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光を背負った王――神力を宿す王太子エルドウルフの戦記  作者: RE:ANNE
祈りは糸となり、石は壁となる

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6章1幕(8)第42話 〜制限〜



 晩餐を終え、湯浴みを済ませても、エルドウルフの頭から西の採掘場の白い筋は離れなかった。


 あれが石英なら、ただの建材の混じりではない。


 石英の層がどこへ伸びているのか。

 山の奥で途切れるのか。

 それとも、アザンクール南東やニカ南西へ続く山筋と重なるのか。


 確かめる価値はあった。


 サロンに入ると、エルドウルフはまっすぐ本棚へ向かった。

 

 挨拶もなく、古い革表紙の地図帳を引き抜く。


 クワルノー領の古図。

 隣領アザンクールへ続く街道図。

 さらに、ニカ方面の交易路を記した古い写し。


 だが、サロンには先客がいた。


 ルーソルだった。


 晩餐の席には姿を見せなかったが、ルーソルは大きな紙を前にしていた。


 測量した数値と、空から見た地形を落とし込んでいる。


 定規と分度器が静かに滑り、紙の上に迷いのない線が重なっていく。


「ルーソル」


 声をかけると、ルーソルの手が止まった。


「体調はどうだ」


「ああ、悪い。もう大丈夫だよ」


 振り返った顔は、いつもの笑顔だった。

 けれど、返事が少しだけ遅い。


 笑うまでの間。

 紙へ視線を戻すまでの間。

 いつものルーソルなら、そこに隙間を作らない。


 エルドウルフはそれを見逃さなかった。


「顔色が悪い」


「飛行酔いだよ」


「それで晩餐を抜くのか」


「食べたら戻しそうだったから」


 軽く言ったつもりなのだろう。

 だが、その軽さが少しだけ薄い。


「お前が不調になるなら、やめろ」


 エルドウルフは言った。

 ルーソルのペン先が止まる。


「飛行酔いくらいだよ」


「くらい、で済ませるな」


「地図は必要だろ」


「必要だ」


「なら」


「必要なものは、別の方法でも作れる」


 ルーソルはそこで黙った。

 それ以上続ければ、飛行酔いだけでは済まなくなる。


 ルーソルはエルドウルフの手元へ視線を落とす。


「……で」


 少しだけ声を軽くする。


「お前が持ってるそれは何だよ」


 話を逸らした。

 エルドウルフはそれを分かっていた。

 分かっていたが、追わなかった。


「古い地図だ」


 エルドウルフは卓の上に地図を広げた。


「クワルノー西の採掘場から、アザンクール南東、それからニカ南西へ続く山筋を確認したい」


 ルーソルの目が、少しだけ仕事のものに戻る。


「採掘場?」


「城壁を見て思い出した」


「城壁?」


「安山岩だ」


 エルドウルフは指先で古い地図の山沿いをなぞった。


「西の採掘場の奥に、まだ手付かずの山がある。そこに石英の層が入っていた」


 ルーソルの表情が変わる。


「……石英脈?」


「まだ分からない」


「でも、疑ってる?」


「ああ」


 エルドウルフは、アザンクールの南東に指を置いた。


「このあたりには金の市場がある」


 次に、ニカの南西へ指を移す。


「こちらには、ガーネットとサファイアの市場がある」


「市場があるなら、産地か、少なくとも流通路があるね」


「そうだ」


 エルドウルフは地図から目を離さない。


「市場だけでは証拠にならない。だが、地層が繋がるなら調べる価値はある」


 ルーソルは黙って地図を見下ろした。

 さっきまでの気まずさが、少しだけ薄れる。

 仕事になれば、二人は同じ方向を見られる。

 それが逃げ道だと、どちらも分かっていた。

 

 その時、サロンの扉が軽い音を立てて開いた。


「お、揉めてんのか?」


 遠慮のない声とともに、フーガが顔を出す。

 エルドウルフとルーソルが、同時にそちらを見た。


「揉めてない」

「揉めてないよ」


「声そろってる時点で怪しいな」


 フーガはにやりと笑い、勝手知ったる様子で中へ入ってくる。


「何だ、地図か。つまんねえことで揉めてんだな」


「揉めてないと言った」


「はいはい」


 全然聞いていない返事だった。


 その後ろから、エランが静かに入ってくる。


「珍しいですね」


 言葉だけなら穏やかだった。

 だが、その視線はエルドウルフとルーソルの間に残る微妙な距離を、きちんと拾っていた。


「何が」


 エルドウルフが問う。


「エルドウルフとルーソルが、同じ地図を見ているのに、空気が重いことです」


「重くない」


「では、少し暑いのでしょう」


 続いて入ってきたゴディエが、襟元を軽く緩めながら言った。


「今日は暑かったな。飲みものを頼む」


 ゴディエはそう言って、サロンに控えていた執事へ視線を向ける。


「冷ました茶を。人数分だ」


「かしこまりました」


 執事が下がる。


 さらに、アンリが遅れて入ってきた。


 騒ぎには加わらない。

 だが、卓の上に広げられた地図を見る目は早かった。


「地図か」


「石の話になった」


 ルーソルが答える。


「石?」


 アンリの眉がわずかに動く。


 フーガは地図を覗き込み、エランは少し離れた椅子に腰を下ろした。

 ゴディエは茶器に近い席へ座り、アンリは卓の端から地図を見下ろす。


 いつものサロンになり始めていた。


 さっきまで地図の上に落ちていた沈黙が、少しずつ人の気配に紛れていく。


 それでも、エルドウルフとルーソルの間にあったものが、完全に消えたわけではない。

 ただ、今は見えにくくなっただけだ。


「で、何の地図だ?」


 フーガが卓の上を覗き込む。


「クワルノー西の採掘場から、アザンクール南東、それからニカ南西へ続く山筋だ」


 エルドウルフが答える。


「採掘場?」


「城壁を見て思い出した」


 フーガが数秒黙った。

 それから、にやりと笑う。


「ああ、さっき床に転がった時か」


 エルドウルフの目が、わずかに細くなる。


「転がったわけではない」


「椅子ごとひっくり返っただろ」


「倒れただけだ」


「それを転がったって言うんだよ」


 フーガが茶杯を受け取り続けた。


「転んでもただじゃ起きねえな」


「転んでない」


 エルドウルフが低く返す。


「珍しいことではありますが」


 エランは口元をわずかに緩めた。


「珍しいからこそ、あまり皆でつつかない方がよろしいでしょう」


「つつきたくはなるだろ」


 フーガが笑う。


「会議では人を転がしてたくせに、自分は椅子ごと転がるんだから」


 ゴディエが茶を受け取りながら、呆れた顔をする。


「フーガ、その口は少し控えろ」


 ゴディエは肩をすくめた。


「エルドウルフだって、たまには均衡を崩す日がある。今日は椅子で済んでよかったと思っておけ」


「はいはい」


 フーガは笑いながらも、卓の地図へ視線を落とした。


「それで、安山岩だっけか」


「ああ」

 

「西の採掘場の裏山に、石英の層が入っていた」


 彼はそのまま指を北と北東へ滑らせる。


「正確な地図ではないが、古図を見る限り、この山筋はニカ南西からアザンクール南東まで続いているように見える」


 フーガの笑みが引き、ゴディエが茶杯を置いた。

 エランは視線だけを地図へ落とす。

 アンリも黙って山筋を見た。


「石英脈か」


 ゴディエが低く言う。


「まだ分からない」


 エルドウルフは即座に返した。


「だが、アザンクール南東には金の市場がある。ニカ南西にはガーネットとサファイアの市場がある」


 ルーソルが地図の山筋を指でなぞった。


「市場があるなら、産地か、少なくとも流通路がある」


「そうだ」


 エランが静かに頷く。


「調べる価値はありますね」


「確定ではない」


「もちろんです」


 その時、扉の向こうで小さな足音がした。

 続いて、ネレアの控えめな声が聞こえる。


「姫さまがお見えです」


 サロンの空気が、わずかに明るくなる。

 フィーラが入ってきた。


 湯浴みを済ませたあとの髪は、ゆるく背に流されている。

 手には、小さな布包みを持っていた。


「なに、してるの?」


 フィーラは卓の上の地図を見て、首をかしげた。


「石の話」


 ルーソルが答える。


「石?」


「うん。山の石と、金の話」


 エルドウルフの目が、わずかに細くなった。


「ルーソル」


「怒るなよ」


「内容による」


「じゃあ、たぶん少し怒る」


「やめろ」


「まだ何もしてない」


 ルーソルはそう言って、自分の耳に触れた。

 小さな金のピアスが、蝋燭の灯りを受けて淡く光る。


「やってみたいことがある」


「今からか」


「今だから」


 ルーソルは軽く笑い、片方のピアスを外した。

 それから飾り棚へ向かう。


 そこには、クワルノーで採れた石や、交易で持ち込まれた珍しい鉱石がいくつか並べられていた。

 来客に見せるためのものだ。


 ルーソルはその中から、小さな鉱石を二つ選んだ。


 片方は灰色がかった石。

 もう片方は、鈍い金色の粒をわずかに含んだ石だった。

 フーガが面白そうに身を乗り出す。


「何すんだ?」


「実験」


「お、いいな」


「よくない」


 エルドウルフが低く言う。


 ルーソルは聞こえないふりをして、卓の上にピアスと二つの鉱石を並べた。


「フィーラ様」


「なに?」


 フィーラが近づく。


「これは金」


「きん」


「うん。これと同じものが、どっちの石に多いと思う?」


 フィーラは首をかしげた。


 ピアスを見る。

 それから、二つの鉱石を見る。


 触れはしない。


 ただ、少しだけ顔を近づけた。


「……こっち」


 フィーラは、鈍い金色の粒を含んだ石を指さした。


「こっちは?」


「少ない。でも、ある」


 もう一つの灰色の石を指す。


 ルーソルの目が、わずかに動いた。


「どうして分かるの?」


 フィーラは少し考えた。


「音が違う」


「音?」


「うん。これ」


 フィーラはピアスを指さす。


「高くて、細い。きらきらする音」


 次に鉱石を見る。


「これも、音おなじ。こっちはたくさん鳴ってる。こっちは少ない」


 含有量まで言い当てた。


 ルーソルは静かに息を吐く。


「……想像以上だな」


「すごい?」


 フィーラが少し不安そうに見る。


「役に立った?」


「ものすごく。俺たちじゃ、掘り出さないと分からない」


 フィーラの顔がぱっと明るくなる。

 

「えらい」


 その場にいた腹心たちは、ほぼ同時に思った。


 ――仔犬だな。


 エルドウルフはその空気を察し、ひとつため息をついた。


「ねえ」


 フィーラが金鉱石を持ち上げる。


「ルーソルは、この中の金だけ欲しいの?」


「え?いや、それは――」


 言い終わる前に、光が集まった。


 小さな粒が浮かび、球を作る。

 鉱石を包み込む。


 フィーラが、きゅ、と手を握る。


 音はない。

 崩れたのは、鉱石の方だった。

 さらさらと砂が落ちる。

 フィーラが手を開く。

 そこには、五ミリほどの金の粒と、細かな砂金があった。


「これでいい?」


 誰も声を出さなかった。

 フーガですら笑えなかった。

 ルーソルが口を開く。


「……フィーラ様」


 声が、少しだけ乾いている。

 止めるべきだった。

 そう思った時には、もう金が彼女の手の上にあった。


 エルドウルフは、ただ金を見つめていた。

 その視線は、喜びでも驚きでもない。


 テーブルの上で、金の粒が蝋燭の灯りを受けて静かに光っている。


 エルドウルフは一歩、前へ出る。

 フィーラの手の上の金を見下ろし、短く言った。


「――もうやるな」


 声は低く、静かだった。

 叱責ではない。

 制止だった。


「だめ?」


「だめだ」


 即答だった。

 

 フィーラが瞬きをする。


 ルーソルが小さく息を吐いた。

 腹心たちは何も言わない。

 


 エルドウルフは続けた。


「お前が悪いわけじゃない。だが、これは使い方を誤れば街を壊す」


 フィーラは、自分の手の上にある小さな金粒を見た。


「でも、早いよ?」


「早すぎる」


 間を置かず返す。

 部屋の空気が変わった。

 エルドウルフは金粒を指でひとつ摘み上げる。


「これが毎日出てきたら、この街は終わる」


 誰も否定しない。


「人が働かなくなる。金の価値が崩れる。奪われる。争いが起きる」


 淡々と並べる。


「最後に残るのは、金じゃない。敵だ」


 静かな沈黙。

 フィーラが小さくうつむく。


「……だめなこと、した?」


 その問いに、すぐには誰も答えられなかった。

 エルドウルフも、ほんの少し黙った。


「いや」


 低く答える。


「出来ると分かった。それは重要だ」


 フィーラが顔を上げる。

 けれど、エルドウルフの言葉は甘くならなかった。


「だからこそ、もうやるな」


 今度は、全員が理解した。

 制限だ。


 フィーラは金粒を見つめたまま、少しだけ肩を落とした。


「……わたし、役に、立たない?」


 その声があまりに小さくて、フーガが椅子の背に預けていた身体を起こした。


「いや、役に立つ。立ちすぎる!」


 フィーラがそちらを見る。

 フーガは卓の上の地図を指で叩いた。


「姫さま、金を出すんじゃなくてさ。山を教えてくれよ」


「山?」


「ああ。金とか宝石が多そうな山だ」


 ルーソルが、その言葉に視線を上げる。

 フーガは続けた。


「ここにありそう、っていう目印だけでいい。掘るのは俺たちがやる」


 アンリが低く笑う。


「仕事を奪わないでくれ、姫さま」


 フィーラはアンリを見る。


「しごと」


「ええ」


 アンリは頷いた。


「掘る。運ぶ。砕く。調べる。守る。そういうのは、こちらの仕事だ」


 ゴディエも腕を組んだまま頷く。


「金を取り出すだけでは、国は作れない。人が働いて、道具を作って、手順を覚えて、次に繋げる。それが大事なんです」


 エランが静かに続ける。


「姫さまが示してくださるのは、入口だけで十分です。その先は、人間の側で整えます」


 フィーラは少し考えた。


「いりぐち」


「そう」


 ルーソルが、いつもより静かな声で言った。


「俺たちが知りたいのは、山だよ。宝石や金が眠っている場所の、目印だけ」


 フィーラはゆっくり頷いた。


「……場所だけ?」


「場所だけ」


 フーガが軽く笑う。


「掘るのは俺たち」


 フィーラはまだ少し不安そうに、エルドウルフを見る。

 エルドウルフはすぐには頷かなかった。


 卓の上の金粒を見る。

 地図を見る。

 それから、フィーラを見る。


「探し続けるな」


 静かな声だった。


「一度に多く見るな。具合が悪くなったらやめろ。俺が止めたら、それ以上はしない」


 フィーラは真剣な顔で聞いていた。


「うん」


「金や宝石を取り出すな」


「うん」


「山の目印だけだ」


 フィーラは少しだけ明るい顔になった。


「山の目印だけ」


「ああ」


 エルドウルフは金粒をテーブルに戻した。


「それなら許す」


 空気が緩んだのは、フーガが大きく息を吐いた時だった。


「よし。じゃあ山探しだな。姫さま、次は宝石頼む」


 軽口に、場の緊張が少し解ける。

 フィーラは素直に頷いた。


「うん。山、さがす」


「ただし、今すぐじゃない」


 エルドウルフがすぐに釘を刺す。

 フィーラは少し残念そうにした。


「今じゃない。明日以降、手順を決めてからだ」


 エランが茶杯を置いた。


「では、現地確認の手順を組みます。西の採掘場からの石英層の流れを中心に、古い鉱物帳、周辺の交易記録も当たらせましょう」


「外へは出すな」


 エルドウルフが言う。


「確定するまで、鉱脈の話は伏せる」


「承知しました」


 ゴディエが地図を見下ろす。


「もし本当に金があるなら、領地経営が変わるぞ」


「だから慎重にやる」


 エルドウルフの返事は早かった。

 

 

 ルーソルは地図に視線を落とし、線を引き始めた。

 手は迷わない。

 数値もずれない。


 けれど、さっきまでのようには見えなかった。

 山の傾きも、川の流れも、風の筋も、もう勝手には分からない。


 紙の上で確かめる。

 線を引く。

 考えて決める。

 現地へ人を出し、掘り、砕き、調べる。


 面倒だ。

 遅い。


 それでも、そこを飛ばしてしまえば、残るのは国ではない。


 ルーソルは地図を見つめる。


 地図には時間がかかる。

 測り、線を引き、確かめる。


 そうするしかない。

 それは分かる。

 分かっているのだ。


 ――それでも


 紙の上へ落ちる視線の先に、一瞬だけ青空と甘さがよぎった。


 誰にも聞こえないほど小さく息を吐き、ルーソルは線を引き直した。




 

 ※石英脈について

石英脈は、岩の割れ目を熱い水が通った跡として現れることがあります。

その水が金属や鉱物を運ぶことがあるため、金や宝石の鉱脈を探す手がかりになる場合があります。

もちろん、石英脈があれば必ず金が出る、というわけではありません。

更新 月曜日/木曜日 20:00


X更新情報/活動報告など発信してます

たまにイラストも

https://x.com/REANNEcreative

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