第68話 〜光を見た者〜
ハンサンの二人の騎士は、柄を握ったまま止まった。
音が消える。
――天井から床まで、細い光の槍が二人を貫いていた。
数えきれないほど、静かに、整然と。
目を見開いたまま。表情は変わらない。動かない。
誰も理解できなかった。
次の瞬間、ハンサン側全員の喉元に光が現れた。
細く尖った光の刃が、首を囲むように円環状に並んでいる。
幾重もの切っ先を内側へ向けた、刃で編まれた首輪だった。
金の光は、月光のような青白さを帯びていた。
身じろぎひとつで触れる距離にある。
誰も、動けなかった。
部屋には、呼吸の音だけが残った。
(……違う)
エルドウルフは動かなかった。
(これは、俺じゃない)
沈黙は数秒だった。
だが、その場にいた誰にとっても永遠のように長かった。
ヘルドラの額に冷汗が伝う。
――これが、神に愛された王太子の力か。
千を消し飛ばす神力と聞いていた。
だが、これは違う。
巨大な力で押し潰すのではない。
繊細で、正確で、逃げ場がなかった。
唾を飲み込み、必死に平静を装う。
「……お見事です、殿下」
声はわずかに掠れていた。
エルドウルフは右手を持ち上げた。
誰に向けたものでもない、制止の仕草。
それだけで、室内の視線がすべて彼へ集まった。
まるで、この光も死も、王太子の掌中にあるかのように。
内心は揺れていた。
だが、それは脇に置く。
今は、王太子だった。
「喧嘩をしに来たんじゃない」
静かな声だった。
掲げた手が、ゆっくりと下がる。
喉元を囲んでいた光の刃がほどける。
槍も砂金のような粒へ崩れ、空気に溶けていった。
支えを失ったように、二人の騎士が床へ崩れ落ちる。
二人の身体から立ち上った微かな光は、天井へ昇り、空気へ溶けるように消えた。
誰も声を出せなかった。
張り詰めていた者たちの身体から、遅れて力が抜けた。
椅子にもたれ込む者。
腰を抜かして床へ座り込む者。
誰もが、自分がまだ生きていることを確かめるように息を吐いた。
ギルタンは青白い顔のまま振り返り、倒れた騎士を見た。
口元を押さえ、吐き気を堪える。
エルドウルフは立ち上がった。
長卓を静かに回り、ギルタンの隣へ立った。
正面から威圧するためではない。
同じ方向を見るような位置だった。
「ギルタン殿下」
柔らかい声。
「禍根が残ります」
ギルタンがゆっくり顔を上げる。
「あなたより継承権上位の王子と、その後援者たちは、あなたを逆賊と断じるでしょう」
静かに続く。
「正統な王位の奪還を掲げ、何十年でも、あなたの命と王座を狙い続ける」
その声は耳ではなく、頭に響くようだった。
「今のあなたが、そうであるように」
ギルタンは若者を見上げた。
微笑んでいた。
つい先ほどまで恐怖そのものだった男と、同じ顔とは思えないほど穏やかに。
白金の髪。
整った顔立ち。
一見すれば細身の体躯。
だが近くで見れば分かる。
鍛え上げられた腕と脚。
飾りではない、武人の体だった。
「王座を目指すなら、今、生きている者と――これから死んでいく者。そのすべてを、背負いなさい」
ギルタンの唇が、かすかに開いた。
だが、声は出なかった。
視線がエルドウルフから外れ、床に倒れた騎士へ落ちる。
青ざめた顔には恐怖が残っている。
その奥に、やがて別の色が滲んだ。
自分より十歳以上も若い王太子に、覚悟を説かれた。
王座に届かぬ器と断じられたうえで。
ギルタンの指が、椅子の肘掛けを強く掴む。
そこに浮かんだのは、責任を引き受ける覚悟ではなかった。
恐怖と――見下されたという屈辱だった。
その意味は、まだギルタンには届いていなかった。
だが、ギルタンへ向けられた言葉を、本来の意味で受け取った男がいた。
ヘルドラだった。
春の野営地が、ヘルドラの脳裏によみがえる。
息のある者も、すでに冷たくなった者も。
あの若者は一人ずつ名を呼び、触れ、覚えていた。
それを、初陣の頃から繰り返してきたという。
あのとき、ヘルドラは思った。
――王とは。
――王の器とは、こういうものを言うのだ。
そして今、あの日に見た覚悟が、言葉になった。
同じ言葉が、ギルタンには屈辱となり、ヘルドラの胸には焼きついた。
あの日に見たものは、間違っていなかった。
胸の奥が、焼けるように熱い。
膝をつきたい衝動を、奥歯を噛み締めて堪えた。
将の忠誠は、生まれた国を出るものではない。
そう信じてきた。
だが今、その膝は、他国の王太子へ向かおうとしていた。
――やはり、この男は光だ。
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