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光を背負った王――戦場から始まる、王になるまでの物語  作者: RE:ANNE
第一章 神が降りた戦場

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第6話 〜名と理のあいだでー

※戦争・政治要素を含むハイファンタジーです。

※派手な無双よりも、判断と選択を積み重ねて進む物語になります。

※恋愛要素は控えめです。


「……すごい。こんなに、ちから、もどってる」


 フェギスノーラは、自分の六枚の羽を確かめるように振り返った。


 白い羽の輪郭には、先ほどまでとは比べものにならないほど濃い光が満ちている。

 ゆっくり動くだけで、庭の空気が押され、水盤に細かな波が広がった。


 エルドウルフは繋いだ手を見た。


 ほんのわずかな接触だった。

 それだけで、弱りきっていた神が、これほどの力を取り戻している。


 フェギスノーラは何かを思い出したように、枯れた薔薇へ目を向けた。


「あれ……なおす」


「直せるのか?」


「うん」


 宙に浮いたまま身体を傾け、枯れた枝へ指先を触れる。


 青白い光が、小さな泡のように指先から溢れた。


 光は枝を伝い、萎れた葉を包み込んでいく。


 茶色く乾いていた枝に緑が戻った。

 縮れていた葉が開き、艶を取り戻す。


 最後に、萎れていた花弁に色が戻る。


 淡い黄色の花弁が、一枚ずつほどける。


 ほんの少し前まで完全に枯れていた薔薇が、再び大輪の花を咲かせていた。


 背後で、誰かが息を呑んだ。


「……生き返った」


 ゴディエの声だった。


 薔薇を見つめたまま、しばらく動かない。


「死んだものを……戻せるのか?」


 フェギスノーラは振り返った。


 何を驚かれているのか、分からないような顔をしている。


「もどした」


 ただ、それだけだった。


 エルドウルフは、咲き直した薔薇を見る。


 自分が奪ったものを、この神は何事もなかったように戻した。


 昨夜、三千の兵を地へ伏せさせたのと同じ存在が、今は一輪の花を蘇らせている。


 破壊することも。

 戻すこともできる。


 その事実を、エルドウルフは黙って見つめた。


 聞きたいことがあった。


 名前のこと。

 夢のこと。

 自分のマナのこと。


 何から聞けばいいのか考えていると、フェギスノーラがこちらを向いた。


「とぼう」


「……飛ぶ?」


「うん」


 答えるより早く、繋いだ手が引かれた。


「待――」


 足元が消えた。


「殿下!」


 アストロフの声が庭に響く。


 オリビエもすぐに空を見上げた。

 だが、白い羽はすでに建物の高さを越え、そのまま朝の空へ駆け上がっていく。


「エルドウルフ!」


 アンリが叫ぶ。


 返事はない。


 数秒もしないうちに、王太子と神の姿は庭から消えた。


 残された七人の上を、風だけが通り抜ける。


「…………」


 フーガが額へ手を当てた。


「とんでもないな、あの神さま」


「あ、待って。いた!」


 ルーソルが空を指した。


 全員が一斉に顔を上げる。


 首が痛くなるほど仰いだ先。


 はるか上空に、白く光るものが見えた。


 点のように小さい。


 だが確かに、六枚の羽だった。


「……あそこまで行ったのか」


 ゴディエが呆然と呟く。


 アストロフは答えなかった。


 ただ空を睨んだまま、握った剣の柄から手を離さなかった。

 


視界が一気に持ち上がり、エルドウルフは反射的に目を閉じた。


 耳の奥が詰まる。

 胃がふわりと浮き、喉に息が引っかかった。


「……っ」


 次に目を開けたとき、フェギスノーラがすぐ目の前で微笑んでいた。


 その向こうには、ただ空がある。


「……浮いている」


 足元には何もない。


 風が頬を打ち、衣を激しく煽った。

 それでも身体は落ちない。


 眼下には、芽吹き始めた緑の大地が広がっていた。


 セシール河が、南北へ細い光の帯を引いている。

 北にはアルマー渓谷の深い切れ込み。

 さらに南へ目を凝らせば、祖国シュバリエの山並みが青く霞んで見えた。


 これほど広い土地を、一度に見たことはない。


 エルドウルフは繋いだ手へ目を落とした。


 何かが身体へ入ってくる感覚はない。


 ただ、見えない膜のようなものが全身を包み、風の中で身体を支えている。


 フェギスノーラの力だ。


 羽で空を叩いて飛んでいるわけではない。


 空間そのものに、身体を預けている。


 そんな感覚だった。

 

挿絵(By みてみん)

「おまえの――」


「……名前を呼んで」


 フェギスノーラが、きょとんと瞬きをする。


「『おまえ』じゃない。俺の名前を」


 一度、息を吸った。


「俺は、エルドウルフ。エルドウルフ=アンドレース・ド・シュバリエだ」


 言い終え、返事を待つ。


 いつものように平静でいようとした。

 けれど、指先にまで力が入っていた。


 ――呼ばれたら、何か分かる。


 夢の中で聞いた「エル」という名。

 あの懐かしさの正体に、少しでも触れられるような気がした。


 フェギスノーラは嬉しそうに笑った。


「エルドウルフ」


 それだけだった。


 何のためらいもなく、風に乗せるように呼ばれた。


「…………」


 何も起きない。


 景色も変わらない。

 夢で感じたような懐かしさも、胸を締めつけるような痛みもなかった。


 勝手に期待していたのだと、ようやく気づく。


 フェギスノーラは、そんな彼の様子には気づかないまま、自分の胸元へ手を置いた。


「わたし、フェギスノーラ」


 六枚の羽が、風を受けてゆっくりと動く。


「こわすことと、もどすことの神」


「……破壊と再生」


「うん。それ」


 繋いだ手はそのままに、空いた腕がエルドウルフの背へ回った。


 身体が近づく。


 フェギスノーラは彼を見上げた。


「エルドウルフ。いいなまえ」


「そうか」


「うん」


 それから、何のためらいもなく彼の胸へ頬を寄せる。


「むね、ひろい。つよそう」


 エルドウルフは眉を寄せた。


 褒められているらしい。


 けれど、なぜ胸を評されたのか分からない。

 夢の中で月神が自分の胸へ頬を寄せていたことまで思い出し、妙な引っかかりだけが残った。


「エルドウルフ、まなも、つよい。おおきい」


 今度は少し困ったような顔になった。


「でも、つかいかた、へた」


「……下手?」


「うん。いっぱい、だしすぎる」


 フェギスノーラの手が、彼の胸へ触れる。


「あのまま、したら……こわれてた」


 わずかな沈黙のあと、黄金の瞳がまっすぐ向けられた。


「もう、しないで」


 エルドウルフは息を止めた。


 だから、戦場で止めに来たのか。


『まにあって、よかった』


 倒れる直前に聞いた声が蘇る。


「……分かった。気をつける」


 今度は迷わず答えた。

 


 胸元から顔を上げたフェギスノーラが笑った。


 朝の光を受けた黄金の瞳が、ひどく眩しい。

 エルドウルフは思わず視線を逸らした。


 体温も、呼吸も、触れた感触も。

 今ここにいる少女は、間違いなく現実にいる。


 けれど、夢で見た女神は違った。


 漆黒の長い髪。

 成人した女神の姿。

 胸へ頬を寄せ、「エル」と呼んだ。


 姿は違う。


 それなのに、なぜか同じだと思った。


「闘神フェギスノーラは……月神フェルスジークなのか?」


 夢の中で呼んだ名を口にする。


 フェギスノーラはすぐには答えなかった。


 繋いだ手に、少しだけ力が入る。


「……つきも、わたし」


「やはり、そうなのか」


「でも」


 黄金の瞳が逸れた。


「ゆめ、はいれない」


 エルドウルフは眉を寄せる。


「じゃあ、あの夢は?」


「……わからない」


 それ以上、フェギスノーラは答えなかった。


 分からないのか。

 言いたくないのか。


 今のエルドウルフには判断できない。


 しばらく風の音だけが続いた。


「……なら、マナのことは?」


 話を変える。


「さっき、俺からどうやって貰った?」


 フェギスノーラは少し考えた。


「まな、いきてるものに、ある」


「薔薇にもあった」


「うん」


「天にも?」


「てんは、いっぱい」


 六枚の羽がゆっくり動く。


「はねで、もらう。はね、おおいと……たくさん、つかえる」


 エルドウルフは、その羽を見た。


 人間の伝承に描かれているのは二枚。

 だが、実際のフェギスノーラには六枚ある。


「人の世界では?」


「ちがう」


 フェギスノーラの表情が曇った。


「ここ、いるだけで……まな、いる」


「だから、生きているものから取るのか」


 小さく頷く。


 そして、すぐに首を振った。


「でも、もう、しない」


「できないんじゃなく?」


「うん」


 フェギスノーラは言葉を探すように、少し黙った。


「できないように、した」


 エルドウルフは彼女を見る。


「……自分で?」


「うん」


「どうやって」


 フェギスノーラは空いた手を胸元へ置いた。


「きまり、こわした」


 次いで、離した指先を、結び直すように重ねる。


「また、つないだ」


 エルドウルフは息を止めた。


「……理を、変えたのか?」


 フェギスノーラが頷く。


「ことわり。かえた」


 あまりにも簡単に言う。


 人間が従うしかない世界の仕組みを、この少女は自分の意思で壊し、結び直したという。


 その事実に、エルドウルフは改めて彼女を見つめた。


 目の前にいるのは、守らなければならない少女だと思っていた。

 危うく、何も知らず、ひとりでは生きていけない存在だと。


 だが違う。


 この小さな身体の奥には、人間の理解が届かない力がある。

 世界の決まりに従うのではなく、自ら決まりそのものを変えてしまうほどの力が。


 それなのに、彼女は今、エルドウルフの手を握っている。


 その事実が、妙に現実味を持って胸へ落ちてきた。


「それで、今は?」


 フェギスノーラは繋いでいた手を持ち上げた。


「エルドウルフだけ」


「……俺だけ?」


「うん」


 指を絡め直す。


「エルドウルフだけ、つないだ」


 エルドウルフは、繋がれた手を見た。


 世界の決まりを壊し、結び直した。

 その先にいるのが、自分ひとりだという。


 すぐには、どう受け止めればいいのか分からなかった。


 ただ、フェギスノーラが自分の名を呼び、自分の手を握っていることだけが、急に強く意識された。


 ほんの少し前に触れた唇を思い出す。


 あの短い接触だけで、弱っていた彼女には力が戻った。


 この神が人の世界に留まるためのマナは、自分からしか得られない。


 それだけは、もう疑いようがない。


 気づけば、空いていた腕がフェギスノーラの背へ回っていた。


 六枚の羽へ触れないように抱き寄せる。


 フェギスノーラは抵抗しなかった。

 ただ、不思議そうに彼を見上げている。


「神さま……」


「なに?」


 黄金の瞳がまっすぐ向けられた。


 何を言おうとしたのか、自分でも分からなかった。


 けれど、先ほど触れた唇を見た瞬間、別の言葉が先に出た。


「……キス、したい」


 言ってから、エルドウルフは固まった。


 自分でも、何を言っているんだと思う。


 フェギスノーラは何度か瞬きをした。


 それから、小さく首を振る。


「……いまは、いらない」


「…………」


 マナは足りている。


 そういう意味なのだろう。


 分かる。

 分かるのだが。


 エルドウルフは視線を逸らした。


「……そうか」


 風がやけに冷たかった。


 しばらくして、眼下へ目を向ける。


 庭など、もうどこにあるのか分からないほど遠い。


「……皆が心配している。戻ろう」


「うん」


 フェギスノーラは、何も気にしていない顔で笑った。

次話は、数日以内の更新を予定しています。

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