其の14
王子の姿が消えた。
……というより、私が王子を見失っただけなのだけど。つまり、はぐれたということだ。
(なんてこと……)
案内してくださっている王子に対し、大変に失礼な行為だ。私は非常に焦った。
(早く合流しないと!)
しかし地下二階は、一階以上に広く、そして入り組んでいる。さらには暗い。……どうやら私は、迷子になってしまったようだ。
静かな空間に、私の足音だけが響く。一人きりの薄暗い図書館って、よく考えると、雰囲気が怖い。心細さが頭をもたげる。
私は何故か、足音を忍ばせながら、王子の姿を探し歩く。
やがて、ふと奥の方で、ほのかに明るい場所があることに気付いた。ランプの炎が揺らめく、そんな明かりだ。
(王子……?)
私はすがる思いで、その明かりを目指して歩みを進める。しばらくして、明かりの元に辿り着いた。
しかし、必ずしも、ここに王子がいるとは限らない。私は慎重に、本棚で身を隠しながら、明かりの元を探った。
そして……見た。
(誰かいる…)
少しだけ開けた場所があり、そこに閲覧用の机が備えてある。その机にランプを置き、その人はじっと本を読んでいる。
少し遠目だが、間違いなく王子ではないことは分かった。第一、格好が違う。
(誰だろう?)
どうやら学生のようだ。学園の制服を割とかっちりと着こなして、真面目そうな雰囲気だ。まあ、多分知らない人だろう。
そう思いながら、もう一度、その人の横顔をじっと眺め……。
(……え?)
そして、気付いてしまった。それが、見知った顔であることに。
(テオドアだ……)
最近、強烈な私服を着ている姿で見かけることが多かったので、ちゃんと制服を着ている姿を見忘れていた。
(読書に没頭しているみたい)
その証拠に、私は足音を忍ばせていたとはいえ、音はしていたはずなのに、全く気付いた様子がない。それほど、目の前のことに集中しているのだろう。机の上に広げた本を睨み付けながら、唸っている。
(本なんて、読むような感じに見えなかった)
以前も図書館で見かけはしたが、それは誰かと逢引きしている様子で、本を読んではいなかった。
しかし、こんな風にしていると随分と真面目そうに見える。
(いつも、こんな顔していればいいのに)
まあ、彼の取り巻きの女性たちにとっては、普段の軽薄そうな空気が良いのだろうけれど。
と、そんなことを考えていると、私とは逆の方向にクリス王子の姿が見えた。
(あ、クリス王子)
クリス王子は、テオドアの方へと近寄って行く。至近距離になると、流石にその存在に気づいたテオドアが顔を上げた。
「王子」という存在が目の前にいるにもかかわらず、特段驚いた様子はない。ということは、彼らは知り合いということになるのだろうか。
(王子とテオドアが?)
かたや評判の王子様。かたや没落寸前の放蕩貴族。なかなか奇妙な組み合わせである。しかし。
「………」
「………………」
二人は何やら会話を交わしている。彼らが知り合いであることは間違いなさそうだ。ということは、もしかして。
(あの時も、テオドアと話をしていたのは王子だったりして)
放蕩で女好きと言われるテオドアのことだから、逢引きだと決めつけていたけれど、その可能性はあるのかもしれない。
(でも、どんなことを話しているのかしら?)
想像もつかない。
なんて、私がそんなことを考えている間にも、彼らは話を終えたらしい。
テオドアは、本を閉じると、それを何故か王子に渡す。そして席を立ち、あろうことか王子を置いて、そのまま奥の方へと去って行った。……つまり、あちらが出口の方向なのだろう。
王子は王子で、テオドアの無礼を咎めることもなく、手を振ってテオドアを見送っている。
(……どういうこと??)
状況が全く呑み込めない。その場に立ち尽くしたまま、私は考え込む。……けれど、その思考は、王子が近づいて来たことによって、中断させられた。
「やあ。ごめんね。ここ、少し入り組んでいたから、はぐれてしまったね」
「いえ、私の方が王子を見失ってしまいました。すみません」
しかし王子の言葉から滲み出ているものに気づいていた。はぐれたのは「わざと」であると。加えて、私がここに潜んでいることに、最初から気づいていたらしい。
「見てた?」
悪戯っぽい目で尋ねられ、私は嘘をつく理由もないので、
「はい」
と正直に答えた。
「どうして彼は、こんなところで本を読んでいたんだろうね?」
すごく……棒読みだ。どう考えても、王子自身はその答えを持っているはずなのに、何故、私に問うのだろうか。
「いえ……私には分かりかねます」
分からない方が幸せだろう。しかし王子はにっこりと笑って、
「彼が読んでいた本、見せてあげようか」
と言いながら、私の前に、テオドアから受け取っていた本を差し出してくる、なんだろう。もしかして王子は、私とテオドアを接近させようとしているのだろうか。少し迷惑なんだけど。
「いえ、結構です」
きっぱりと断る。本って結構、嗜好が現れるものだし、テオドアも親しくない人に、自分が読んでいた本を知られるのは、あんまり良い気分じゃないと思う。
しかし王子はめげない。
「そう言わずに、見てよ。ほらほら」
王子は嫌がる私の頬に、本をぐいぐいと押しつけてくる。強引すぎません?
結局、根負けした私は、その本を手に取り、適当なページを開いてみた。中身を見て、首を傾げた。
(ん? これは本じゃなくてノートね)
びっしりと数字が並んでいる。
(これは……帳簿?)
桁がすごく大きくて、一般家庭の家計簿というものではない。というか国有数の大富豪の規模のお金の動きだ。
私の頬がひきつる。これは……一般人の私が見て良い類のものではない気がする。
「見たよね?」
にこっと王子が微笑んだ。……すごく含みのある笑みで……嫌な予感がした。
「これで君も『僕たち』と秘密を共有したということになるね」
そう言って王子は、ぽんと私の肩に手を置いたのだった。




