第7話 〜虚飾の食卓〜
本館中央部の貴賓室には、ハンサン王セドリクと宰相、軍部の要人たちが揃っていた。
城内でも大人数を迎えるための部屋らしく、天井は高い。壁際には燭台が並び、その中央に十数人がゆったりと座れる長卓が据えられている。
正面奥には王の席。
その左右へ宰相、軍務を預かる役人、将校たちが並んでいた。
向かい側には、すでにシュバリエ側の席も用意されている。
王太子の席を中央に、エラン、ゴディエ、アンリ、ルーソル、フーガ。さらに今回の戦に同行した将校たちの椅子が続いていた。
銀器は曇りひとつなく磨かれ、卓には肉料理や果実が並ぶ。
香辛料と焼き物の匂いが、戦後とは思えないほど濃く満ちていた。
扉が開く。
先に入ったのは、アストロフとオリビエだった。
佩刀は預けている。
それでも二人は、護衛としての役目を崩さず、室内を確認して左右へ分かれる。
その後ろから、エルドウルフが現れた。
白金の髪。
まだ若い顔立ち。
その傍らには、群青の髪の少女がいる。
さらに後ろから、五人の腹心とシュバリエ軍の将校たちが続いた。
エルドウルフはフェギスノーラの肩へ手を添え、歩みを合わせていた。
支えているようにも、ただ自分のそばから離さないようにしているようにも見える。
亡国の姫――そう紹介されている少女。
王太子妃ではない。
捕虜でもない。
単なる客人とも違う。
ハンサン側の誰も、まだ彼女をどう扱うべきか決めかねていた。
エルドウルフは、その空気を気にする様子もなく一礼する。
「本日は、終戦の確認と今後の協議のため、席を設けていただき感謝する」
形式通りの挨拶だった。
セドリクもまた、友好国の王太子を迎える王として頷く。
「いやいや。こちらこそ、王太子殿には大いに助けられた」
杯を置き、改めてエルドウルフを見る。
「戦場では鬼神のごとく戦ったと聞いておったが……ずいぶんと若いな」
白金の髪と整った顔立ちを眺め、満足そうに笑う。
「それに、顔もよく整っている。血にまみれて馬上にいるより、こうして王族らしい衣を着ている方が似合うではないか」
卓の周囲に、短い沈黙が落ちた。
宰相は何も言わない。
将校たちも、王の言葉を拾おうとはしなかった。
シュバリエ側では、フーガの眉がぴくりと動いた。
壁際に控えるアストロフも、わずかに口元を引き締める。
どちらも何も言わなかった。
だが、アンリには分かっていた。
二人とも、同じところで腹を立てている。
セドリクは気にした様子もなく、むしろ褒め言葉を与えたつもりでいるらしい。
エルドウルフは、わずかに頭を下げた。
「光栄です」
セドリクは満足げに笑う。
「はは。若い英雄というのも悪くない」
そして、卓へ手を向けた。
「さあ、掛けてくれ。同盟国の王太子殿に、失礼があってはならん」
給仕たちが動き始める。
エルドウルフは席に着き、フェギスノーラをすぐ隣へ座らせた。
外套を整え、肩へ軽く手を添える。
それから先は、ほとんど口を開かなかった。
セドリクの話を遮らない。
室内へ視線を巡らせることもない。
ハンサン王は、満足そうに椅子へ深く身を沈めた。
「いやはや、こうして同盟国の英雄を迎えられるとはな。我がハンサン王国としても、実に誇らしい限りだ」
そう言いながら、自らの袖口へ目を落とした。
濃紺の生地には金糸で細かな幾何学模様が縫い込まれ、袖口には淡く光を返す宝石が並んでいる。
「この衣も、今朝仕立てさせたばかりでな。北方産の生糸に、我が国伝統の刺繍を重ねたものだ」
腕をわずかに広げる。
「北方の山地で育てた蚕の糸は丈夫で、染めの乗りもいい。戦があろうと、文化まで粗末にする国ではない」
宰相が静かに視線を落とした。
セドリクは気づいているのか、いないのか。
そのまま貴賓室を見回す。
「部屋も悪くなかっただろう?」
「ええ」
エルドウルフは短く答えた。
「同盟国の王太子を迎えるのだ。粗末な場で済ませれば、それは我が国の格を落とすことになる」
セドリクは満足そうに頷いた。
「国というものは、力だけでは足りん。どう見せるかも重要だ」
今度は卓上へ視線を移す。
「その果物も南方から届いたばかりだ。戦の最中でも交易を完全には止めなかった。北では手に入りにくい品でな」
色鮮やかな果実を示し、杯を傾ける。
「街道が落ち着けば、さらに物が動く。同盟が続けば、南との商いも戻るだろう」
エルドウルフは黙って聞いていた。
並べられた料理のうち、口をつけているのは白インゲン豆の煮込みだけだった。
匙を運ぶ。
セドリクが話す。
また一口食べる。
視線を巡らせることも、話を遮ることもない。
隣では、フェギスノーラも何も口にしていなかった。
「そうだ。馬といえば――」
セドリクの声が少し変わった。
先ほどまでより、わずかに具体性を帯びる。
「我が厩にも良い馬がいる。北方馬に南の系統を掛けたものだ。骨格が強く、長距離でも脚が落ちにくい」
顎を撫でながら、続ける。
「見栄えだけの馬では困る。戦場へ出すなら、肺と脚、それに気性だ。騎手を選びすぎる馬も使いづらい」
将校の列で、若い将軍ヘルドラ・サンドラ・シドーが、初めてわずかに顔を上げた。
セドリクは気にせず話す。
「良い軍馬は、育てるだけでも何年もかかる。まして、鞍と隊列に慣れたものとなれば、金を積めばすぐ揃うというものでもない」
そこでようやく、エルドウルフへ視線を向けた。
「今回の戦で、相当数が残ったそうだな」
エルドウルフは匙を止めない。
「千頭近いと聞いている」
セドリクが続ける。
「ミッドガロン軍が置いていった騎獣だ。負傷しているものもあるだろうが、使える個体も多いはずだ」
白インゲン豆を一口。
エルドウルフはまだ答えない。
「戦利品として整理するなら、当然、同盟軍双方に分配の話が出る」
セドリクは笑った。
「我がハンサンにも、相応の取り分があって然るべきではないか?」
その瞬間、卓の空気が変わった。
宰相がほんのわずかに息を吸う。
将校たちは何も言わない。
エルドウルフは、白インゲン豆の皿へ匙を置いた。
小さな音だった。
それでも、妙によく響いた。
顔を上げる。
表情には、肯定も否定もない。
ただ、次に誰が口を開くのかを待っていた。
王の言葉が途切れたところで、宰相が静かに声を出す。
「軍馬につきましては、現在、戦場放棄物として一時保全しております」
セドリクが眉を上げた。
「戦利品ではないのか?」
「現時点では、算定対象から外しております」
「なぜだ」
「負傷と衰弱の程度にばらつきがございます。疫病検査も済んでおりません。再調教の可否も含め、価値を定められる状態ではありませんので」
セドリクは少し考えた。
「使える頭数は?」
「まだ確定しておりません」
「半分は残るか?」
「それも、今の段階では申し上げられません」
宰相の答えに迷いはなかった。
セドリクは杯を傾けながら、しばらく宰相を見た。
問い詰めようと思えば、できる。
だが、検査も査定も終わっていないものを、今ここで戦利品として数えろと言うほど愚かではないらしい。
「……まあよい」
やがて視線を外した。
「使い物になるかも分からぬ馬を数えても仕方あるまい。整理が済んだら報告させろ」
「承知いたしました」
宰相は頭を下げた。
その横で、エルドウルフは再び匙を取った。
何も言わなかった。
軍馬が、戦利品の一覧から外されている理由を知っていたからだ。
セドリクは杯を置き、今度はエルドウルフの隣へ目を向けた。
「ところで、その娘は」
フェギスノーラは顔を上げない。
「名は?」
少女は答えない。
セドリクの眉がわずかに動いた。
エルドウルフが代わりに口を開く。
「身内も使用人も、戦で亡くしたそうです」
少し置いて続ける。
「その後から、ほとんど話せなくなっています」
「……そうか」
セドリクは、しばらく少女を眺めていた。
見覚えはない。
だが、平民には見えない。
身につけているものも、立ち居振る舞いも、どこかの貴族か、その近縁だろう。
こういう者が厄介なのだ。
戦で家が潰れたのか。
それとも、誰かが表に出さず囲っていたのか。
外戚に連なる家なら、後になって身柄を巡って話が出ることもある。
しかも、身内も使用人も死んでいる。
本人は口を利かない。
こちらで引き取れば、身元の確認から始めねばならない。
保護するにしても、誰の名で置くかを決める必要がある。
面倒な話だった。
だが、その少女の肩には、同盟国の王太子の手が添えられている。
離す気はないらしい。
ならば、話は早い。
「そうか」
セドリクは、先ほどまでより明らかに気楽な顔になった。
「こちらでは心当たりもない。王太子殿が保護するというなら、こちらから異を唱える理由もあるまい」
むしろ、その方が都合がいい。
身元不明の貴人を抱え込まずに済む。
後からどこかの家が名乗り出たとしても、シュバリエ王太子の保護下にあると言えばよい。
「好きに――」
そこまで言いかけ、言葉を改めた。
「いや。そちらで面倒を見てもらえるなら、助かる」
「承知しました」
エルドウルフは短く答えた。
セドリクはそれで、この話を終えた。
しばらくして、エルドウルフが匙を置いた。
「陛下」
それまでほとんど口を開かなかった王太子へ、卓上の視線が集まる。
「戦死者の算定を、確認させていただきたい」
宰相がわずかに身を乗り出した。
「合同軍の損害は、王太子殿の参戦前までで二万四千。そこまでは双方の記録で一致しております」
「はい」
エルドウルフは頷く。
「問題は、その後です」
役人の一人が書類へ目を落とした。
「我が方の記録と照合しました」
エルドウルフの声は変わらない。
「シュバリエ側を一とすれば、ハンサン側は四です」
将校たちの表情が固まる。
ヘルドラは何も言わず、手元の資料へ視線を落とした。
宰相の目が、すぐに役人たちへ向いた。
「再計算を。参戦前後を分けて、三日以内に」
「承知しました」
セドリクは、そのやり取りを黙って聞いていた。
数字の精査そのものには、さほど関心がないらしい。
「それで」
ようやく口を開く。
「兵の補充は、いつ終わる」
軍務官が姿勢を正した。
「歩兵の徴募だけであれば、数か月で。ですが、騎兵、工兵、熟練兵まで含めますと――」
「どれほどだ」
「少なくとも一年は」
セドリクの眉が寄る。
「長いな」
それだけだった。
死者の数よりも、失われた戦力が戻るまでの時間。
王が気にしたのは、そちらだった。
エルドウルフは何も言わない。
「もう一点、よろしいでしょうか」
「なんだ」
「北の砦、ガレオです」
セドリクの視線が、隣の役人へ動く。
「修復と、防衛兵再配置の計画を確認したい」
役人が書類を繰った。
「砦そのものの修繕は、一、二か月を見込んでおります。ただ、境界壁につきましては――」
「概算で結構です」
エルドウルフが言う。
「完了予定と、兵の配置計画を」
返答が遅れた。
「まだ、そこまでは……」
「では、併せてお願いします」
声を荒らげることもない。
エルドウルフはセドリクへ視線を向けた。
「境界の防衛は、同盟の要です」
少しだけ言葉を切る。
「北が疎かなら――南も、同様でしょう」
セドリクの指が、卓上で止まった。
誰も、その意味を聞き返さなかった。
南。
その先にあるのは、シュバリエだ。
エルドウルフは、それ以上何も言わない。
「……失礼」
椅子から立ち上がる。
「本日、確認したかったのは以上です。詳細は、再計算と防衛計画を拝見してから改めて」
フェギスノーラの肩へ手を添える。
セドリクは数秒黙ったあと、頷いた。
「分かった。用意させよう」
「ありがとうございます」
エルドウルフは一礼した。
そのままフェギスノーラを伴い、貴賓室を出ていく。
アストロフとオリビエ、アンリ、ルーソル、フーガがその後に続いた。
エランとゴディエだけは席に残った。
扉が閉じても、セドリクはしばらく動かなかった。
やがて杯に残っていた酒を飲み干すと、何も言わずに席を立つ。
国王が退席すると、会食の緊張もようやく解けはじめた。
役人たちは卓上の資料をまとめ、将校たちも次々と席を立つ。椅子を引く音と、低い話し声が室内に戻ってきた。
シュバリエ側では、エランとゴディエだけが席に残っていた。
戦死者の再算定。
軍馬の扱い。
今後の文書に残す表現。
双方の役人を交え、事後処理の確認を淡々と進めていく。
「エラン・ド・ストラス卿」
背後から名を呼ばれ、エランは書類から顔を上げた。
振り返った先に立っていたのは、ハンサン軍の若い将軍――ヘルドラ・サンドラ・シドー卿だった。
更新: 月曜日/木曜日 20:00




