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光を背負った王――神力を宿す王太子エルドウルフの戦記  作者: RE:ANNE
第六章二幕 壊れて、近く

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6章2幕(16)第50話 〜刺繍と噴水〜

挿絵(By みてみん)


 彼女は、その布を見た瞬間に足を止めた。



 

 入口の布をくぐった瞬間、音が遠くなる。

 代わりに、柔らかな光が布越しに差し込んでいた。


 壁一面に刺繍布が掛けられている。


 深い青。朱色。翡翠。白金。

 細かな模様が光を受けて、ゆっくり浮かび上がる。


 フィーラの足が止まった。


「……きれい」


 小さな声だった。


 ゆっくり近づく。

 指先が、空中で止まる。


「さわっていい?」


 店主の女性が微笑んで頷いた。


「ええ。どうぞ」


 布に触れた瞬間、フィーラの表情が変わる。

 さっきまでの“市場を楽しむ顔”ではない。

 真剣な顔。


「これ……」


 指先が縁をなぞる。


「いと、すこしだけ揺れるように、さし方かえてる」


 店主の眉が上がる。


「あら、分かるの?」


 フィーラは小さく頷いた。


「おなじ形なのに、ちょっとずつ違う」


「ええ、そう。全部糸のより方をかえてあるの」


 店主が笑った。


 フィーラはさらに布の端を見た。

 模様の幅が、端から端までほとんど乱れていない。

 下打ちの布目も引きつれておらず、糸だけが、布の上に細く浮いている。


「幅、そろってる」


 ぽつりと言う。


「ここも、ずれてない。布、歪んでない」


 店主の顔が、今度は本当に驚いたものになる。


「あなた、見る目があるのね」


 エルドウルフが横で腕を組む。


「いつの間に分かるようになったんだ」


 フィーラは少しだけ胸を張る。


「すこしだけ、わかる」


 小さく、えへん。

 

 次の布へ移る。

 深い群青。白金の糸が細く流れている。

 フィーラの動きが止まった。


「……これ」


 声が小さくなる。


「すき」


 迷いがなかった。

 エルドウルフは即答した。


「買うか」


 フィーラが頷く。


「うん」


 店主が微笑む。


「お買い上げですか?」


 フィーラは頷く。

 そして隣のエルドウルフを指差した。


「俺が買うって言ってくれてる」


 店主がくすりと笑った。


「そうなの?いいわね」


 エルドウルフは小さく息を吐く。


「——似たようなことは言った」


 フィーラは満足そうに頷いた。


「うん」


 それから巾着を取り出す。

 大事そうに両手で持った。


「たりなければ、わたしが出す」

 

 数秒の沈黙。

 店主が吹き出した。


「あははっ」


 肩を震わせながら笑う。


「お嬢さん、きっとそれ逆よ」


 フィーラが瞬く。


「ぎゃく?」


 エルドウルフは額を押さえた。


「俺が言ったことをそのまま返すな」


「だめ?」


「だめじゃない」


 少し考える。


「だが、多分違う」

 

 ◇◇


店を出ると、音が戻ってきた。


 呼び込みの声。

 荷車の軋み。

 遠くの弦楽器。


 さっきまで静かな布の海にいたせいで、少しだけ眩しい。


 フィーラは包みを抱えたまま歩いている。

 ときどき、上から布を撫でる。


 何も言わない。

 でも分かる。

 完全に嬉しい。


 通りの角で、香ばしい匂いが流れてきた。


 炭火の上で羊肉が焼かれている。

 赤い香辛料と香草をまぶした肉に、白い酸味のあるソースをかけ、薄焼きのパンに挟んで渡していた。


 エルドウルフが一つ買う。


「食べるか」


 フィーラは首を横に振る。


「匂い、見る」


「匂いは見るものじゃないだろ」


「でも、赤いよ」


 エルドウルフは包み紙を受け取り、すぐには食べなかった。


 人混みを抜け、少し静かな通りに出た。


 小さな噴水のある広場だった。


「休むぞ」

 

 ベンチに並んで座る。

 水音が静かに響いている。


 エルドウルフはそこで、包み紙に包まれた肉巻きを一口かじった。

 ほんのわずかに目が細くなる。


「……辛い」


「からい?」


「少しな」


 フィーラは真剣に観察していた。


「おいしい?」


「悪くない」


「からいのに?」


「辛いものがまずいとは限らない」


 フィーラは少し考えた。


「むずかしい」


「そうだな」


 エルドウルフはもう一口食べた。


 フィーラはそれを見て、少し満足そうにした。


 しばらくして、フィーラが膝の上で包みをほどいた。


 刺繍布が光に広がる。

 群青の生地、白金の糸。

 風にふわりと揺れる。


「きれい」


 小さな声だった。

 エルドウルフは横目で見る。


「似合うな」


 即答。

 フィーラがぱっと顔を上げる。


「ほんと?」


「ああ」


 それから、少しだけ視線を落とす。


「髪と同じ色だ」


 フィーラが布をぎゅっと抱える。

 少しだけ照れた顔だった。


「エルドウルフ」


「ん?」


「たのしい」


 短い言葉。


 エルドウルフは噴水を見る。

 水面が光っている。


「そうか」


 少し間が空く。


「……俺も」


 小さく付け足した。

 フィーラが笑う。

 それを見て、エルドウルフが目を逸らす。


 フィーラは包みを丁寧に畳みながら言った。


「また来たい」


「来れる」


「ほんと?」


「ああ」


 少し考えてから続ける。


「時間を作る」


 フィーラが目を丸くする。


「また、やすみ?」


「……努力する」


 フィーラが吹き出す。


「どりょく」


「笑うな」


 でも、エルドウルフの口元も緩んでいる。

 フィーラが手を差し出す。


「つぎ、いこ」


 エルドウルフがその手を見る。

 ほんの一瞬ためらって、取った。


 立ち上がる。

 手は離れない。


 人波のざわめきが、ゆっくり遠ざかっていく。

 色と匂いの洪水が、足元へ小さく沈んだ。


 代わりに、空の風が戻ってくる。

お読みいただきありがとうございます。


『光を背負った王』は通常、毎週月曜日/木曜日の20時更新ですが、六章第二幕につきましては、少しだけイレギュラーにお届けいたします。


47話の余韻のまま読んでいただきたく、今週は更新日を増やします。


【六章第二幕 更新予定】


6/20(土)20時 第48話

6/22(月)20時 第49話

6/24(水)20時 第50話

6/25(木)20時 第51話

6/26(金)20時 第52話


その後、6/29(月)より通常の月曜日/木曜日更新に戻ります。


六章第二幕も、どうぞよろしくお願いいたします。

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