する倉庫と、その中の在庫。物を運ぶ馬と船。それらが結びついて、初めて動く」


 エルドウルフが小さく頷く。


「一から揃えれば、時間がかかります」


「どれくらいだ」


「金だけでは買えぬものもあります。信用と取引先は、積み重ねるしかない」


 サリムはエルドウルフを見た。


「私の商会を一つ、殿下に預けます」

 

 サリムは組んだ手を膝に置いた。

 

「商会長には商いを教えさせましょう。優秀な男です。商いを回しながら、殿下と、いまお持ちの商会へ教えることもできる」


 静かに続けた。

 

「商会長以下、人もそのまま。取引先との繋がりも、ラクトゥにある倉庫と拠点も使わせます」


「在庫は」


「倉庫内の品、馬、船はお買い上げいただく。引き渡し時の時価で」


 エルドウルフの目がわずかに細くなる。

 

「新たな仕入れと、クワルノーで動かす資金も殿下持ちです。私が貸すのは、人と信用、取引網。それに、すぐ商いを始められる形です」

 

 エルドウルフはすぐに頷いた。


「ですが、街をつくる話は別です。道、河、税、治安、他領との距離――それは領主が決めることになる」


 サリムは顔を上げ、エルドウルフを見た。


「私から、お教えします」


 副官が目を見張った。

 

「助かる」


 フィーラは横で静かにソファに沈み、

 クッションの房飾りを指で揺らしていた。

 話は分からない。

 それでも、エルドウルフの声だけは聞いている。


 その無防備さが、場の緊張を少しだけ浮かせた。


 サリムは小さく息を吐いた。


「願いは受けます」


 低い声。


「その代わり、私の願いを一つ、聞いていただきたい」

 

「聞こう」


「城の外へお付き合い願えますかな」


 エルドウルフは頷いた。


 副官は帽子の位置を直し、静かに一礼した。


 ◇◇


城を出たのは昼前だった。


 馬車は西へ向かう。

 街の喧騒が遠ざかり、石畳はやがて固い土の道へ変わった。


 谷が開ける。


 切り立った崖。

 狭い水路。

 その中央に、川を押し潰すような巨岩が横たわっていた。


 崩れた岩は、一軒の家どころではない。

 一辺は二十メートルを優に超え、もとは崖の一部だったのだと分かる。


 水路の四分の一が、その岩で塞がれていた。


 サリムが馬車を降り、崖の下へ視線を向けた。


「あれです」


 低い声だった。


「数年前の嵐で、上から落ちました」


 エルドウルフも崖縁まで歩く。

 岩の脇を、水が白く泡立ちながら流れ抜けている。


「動かせなかったのか」


「人の手では」


 サリムは答えた。


「砕こうにも、足場が悪い。川を止めずに大勢を入れることもできませんでした」


 水流に削られた岩肌には、流木が引っかかった跡が残っている。

 水位が上がれば、ここへさらに土砂が溜まるのだろう。


「雨季には何度か、下流の水位が上がりました」


 副官が言葉を継いだ。


「市街まで届く前に水は引きましたが、次も同じとは限りません」


 サリムが頷く。


「もう一度、大きな嵐が来れば、流木と土砂がここへ詰まる。完全に堰き止められれば、上流側に水が溜まる」


 少し間を置いた。


「そして、決壊すれば下流の市街を呑みます」


 谷を抜けた先に、ラクトゥの屋根が見える。

 遠くからなら穏やかに見えるその街まで、水は続いている。


「放置できる段階は、とうに過ぎています」


 エルドウルフは、巨岩を見下ろした。


 水を制せぬ地に、境は引けない。

 


 岩まで百五十歩。川幅は三十歩。

 岩は流れを斜めに塞いでいる。


 エルドウルフは動かない。


 三歩、位置をずらす。

 さらに二歩。


 角度を測るように視線を走らせる。


 真正面では水が暴れる。

 上からでは崩落が広がる。

 上流から下流へ抜く線を、頭の中に引く。


 ――届く。


 だが、余裕はない。

 わずかでも逸れれば谷を削る。


 それでも、ここしかない。


「全部は消せない。半分だ」


 視線を岩から外さないまま言う。


「残りは人でやれ。雇用にもなる」


 剣を抜く。


 空気が変わった。


 風が止む。

 谷の音が遠のく。


 剣の周囲に、乾いた火花のような音が弾けた。

 白金の刃に、光が細くまとわりつく。


 最初は糸のようだった。

 だが次の瞬間、それは密度を増し、刃のまわりで眩い輪郭を持ち始める。


 光なのに、重い。

 空気そのものが、刃先へ引かれていくようだった。


 フィーラの胸が跳ねた。


 思わず一歩前に出る。

 指先が胸元でぎゅっと握られる。


 ――綺麗。


 呼吸を忘れる。

 胸の奥が熱くなる。


 副官が後ずさる。

 足がもつれ、その場に尻をついた。


 護衛の一人が思わず剣に手をかける。


 エルドウルフが、わずかに剣を引いた。


 次の瞬間。


 光が走った。


 一直線だった。


 だが線ではない。

 遠くの空へ抜けていく巨大な光の奔流が、剣先から放たれたように見えた。


 白く、鋭く、力そのもののような光。


 岩へ届くまでの一瞬、

 その軌道にあった空気さえ焼き切られたように震える。


 音は遅れて来た。


 爆ぜるような轟音。

 谷が揺れる。

 世界が白く染まる。


 光の中心をなぞられた岩の上流側が、

 蒸気と砕けた砂を噴き上げながら、音もなく崩れ落ちていく。


 ただ砕いたのではない。


 削られた断面は、まるで見えない刃で一息に抉り取られたように滑らかで、そこだけが異様に明るかった。


 閉ざされていた空間が、一気に開ける。


 水が歓声のような音を立てて流れ出した。


 沈黙。


 そして遅れて、どよめきが広がった。


「……すごい」

「神の御業だ」


 歓声が谷に反響する。


 フィーラは頬を染めたまま、じっと彼を見ていた。


 エルドウルフは息を整え、剣を収める。


「これで十分だろう」


 サリムはすぐには答えなかった。

 消えた岩の断面を見つめたまま、

 胸の奥で静かに理解していた。


 ――人の力ではない。


 だが、暴力でもない。


 流れを読み、

 削る量を定め、

 残すものまで選んだうえで使われた力だ。


 これは、使い手の意思に従う神力だ。


 ゆっくり息を吐く。


「ええ。十分すぎます」



更新 月曜日/木曜日 20:00


X更新情報/活動報告など発信してます

たまにイラストも

https://x.com/REANNEcreative

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