第57話〜広場に生まれた未来ー
遊びの時間は、いつか未来になる。
その最初の一日だった。
広場の木陰には、すでに子供たちの姿があった。
フィーラが現れた瞬間、いくつもの声が上がる。
「おねえちゃーん!」
小さな足音が一斉に駆けてくる。
「今日は走る?」
「走る!」
返事は即答だった。
石畳を蹴って、広場を横切る。
子供たちは弾けるように走る。フィーラも手を引かれて走る。
笑い声が風に混ざった。
やがて息が上がり、皆が大きな木の根元に集まった。
「お姉ちゃん、昨日来なかったね。風邪でもひいたの?」
短い時間でも、ほぼ毎日ここに来ていた。
だから一日空いただけで、すぐ気づかれる。
フィーラは首を振った。
「わたしは元気。昨日は『休みの日』だった。」
子供たちが顔を見合わせた。
「変なのー」
「毎日休んでるじゃん」
「いつも遊んでるじゃん!」
口々に笑う。
フィーラは少し考えてから言った。
「わたしじゃなくて、わたしのいっしょにいる人が休みの日だったの。」
そのまま木の根に腰を下ろす。
一瞬の静寂。
「好きな人でしょ!」
「好きな人だってー!」
子供たちが一斉に近寄ってくる。
袖を引っ張られ、肩に寄りかかられ、顔を覗き込まれた。
フィーラはただ、にこにこしていた。
なぜ皆が笑っているのかは分からないけれど、楽しそうなのは分かる。
「ねえねえどんな人?」
「かっこいい?」
「つよい?」
「お金もち?」
「こわい?」
「やさしい?」
子供の好奇心は、容赦がなく、ひとつ答える前に、次が飛んでくる。
フィーラは少し考えて、順番に頷いた。
「つよい」
「かっこいい」
「……やさしい」
「こわい?」
と聞かれて、首をかしげる。
「こわくないよ。……でも、みんながけがしそうになると、顔がこわくなる」
「へんなのー!」
「やっぱり、好きな人じゃん!」
また笑いが起きる。
フィーラは、何が面白いのか分からないまま、いっしょに笑った。
その笑い方が、子供たちをさらに調子づかせる。
「じゃあ名前は?」
「名前は、だめ」
即答だった。
「なんでー!」
「だって、秘密」
秘密、という言葉を使うだけで、子供たちは大事件みたいに騒いだ。
子供たちは満足して笑い出す。
「歌う!」
誰かが言った。
すぐに輪ができる。
広場の歌。
昨日、浴室で歌った歌。
小さな手がフィーラの手を引き、輪の中心へ連れていく。
声が重なる。
音が揺れる。
歌が終わるころ、フィーラが思い出したように言った。
「ほん、かってもらった。こんど読んであげるね」
「ほんと!?」
「やったー!」
歓声が少し落ち着いたころ、ひとりの少年が前に出た。
トマだった。
「お姉ちゃん」
さっきまで笑っていたのに、少しだけ真面目な顔をしている。
「ぼく、本が読めるようになりたい」
フィーラは瞬きをした。
「ほん?」
「うん」
トマは少しだけ胸を張る。
「お父さんがさ、商家で帳面つけてるんだ。
字が読めないと、数字も読めないって」
後ろから声が飛ぶ。
「トマんち、パンいっぱい食べられるもんな!」
「いいなー!」
「ちがう!」
トマは振り向いて言い返す。
「ぼくも手伝うんだ!」
その声は、本気だった。
フィーラはしばらく少年を見つめた。
遊びじゃない目。未来を見る目。
「うん」
ゆっくり頷く。
「じゃあ、いっしょに読む?」
「いいの?」
「いいよ」
フィーラはトマの手をきゅっと握った。
「むずかしいよ?」
トマは小さく顎を上げる。
「やる」
短い言葉。
でも、迷いはなかった。
フィーラは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、あした」
トマは力強く頷いた。
その横で、地面に寝転がっていたレオナールが声を上げる。
「えー。べんきょー?」
腕を投げ出したまま、空を見ている。
「おれ、走るほうがいい」
子供たちが笑う。
「レオナールはそれでいいじゃん!」
「いつも一番だもんな!」
レオナールは得意げに笑った。
「だろ?」
フィーラは二人を交互に見た。
本を読みたい子。
走りたい子。
どちらも、同じくらい輝いていた。
だから、にこっと笑う。
「じゃあ、どっちもやろ」
「え?」
「はしるのも、よむのも」
子供たちが顔を見合わせる。
少しの沈黙。
そして――
歓声が上がった。
「やるー!!」
「かけっこもする!」
「本も読む!」
広場がまた賑やかになる。
フィーラは小さく息を吸った。
胸の奥が、少しだけあたたかい。
遊びの時間の中に、
ほんの少しだけ“未来”が混ざった。
その少し後ろ。
距離を取って立つ二人の侍女。
サラとルイーズ。
平民の子供たちと手を繋ぎ、笑い合う姫。
近づきたい。
だが、近づけない。
貴族としての距離がある。
ルイーズが胸の前で手を組み、小さく息を漏らす。
「……尊い……」
サラがこくりと頷いた。
子供たちが帰り、広場が静かになる。
フィーラは一人、木の幹に手を当てた。
「また明日ね」
その声は、風に溶ける。
彼女はまだ知らない。
この場所が、いずれ“始まり”になることを。
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