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光を背負った王――神力を宿す王太子エルドウルフの戦記  作者: RE:ANNE
第七章 同じ未来を見る

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第58話 〜確かな歩幅〜


 西棟の回廊は静かだった。

窓の外は昼の光に満ちているのに、廊下の奥は薄暗い。厚い石壁が光を飲み込み、足音だけが長く残響(ざんきょう)する。


 硬い靴音が並ぶ。

 カツ、カツ、と規則的に響く音の中に、一本だけ異なるリズムが混ざっていた。

 マティスの杖だ。石床(いしゆか)を打つ乾いた音が、わずかに遅れて追いかけてくる。


 西棟三階は、ルーソルとその使用人たちの居住区だった。


 その廊下を、ロワール太公一行が進んでいる。


 会談を終えたあと、マティスは息子に案内され、西棟三階の区画を見て回っていた。


 ロワール家、リモージュ家、ランベール家は城下にもそれぞれ本邸を構えている。

 家臣や領地との連絡役、商会や諜報に携わる者たちが常駐し、大貴族の家としての機能はそちらに残されていた。


 だが、本人たちの生活は城内にあった。


「ルーソルディア」


 短く名を呼ばれる。

 従者たちが自然と距離を取った。


「はい、父上」


 ルーソルは振り返る。声は穏やかで、歩みも変わらない。

 だが廊下の空気は、わずかに温度を下げた。


 マティスは、息子を甘く見る男ではなかった。


 幼い頃、ルーソルをロワールから出し、ミレーヌのもとへ預けた。

 エルドウルフと共に学ばせ、王太子の隣に立つ者として育てた。


 その才も、働きも、戦で積んできたものも、十分に知っている。


 だからこそ、問いは短かった。


「お前はエルドウルフの役に立てているのか」



 その重さだけが、廊下に響いた。


 ルーソルはわずかに微笑んだ。


「どうでしょう。私は殿下に使われているつもりはありませんが」


 マティスの眉が動く。


「ほう?」


「殿下は、自分の足で立てる方です。

 私は横で計算を間違えないようにしているだけです」


 軽い口調。だが言葉は揺らがない。

 杖が一度、強く床を打った。


「政は順調なのか」


「ええ。恐ろしいほどに」


 ルーソルは前を向いたまま答える。


「最短距離を選びます。遠回りを嫌う」


 窓から差し込む光が一瞬だけ顔を照らし、すぐ影に沈んだ。


「弱点は」


「ありません」


 即答だった。


「では欠点は」


 わずかな間が落ちる。

 廊下の奥で風が鳴った。


「寝起きが悪いことと、偏食ですね」


「……何だと?」


 ルーソルは肩をすくめる。


「平時の朝は、起こしてもなかなか起きません。

 肉や魚より、野菜と豆を好みます。あの体格で」

 

 声にはかすかな笑みが混じっていた。


 マティスが小さく息を漏らす。

 冷えた空気がわずかに緩む。


「他には」


「最近は、少し感情が表に出るようになりました」


 杖の音が止まる。


「感情が?」


「ええ」


 ルーソルは一度だけ、言葉を選ぶように視線を落とした。


「以前なら切り捨てていたものを、少しだけ拾うようになった。怒りも、迷いも、気に入らなさも」


「弱くなったのか」


「いいえ」


 ルーソルは微笑んだ。


「人間らしくなったのだと思います」

 

 マティスは答えなかった。

 

 廊下の奥で風が鳴る。

 マティスはしばらく息子を見ていた。


「……お前は、それを良いことだと思っているのか」


 問いは静かだった。

 ルーソルは少しだけ笑った。


「まだ、測りかねています」

 

 低い笑いが漏れた。


「……なるほど」


 それ以上、マティスは何も言わなかった。

 だが杖の音が再び歩き出すまで、わずかな間があった。

 

 しばらく無言が続いたあと、マティスが言った。


「ロワールから人を出すことになる」


「ええ」


「学舎も、人脈も、動かす。お前が思っている以上に、大きく動くぞ」


「承知しています」


 ルーソルの返事は穏やかだった。

 マティスは横目で息子を見る。


「お前は、その中で何をする」


 廊下の温度が、またわずかに下がる。


「殿下の隣にいます」


 即答だった。


「ロワールではなく、か」


「ロワールのためにも、です」


 ルーソルは足を止めなかった。


「殿下が見る未来に、ロワールが乗り遅れるわけにはいきません」


 マティスの杖の音が、わずかに遅れた。


「……言うようになった」


「育てたのは父上です」


「半分はミレーヌだ」


「では、半分だけ感謝します」


 マティスは鼻で笑った。

 

 その笑みは、すぐに消えた。


「お前は満足しているのか」


 不意の問いだった。

 ルーソルは一瞬笑い、視線を逸らさず答える。


「ええ」


 遠くから足音が近づいた。

 エランが現れ、一礼する。


「閣下、妻がお待ちしております」


 会話はそこで途切れた。


 ルーソルはそこで足を止める。

 マティスは振り返らなかった。


 一行が角を曲がり、靴音と杖音が遠ざかる。

 回廊に静寂が戻った。


 ルーソルはしばらくその場に立ち、息を整える。

 昼の光が、ようやく廊下の奥まで伸び始めていた。


「……相変わらず、やりにくいな」


 角の向こうへ消えた父へ向けた言葉だった。


 見抜かれるのは面倒だ。

 だが、見ていないよりはずっといい。


 ルーソルは小さく息を吐いた。


 親子としては、少し冷たい。

 けれどロワールとしては、これで十分だった。


 ルーソルは静かに歩き出した。

 

 


◇◇


 広場の子供たちは、帰宅の時間になると、それぞれの家へ散っていった。


「またね!」

「明日も来て!」

「次は負けないから!」


 小さな声が、背中からいくつも飛んでくる。


 フィーラは振り返り、手を振った。


「またね」


 本館へ戻ると、外の喧騒が嘘のように静かだった。

 石の床に足音が小さく響く。


 広場を走り回ったせいで、裾にはうっすら砂埃がついている。

 頬は少しだけ赤く、群青の髪もいつもよりわずかに乱れていた。


 フィーラは正面から一階広間へ続く石段を上がりながら、まだ少し息が弾んでいる。


「今日、わたし、早かったよね」


 後ろでサラとルイーズが笑顔で応える


「駆けっこ、白熱していましたものね」


「姫さま、最後は本気でした」


「うん。本気だった」


 フィーラが振り返らずに答える。


 ネレアは小さく笑った。


「ええ。とても楽しそうでいらっしゃいました」


 一階の広間へ差しかかった時だった。


「ネレア侍女長」


 執事の一人が足早に近づき、一礼する。


「迎賓館より、ご確認いただきたい件がございます」


 ネレアは足を止めた。


「急ぎですか」


「ロワール太公閣下のご滞在に関わる件とのことです」


 ネレアは一度だけフィーラを見る。


「姫さま、私は少し席を外します」


 フィーラは素直に頷いた。


「うん」


 ネレアはサラとルイーズへ視線を向ける。


「姫さまをお願いいたします」


「はい」

「承知しました」


 それを見届けると、ネレアは執事とともに別の廊下へ歩いていった。


 三人はそのまま階段へ向かう。


 二階の踊り場に差しかかったとき、向こうから人影が現れた。


 細身の長身。

 落ち着いた足取り。

 手には紙束。


 ルーソルだった。


「……フィーラ様?」


 少し驚いた声だった。


 フィーラはぱっと顔を上げる。


「ルーソル!」

 

 声が明るい。


 ルーソルの視線が、フィーラの裾と靴先をちらりと見た。

 それから、少し乱れた髪と赤い頬を見る。


「広場?」


「うん。あそんできた」


「それは……はは、よく分かるね」


 小さく笑う。

 視線が少し柔らかくなった。


「何してるの?」


 ルーソルは紙束を軽く持ち上げる。


「この間の測量の続き。地図を仕上げようと思って」


 フィーラの目が輝いた。


「みたい」


 ルーソルが微かに目を細める。


「じゃあ、一緒に来る?」


「いく」


 即決だった。


 背後でルイーズが息を呑む。


「……」


 サラが静かに横目で見る。


「ルイーズ」

「まだ何も言ってません」

「言う前のお顔でした」


 ルイーズは両手で口を押さえた。


 ネレアがいないため、強く止める者はいない。

 ただサラだけが、侍女として一礼する。


「では、私たちもお供いたします」


「うん」


 フィーラは頷いた。

 ルーソルは踵を返す。


「サロンだよ」


 フィーラがすぐ隣に並ぶ。

 二人の足音が、同じ速度で廊下に響き始めた。

 サロンの扉が開く。


 中央には、大きな作業用テーブルが据えられていた。

 地図用の分厚い紙が何枚も広げられ、重し代わりの石や真鍮(しんちゅう)の道具が整然と並んでいる。


 ルーソルは椅子に座ると、手早く袖を軽くまくった。


「少し散らかってるけど、気にしないで」


「ぜんぜん」


 フィーラは近くの椅子を持ってきた。

 ルーソルの隣へ置き、静かに腰を下ろす。

 机いっぱいに広げられた地図を、興味深そうに見つめた。


 サラとルイーズは壁際に控えた。

 侍女としては自然な位置だったが、サロン専属のバトラーがすぐに歩み寄る。


「お二方も、どうぞお掛けください」


 サラがわずかに目を上げる。


「よろしいのですか」


「姫さまのご用命にすぐ応じられる位置へ、椅子をご用意いたします」


 無駄のない所作だった。

 声も、姿勢も、控えめでありながら、相手を下に置かない。


 サラは一礼した。


「お気遣い、感謝いたします」


 ルイーズも慌てて頭を下げる。


「ありがとうございます」


 バトラーは静かに椅子を二脚用意した。

 サラとルイーズは、控えすぎず、けれど邪魔にならない位置に腰を下ろす。


 ルイーズが小声で囁いた。


「今の見ました?」

「見ました」

「声かけの間合いと姿勢……」

「完璧でしたね」


 二人はこっそり姿勢を正した。


「まず、この間の測量点を繋ぐ」


 コンパスを取り、角度を測り、定規を滑らせる。

 動きに迷いがない。


「この川が基準線。ここから角度を出して――」


 さらさらと線が伸びる。


「速い……」


「慣れだよ。数字にしておくと、あとで迷わない」


「数字、すごい」


「フィーラ様もこの間ちゃんと読んでたでしょ」


「うん。でも、ぜんぶは覚えられない」


「覚えなくていいよ。役割分担」


 ルーソルは軽く笑った。

 フィーラは地図の端を指す。


「ここ、この間の山だね」


「覚えてるの?」


「音、似てる」


 ルーソルの手が止まり、少し目を細める。


「すごいね。本当に」


 再びペンが走る。


「これが終わったら、この辺りの街道も描ける」


「街道、好き」


「どうして?」


「人、いる」


 即答だった。

 ルーソルが少しだけ吹き出す。


「確かに。街道は人の痕跡だね」


 そのとき。


「失礼いたします」


 静かな声がした。

 先ほどのバトラーが一礼する。


「お飲み物はいかがなさいますか」


 ルーソルは顔を上げる。


「ありがとう。温かいお茶を」


「かしこまりました。姫さまはいかがなさいますか」


 フィーラは少し考える。


「お茶」


「承知いたしました」


 バトラーは一礼して下がる。


 その背中を、サラとルイーズがまた静かに見送っていた。


「歩き方まで音がしませんね」

「……ええ。見習うところが多いです」


 サラの声は静かだったが、少しだけ真剣だった。



「ここが城壁の外縁(がいえん)になる」


 線が閉じる。

 フィーラの目が輝いた。


「わあ……街だ」


「まだ途中だけどね」


 ちょうどその時、バトラーが戻った。

 銀のトレイに、湯気の立つカップが並んでいる。


 静かに、音もなくテーブルへ置かれた。


「どうぞ」


「ありがとう」


 フィーラはカップを両手で持つ。

 ルーソルが小さく息を吐いた。


「こうして見ると、本当に形になってきたな」


「うん。ほんとに街」


 湯気がゆっくりと揺れた。

 

 

 窓から差し込む光が、少しずつ角度を変えている。

 城周辺の地図はかなり形になっていた。


「ここ、街道が綺麗に繋がった」


 フィーラが嬉しそうに言う。


「うん。これで補給線も読める」


 ルーソルはペンを置き、小さく伸びをした。

 そのとき、静かな足音が近づいた。


「失礼いたします」


 ユーグだった。

 控えめに一礼する。


「ルーソル様、そろそろお時間でございます」


 声は抑えられているが、意味ははっきりしている。


 晩餐会の準備だ。

 ルーソルは時計を確認し、苦笑した。


「もうそんな時間か」


 フィーラが顔を上げる。


「ばんさん会?」


「うん。今日は父上がいるからね」


 ルーソルは手元の筆記具を革張りの箱に戻す。


「フィーラ様も一緒に出席する?」


 自然な問いだった。

 フィーラは首を振る。


「いかないよ。お部屋でネレアたちと刺繍するの」


 ほんのわずか、声が柔らかくなる。


「そっか」


 ルーソルは地図を丁寧にまとめる。


「今日はありがとう。山の位置、助かった」


「うん」


 フィーラはにこりと笑う。


「またね」


「うん。また」


 ユーグが静かに道を開ける。


 ルーソルは振り返らずに歩き出す。

 だが、歩幅は少しだけ軽かった。

更新 月曜日/木曜日 20:00


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たまにイラストも

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