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アウトサイダー  作者: 君島極
第二章:噛み合わない世界 | 第三節:戻る場所と、未来への誓い
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第10話:花びらが舞う、その瞬間に

「置いてってない!」


声が喉を突き抜け、思ったより遠くまで響いた。


裏返った音が耳に残る。


吸い込んだ息が途中で止まる。


凱が強く息を吐いた。


いつもの軽い笑いは、もう消えている。


「……だったら、今ここで言え」


低い声だった。


けれど、その目だけは真っすぐ彰を射抜いていた。


逃がさない。


視線を外す隙間が、どこにもなかった。


彰はかかとで土を踏みしめた。


土の粒が靴底の下でずれ、息が浅くなる。


踏み直した足に、すぐ力が戻らなかった。


凱が顎で示した先――少し離れたブランコのそば。


春の光の中で、陽菜が立っていた。


咲き始めた桜が頭上で風に揺れている。


枝先が揺れるたび、花びらがひらひらと舞い落ちた。


白と淡紅の花弁が髪や制服へそっと降り積もり、陽菜の輪郭が春の光へ溶け込んでいく。


甘い花の匂いが流れ込む。


遠くで聞こえていた小鳥の声が、不意に遠のいた。


枝が揺れ戻るまでの短い間、身体が固まったみたいに動かなかった。


陽菜は、まっすぐこちらを見ている。


胸の前では、重ねた両手へ強く力が入っていた。


結んだ唇の端が、かすかに震えている。


それでも、目だけは逸らさずに立っていた。


(……見られてる)


――ドクン。


心臓が、大きく跳ねた。


足元がふっと軽くなり、周りの輪郭が少しずつ遠のいていく。


残ったのは陽菜の姿だけだった。


桜並木の色さえ、薄れていく。


重心が半拍遅れる。


靴底が土を押し返せずにわずかに滑り、踏み直そうとしても、次の一歩がすぐに出なかった。


掠れた息だけが、小さく漏れる。


――もし、この笑顔が消えたら。


そう思った瞬間、足元の感覚が崩れそうになった。


その瞳へ捉えられたまま、彰は息を呑む。


浮かんだのは、短い記憶ばかりだった。


夏祭りの夜。


金魚すくいへ夢中になって笑っていた横顔。


訓練場の隅で、ぎこちなく差し出されたクッキー。


あの時、小さく震えていた声。


そして――傷だらけの手へ触れた、あたたかい光のぬくもり。


記憶だけが、次々と浮かんでは消えていく。


認められなかった時間。


うまくいかない日。


道場で一人になった帰り道。


そのたびに、隣にいたのは陽菜だった。


誰に否定されても、陽菜だけは自分を見てくれていた。


そこだけが、帰ってこられる場所だった。


彰は土を踏みしめ、そのまま陽菜の方へ歩き出す。


だから――


「……陽菜……」


息が詰まり、掠れた声で名前を呼んだ。


声を出した瞬間、熱い息が肺の奥まで流れ込み、止まりかけていた足がようやく前へ出る。


靴底が土を押し返し、遅れて膝がついてきた。


陽菜の瞳が、小さく揺れる。


張っていた肩の力が、ゆっくりほどけていくのが見えた。


(……失うのが怖い)


視線を逸らそうとしても、逸らせなかった。


彰は首筋のこわばりを一度ほどき、乱れた呼吸を整えた。


つま先が土を押し返す感覚だけが、少しずつ戻ってくる。


視界の中では、陽菜の輪郭だけがはっきり前に残っていた。


ふと背後へ目を向ける。


少し離れた場所で、凱が黙ったままこちらを見ていた。


「言え」とも「頑張れ」とも言わない。


それでも、その気配だけが背中を押してくる。


(いけ。ここで逃げたら……)


春の風が再び吹き抜けた。


舞い上がった花びらが渦を描きながら落ちてくる。


肩や髪へ触れるたび、震えていた熱を包み込まれるみたいだった。


彰は小さく息を吸う。


「……大丈夫。俺は――言う」


唇が熱を帯び、喉がひとつ鳴った。


踏み出した一歩が、しっかり土を押している。


そのまま陽菜の前まで歩み寄る。


目が合った瞬間、不意に足が止まった。


「……陽」


名前を呼ぼうとして、声がうまく続かなかった。


肩から腕にかけて力が入り、指先まで張りつめていた。


陽菜は目を丸くしたまま立ち尽くしている。


それでも、彰から視線を逸らさない。


「……アキ?」


小さく零れたその声に、思わず視線が揺れた。


春風に揺れる髪が、淡い光を受けてきらめいている。


頬へかかった一房から、どうしても目を離せなかった。


(見られてる……)


足が、わずかに後ろへ引きかける。


それでも、顔だけは逸らせない。


唇が震え、細い息が漏れた。


喉が乾き、唾を飲み込む音だけがやけに大きく耳へ残る。


息を整えようとしても、うまく揃わない。


周囲の音が少しずつ遠のき、花びらの動きだけが妙にはっきり視界へ残っていた。


地面の感覚が薄れ、踏みしめた反動だけが遅れて返ってくる。


彰は小さく息を吸った。


「俺……ずっと……陽菜のことが……」


途中で言葉がつっかえる。


ひゅっと空気だけが漏れ、言葉が続かない。


それでも、止まれなかった。


「好きでした。……ずっと前から……」


周囲の音が、ふっと遠のいた。


花びらだけが、ゆっくり落ちてくる。


――逃げないと、決めた。


彰は震える息を押し込み、そのまま声を振り絞る。


「……俺と……付き合ってください!」


最後の一言は、ほとんど叫びだった。


言い切った瞬間、全身の熱が一気に噴き出す。


顔が熱い。


耳まで真っ赤になっているのが、自分でも分かった。


火照った手のひらを、春の風だけがひやりと撫でていく。


沈黙が落ちた。


陽菜は口をわずかに開けたまま、桜の下で立ち尽くしている。


その瞳が、ゆっくり揺れた。


ぽとり、と大粒の涙が頬を伝い、制服の襟を濡らしていく。


「……バカ」


震えた声だった。


「バカ……ずっと……待ってたのに……」


陽菜は両手で涙を拭いながら、必死に口元を引き上げようとしていた。


呼吸が浅く上下する。


胸元へ伸びた手が途中で止まり、そのまま布地をぎゅっと押さえた。


置いていかれそうな時も、何も言わず隣にいてくれた。


その時間が、震えた声の奥から滲んでくる。


一度だけ視線を落とし、短く息を吐く。


それから、ゆっくり顔を上げた。


涙を残したまま、小さく頷く。


動きが半拍遅れて、それでも口角だけは大きく上がっていく。


泣き濡れた頬へ、春の光がまっすぐ当たっていた。


「……はいっ」


その声が届いた瞬間だった。


春風が強く吹き抜け、桜の花びらが一斉に舞い上がる。


淡い桃色が二人の間を埋めるみたいに広がり、視界いっぱいへ流れていった。


頬へ触れた花びらは、少しだけ冷たい。


涙は止まらないのに、自然と笑みがこぼれそうになる。


遠くの景色が、白くほどけていく。


◇


――手が震えている。


陽菜は片方の手でもう片方をぎゅっと包み込み、その震えを押さえようとしていた。


「好きでした」


その言葉が、夢みたいに胸へ落ちてくる。


怖くて。


嬉しくて。


息の仕方まで分からなくなりそうだった。


(……やっと)


ずっと待っていた。


彰が振り向いてくれるのを、心のどこかでずっと。


何度も伝えようとして、そのたび勇気が足りなくて引き返した。


離れていく背中を、ただ見送ることしかできなかった日もある。


それでも、嫌いになれなかった。


桜の花びらが、ひらひら舞い落ちる。


頬を濡らす涙は、どうしても止まらない。


けれど、それは悲しみじゃなかった。


喉が詰まり、息がうまく続かない。


(アキ……わたしも、ずっと……)


指先は少し冷たい。


それなのに、握り込んだ手の中だけがどうしようもなくあたたかかった。


陽菜は涙を拭いながら、小さく息を吸う。


そして、目の前にいる彰をもう一度見つめた。


この瞬間を、絶対に離したくない。


彰の姿から、どうしても目を離せなかった。


彰がそっと差し出した手へ、陽菜は震える指を重ねた。


――遠くで。


「よっしゃああああ!!」


凱の声が、公園中へ響いた。


彰が振り返ると、ベンチから立ち上がった凱が、満面の笑みで拳を突き上げている。


子どもみたいに、両手を空へ掲げながら笑っていた。


その姿がおかしくて、彰は思わず息を漏らす。


けれど次の瞬間、その拳だけはまだ強く握られたままだと気づいた。


笑っている。


ちゃんと、嬉しそうに笑っている。


それなのに、握り込まれた拳の奥へ、まだほどけきらない熱だけが残っていた。


内側へ溜め込んでいたものが、ようやく少しだけ外へ逃げたように見えた。


笑顔のまま、口元だけがわずかに固まる。


(凱……お前……)


春風が吹き抜ける。


舞い上がった花びらが、三人の間をゆっくり流れていった。


彰と陽菜は、並んで立っている。


重ねた手だけが、まだ少し震えていた。


凱は笑っていた。


その拳だけが、最後まで開かなかった。



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