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光を背負った王――神力を宿す王太子エルドウルフの戦記  作者: RE:ANNE
8章 有限と無限のあいだ

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第63話 〜ゆっくり、だけどはやく〜


 夜はすでに城を包んでいた。


 三階の回廊だけが、まだ明るい。


 四階の寝室が使えなくなり、エルドウルフが三階へ移ってきてからというもの、三階の使用人たちは今日も張り切っていた。


 これまで仕えていたのは、驚くほど手のかからない姫君だった。

 

 衣装も食事も社交も、多くを望まない。

 夜になれば四階へ上がり、三階は静けさを取り戻していた。


 そこへ突然、王太子が住み始めた。


 柱は磨かれ、燭台は揃い、

 白いリネンは三度もアイロンをかけられ、折り目まで妙に誇らしげだった。


 低いテーブルの上には、過剰な夜食が並んでいた。

 焼き菓子、果実、チーズ、薄く切った燻製肉。

 果実酒は、なぜか三種類もある。


 その隅には、フィーラのための小さな茶器。


 テーブルの手前には、毛足の長いラグが敷かれていた。

 エルドウルフはその上に胡座をかき、隣ではフィーラがクッションを胸の下に抱え、うつ伏せに寝転んでいる。


 二人の前には、分厚い一冊。


 神獣図鑑。


 エルドウルフの髪はまだ少し湿り、首元には湯上がりの熱が残っていた。

 

「……ユニコーン」


 フィーラが頁をめくる。紙が柔らかく鳴った。


「シュバリエのしるし、これなんだね」

 

「そうだ」


 短く返す。

 フィーラは絵を見つめる。指先で角をなぞる。


「きれい」


「まあな」


 フィーラの指が、ユニコーンの角から頁の下に描かれた紋章へ移る。


「でも、クワルノーは?」


 唐突だった。


 エルドウルフは一瞬言葉に詰まる。


「……まだ決めていない」

 

「はやく決めてくれないかな」

 

「なんでだ」

 

 フィーラは本へ視線を戻した。

 

「……べつに」


 明らかに、何かある顔だった。

 エルドウルフは片眉を上げる。


「怪しい」


 責めるというより、面白がっている声だった。


 フィーラは本の端を指でなぞり、視線を落としたまま口を尖らせる。


「あやしくない」


 エルドウルフは片手をラグにつき、フィーラの顔を覗き込むように身を寄せた。


「何を隠している」


「かくしてない」


「目が泳いでいる」


()はおよがない」


「本の端ばかり触って、文字を見ていない」


 フィーラの指がぴたりと止まった。


 ゆっくり顔を上げる。


「……見てたの?」


「見ている」


 即答だった。


 フィーラはむくれたまま身体を起こし、膝を抱えるように座り直す。


挿絵(By みてみん)


「ずるい」


「ずるくない」


 エルドウルフは小さく息を吐き、低いテーブルへ手を伸ばした。

 三種類ある果実酒のうち、一番近くにあったグラスを取る。淡い赤が、燭火を受けて揺れた。


「言えない理由があるのか」


 フィーラは少し考える。

 肩からこぼれた髪の先を、指に巻きつける。


 そして、ゆっくり首を振った。


「まだ」


「まだ?」


「いま言ったら、だめ」


「なぜ」


「だめだから」


 完全に子供の理屈だった。


 エルドウルフはグラスをテーブルへ戻した。

 グラスの底が天板に触れ、かすかな音を立てる。


 喉の奥で笑いを噛み殺す。


「……余計に気になる」


 フィーラは本を胸に抱えた。

 無意識に、彼の袖をつまむ。


「決まったらわかるよ」


「つまり、俺に関係があるのか」


 沈黙。


 開けた窓の向こうから、細い虫の声が届いた。


 袖を掴む指に力が入り、ほんの一瞬、視線が逸れる。


 答えだった。


 エルドウルフは目を細めた。


「なるほど」


 少しだけ口元が緩む。


「なら、急ぐ必要があるな。明日、会議の議題にするか」


 フィーラが勢いよく顔を上げる。


「だめ!」


 思わず袖を引いた。

 エルドウルフが瞬きをする。


「……じゃあ、ゆっくり決めるか」


「それもだめ!」


 フィーラは本を膝へ下ろし、今度は両手で袖を掴んだ。


 エルドウルフの片眉がゆっくり上がる。


「どっちならいい」


 フィーラは袖を放すと、もう一度本を抱え込み、視線を逸らした。


「ゆっくり、だけどはやく」


「曖昧だな」


「自分でちゃんと、かんがえて」


 エルドウルフは、しばらくフィーラを見つめていた。

 やがて、小さく笑う。


 フィーラは無視して頁をめくった。

 紙の柔らかな音が、窓の外の虫の声に重なった。

 

 

 二頭の白い有翼の獅子の絵。

 フィーラの指が止まる。


「……ランギュース」


 声から、さっきまでの拗ねた響きが消えた。

 エルドウルフが顔を上げる。

 

「知っているのか」

 

「うん」


 少し間。


「ともだちだった」


 エルドウルフは笑いそうになって飲み込む。


「友達の規模が違うな」


 フィーラは真剣だった。


「大きいよ」


 フィーラは図鑑をラグへ置いて立ち上がった。

 両手を大きく広げ、その場でくるりと回る。


「これくらい!」


 腕では足りず、ぴょんと背伸びする。


「背、ここくらい」


 自分の頭のずっと上を指す。


 それから再びラグへ座り、頁の白い毛並みを指先でなぞった。


「白くて、ふわふわ。いつも一緒にいた」


 小さな声。


「一頭は青い目。もう一頭は緑」

 

「名前は?」

 

「ない」


 首を振る。


「二頭で、ランギュース」


 静かな沈黙。

 エルドウルフは頁を見つめたまま言う。


「……昔の話だな」


「すごくむかし」

 

「どれくらい?」

 

「街が、あまりなかったころ」


 エルドウルフの手が止まる。

 頁を押さえたまま、動かない。


「……ずいぶん前だな」


 フィーラは頁の獅子を見つめたまま、嬉しそうに続ける。


「くもの上、はしるのはやいよ」


 嬉しそうに言う。


「人は神獣になれない」


「うん」


「でも――」


 長い沈黙。


「今は、同じ速さで走れる」


 フィーラが首を傾げる。


「長く生きるだろ。お前」


「わからない」


 正直な声。


 エルドウルフは少し笑う。


「だろうな」


 頁へ視線を戻し、ふと呟いた。


「だから、俺は急ぐのか」


 独り言のような声だった。

 フィーラが瞬きをする。


「なにを?」

 

「いろいろ」

 

 曖昧なのに、それ以上ない答えだった。

 

 エルドウルフは息を吐いた。


「気のせいだ」


 声は、いつもと変わらなかった。

 フィーラはそれ以上追わない。

  

「ランギュース、すき」

 

「俺もだ」


 まだ見たことはないのに。


 窓の外は夜だった。

 三階だけが、まだ明るい。


 時間の長さが違う二人が、同じ本を読んでいた。

 

更新 月曜日/木曜日 20:00


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たまにイラストも

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