↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
光を背負った王――戦場から始まる、王になるまでの物語  作者: RE:ANNE
第九章 選ぶということーー王を選ぶ者たち

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
70/83

第70話 〜手を離した夜〜


 夜の空は深く澄んでいた。


 ラクトゥの灯りが、はるか下で星のように滲んでいる。

 風だけが強く、冷たい。


 フィーラは機嫌がよかった。


 エルドウルフと一緒にラクトゥまで来られた。

 サリムにも会えた。

 サリムは、朝に聞いたとおり、ニカの領主だった。

 エルドウルフが一人で会いに行ったと聞いた時は、フーガが少し怖い顔をしていたけど、ちゃんと会えて、ちゃんと話していたと思う。

 何を話していたのか、フィーラには難しいところもあった。

 だけど、サリムとエルドウルフの間にあった硬いものが、初めより少しだけやわらかくなったように見えた。


 それが嬉しかった。


 サリムにお土産ももらった。

 割れたらいけないから、フーガに預けた。

 そのフーガには、エルドウルフをよろしくと頼まれた。


 自分はちゃんと役に立てたのだと思う。


 それに、危ない人間は消した。

 エルドウルフを傷つけようとした者はいなくなった。

 

 だからフィーラは、今日のことを、うまく終わったのだと思っていた。


 

 その沈黙を破ったのは、エルドウルフだった。


「朝した約束、覚えてるか」


 振り返ったエルドウルフの顔は、笑っていなかった。


 夜風が強い。

 ラクトゥの市街は、すでに遠い。

 その外れから闇へ散るように、家々の灯りが点々と見えていた。

 街を離れた土地にも、人は暮らしている。


 朝のことを思い出す。


 ラクトゥへ連れて行ってほしいと頼んだ時、エルドウルフは言った。


 人と会う。

 同席して構わない。

 ただし、今日は何があっても見ているだけ。

 力は使わないでほしい、と。


「……見てるだけ」


 フィーラは答えた。


 短い沈黙。

 その沈黙が、冷たかった。


「なら、あれは何だ」


 声は低く、静かだった。


「危なかったから」

 即答だった。


「危なくない」


「剣、抜いた」

 

「抜かせたんだ」


 言葉がぶつかった。


 風が二人の髪を乱す。

 フィーラの指に力がこもる。掴んでいるエルドウルフの手首が、手袋越しに硬かった。


「でも危なかった」

 

「危なくする必要があったんだ」

 

「どうして」


 エルドウルフの喉が、小さく動いた。

「戦争を起こさないためだ」


 一瞬、間が空いた。

 フィーラは瞬きをした。


 戦争。

 それは知っている。

 人がたくさん死ぬこと。祈りがたくさん集まること。大地が赤くなること。


 でも、今ここにいるのはエルドウルフだった。

 剣を向けられていたのは、エルドウルフだった。


「あの場でギルタンと重鎮をまとめて殺せば、それはハンサンの内輪揉めでは済まない」


 エルドウルフの声が、さらに低くなる。


「しかも俺がいた。シュバリエの王太子が密談の場にいて、その場でハンサンの王族と重鎮が死ぬ。そう見られる」


 フィーラの指が強張った。


「違う。わたしが殺した」


「誰が信じる」

 鋭く返された。


「誰が、神が勝手にやったなどと信じる。誰が、シュバリエに責任はないと納得する。誰が、国境に兵を置かずに済ませる」


 声が、少しずつ熱を帯びていく。


「ハンサンが動く。シュバリエが動く。ミッドガロンは隙をついて侵攻する。火は一度ついたら、誰が最初だったかなんて関係なくなる」


「でも」

「でもじゃない」


 初めて、エルドウルフの声が強くなった。

 フィーラの胸が跳ねる。


「あれは、あの場で終わる話じゃない。お前が見ていたのは、剣を抜いた人間だけだ」


「だって、切ろうとしてた」

 

「切らせるつもりはなかった」

 

「傷つくかもしれなかった」

 

「傷くらいで済むなら安い!」

 その声が夜に叩きつけられた。


 フィーラは目を見開く。


 エルドウルフの顔が、初めてはっきり怒っていた。

 冷たい怒りではない。抑えて、抑えて、それでも内側から焼けてくるような怒りだった。


「俺が少し傷つくことと、その後に国境で何万人も死ぬことを、同じ皿に乗せるな」


「同じじゃない」


「分かってないから言っている!」

 

 

 エルドウルフがフィーラを引き寄せた。

 風が二人の間で裂ける。


「俺一人を守るために、後で死ぬ人間を見捨てるな」


「見捨ててない!」


「見ていないんだ!」


 政を語るときの、整った言葉ではなかった。

 考えるより先に、声が出ていた。

 その言葉に、フィーラの喉が詰まった。


 ニカの灯りが、はるか下で揺れている。

 遠い。

 小さい。

 けれど、そこに人がいる。


「政治は、目の前にいる一人だけを守るものじゃない。まだ顔も知らない人間が、明日も生きられるようにするものだ」


「わからない」


「だから、見ていないと言った!」

 エルドウルフは目を逸らさなかった。


「お前は、俺だけを見て、俺を選んだ」


 フィーラの手が震えた。


「でも俺は、その選択の先にいる人間まで背負わなければならない」

 

 エルドウルフの声が低く沈む。

 次の言葉だけは、押し殺しきれなかった。


「今だけ俺を守って、その後で何万人死んでもいいのか!」


「いい!」


 即答だった。


 金の瞳が涙に揺れる。

 息も乱れている。


 それでも、その答えだけは少しも揺らがなかった。


「じゃあ、ハンサンもミッドガロンも、わたしが全部こわす!」


 息を詰まらせる。


「全部、全部こわす!」

 泣きながら、声を張り上げる。


「エルドウルフが死ぬよりいい!」


 世界が止まった。


 胸の奥から、すうっと熱が引いていく。


 広場で笑う子供たち。

 覚えた名前。

 好きになった街。

 これから始まる、いくつもの明日。


 フィーラが大切にしてきたものは、どれも嘘ではなかった。


 それでも、自分一人と並べた瞬間、すべて捨てられる。


 ――違う。


 並べられてすらいなかった。

 

 同じ皿に乗せるなと言ったのは、自分だった。

 フィーラは本当に、同じ皿には乗せていなかった。


 彼女にとって俺だけが、最初から別の場所にいた。


 風の音が遠のく。

 ラクトゥの灯りも、星も、夜も、意味を失った。


 手首を掴む力が、反射的に強くなる。


「……お前」


 その先の言葉が出なかった。


 何か言わなければならない。

 叱らなければならない。

 止めなければならない。


 それなのに、うまく言葉にならなかった。


「本気で、言ってるのか」


「うん」


 フィーラは泣いていた。

 けれど、迷ってはいなかった。


「エルドウルフが生きてるなら、それでいい」


 エルドウルフの指に、さらに力がこもる。


「俺は守られるために王になるんじゃない」


「守らないの?」


「違う。俺は危険に立つ」


「だめ」


 即答だった。


「俺の仕事だ!」


 声が夜空に弾けた。


「俺の国だ。俺の戦いだ。俺の判断だ!」


「守っただけ!」


「俺の判断を奪うな!」


「奪ってない!」

「奪ったんだ!」


 言い切ったあと、エルドウルフの呼吸が乱れた。

 胸が激しく上下している。


 フィーラの唇が震える。


「わからない」

 小さな声だった。


「わからない、わからない、わからないよ!」

 涙が滲む。


「エルドウルフが傷つくのは、だめ!」

 叫びだった。


 エルドウルフの瞳が揺れた。


 次の瞬間――


 エルドウルフは、掴んでいた手を振り払った。


 フィーラは動けなかった。

 何が起きたのか、分からない。


 さっきまで掴んでいた手が、ない。


 白金の髪が、視界の下へ落ちていく。


「……え」


 暗い。

 顔が見えない。


 伸ばした手は、何も掴めなかった。

 その姿は、夜の底へ小さくなっていく。


 そして――見えなくなった。


「いや――!!」


 絶叫が夜を裂いた。


 その声を置き去りにして、エルドウルフは落ちていく。


 髪が激しく風に煽られる。

 息が奪われ、音が遠のく。


 世界が闇へ沈んでいく。

 


 フィーラは落ちるというより、

 重力そのものを踏み外した。


 空気が軋む。

 神力が爆ぜる。


 距離が消える。


 闇の中へ消えた白金が、再び目の前に現れた。


 フィーラはさらに速度を上げる。

 落ちているエルドウルフと、同じ速さまで。


 腕を伸ばす。


 背中へ身体を寄せ、そのまま両腕を回した。


 掴んだ。


 温かい。

 確かに、ここにいる。


 フィーラは背後からエルドウルフを抱え込んだまま、すぐに力を解放した。


 だが、二人の身体をその場で止めはしない。

 急に止めれば、落下の勢いがそのままエルドウルフの身体へ返る。


 重力を少しずつ歪める。

 長い距離を使い、落下の速さを削っていく。


 二人はなお闇へ引かれていくように見えた。

 けれど、落下の速さは、確かに落ちていた。


 風が耳元で唸る。

 それでも、フィーラの腕は緩まない。


 さらに力を強める。


 速い。

 まだ速い。


 それでも、少しずつ。


 風の唸りが低くなっていく。


 その途中。


 フィーラの腕の中で、エルドウルフの身体がわずかに強張った。


 落下はさらに緩む。


 

 やがて、沈むような速度へ変わり――


 止まった。


 夜空の中で、二人の身体だけが不自然に引き留められていた。


 フィーラは背後から抱き締めたまま、顔を背中へ押し当てる。


 温かい。

 鍛えられた身体の感触がある。


 ――生きている。


「……よかった」


 声にならない。


 涙が溢れる。

 けれど落ちない。


 歪んだ重力にほどけた滴が、ゆっくり宙へ漂う。

 月光を受け、小さな光の粒になる。


「間に合った……間に合った……」


 腕がさらに強く締まる。


 エルドウルフの身体は、まだ強張っていた。

 腕は垂れたまま動かない。


 呼吸が――ない。


 一拍。

 二拍。

 三拍。


 やがて胸が、ぴくりと震えた。

 空気を奪い返すように、肺が開く。


「……っ、は」


 何度か浅い呼吸を繰り返し、エルドウルフはようやく自分の息を取り戻した。 


 振り払った手の感触が消えない。


 衝動から始まった。

 だが、無計算ではなかった。


 フィーラなら必ず追いつく。

 必ず俺を助ける。


 フィーラが、手を離された痛みを知る。

 俺を失うかもしれない恐怖を知る。

 そして、この先も俺が同じように危険へ立ち、その手を離すかもしれないと理解する。


 そうすれば、次は。

 俺を守るために、俺の判断を奪おうとはしないかもしれない。


 そこまで、分かっていた。


 彼女の手は必ず届くと信じていた。

 その確信ごと、俺へ向けられた信頼と、失いたくないという思いを利用した。


 王のすることじゃない。

 彼女を守ると決めた者のすることでもない。


 分かっている。

 それでも、あのときは、ほかに方法が浮かばなかった。


 胸の前に回る腕が震えている。

 呼吸が乱れている。

 泣いている。


 俺のために。

 ただそれだけの理由で。


 違う、とすぐに思った。


 こんなふうに怯えさせて、俺のそばへ縛りつけたいわけじゃない。

 恐怖で止めても、フィーラが俺の背負うものまで選んだことにはならない。


 俺だけを選んだままになる。


 ――もしあの場で全員を殺していたら。


 彼女はきっと、迷わない。

 俺のためなら、世界ごと壊す。

 そういう存在だ。


 胸の奥が重く沈む。


 嬉しい。

 同時に、怖い。


 守られるために王になるわけじゃない。

 だが――守られない王でありたいわけでもない。


 一緒に生きるなら。

 同じ高さに立つなら。


 俺だけではなく、

 俺が背負うものごとを、彼女に選ばせなければならない。


 どうすれば伝わる。


 俺が危険に立つことも。

 その先で生きる、まだ顔も知らない人間のことも。


 どうすれば、フィーラ自身のものとして選ばせられる。


 考えはまとまらない。

 ただ、背中の温もりだけが確かだった。


 

 深く息を吸おうとして、すぐに咳がこぼれる。


「……っ」


 胸の脇に鋭い痛みが走り、反射的に息を止めた。


 背中越しに振動が伝わる。

 フィーラの指がさらに食い込む。


「ごめんなさい」


 額を肩に押し付ける。

 声が崩れる。


「怒らせるつもりじゃなかった」


 息が震えている。


「いなくなるの、だめ」


 抱き締める腕は、子供のように必死だった。


 夜は静かだ。

 二人だけが空に浮いている。


 エルドウルフは、まだ振り向かない。


 胸に回された腕。

 震えている指。


 エルドウルフはゆっくりと息を吸った。

 胸の前に重なっている彼女の手を、片手で掴む。

 振り向かないまま、ぎゅっと力を込めた。

 言葉の代わりだった。


 生きている。

 無事だ。


 それだけを伝えるための握力。


 背中越しに、息を呑む気配がした。

 抱きしめる腕の力が、ほんの少し強くなる。


 夜風が二人の間を通り抜ける。


 エルドウルフは短く言った。


「帰ろう」


 それ以上は言えなかった。


 フィーラは答えない。

 ただ、腕の力だけで頷いていた。


 夜の空を、二人は城へ向かった。

更新 月曜日/木曜日 20:00


X更新情報/活動報告など発信してます

たまにイラストも

https://x.com/REANNEcreative

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。