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光を背負った王――神力を宿す王太子エルドウルフの戦記  作者: RE:ANNE
祈りは糸となり、石は壁となる

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6章1幕(5)第39話 〜約束の一日〜


「ジラール領主、フォーレ領主が川港工事を見に来るそうだぞ」


 午後の小会議後、フーガが報告した。


「そうか」


 エルドウルフは大して興味もなさそうに答え、山のような書類をめくり続けている。


「俺たちで回すか?」


「いや……」


 紙束をめくる手を止めないまま、エルドウルフが言った。


「俺が出る」

 

フーガが顔を上げる。


「……おいおい。王太子が自分で相手するのかよ」


 鼻で笑って椅子に深くもたれた。


 「静養に来たはずの男がな。毎日水際で工事観てる王太子なんて聞いたことねえぞ」


 エルドウルフは紙束をめくりながら、淡々と返す。


 「王太子が領地の発展に尽力してる姿勢は大事だ」


 フーガが肩を揺らす。


 「姿勢ってレベルか? お前、普通に舟着き場の大工に混ざってるだろ」


 そこへ途中から入ってきたアンリが、二人の会話を聞いて口元を歪めた。


 「まあいいじゃないか」


 椅子の背に腕を預ける。


 「王都の連中も驚くさ。静養に来た王太子が、朝から川の匂いさせて帰ってくるんだからな」


 フーガが吹き出す。


 「違いねえ。そのうち杭の一本くらい自分で打ち始めるぞ」


 アンリが肩をすくめた。


 「いや、もう半分は打ってるだろ」


 紙束を閉じる音がした。

 エルドウルフがようやく顔を上げる。


 「見物に来る貴族が増えるなら好都合だ」


 二人が黙る。


 「見せたいものを見せておけば、見られたくない方は勝手に薄まる」


 少し置いて、


 「手が空いてるなら来い。今日、人が足りない」

 

 そして、エルドウルフがふと、顔を上げた。


 「……アンリ、なんでここにいる?」


 「なんでって何だ」


 「フィーラと地図のための測量、相手はお前じゃなかったのか」


 アンリは肩をすくめた。


 「そんなこと言ってないだろ。ルーソルだ。」


 エルドウルフは小さく舌打ちし、再び書類へ視線を落とした。



 ――その決定は、先週の夜に遡る――


 エルドウルフが外作業の打ち合わせで戻れなかった夜、サロンでフィーラが小さく手を上げた。



「おねがい。わたしにも、何かおしごとをちょうだい」


 フィーラがそう言った。


 石切場の加工は運び出し待ち。

 力仕事や人目の多い現場は禁じられている。

 彼女の役割は、しばらく空白だった。


「では、空からの測量はいかがでしょう」


 エランが穏やかに提案した。


「高く上がれば昼でも気付かれません」


 地図。

 それは国の骨格そのものだった。


「そくりょう……って、なに?」


 説明の末、結論は単純になった。

 誰かを抱えて飛べばいい。


「がんばる!」


 重要任務に、フィーラは即座に頷いた。


 そして話題は自然に次へ移る。


「では、測量役はルーソルで決まりだな」


 ゴディエが淡々と言った。


「数学、地図、記録。全部一番強い」


「飛行中に標点を拾える頭も体力もある」


 フーガも続く。


「他に誰がやる」


 アンリが締めた。


 反対意見は出なかった。

 出る余地もなかった。


 全員の視線が一斉に向く。


 最初から決まっていた席だった。


「……了解」


 ルーソルは短く答えた。


 声も表情も、いつも通り。

 だが、ほんの一瞬だけ間があった。


 エランがそれを見て、静かに言う。


「エルドウルフが気にすると思います?」


 ルーソルは小さく息を吐いた。


「……気にする話じゃない」


 近すぎず、遠すぎず。

 こういう時に自分が引き受けるのが、一番自然なのだと分かっていた。


「準備は整えておく」


 誰もそれ以上触れない。

 その配置が最も自然だったからだ。


  ――その数日後の夜――


 今度は寝室で、フィーラは別のことを言い出した。


 灯りはまだ落とされず、蝋燭の火がときおり小さく揺れていた。

 窓は少しだけ開いていて、夏の夜気が静かに入り込んでくる。薄いカーテンがかすかに擦れ、遠くでは虫の声が細く鳴いていた。


 エルドウルフは机に向かい、書類をめくっている。

 紙の擦れる音と、ペンが走る音だけが続いた。


 ベッドの上で、フィーラが横向きになる。

 枕に頬を押しつけたまま、じっとその背を見ていた。


 少しして、


「……まだ、おわらない?」


「もう少しだ」


 また、紙の音が続く。


 フィーラは瞬きをひとつした。

 それから、枕に顔を半分埋めたまま、もう一度口を開く。


「ねえ」


「ん?」


紋章(エンブレム)


 手が止まる。


「決めないの?」


 エルドウルフは一瞬だけ考えた。

 なぜそれを今、という顔だった。


「エンブレム?」


「うん」


 短い沈黙。


「しろとか、はたとか。つかうんでしょ」


 少し言葉を探す。


「……たんじょうび、くる。いそがないと」


 それだけだった。

 エルドウルフはしばらく黙っていた。

 フィーラが、枕に頬を押しつけたまま言う。


「エルドウルフ、ずっとはたらいてる」


「……そうか」


「そう」


 迷いのない返事だった。


「ずっと、しごと。ずっと、きめてる」


 カーテンが夜気に揺れ、布が小さく鳴る。


「それじゃ、きまらない」


 エルドウルフは机に向かったまま、少しだけ眉を寄せた。


「決める時間は取ってる」


「たりない」


 即答だった。

 虫の声が、ひときわ近く聞こえた。


「だいじなやつ」


 小さい声だったが、妙にはっきりしていた。


 エルドウルフは紙束を閉じた。

 机の上に置く音が、夜気の中へ乾いて落ちる。


「……来週、休みを作る」


 布が小さく動いた。


 フィーラが顔を上げる。

 枕の上からこちらを見る目が、少しだけ明るくなった。


「ほんと?」


「ああ」


 エルドウルフはペンを置き、振り返る。


「一日空ける」


 フィーラは満足そうに瞬きをした。


 これで決められる。

 エンブレムも、マントに刺すものも。

 九月七日に間に合うかもしれない。


 そう思ったところで、エルドウルフが続けた。


「行きたい場所はあるか」


 フィーラの目が、はっきり見開いた。


「……行く?」


「休みにするんだろう」


「エルドウルフも?」


「俺の休みだ」


 それを聞いた瞬間、フィーラの顔がぱっと明るくなった。

 エンブレムを決める時間だけではない。

 ()()

 エルドウルフが、自分と一緒にいる時間。

 朝から、夜まで。


 フィーラは枕を抱えたまま、身体を少し起こした。


「行く」


「どこへ」


「かんがえる」


 小さな声だった。


 けれど、さっきまでとは違っていた。

 眠たげでも、不満そうでもない。


 何かを大事に抱え込むような声だった。


 エルドウルフはその顔を見て、ほんのわずかに目を細める。


「分かった」


 それから立ち上がり、灯りのそばへ行く。

 指先で火を覆うと、蝋燭が、じ、と小さく鳴って消えた。


 寝室は、窓から差し込む夏の夜の気配だけになる。

 暗闇の中で、フィーラの声がした。


「わすれないで」


「忘れない」


「一日」


「ああ」


「エルドウルフの、やすみ」


「分かってる」


 カーテンがまた、かすかに擦れる。


 エルドウルフはベッドへ向かいながら、来週の予定を頭の中で組み替え始めていた。


 

  ――そして、現在――


 

「……また、ルーソルか」


 エルドウルフは書類から目を上げた。


 声は低く平坦だった。

 だが、紙をめくる指先がほんの少し止まる。


「仕方ないだろ」


 フーガが腕を組む。


「計算も地図も記録もできる」


「落ち着いてるしな」


 アンリが肩を鳴らす。


「それに体も比較的軽い」


 ゴディエが淡々と言う。


「抱えて飛ぶなら、その差は無視できん」


 エルドウルフの視線がゆっくり上がった。


「……そうか」


 否定はしない。

 ゴディエが続ける。


「長時間二人きりの任務だ。話が途切れない者の方がいい。測量は精度が命だからな」


 理屈は完璧だった。

 エルドウルフは書類を揃え直す。


「合理的だな」


 感情の乗らない声だった。

 だが、少し低い。


 椅子が軋む。

 エランが立ち上がった。


「何を考えているのですか」


 大きな手が、軽くエルドウルフの頭を押さえる。


「適任者を選ぶ。それだけの話でしょう」


「分かっている」


「分かっていない顔です」


 エルドウルフは黙った。

 エランはため息をつく。


「一日休むと宣言したばかりでしょう」


「休む」


「その休みに測量へ出るつもりですか」


「……」


「それは休みではありません」


 フーガが顔をそむけた。

 アンリが咳払いをする。

 エランは淡々と続ける。


 「あなたが今すべきことは、ルーソルの役目を奪うことではなく、休みの一日を本当に空けることです」


「仕事は進めている」


「ええ。よく働いています」


 あっさり認めたうえで、エランは言った。


「だからこそ、任せられる者に任せるべきです」


 エルドウルフは反論しなかった。


 理屈は通っている。

 ルーソルが適任なのも分かっている。

 自分が今ここを離れられないことも、分かっている。


 そして休みの一日を、測量で潰すべきではないことも。


「……合理的だな」


「はい。エルドウルフの好きな言葉です」


 エルドウルフは書類へ視線を戻した。


「次」


 低い声に、エランは満足げに頷いた。

 

――来週、休みを作る。


 自分の言葉だった。

 エルドウルフは小さく息を吐いた。

 

 「……覚えている」


 誰にも聞こえない声。

 ゴディエが鼻で笑う。


 「だったら無駄に止まるな。仕事しろ」


 フーガがにやりとする。


 「どうせ夕方には顔出すだろ、測量終わったら」


 アンリが肩を揺らす。


 「その前に仕事終わらせろよ、王太子」


 エルドウルフは再び書類へ視線を落とした。


 だが、紙をめくる音が、

 さっきよりわずかに強い。


 あと二日。


 予定通りの仕事は終わらせている。

 だが予定外の仕事が、常に三つは増える。

 今週は来訪者も多かった。


「……わかってる」


 低く答え、再び書類に目を落とす。


「明後日だ。誰が来ても会わない。絶対に休む」


 エランは「承知しました」とだけ言い、自席へ戻る。

 途中、ふと思い出したように言った。


「エルドウルフ。紋章(エンブレム)はまだ決めませんか」


 エルドウルフの顔が露骨に歪む。


「……またその話か」


 ゴディエが椅子にもたれながら言う。


「現実、クワルノーの旗も城壁装飾も必要だ」


 フーガが頷く。


「第二城壁、石細工が入る前に決めないと面倒だぞ」


 アンリが続く。


「象徴があると、民もまとまる」


 四人の視線が揃う。

 エルドウルフだけが白けていた。


「もう、お前らで決めろ。俺に感性を求めるな」


「王太子がそれを言うか」


 ゴディエが笑う。


「九歳から王宮育ちだろ。祭事も舞踏会も出てたはずだ」


「出てただけだ。お前らとしか連まなかった」


 即答だった。


 フーガが吹き出し肩を揺らす。


「確かにな」


 アンリが肩をすくめる。


「勉強、武術、戦争」


 ゴディエが補足する。


「健康優良王太子の完成だな」


 フーガが締める。


 エルドウルフは肩越しに息を吐いた。


「悪いか」


「悪くはない」


 アンリがじっと見る。


「だが王冠は似合わん」


「被る気はない。邪魔なだけだ。」


「そこだよ」


 小さな笑いが広がる。


 エランが咳払いした。


「象徴は必要です。()()()()()()つもりなら尚更」


 その言葉で、空気がわずかに締まる。


 エルドウルフは書類を一枚めくり、静かに言った。


「……そのうち考える」


 投げやりではない。

 ただ優先順位が低いだけだ。


「だが今は後だ」


「休日の後か?」


 フーガが揶揄う。


 エルドウルフは視線を上げた。


「明後日は働かない」


 短い宣言。


 四人が顔を見合わせる。


「守れよ?」


「守りますか?」


「守れるのか?」


 エルドウルフは椅子の背に体を預けた。


「守る」


 低く、確かな声だった。

更新 月曜日/木曜日 20:00


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