第11話:春風に揺れた親友
――午後/住宅街・小公園
春風が吹き抜け、舞い上がった花びらがまだ空を漂っていた。
凱はベンチの背へ身体を預けたまま、ふっと息を吐く。
ようやく握っていた拳が、少しだけほどけていた。
「……ったく、長かったわ」
呆れたみたいに笑いながら言う。
彰は陽菜と繋いだ手を慌てて離しかけて、結局うまく動けなかった。
「お、お前な……!」
顔の熱が全然引かない。
陽菜も真っ赤なまま、「凱君っ……!」と小さく抗議の声を上げていた。
その反応がおかしくて、凱は肩を揺らしながら笑う。
「いやマジで長かっただろ!? 見てるこっち、ずっとムズムズしてたわ!」
「待ってたのお前かよ……!」
彰が顔を逸らしながら返すと、陽菜まで吹き出した。
春風が三人の間を抜けていく。
陽菜の笑い声につられて、彰も息を漏らした。
凱はまだ肩を揺らしたまま、ベンチの背へ軽くもたれ直す。
その時だった。
陽菜のスマホが、小さく震えた。
「あっ」
画面を見た瞬間、陽菜が少し困ったみたいに笑う。
「ごめん、家族でご飯行くことになっちゃった。もう迎え来るって」
「早くね?」
凱が笑うと、陽菜は少し照れくさそうに頬を掻いた。
「お父さんが心配だからって、位置共有入れてるの。たぶん公園いるの見えてる……」
「過保護かよ」
凱が吹き出した、その時だった。
公園前の通りへ、見慣れた赤いコンパクトカーがゆっくり滑り込んでくる。
「あ、来た」
陽菜が小さく声を漏らした。
車はそのまま公園前で静かに止まり、三人は並ぶように歩き出す。
砂利を踏む音が近づいていった。
やがて助手席の窓がゆっくり下がる。
「三人とも、卒業おめでとう!」
拓也が笑いながら大きく手を振った。
運転席の雪も、柔らかく微笑みながら頭を下げている。
「卒業おめでとう。高校でも、陽菜のことよろしくね」
その言葉に、彰と凱は少し照れくさそうに顔を見合わせ、それから小さく頷いた。
陽菜は車へ乗り込む前に、一度だけ足を止める。
名残惜しそうに、二人を振り返った。
それから、小さく笑う。
「……またね」
「おう」
「じゃあな」
陽菜は小さく手を振り、そのまま車へ乗り込んだ。
窓が閉まる直前まで、どこか照れたみたいに笑っている。
赤いコンパクトカーがゆっくり動き出した。
窓越しに、陽菜が何度も手を振っている。
彰も小さく手を上げた。
やがて車は角を曲がり、その姿が見えなくなる。
タイヤの音が遠ざかり、花びらだけが舗道の端を転がっていた。
凱がポケットへ手を突っ込み、小さく息を吐く。
「……帰るか」
「……ああ」
二人はそのまま並んで歩き出した。
春の風が、やわらかい匂いを運んでくる。
甘く、どこか切ない空気が頬を撫でながら通り過ぎていった。
「今日、あったけぇな」
凱が肩をすくめる。
彰も歩幅を合わせながら、小さく頷いた。
通り沿いには、《エーテルランプ》が等間隔に並んでいる。
「エーテル変換式、だっけ」
「おう。地中のエーテル吸い上げて光にしてるやつ。澄友の新型らしい」
磨かれたランプの表面が、西日に照らされて淡く光っていた。
足元の影が、光の下で細く伸びる。
その時、革のコートを羽織った男が端末を確認しながら通りを横切る。
腰には剣。
背には傷だらけの盾が見えた。
「……インサイダーだな」
凱の声が、春の空気へ溶ける。
「昼は祭りの護衛、夜は迷惑魔獣の討伐。依頼あったら昼夜関係なく動くんだろ」
「制服とかもないんだよな」
「そのぶん全部、自分で背負うんだろうけどな。……でも、子どもから見りゃヒーローだよ」
男の背中は、そのまま人混みの向こうへ消えていった。
その背中を見送るあいだ、電線のカラスが騒がしく鳴き交わしている。
商店街からは、店先の呼び込みや自転車のベルが重なって聞こえてきた。
パン屋から流れる甘い匂い。
開け放たれた店先から漏れる笑い声。
午後の街には、まだ人の温度が残っている。
彰と凱は肩を並べて歩いた。
さっきまで内側を焼くみたいに走っていた鼓動も、少しずつ落ち着き始めている。
春の風が二人の間を抜け、制服の裾を小さく揺らした。
その感触を受けながら、彰はふと隣を見た。
凱がいつも通りの歩幅で歩いている。
肩の距離も、足音の間隔も、昔から変わらない。
凱がふと前を向いたまま口を開く。
「なあ、アキ」
「ん?」
「もうすぐ高校だな。なんかちょっとワクワクしね?」
春の空気の中へ、凱の声が軽く響いた。
「……ああ」
彰の口元が少し緩む。
「訓練も厳しくなるだろうけど、俺らならいけるよな」
「まあ、お前いるしな」
その言葉を口にした瞬間、身体の内側が少しだけ温まった。
歩幅も、自然と前へ伸びていく。
彰は小さく息を吐いた。
「……凱、本当にありがとう」
胸の奥へ溜まっていたものが、そのまま一緒に零れ落ちる。
少しだけ、声が震えていた。
「お前がいなかったら、俺……たぶん言えてなかったわ」
彰はそう言いながら、軽く凱の背中を叩いた。
「……おう」
凱の目が一瞬だけ宙で止まり、すぐに外れる。
その横顔を見た瞬間、不意に脳裏へ浮かんだ。
――夏祭りの夜。
花火の光に照らされていた、陽菜の横顔。
ただ見つめることしかできなかった自分。
その隣には、同じ景色を見ていた親友がいた。
けれど凱の視線は、花火じゃなく――陽菜へ向いていた。
春の風に揺れた前髪が、凱の横顔を半分隠している。
喉仏が、一度だけ小さく上下した。
ポケットへ入れた拳が布地を押し返し、そのまま指先だけが強く固まっていた。
歩幅は揃っている。
それなのに、肩の線だけがどこかぎこちない。
言葉が途切れる。
けれど、不思議と気まずさはなかった。
互いの胸の内を探るみたいな静けさだけが、二人の間へゆっくり落ちていく。
彰はそっと横顔を盗み見た。
強くて、優しくて、いつだって隣にいた親友。
春の光が、凱の横顔へやわらかく落ちている。
彰は小さく息を吸う。
舌の奥に、言い出せない苦さだけが残った。
「……なあ、凱」
「ん?」
「お前も……陽菜のこと、好きだったんじゃないか?」
吹き抜けた風が、一瞬だけ冷たく感じた。
凱の肩がわずかに揺れる。
二人分の足音だけが、舗道へ乾いた音を落とした。
喉の奥で、言葉にならない音だけが沈んでいく。
ポケットの中で、握った拳が少し強く固まっていた。
「ははっ、なに言ってんだよアキ!」
凱は笑った。
けれど、その笑い声の奥で、わずかに間が落ちる。
彰は、その一瞬を見逃せなかった。
凱は誤魔化すみたいに彰の肩を強く叩く。
その指先には、硬い熱が残っていた。
「陽菜は大事なダチだ。お前は俺の一番の親友だぞ?」
凱はそう言って笑う。
「二人くっついたとか、普通にめちゃくちゃ嬉しいわ。今日は肉だな、肉」
そう言って笑ったあと、不意にニヤッと口元を歪める。
「……まあでも、お前。陽菜泣かせたらマジでしばかれるからな?」
「は?」
「覚悟しとけよ。たぶん鞭飛んでくるぞ」
「なんだよその例え……!」
彰は思わず吹き出した。
陽菜が弓を抱えたまま「鞭で叩いてもいいの?」と頬を膨らませていた顔が、そのまま脳裏へ浮かぶ。
凱もつられるように笑った。
さっきまで張り詰めていた空気が、少しだけほどけていく。
眩しいくらいの笑顔だった。
それなのに、その笑顔だけがどこか少し遠く見える。
凱の顎が、ほんの少しだけ外へ逃げた。
その横顔を見た瞬間、春風がまた冷たく感じた。
彰は小さく息を吐く。
「……凱」
名前だけが、ぽつりと零れた。
それ以上、うまく言葉が続かなかった。
喉の奥には、引っかかりだけが残っている。
二人の足音だけが、並木道へ乾いた音を落としていった。
カツン、カツン――飲み込んだ本音の代わりみたいに、規則正しく続いていた。




