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光を背負った王――神力を宿す王太子エルドウルフの戦記  作者: RE:ANNE
呼び名のない少女

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4章(7)第26話 〜落ちて、立つ(後)〜


 その日もフェギスノーラは、手に包帯を巻いたまま、うつ伏せで眠った。


 翌朝。


 いつものように身支度をして外へ出たが、足腰の筋肉が張り、思うように動かない。

 それでも散歩には出た。


 城下の子供たちが集まる広場へ向かう途中、大木の張り出した根の上に腰を下ろし、ふう、と息を整えた。


 すると、その隣に赤毛の小さな女の子が、ことりと腰掛けた。

 にこにこと、ためらいのない笑顔だった。


「こんにちは!」


「……こんにちは」


 声をかけられた。

 それだけで、胸の奥が小さく揺れた。


 けれど女の子は、返事を聞くとすぐに立ち上がり、ぱたぱたと駆けて行ってしまう。


 フェギスノーラは、わずかに目を瞬いた。


「……?」


「きっと、恥ずかしかったのでしょう」


 ネレアが静かに言った。


「ほら、ご覧になって」


 遠くで女の子が立ち止まり、友だちの肩を揺する。

 二人並んでこちらを見て、それから、思いきり手を振った。


 フェギスノーラは包帯を巻いたままの手を、ゆっくりと上げる。

 少し迷ってから、振り返す。


 子供たちは、さらに大きく、楽しそうに手を振り返した。


 その明るさに押されるように、フェギスノーラはもう一度、小さく手を振った。


 胸の奥が、ふっと軽くなる。


 誰かが自分を見つけて、

 嬉しそうに手を振ってくれること。


 それに応えること。


 そんな小さなことが、こんなにもあたたかいのだと、

 フェギスノーラは初めて知った。

 


 それからも、訓練は続いた。


 エルドウルフは相変わらず容赦がない。

 だが必ず時間を作り、必ず自分で教えていた。

 忙しさを理由に人へ任せることは、一度もない。


 騎士たちは訓練を続けながら、ちらり、ちらりと視線を送る。


 手はかけている。

 だが、甘やかしてはいない。


「……殿下は、姫を大切にしてるよな」


 誰かが、ぽつりと言った。


「してる。間違いなく」


 すぐに返事が来る。

 だが、その先が続かない。


 守るでもなく、甘やかすでもなく、

 かといって突き放しているわけでもない。


 倒れれば手を貸す。

 けれど、倒れる前に止めはしない。


「……俺たちとは、向きが違うんだろうな」


 年長の騎士が、低く呟いた。


 若い者は首を傾げ、

 経験を積んだ者ほど、黙り込む。


 言葉にはしづらかった。


 優しくないわけではない。

 厳しいだけでもない。

 けれど、あの向け方は、自分たちの知っている庇い方とは違っていた。


 誰もそれ以上は言葉にしなかった。

 口にすれば、自分たちの覚悟まで問われる気がしたからだ。


 数日、同じ訓練を繰り返すうちに、手綱を引いての常歩がようやく形になり始めた。


 最初の一周は、肩に力が入りすぎていた。

 背筋は硬く、指は白くなるほど手綱を握りしめている。

 

 馬の一歩ごとに、身体が遅れて揺れた。


 二周目。

 呼吸が、馬の歩調に追いつく。

 前後の揺れが、恐怖ではなく規則として身体に入ってきた。


 三周目。


 フェギスノーラは、顔を上げた。


 馬場の向こうが見える。

 騎士たちの動き。

 土の色。

 風の流れ。


 そして――エルドウルフ。


 目が合った。


 彼は、何も言わず、ただ微笑んでいた。


 胸の奥に、何かが満ちる。


 名前のない、けれど確かな感覚。

 できた、という実感に近いもの。


 その瞬間だった。


 馬の足取りが、わずかに乱れた。


 身体が、遅れる。


「――あ」


 重心が外れ、視界が反転する。


 教わった通り、手綱を離し、身体を丸めた。

 地面が、来た。


 衝撃は一瞬だった。

 叩きつけられるというより、落ちた、という感覚。


 馬はすぐにオリビエが押さえた。


 次の瞬間、エルドウルフが駆け寄ってくる。


「……!」


 騎士団の空気が、一斉に張り詰めた。

 駆けるべきか、止まるべきか。

 誰もが、判断を失う。


 フェギスノーラは動かなかった。


 身体が痛む。

 擦り傷と、打撲。

 騎士なら怪我と呼ばない程度。


 けれど――


 エルドウルフが抱き上げた瞬間、

 堰が切れた。


 声が、出た。

 泣いた。

 初めて、声を上げて。


「……痛い……」


 問いかけられる。


「どこが痛い。立てそうか」


 首を振る。


 でも、それだけじゃない。


 心が、痛い。


 できたと思った。

 届いたと思った。

 なのに、落ちた。


 言葉にならないまま、悔しさも怖さも一緒に押し寄せる。

 出てくる言葉は、ひとつだけだった。


「……痛い……」

 それは、身体の痛みでもあり、

 それ以上の何かでもあった。


 

 泣き止むまで、少し時間がかかった。


 手当てを受けている間も、フェギスノーラは何も言わなかった。

 包帯が巻き終わる頃、ようやく小さく口を開く。


「……まだ、続ける」


 誰に言い訳するでもなく、ただ事実を告げる声音だった。


 ネレアは一瞬だけ彼女の顔を見て、何も言わずに頷いた。


 部屋へ戻り、絵本を開く。

 日課だった。


 文字を追う速度は遅く、何度か同じ行をなぞった。

 それでも、閉じるまで読んだ。


 夜。


 寝室に入ると、フェギスノーラはいつものように、うつ伏せになった。

 今日は、身体が重い。

 腕も、脚も、思うように動かない。


 けれど――

 逃げなかった、という感覚だけが、胸の奥に残っていた。


 そのまま、静かに眠りに落ちた。


 次の日は、大事を取って乗馬の練習は休みになった。


 日課どおり、城内を散策する。

 ただ――自然と足は、騎士団の東棟を避けていた。


 膝と肘には擦り傷。

 手の豆は一つ潰れ、

 短めのキュロットの裾から包帯がのぞいている。


 歩みは遅い。

 それでも、立ち止まらなかった。


 この日の城下の散歩の目的地は、子供たちの広場だった。


 理由は、うまく言葉にできない。

 ただ、あの声を――

 あの、笑っている顔を、見たかった。


 ネレアが、静かに促す。


 木の根に腰を下ろす。

 子供たちは、いつも通り遊んでいた。


 鬼ごっこで捕まって悔しがる子。

 捕まえて誇らしげに胸を張る子。

 転んでしまう子。


 それでも――

 すぐ立ち上がり、また走っている。


(……すごい)


 痛いはずなのに。

 悔しいはずなのに。

 止まらない。


 その時、とん、と軽い音がして、隣に誰かが座った。


 この前の、赤毛の小さな女の子だった。


「お姉ちゃん」


 呼ばれて、そちらを見る。


 女の子は、黄色とピンクと水色の、小さな花を両手に抱えていた。


「ねえ、何色が好き?」


 差し出された花の向こうで、にっこり笑う。


 少し考えてから、フェギスノーラは

 ピンクの花びらに、そっと指先で触れた。


「……これ」


 女の子は目を輝かせた。


「ゼラニウムとカンパニュラだよ。かわいいでしょ!」


 そう言って、ピンクの花を選び取り、まとめて差し出してくる。


「お姉ちゃんにあげる!」


「……いいの?」


 花を受け取りながら、胸の奥があたたかくなる。

 その感覚に、まだ名前はつけられない。


 女の子は、今度は自分の手元の水色の花を指さした。


「ピンクは、きれいなお姉ちゃんに似合うから。

 私はね、水色が好き!」


 誇らしげに続ける。


「ネモフィラと、ルリマツリ。

 ほら――お姉ちゃんの髪の色と、おんなじ!」


 その言葉に、フェギスノーラは花を見下ろし、

 次に、自分の髪に触れた。


(……おんなじ)


 そう思った瞬間、胸の奥が、また少しだけあたたかくなった。


「……“ありがとう”、ですよ。姫さま」


 ネレアの声が、そっと背中を押す。


 フェギスノーラは、その言葉を胸の奥で噛みしめる。

 今、自分が言いたかった音。

 まだ形にならなかった気持ち。


 少し遅れて、顔を上げる。


「……ありがとう」


 そう言って、微笑んだ。


 女の子は、一瞬きょとんとしてから、

 ぱっと花が咲くように笑った。


「どういたしまして!」


 その声は、軽くて、明るくて、

 フェギスノーラの中に、すとんと落ちた。


 胸の奥が、また少しあたたかくなる。


 

 その夜、エルドウルフが寝室に戻った時、フェギスノーラはまだ起きていた。


 灯りは落とされ、寝台脇の小さな燭台だけが淡く揺れている。

 彼女はベッドに腰掛け、膝の上に絵本を広げていた。


「……まだ、痛むか?」


 佩刀を外し、壁に掛けながら問う。


「少し」


 簡潔な返事だった。


 外套を脱ぎ、留め具を外しながら近づくと、彼女の包帯が目に入る。

 昨日の出来事が、まだそこに残っている。


 エルドウルフが寝台に上がると、フェギスノーラは絵本を持ち直した。

 どうやら、彼が戻るのを待っていたらしい。


「もっと、ことば、おぼえたいの」


 顔は伏せたまま。


「もっとたくさん。だから……ねむくなるまで」


 少し間を置いて、付け足す。


「おしえて」


 エルドウルフは一瞬、言葉を探した。

 それから、絵本の端を指で押さえる。


「……いいよ」


 短く答える。


 ページをめくり、ゆっくりと音にして読む。

 一つずつ、確かめるように。


 フェギスノーラは、その声を追いかけるように目を動かした。

 分からないところで止まり、

 分かると小さく頷く。


 灯りが揺れ、時間だけが静かに流れる。


 ヘッドレストとクッションに身体を預け、

 二人は並んで絵本を開いていた。


 ページをめくる音だけが、寝室に静かに落ちている。


 フェギスノーラの声が、途中から聞こえなくなった。


 顔を向けると、彼女はエルドウルフの肩に寄りかかり、浅い呼吸のまま眠っていた。

 睫毛が伏せられ、手にしたままの絵本が、ゆっくりと傾いている。


「……もう限界か」


 小さく呟いて、彼はそっと本を受け取った。


「灯り、消すぞ」


 返事はない。


 エルドウルフは一度ベッドを降り、燭台の前へ行く。

 指で芯をつまみ、火を落とした。


 ぽっ、と短い音。


 寝室は、窓から差し込む月明かりだけになった。


 戻ると、フェギスノーラはまだ同じ姿勢のままだった。

 首が少し傾き、背中に力が入っていない。

 このままでは、明日の朝まで保たない。


 エルドウルフは息を殺し、彼女の背に手を回した。

 慎重に抱き上げ、邪魔になっていたクッションを外し、そのままシーツの上へ寝かせる。


 動かすたびに、彼女の眉がわずかに動いたが、目は覚めなかった。


 ――よし。


 そう思った瞬間。


 彼女の指が、彼のシャツの裾を掴んだ。


 無意識の動きだった。

 引き寄せる力はなく、

 ただ、離さないだけ。


「……」


 起こすこともできた。

 手を外すこともできた。

 けれどエルドウルフは、そうしなかった。


 静かに横になり、彼女の肩の位置を確かめる。

 そのままにしているうち、自然と腕がその下に入った。


 フェギスノーラはわずかに身じろぎし、

 その腕を枕にするように、深く眠りに落ちた。


 エルドウルフは天井を見つめた。


 重みはほとんどない。

 けれど、確かに、そこに誰かがいる。


(……頑張ったな)


 声にはしなかった。


 ただ、腕を引かなかった。


 夜が明けるまで、そのままでいた。

 



更新 月曜日/木曜日 20:00


X更新情報/活動報告など発信してます

たまにイラストも

https://x.com/REANNEcreative

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