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光を背負った王――戦場から始まる、王になるまでの物語  作者: RE:ANNE
第一章 神が降りた戦場

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第5話 〜白き羽、夜明けに顕れる〜

※第5話です。

今回は戦闘は控えめで、エルドウルフとフェギスノーラの関係、そして世界観の根幹に関わる場面が中心になります。

静かな回ですが、今後に繋がる大切な話数です。

お付き合いいただけたら嬉しいです。



 夢を見ていた。


 薄く張った水面に、夜空の星が映っている。

 空と地の境は曖昧で、どこまでも星屑の中に立っているようだった。


 星が瞬くたび、キン、と小さな音がする。

 澄んだ音は水面に淡い波紋を生み、余韻とともに吸い込まれて、静かに消えていった。


 水も、空気も温かい。

 風はない。


 俺は、ただそこにいた。


 三日月が低く浮かんでいる。

 淡い黄色の光が、水面に二人分の影を落としていた。


 誰かと手を繋いでいた。


 指に絡む手は細く、透けてしまいそうなほど白い。

 足首まで届くまっすぐな髪は漆黒。その横顔には、大きな金色の瞳と、薄桃色の唇があった。


 フェギスノーラに似ている。


 ――いや。


 どこか、同じだ。


「月神……フェルスジーク」


 神話に伝わる、月の女神。


 なぜか、その名を知っていた。


 呼んだ途端、胸の奥が熱くなる。

 理由は分からない。


 けれど、この手の細さも。

 絡んだ指の感触も。

 そこにある体温さえも。


 ずっと昔から知っているような気がした。


「会いたかった、エル」


 頬が胸元に触れる。

 吐息とともに、その名が落ちた。


 ――エル。


 違う。


 それは俺じゃない。


 そう思ったはずなのに、胸の奥が否定しなかった。


 その呼び名を、知っている。


 いつ、誰にそう呼ばれたのかは分からない。

 ただ、ひどく懐かしい。


 もっと別の名で呼ばれていたこともあった気がする。

 けれど、それさえ思い出せない。


 胸が軋んだ。


 優しいのに、苦しい。

 息が浅くなる。


 声もなく涙を流す彼女を、抱いていいのか分からなかった。


 それなのに。


 俺も、会いたかった。


 ずっと、ずっと前から。

 理由も分からないまま、そう思っていた。


 だから生きた。

 生きて、会いたかった。


 けれど――


 この気持ちは、本当に俺のものなのか。


 神さま。


 目を覚ましてくれ。


 そして、俺の名前を呼んでくれ。


 そのとき、きっと。


 何かが分かる。

 


 遠くの空が白み始めていた。


 夜明け前の青に、薄い橙がゆっくりと滲んでいく。

 ランタンの灯りに頼らずとも、部屋の輪郭が見えるほどになっていた。


 窓の外から、鳥の囀りが聞こえる。


 もうすぐ朝が来る。


 エルドウルフは、まだ夢の中にいるような感覚のまま、ぼんやりと現実の輪郭を探した。


 ここは――どこだ。


 夢の中では、誰かと手を繋いでいた。


 細い指。

 確かにあった温もり。


 それがない。


 胸の奥がひやりとして、エルドウルフは目を開けた。


「いっ……」


 反射的に身を起こしかけた瞬間、白金の髪がつんと引かれた。

 小さいが、確かな痛みだった。


 顔をしかめながら、引かれる方へそっと頭を戻す。

 そこでようやく気づいた。


 細い指が、髪に絡んでいる。


 フェギスノーラの手だった。


 いつからそうしていたのか。

 彼女は目を覚まし、ベッドに伏して眠っていたエルドウルフの髪へ、指を差し入れていたらしい。


 群青から淡い青へ移ろう髪が、朝の光を受けている。

 長い睫毛の向こうには、澄んだ黄金の瞳があった。


 その瞳の中に、エルドウルフの顔が映っている。


 見つめ合ったまま、動けなかった。


 ――夢じゃない。


 髪を引かれた小さな痛みが、それを何より確かに教えていた。


「……おひさまの、きんいろ……てんには、なかったいろ」


 小さな声だった。

 けれど、静かな部屋の中では、はっきりと耳に届いた。


 フェギスノーラが目を覚ました。


 その声に、衝立の向こうで休んでいた五人の腹心が一斉に身を起こす。


「起きた?」


 ルーソルの声を皮切りに、毛布がめくられ、人の動く気配が重なった。


 ほどなくして、皆が寝台の周りへ集まってくる。

 

 フーガは声を潜め

「……本当に神なのか。やっぱり、どう見ても少女だぞ」


 ゴディエの脇腹を肘でつついた。


「……髪や瞳の色は、神話の記述と一致している。だが、王宮に残る肖像画や神話画と比べると、ずいぶん幼い」


 ゴディエも声を落として答える。


 神話の中で描かれる闘神フェギスノーラは、いつも成人した女神の姿をしていた。

 目の前の少女は、それよりも明らかに小さく、幼く見える。


 フェギスノーラは二人の囁きには関心を示さなかった。


 エルドウルフの白金の髪に絡んでいた指が、力を失うように寝台へ落ちる。


 黄金の瞳はまだ彼を見ている。

 けれど、その輝きは昨日よりも弱い。


 エルドウルフはすぐに気づいた。


「神さま。……マナが弱い」


 呼吸そのものは乱れていない。

 それでも、存在を形づくる何かが薄れていくような危うさがあった。


 フェギスノーラはゆっくりと視線を外す。


 高い窓の向こうには、夜を引きずる紫の雲と、白み始めた朝の空が見えた。


「……そと、いきたい」


 小さな声だった。


 エルドウルフは迷わなかった。


 羽毛布団と飾りの肌掛けを避け、寝台の足元に置かれていた厚手の毛布を広げる。

 フェギスノーラの身体を冷たい朝気に晒さぬよう包み、そのまま抱き上げた。


「庭に出る」


 その言葉に、最初に動いたのはアストロフとオリビエだった。


「先を空ける」

「承知」


 二人はすぐに扉を開け、廊下へ出る。

 控えていた騎士や侍従へ短く指示を飛ばし、人の流れを止めていった。


 五人の腹心も何も訊かなかった。

 エランとフーガは先へ回り、ルーソルとゴディエは後方を確かめる。アンリはエルドウルフのすぐ近くについた。


 王宮別棟の廊下には、深紅の絨毯が隙間なく敷かれていた。

 一歩踏み出すたび、厚い毛足へ靴底が沈む。


 柱にも壁にも装飾が施され、扉や手摺に使われた真鍮は、朝のわずかな光さえ拾って眩しいほどに磨き上げられている。


 燭台も、飾り金具も、壁を縁取る彫刻も。

 どこへ目を向けても、この館が賓客へ国の富を見せつけるために整えられた場所だと分かった。


 エルドウルフは足を止めない。


 腕の中にある軽い身体だけを気にしながら、長い回廊を進んだ。


 そして外へ出た瞬間、冷えた朝の空気が頬を撫でた。

 重たく飾り立てられた館を抜けたあとでは、それだけで空気がひどく軽く感じられた。

 

 空を切り取るように、背の高い針葉樹が庭を囲んでいた。


 細かな石を敷き詰めた小径が、中央の水盤までまっすぐに伸びている。生垣も芝も草木も隙なく整えられ、ところどころに置かれた像やベンチまで、朝の光を返すほど磨かれていた。


 水盤の周囲には、季節にはまだ早い大輪の薔薇が鉢ごと並べられている。

 温室で咲かせたのだろう。淡い黄色の花が、冷えた朝の庭には不釣り合いなほど華やかだった。


「寒くないか?」


 吐いた息が白く浮かび、すぐにほどけて消える。


「さむく、ない」


 腕の中から小さな声が返った。


 毛布越しにも、フェギスノーラの身体の重みは分かる。

 その確かさに、エルドウルフの胸の奥がわずかに落ち着いた。


 少し離れた場所では、腹心たちが二人を見守っている。

 アストロフとオリビエも、庭へ出る者がいないよう周囲へ目を配っていた。


 誰も近づかない。


 王太子が神と名乗る少女を抱いて、早朝の庭を歩いている。

 その光景を、どう受け止めるべきなのか。

 まだ誰にも判断はついていなかった。


 フェギスノーラが、エルドウルフの襟元をそっと引いた。


「……あれ」


 黄色い薔薇を指している。


「止まるか?」


 小さく頷いた。


 花の前で足を止めると、フェギスノーラは薔薇へ視線を向けたまま言った。


「さわって。まな、もらってみて」


「これから?」


「うん」


 エルドウルフは彼女を抱いたまま、空いた手を伸ばした。


 指先が花弁へ触れる。


 冷たい。

 けれど柔らかく、わずかな力でも形を変えるほど薄い。


 ――ここから、マナを取る。


 言われた意味は分かる。

 だが、どうすればいいのかが分からない。


「……どうやる」


「みち、もう、ひらいてる」


 フェギスノーラが、彼の胸元を見た。


「なかに、いれて。まわす」


 エルドウルフは眉を寄せる。


 幼い頃から教わってきたように、自分の内側へ意識を向けた。


 身体の中を巡るマナを探す。

 そこへ、指先から何かを引き込むように意識を重ねた。


 途端だった。


「っ……!」


 熱が走る。


 指先から腕へ。

 腕から胸へ。


 何かが一気に流れ込み、それまで絡まっていた細い糸がほどけるように、身体の内側を駆け抜けた。


 エルドウルフは息を呑む。


「なんだ……これは」


 胸の内側には、さっきまでなかったマナが確かに増えている。


 けれど、ごく僅かだった。


 それだけのために、目の前では一本の薔薇が完全に枯れていた。


 エルドウルフは、枯れた花と自分の指先を見比べた。


「……俺が、奪ったのか?」


 指先に残る冷たさを確かめる。


 胸の内側には、さっきまでなかった力が確かにある。

 目の前では、生きていた花が枯れている。


 フェギスノーラは、枯れた薔薇を見つめた。


「……なくなった」


 悲しむでもなく、驚くでもない。

 ただ起きたことを、そのまま口にした。


 それから、毛布の隙間から手を伸ばす。


「でも、そのまま、もらってない」


「……何?」


 小さな指が、エルドウルフの胸へ向けられる。


「なかで、まわしてる」


 そのまま、胸元へ触れる。


「おまえのに、してる」


 エルドウルフは言葉を失った。


「神さまから、もらってるんじゃないのか」


 フェギスノーラは首を傾げた。


「ちがう」


 あまりにも簡単に否定された。


「おまえが、つくってる」


 小さな指が、もう一度、彼の胸を押した。


「ずっと」



 フェギスノーラは、ふと水盤へ視線を落とした。


 枯れた薔薇から落ちた黄色い花びらが、水面の上をゆっくりと漂っている。


「……にてるの、かな」


 小さな呟きだった。


「何が?」


 エルドウルフが聞き返す。


 けれど、フェギスノーラは答えなかった。

 何かを確かめるように、彼の胸元を見つめている。


「わたし、いると……ちょっと、ひらく」


 細い指が、エルドウルフの胸に触れた。


「だから、できた」


「開く?」


「うん。まえは、ほそくて……からまってた」


 指先が、胸元をゆっくりとなぞる。


「いまは、ちゃんと、とおる」


 エルドウルフは黙って聞いていた。


 これまで神から与えられていると信じていた力を、自分自身で作っていた。

 それだけでも、まだ理解が追いつかない。


 フェギスノーラはそんな彼を見上げ、ほんの少しだけ笑った。


「でも、つかいすぎ、だめ」


 黄金の瞳が、わずかに細くなる。


「いたいから、ね」


「……分かった」


 短く答える。


 すべてを理解したわけではない。

 それでも、腕の中にある小さな身体の重みを確かめると、張りつめていたものが少しだけ緩んだ。


 エルドウルフは、枯れた薔薇へ視線を落とした。


「神さまも、草木から貰えばいい」


 自分にできるのなら、フェギスノーラにもできるはずだ。

 そう思って言った。


 けれど、フェギスノーラは小さく首を振った。


「……だめ」


「なぜ?」


 答えはすぐには返らなかった。


 エルドウルフは腕の中の少女を見る。

 黄金の瞳には、まだ力が戻りきっていない。


「なら、俺から……」


 言いかけて、止まった。

 昨日のことを思い出す。


「……無理だったな」


 唇を重ね、マナを渡そうとした。

 確かに反応はあったが、それ以上にはならなかった。


 フェギスノーラは、今度は首を横には振らなかった。


「そんなこと、ない」


 細い指が伸びて、エルドウルフの唇に触れる。


「ちょっと、もらえた」


「……貰えていたのか?」


「うん」


 フェギスノーラは指を離し、まっすぐ彼を見る。


「やりかた、ちがうだけ」


「どう違う?」


 フェギスノーラは答えず、エルドウルフの頬へ手を添えた。


 少しだけ顔を寄せる。

 エルドウルフは、その意図を悟った。


 唇が、わずかに触れた。

 呼吸が交わされるよりも短い。

 けれど、昨日とは違った。


 離れる直前、フェギスノーラの唇がほんのわずかに動く。


 何をしたのか、エルドウルフには分からなかった。


 次の瞬間、腕の中の身体に変化が起きた。

 弱々しかった気配が、内側からゆっくりと満ちていく。


 黄金の瞳に光が戻る。


 フェギスノーラは小さく息を吐いた。


「……うん」


 声にも、先ほどまでなかった力があった。


「……今ので?」


「うん。もらえた」


 エルドウルフはその顔を見つめた。


「本当に、俺から貰ってるんだな」


 フェギスノーラは小さく頷いた。

 

 フェギスノーラは朝の庭へ視線を向けた。

 群青の髪が、冷たい風に揺れる。


「わたし、ひとのせかいでは……まな、もらえないことにした」


「……何?」


 黄金の瞳が、まっすぐエルドウルフを見る。


「おまえから、しか、もらえない」


 あまりにも静かな声だった。

 何を意味するのか、エルドウルフにはまだ分からない。


 なぜ、そんなことを決められるのか。

 なぜ、自分だけなのか。


 問いかけるより先に、腕の中の身体がふわりと軽くなった。


 フェギスノーラが宙へ浮かぶ。


 エルドウルフは反射的に腕を緩め、立てるように身体を支えた。

 二人の手だけが、そのまま繋がっている。


 次の瞬間――


 空気が震えた。


 フェギスノーラを包んでいた毛布が大きく膨らみ、内側から走った光に裂かれていく。


 白い光が弾けた。


 背から、六枚。


 巨大な羽が、一気に顕現する。


 朝の庭へ白い光が広がった。

 羽が動くたび、冷えた空気が押し退けられ、薔薇の葉も、水盤の水面も大きく揺れる。


 エラン、ゴディエ、ルーソル、フーガは言葉を失った。


 さきほどまで、どう見ても人間にしか見えなかった少女。


 背には羽。伝承では、二枚。

 だが、目の前に広がっているのは六枚だった。


 ゴディエの口が、わずかに開いたまま止まった。


 エランの手が無意識に腰の剣へ伸び、途中で止まる。


 一方で、アンリは動かなかった。

 アストロフとオリビエも同じだった。

 三人にとっては、これが二度目だった。


 昨日の戦場で見たものが、朝の光の中に、今度は誰の目にも疑いようのない姿で現れている。


 フェギスノーラは、そんな人間たちの反応には目も向けなかった。まっすぐエルドウルフを見ている。


 エルドウルフもまた、目の前に広がった六枚の羽を見上げた。


 戦場でも見た。

 だが、あのときは何が起きているのかを考える余裕などなかった。


 今は違う。

 朝の光の中で、六枚の羽を広げた姿を、初めて落ち着いて見ることができた。


 繋いだ手から、微かな振動が伝わってくる。


 ほんの少し前まで、腕の中で弱りきっていた少女と同じ存在だとは思えないほどだった。


「……神さま、なんだな」


 思わず、言葉が漏れた。


 白い羽がゆっくりと動く。

 それだけで空気が押され、水盤の水面が揺れ、庭木の枝がざわめいた。


 エルドウルフは目を細める。

 これほどの力が、意思をもって振るわれる。


 そう考えた瞬間、胸の奥に生まれたのは、ただの感嘆ではなかった。


 頼もしさと――わずかな恐れ。


 その両方を抱えたまま、エルドウルフはフェギスノーラの手を離さなかった。

 

 



 

次回第6話

木曜日20時公開予定です

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― 新着の感想 ―
目覚めた現実で、澄んだ夏空の青の髪を持つフェギスノーラと視線が重なる瞬間への繋がり方、グッときました。 正直にうまいなーって思いました。 記憶を辿る二人の温度を感じる距離感がたまりませんね! 世界…
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