其の19
けれど、私は心の中で必死にこう唱える。
(泣いたりしちゃ、駄目)
大変なのは店を荒らされた店主だ。私に泣く権利なんか、ない、と。でも、そう自分に言い聞かせても、涙は後から後から溢れて、自分の意思で押し留めることは叶わなかった。
こんなに泣いたりして恥ずかしい。私が手の甲で涙を拭おうとすると……そっと手が伸びて来た。女性のものより少し節ばった手が、労るように私の頬に触れた。
「泣くな。……大丈夫だから」
テオドアの指が、優しく私の涙を拭う。
「店のことは心配いらない。表向きは宝石を扱っている店だから、泥棒に入られることくらい、想定済みだ」
私を慰めるための優しい嘘なのだろう、と思ったけれど、視界の端で店主が「うんうん」という感じで頷いている。だから少しだけ私の暗く沈んだ気持ちに光が差した。
「ほんと……に……?」
「ああ」
力強く頷かれ、私はじっとテオドアを見上げる。彼はもう一度、私を元気付けるように頷いたのち、付け加えた。
「それに、家を出ようと金を貯めていたんだろう? それも大丈夫だ。そうだろう?」
テオドアが店主に確認を取る。すると店主は、こほん、と畏まったように咳払いをすると、
「説明していいか?」
と前置いた。私がこくりと頷くと、店主は落ち着いた声で話を始めた。
「テオドア坊ちゃんがもっと幼かった頃のことだ。嬢ちゃんがお金を預けているのを見た時、言ったんだよ。『あれは、あの子が必死に貯めようとしているお金なんだから、見えるところに置いてちゃ駄目だよ』ってな」
びっくりしてテオドアを見上げると、彼は少し照れ臭そうに視線を逸らす。そして「まあ、俺の金も預けているからな」と付け加えた。でもきっと、店主に助言したくれた時、彼は自分のお金のことは考えてなかったって思う。だって、それならもっと早くに忠告しているはずだもの。
「俺も、認識が甘い部分があったって、はっと気付かされたよ」
商売人として、あるまじきことだった、と店主は付け加えた。そして、
「だから、まず保管場所を変えた。そして今回、その保管場所は見つからずに済んだようだ」
にやりと不敵に笑った店主は、私たちにも保管場所を明らかにしなかった。その慎重さが、逆に心強かった。
「これは嬢ちゃんに限った話じゃなく、預かり業を営むものとして、顧客の預かり物を盗まれるなんて言語道断だろう? 二重三重に守りを固めるのは、当然のことだ。……嬢ちゃんの財産は、全て無事だ」
店主の言葉は自信に満ち溢れていて、信じるに足るものだった。胸が熱くなる。
「ありがとうございます!」
私は深々と頭を下げて礼を述べた。そしてテオドアに向き直り、彼にも同じく深い感謝の気持ちを伝える。
「テオドア様も、ありがとうございます……!」
テオドアは、優しく微笑んでくれた。けれど、次の瞬間には少し複雑そうな表情で、こう言った。
「様、はやめてくれないか。前にも話したとおり、俺はそんな大層な人間じゃない」
もっと対等に。もっと距離を縮めたい。そう告げられた気がした。私は心の準備をするため、小さく息を吸ったのち、
「じゃあ……テオドア」
と、その名を口にした。なんだか……すごく照れ臭い。顔が火照って動悸が早くなる。これは一体、どういう気持ちなのだろう。
テオドアを見やれば、私と同じように頬がほんのりと赤い。その反応が、とても嬉しいと思った。
そんなふうに、私たちは向かい合って少しの間もじもじしていたんだけど、空気を読まない店主の、
「いやあ、青春だねえ」
という囃し立てる声が聞こえて、はっと我に返った私は、気恥ずかしくなって話題を転換した。
「でも、ここにあるお金は盗られてしまったのでは……?」
私はカウンターの後ろにある金庫を指さした。
それはダミーだったとはいえ、扉は確かに開けられて、中身は空っぽだ。何かが盗られているのは明白だった。
しかし店主は、軽く肩をすくめた。
「ああ。ダミーの金庫とはいえ、何も入れていないのは不自然だろう? だから偽物を入れていた」
「偽……物……?」
金庫だけではなく、中身もダミーということか。でも、いくら防犯のためとはいえ、偽札はまずいのでは?
そんな私の疑問を読み取ったかのように、店主は続けた。
「元々は上下の表面だけ本物の紙幣にした白紙の束を用意していたんだがな。最近、店舗を狙った窃盗事件が多いらしくてな。少し前に、追跡しやすい特殊な加工をした偽札をクリス王子に渡された」
なるほど。王子公認であれば、問題はないだろう。同時に、この店はもぐりの店だけど、王家からは目こぼしを受けて営業していたということも理解した。
「偽札を使わせて、一網打尽にするつもりなんだろうな」
それがどういう手段でなされるか、ということは素人には分からないけれど、出来ると判断したから実行するのだろう。盗人が捕まれば治安も良くなるというものだ。
そして、この店も、きっとすぐに立ち直る。そう確信できた私は、ほっと胸を撫で下ろした。
そんな私を見守っていたテオドアだけれど、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば最初の君の言葉。そこに気になることがあったんだが」
冷静さを取り戻した私は、テオドアの指摘に頷いた。
「ここに泥棒に入られたと、義母から聞いた、ということですね」
泥棒に入られたことに店主が気づいたのは、つい先程のことだ。
なのに何故、義母は、それをいち早く知っていたのか。
時系列に矛盾がある。だとすれば、この窃盗事件は、義母が一枚噛んでいる可能性が極めて高いということだ。平気で犯罪に手を染める義母を恐ろしく感じ、私は身震いした。
そんな私の手を、テオドアがそっと握りしめる。
「リーネ」
真剣な眼差しで私を見つめる。私が見つめ返すと、彼は一つ頷いて、こう提案した。
「今日は店の片付けを手伝って、明日になったら一番にクリス王子に会いに行こう」
と。
☆
翌日。
クリス王子は、地下図書館の常連らしく、そこに行くと、難なく会うことができた。
静かに本を読んでいた王子は、硬い表情のテオドアの様子に、常ならぬものを感じたのだろう、ぱたんと本を閉じた。
「どうしたんだい? 二人して」
そして、机の対面に座るよう促す。
その勧めに従って私たちは席に着く。そしてテオドアがおもむろに切り出した。
「あの店に泥棒が入りました」
「……なるほど」
テオドアの一言だけで、クリス王子はあらかた事情を察したようだ。しかし互いの情報に齟齬があってはいけないので、丁寧に経緯を説明した。
テオドアは、恐らく、この空き巣はラシュレー家が仕組んだことだという推測を述べたのち、
「ラシュレー家のやり方を見ると、俺のことよりも彼女のことが心配です」
と静かに告げた。
「だから、王子……どうか、力を貸してください」




