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光を背負った王――神力を宿す王太子エルドウルフの戦記  作者: RE:ANNE
第七章 同じ未来を見る

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第60話 〜晩餐は戦場〜



「ロワール閣下並びに随行の皆、貴族、官吏諸君に創造神(アイオーン)の祝福があらんことを。――今宵は肩の力を抜いて過ごしてほしい」


 極端に短い挨拶だった。


 その一言で晩餐は始まる。


 同日午前の案内にもかかわらず、クワルノーのタウンハウスに常駐する子爵や公子のみならず、周辺領地の代理人までもが席に着いている。


 忠誠と情報網は、数字より雄弁だ。


(悪くない)


 エルドウルフは隣席の重鎮へ酒を注ぎ、静かに杯を掲げた。


 同じ卓のフーガが低く呟く。


「“シュバリエ”の安寧も“陛下”の健康も、“守護神(フェギスノーラ)”への感謝も無しか」


 アンリが苦笑する。


「今日はだいぶ削ったな」


「削ぎ落としただけだ」


 エルドウルフは杯を傾けた。


 卓には、マティス、ジュリア、エラン、ルーソル、ゴディエ、フーガ、アンリ。


 身分順に整然と。


「姉上、お加減はいかがですか。子は順調ですか」


 エルドウルフの問いにジュリアが柔らかく微笑む。


「ええ、殿下。私もこの子も健康ですわ。毎日姫さまにお腹を撫でていただいているからかしら。食事がとても美味しくて」


 その整然を、崩す言葉だった。

 

 ぴくり、と、複数の手が止まった。


「……姫さま?」


 マティスが逃さない。


 豪傑(ごうけつ)たちが一瞬で静まる中、ジュリアは穏やかに続ける。


「殿下が保護している姫君です。花のように可憐な方。今夜はいらっしゃらないの?」


 時間が、止まった。


 エルドウルフの思考も一瞬、空白になる。


(朝、会わないと言われた)


 そこから先は考えていなかった。


「ジュリア。その姫君とは、どこの姫だ」


 どうせエルドウルフは(かわ)す。

 ならば娘から聞く。


 マティスの狙いは明確だった。


「ジュリア、その話は――」


 エランが制止する。


 しかし。


「亡国の姫君だそうです。遠縁と伺っています。ハンサンで再会なさったとか。いまは殿下を頼ってクワルノーに」


 流れるように語る。

 事実と虚構を混ぜた、完璧な布石。


「そうか」


 マティスの視線が鋭く細まる。


「ぜひお会いしたいものだ。姫君の御名は?」


 逃げ場はない。

 視線が、エルドウルフに集まった。


 長卓の上には銀器が整然と並び、燭台の炎が揺れている。

 楽師の弦は、いつの間にか音を止めていた。


 周囲の貴族たちも、会話をやめている。

 ワインを注ぐ音すら、やけに遠い。


 全員が――王太子を見ていた。


 杯の縁に触れた指が、わずかに止まった。

 逃げ道はいくらでもあった。

 だが――選ばなかった。

 


「……フィーラです」


 周囲の貴族たちが、わずかにざわめいた。

 王太子が、認めた。

 隣に置く姫君の名を、隠さず口にしたのだ。


 短い沈黙のあと、マティスが眉を上げる。


「珍しい名だな」


「天界の花にちなむ名だと聞いております」


 さらりと続ける。


 マティスが頷く。


「ほう。(ゆかり)を感じる良い名だ」


 その言葉に、卓の緊張がほんのわずか緩む。


 マティスは続けた。


「それほど大切に匿う姫君なら、ただの遠縁ではあるまい」


 視線が、再びエルドウルフへ戻る。


 エルドウルフは杯を置いた。


「母上の実家、オリオンツォーナの遠縁です」


 一瞬、マティスの表情がほどけた。


 辺境伯オリオンツォーナ。

 そして――ミレーヌ。

 それだけで足りた。


「……なるほど」


 だが、エルドウルフはそこで終わらせなかった。


「今は素性を伏せ、私の庇護下に置いています。」


 静かな声だった。


「ですから、姫君について軽々に噂されることは望みません」


 卓の空気が、わずかに締まった。


 命令ではない。

 脅しでもない。


 だが、王太子の庇護下にあると明言された以上、誰も軽く扱えない。


 マティスはゆっくり杯を揺らした。


「よかろう。ならば、いずれ正式な場で披露してもらおう」


「その時が来れば」

 

 エルドウルフは杯を取り直した。


 視線が少しずつ離れていく。

 晩餐の音が、ゆっくり戻ってきた。


 会話が再び流れ始めると、止まっていた楽師が静かに弦を鳴らした。

 

 張り詰めていた空気が、ゆっくりと解けていく。


 その瞬間を待っていたかのように、扉が静かに開いた。


 給仕たちが一斉に動き出す。


 足音も、衣擦れも、皿の触れ合う音すらない。

 白手袋の手が、影のように卓上を滑っていく。


 最初の皿が置かれた。


 湯気の立つ白いスープ。

 淡い香草の香りが、張り詰めていた空気をゆっくりと解いていく。


 遅れて、まだ温かなパンが運ばれる。

 給仕たちは視線を上げないまま卓全体を見渡し、誰にも意識させぬ速さで杯を満たしていった。


 卓の端で、フーガが小さく呟く。


「相変わらずだな」


 アンリが小声で返す。


「戦場より統制が取れてる」


 銀蓋が同時に持ち上がり、香ばしく焼かれた肉の匂いが広がった。


 止まっていた楽師の弦も、静かに音を取り戻す。


 重苦しかった晩餐は、ようやく宴の姿へ戻っていった。


 ロワール太公マティスがゆっくりと杯を回す。


「西への拡張は聞いた。秋の前に動いたのだな」


 軽い口調。

 だが視線は鋭い。


 エルドウルフは頷いた。


「夏の終わりは嘘をつかない。

 飢えるか、備えるか。どちらかが見える。そうでしょう?」


「備えているか?」


「半分は」


 短い返答。

 マティスは小さく笑った。


「正直でよろしい」


 ワインを一口。


「国境は静かだ。

 静かすぎて、少し不気味だがな」


 領地を持つ貴族たちの姿勢が、わずかに正された。


 静かな年は、次の嵐の前触れになりやすい。


 エランが静かに口を開く。


「交易量は昨年比で微増。

 ただし香辛料だけは流入が減っています」


 ゴディエが続ける。


「海路ではなく、陸路に切り替えている可能性があります」


 マティスの眉がわずかに動く。


「戦の準備か?」


 誰も否定しない。

 代わりにエルドウルフが言った。


「まだ“噂”だ。

 だが噂は、放置すると事実になる」


 マティスは満足そうに頷いた。


「だから、西へ伝令を出したか」


「はい。王太子派には、警戒を。

 商人には、物流の変化を注視するよう伝えました」


 ルーソルが静かに続けた。


「ロワールからも街道沿いの領主へ知らせています。兵を動かせば余計な警戒を招くため、今は商隊と宿場から情報を集めています」


 マティスが息子を見る。


「早いな」


「遅れてからでは、殿下の役に立ちませんので」

 

 給仕たちは料理を滞りなく運び、卓の空気はいつしか和らいでいた。


「南西境界の橋、修繕を始めたと聞いた」


「老朽化していました。」


「金は?」


「もちろん、出しました。」


 短いやり取りに、周囲の貴族が小さく笑う。

 アンリが肉を切りながら呟く。


「この二人、会話が短すぎる」


 フーガがワインを飲みながら返す。


「分かる奴にだけ分かればいい」


 卓の笑いが少し広がった。


 酒が進む。

 声が少しだけ大きくなる。


 警戒の糸が、ほんの少し緩んだ。

 その瞬間だった。

 マティスが何気ない声で言った。


「ところで」


 ナイフとフォークが止まる。

 太公は穏やかに微笑んだ。


「フィーラ殿には、いつ紹介してもらえるのかな」


 完全に油断した場に投げ込まれた言葉だった。

 エルドウルフは小さく息を吐いた。

 

「……機会があれば」


 ジュリアが楽しそうに笑う。


「私も気になります」


 静かな波紋が、卓の上を広がった。

マティスは肉を切り分ける手を止めることなく言った。


「では、早く子を儲けろ」


 一瞬、卓の音が消えた。


 グラスが止まる。

 ナイフが止まる。


 そして次の瞬間、フーガが盛大にむせた。


「ぶっ……!」


 アンリは目を伏せ、額に指を当てる。

 ルーソルは飲みかけたワインを危うく止め、静かに咳払いをした。

 エランの手は、皿の上でぴたりと止まる。

 ゴディエは視線を逸らし、口元を押さえた。


 周囲の貴族たちも、微妙に姿勢を正す。

 笑ってよい話ではない。

 だが、完全に真面目な話として受け取るには、あまりにも無造作に放り込まれた。


 ジュリアが目を丸くする。


「お父様」


 周囲の貴族たちも、息を呑んだまま王太子と太公を見比べている。

 

 だがマティスは豪快に笑った。


「王太子だぞ。十八だ。若い若いと言っているうちに、あっという間だ」


 ワインを揺らしながら続ける。


「血筋は、早く繋いでおくに越したことはない。

 戦も政治も、後継がいれば話が早い」


 声は軽い。

 だが、完全な冗談でもない。


 視線がゆっくりとエルドウルフへ向いた。

 

 当人はしばらく沈黙し、杯を静かに置いた。


「……叔父上」


 低いが、怒ってはいない声。


「順序というものがあります」


 マティスは肩をすくめる。


「順序?——はは。

 子が生まれれば、それが順序になる」


 ゴディエはゆっくりと目を閉じ、フーガは無言でワインをあおった。


「乱暴だな」


 エルドウルフが言う。


「王家の話は、だいたい乱暴だ」


 即答。

 しかし、口元はわずかに緩んでいた。


 マティスは少しだけ間を置き、声を落とした。


「まあ、急げとは言わん。

 だが――名を出した以上、形にしておけ」


 完全な命令ではない。

 助言でもない。


 揺さぶりだ。

 

 そして、太公は再びワインを口にした。

 凍りついた卓は、やがて小さな笑いとともに溶け始める。

 マティスの言葉の余韻が、まだ卓の上に残っている。


 ほんのわずかの静寂。

 それを破ったのは、やはりジュリアだった。


「まあまあ、お父様ったら」


 にこやかに笑い、わざと大きくため息をつく。


「そういう話題は野暮ですよ。老婆心が剥き出しです」


 周囲から小さな笑いが漏れる。

 マティスが眉を上げた。


「老婆心だと?」


「ええ。可愛い甥が心配で仕方がない、という顔をしていらっしゃいますわ」


 くすり、と。


 何人かが肩の力を抜いた。

 マティスはわずかの間ジュリアを見つめ、それから低く笑った。


「……そうかもしれんな」


 グラスを揺らす。


「年を取ると、どうも口が先に出る」


「存じております」


 ジュリアは優雅に杯を傾けた。

 空気が完全に戻る。


 止まっていたナイフが再び動き、楽師の音も自然に重なった。


 エランが静かに笑う。


「義父上。殿下は順序を違える方ではありません」


 マティスは目を向けた。


「今は、その順を見守るのがよろしいかと」


「……そうだな」


 マティスはあっさり頷いた。


「若い者には若い者の順がある。

 急かすつもりはない」


 言葉は軽い。

 だが、先ほどの一石が完全に消えたわけではない。

 エルドウルフはそれを理解したまま、杯を持ち上げた。


 宴は、何事もなかったように続いていく。


 ◇◇◇


 華美ではないが、よく整えられた晩餐会で、主役のエルドウルフが退席したのを機に、身重のジュリア・ド・ストラスも帰宅のため馬車に乗り込んだ。

妻の体を気遣い、エランは同乗する。


「しかし驚きました。貴女が姫さま――フィーラ様を話題に出すとは思いもしませんでした」


 隣に座り、そっと手を取って語りかける。

咎める声ではない。ただ、本心からの驚きだった。


 妻の実家は太公家。二人の関係は元より対等だ。

そしてエランは、誰よりも妻を愛していた。


 ジュリアは穏やかに微笑む。


「姫さまがあの場にいらっしゃらなかったとしても、旦那さまも殿下も、まるで存在しないかのように振る舞っていましたでしょう?少し腹が立ったのです」


 才色兼備な太公の一人娘は、柔らかな声でそう言った。


「神の存在は、軽々しく口にしてよいものではありません」


 エランは苦笑する。

 フィーラの存在に、彼自身も頭を抱えているのだ。


 顕現した神。

――だという事実を忘れてしまうほど、あの少女は無垢で可憐だった。


 今、彼女は自由に動き回っている。

 城下町だけではない。やがて領地、そしてシュバリエ全体へと知られる日が来るかもしれない。


 ジュリアが静かに続けた。


「気づいていらっしゃいますか?旦那さまは姫さまを“手に余る存在”のように仰ることがあります。でも姫さまは私たちの理解が及ぶ御方ではありません。最初から、私たちがどうこうできる存在ではないのです」


 言葉は正しい。

 それでもエランは首を振る。


「ですが私は、エルドウルフと国民を守る立場にあります。あの天真爛漫の神が、彼にどんな影響を与えるのかを案じるのも仕事です」


「旦那さまのお気持ちは分かります。」


 ジュリアは握られた手に、もう片方の手を重ねた。

 

「ですが、その役目と、姫さまを恐れることは別です」


 馬車の歩みは緩やかだった。日が沈み、藍色が空に広がっていく。

 

「旦那さまは、殿下を“英雄”と呼びますよね。彼の進む道が歴史になると。ならば姫さまも同じではありませんか?姫さまが示した道を、私たちは進めば良いのです」


 少し間を置き、続ける。


「たとえ苦難があったとしても、それは神がお与えになった試練でしょう」


 エランは息を吐いた。

 確かに――二人は大きな特異点だ。


 ジュリアはクスリと笑う。


「……もっとも、そうではないのかもしれませんが」


「えっ?」


 あまりに早い手のひら返しに、思わず声が漏れる。


 ジュリアはにこやかに笑った。


「殿下に甲斐性がなければ、姫さまが見限って別の方を選ぶかもしれませんし。逆に殿下が姫さまを失望させれば、大陸が消し飛ぶかもしれません」


 エランは天を仰いだ。


「……物騒なことを平然と言いますね」


「だからこそ、私たちに出来るのは、御しようとすることではありません」


 ジュリアは優しく続けた。


「姫さまが普通の女の子として笑えるように、普通に接することです」


「……普通に、ですか」


 エランは難しい顔をした。


「顕現した神を相手に?」


「今だって、決まらないエンブレムに悩んでおられるでしょう?」


「それとこれとは別です」


「同じです」


 即答だった。


 エランは黙る。


「姫さまは未来を見通しているわけでもなさそうです。迷って、悩んで、楽しいことがあれば笑う。普通の女の子なのです」


 ジュリアは握られた手を、指先で軽く撫でた。


「だから私たちも、普通に接すればいいのです」


 馬車が石畳を踏み、ゆるく揺れる。


 エランはすぐには答えなかった。


 窓の外を、夜の街灯りが流れていく。


「……案じるな、とは言わないのですね」


「旦那さまに申し上げても、無駄でしょう?」


 あっさり返され、エランは妻を見る。

 ジュリアはにこやかに笑っていた。


「それは、そうですが」


「なら、せめて姫さまを御しようとはなさらないで」


 エランは少し黙った。

 馬車の揺れに合わせ、重ねられた手がわずかに動く。


「私たちが、どうこうできる御方ではない」

 

「はい」


「……それは認めます」

 

 ジュリアの目がやわらぐ。

 エランは小さく息を吐いた。


「普通に接する、……ですか」


「難しいですか?」


「非常に」


 即答だった。

 ジュリアがくすりと笑う。


「では、まずはエンブレムのお話からなさっては?」


「……努力しましょう」


 馬車は夜のクワルノーを、静かに進んでいった。


「ふふ。あら、坊やが安心したのかしら」


 ジュリアは腹部に手を添える。


「動きましたよ。触ってください」


 導かれた手の下で、確かな胎動があった。


「本当だ……」


「男の子ですって。姫さまが教えてくださいました」


 エランは固まった。


「……そうか」


 嫡男。


 その二文字が胸に深く落ちた。

 ストラス家を継ぐ者。

 そして、自分とジュリアが未来へ残す命。


 込み上げる喜びを押し隠そうとしても、口元はどうしても緩んでしまう。

 

「髪と瞳の色も教えてくださったのだけれど、聞きたい?」


 エランは少し考え、首を振った。


「楽しみは取っておきます」


 ジュリアは満足そうに微笑んだ。


 そうして妻を自邸まで送り届け、エランは馬車を降り、そのまま宮廷へ蜻蛉返りした。

 夜の王都は静かだった。

 灯りの残る窓は少ない。

 だが――城の灯は、まだ消えないだろう。


 エランは小さく息を吐き、手綱を握り直した。

 

 守るべきものは、確実に増えている。

 

 

 

 

 

更新 月曜日/木曜日 20:00


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本編の挿絵イラストも

https://x.com/REANNEcreative

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