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アウトサイダー  作者: 君島極
第二章:噛み合わない世界 | 第三節:戻る場所と、未来への誓い
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第5話:蕾の枝、揺れる心

――インサイダー養成学校・中等部


あの冬から、季節は何度か巡った。


最初はぎこちなかった距離も、時間を重ねるうちに少しずつ元へ戻っていく。


放課後、三人で並んで歩く時間。


他愛ない会話。


笑うタイミングまで、いつの間にか自然と揃うようになっていた。


陽菜と凱とも、もう目を逸らさずに話せる。


訓練場では、今日も同じ音が床へ刻まれていく。


木刀を振り下ろすたび、呼吸が整った。


踏み込みと同時に、間合いが少しずつ読めるようになる。


遅れて魔力を重ねると、刃へ乗せた流れが以前よりぶれずに通った。


脳裏へ組み上げたルーンも、途中で途切れない。


まだ噛み合いきらない瞬間はある。


それでも――


(前よりは、戦えてる)


その実感だけは、ちゃんと残っていた。


二年、三年と続いた団体戦。


前なら背後で聞こえていた声も、いつの間にか耳へ届かなくなっている。


けれど、全部が元通りになったわけじゃない。


廊下の端で止まる会話。


名前を呼ばれないまま過ぎていく時間。


一度置いた距離は、そのまま残っている場所もあった。


(……それでもいい)


あの時の選択も。


流れた時間も。


全部、自分が歩いてきたものだ。


彰は小さく息を吐き、窓の外へ視線を向ける。


――そして、いま。


卒業式まで、あとわずかだった。


◇


――昼/インサイダー養成学校・中等部・教室


教室は、春を迎える前の浮ついた空気と、どこか名残惜しさを残した熱が混ざり合っていた。


「卒業写真もう一枚撮ろー!」

「寄せ書きあと4ページ!」

「凱サインしてくれよ!」


笑い声が教室を飛び交い、カメラのシャッター音が重なる。


転がったカラーペンのキャップが机へ当たる小さな音まで、今日の空気へ溶け込んでいた。


陽菜は女子たちに囲まれながら、寄せ書き帳を受け取って笑っている。


「うわ……こんなに書いてくれたんだね。宝物にするよ、これ」


口元を緩めたまま、指先でページを押さえる。


文字を追う視線と一緒に、ページを送る手が一拍だけ止まった。


その少し離れた場所では、凱が男子たちに肩を叩かれている。


「お前次! ここのページ埋めて!」


「はいはい、待てって」


笑いながらペンを受け取る凱の周りにも、人が集まっていた。


みんな、笑っている。


その空気の中に混ざりながら、それでも彰の耳には、まだ残っている声があった。


(まぐれだったんだろ)


一年前に向けられていた噂。


もう誰も口には出さない。


それでも、消えきらなかった影だけが、どこかに残っている。


彰の机へも、寄せ書き帳が回ってきた。


ページの隅には、短い文章がいくつか並んでいる。


「また頑張ろうな」


「元気で」


空白は、まだ多かった。


彰は肩の力を落としながら、手のひらでページをそっと押さえる。


掌へ返る紙の感触が、少しだけ呼吸を落ち着かせた。


(……俺が、自分から距離を置いたから。仕方ない)


そう思いながらも、胸の奥では別の感情が静かに残っている。


(もう……距離を置く理由なんてない)


彰は寄せ書き帳を閉じ、窓の外へ目を向けた。


冬を越えた蕾が、風に揺れている。


その揺れる蕾を目で追っているうちに、呼吸が少しずつ深くなっていった。


腹の底へ落ち着いた熱が、静かに残る。


あと一歩で、花が開きそうだった。


放課後になる頃には、教室の浮ついた空気も少しずつ外へ流れていた。


彰はバッグを肩へ掛け、帰宅する生徒たちの間を抜けながら訓練場へ向かう。


夕方の冷たい風が廊下の窓から吹き込み、火照った頬を静かに撫でていった。


訓練場は、今日も人が少ない。


しんとした空気の中で模擬剣を構えると、手のひらには前ほどの焦りが残っていなかった。


構え直すたび、掌の奥へ残った熱が遅れて返ってくる。


(強くなりたい。二人の隣に並びたい)


模擬剣を振り下ろす。


空気が裂ける音は、以前より軽かった。


呼吸も姿勢も足運びも、無理に合わせようとしなくても自然に噛み合っていく。


(動ける)


打ち込みの手が止まり、彰は袖で汗を拭った。


火照った呼吸を整えながら、そのまま訓練場の外へ出る。


夕陽が校舎を朱に染め、柔らかな風が頬を抜けていった。


その風の向こう、校庭の端には陽菜の姿がある。


後輩らしい生徒へ詠唱を教えながら、手を添えて笑っていた。


「うん、そのタイミング。すごいよ。きっと本番でもできる」


やわらかな声が、夕方の空気へ溶けていく。


光を受けた髪の先が、金色に揺れて見えた。


陽菜は指先で袖口を整え、それから胸元へそっと手を添える。


その仕草を見ているうちに、彰は自分の呼吸まで静かに熱を帯びていくのを感じた。


(……本当に、陽菜はすげぇよ)


後輩が頭を下げながら去っていくと、陽菜は小さく背伸びをした。


そのまま首筋へ張りついた髪を払い、ふっと肩の力を抜く。


夕陽を受けた横顔には、どこか安心したような柔らかさが残っていた。


けれど、その肩がひとつ下がった直後だった。


近くで立ち止まっていた男子生徒が、おずおずと口を開く。


「虹咲さん、今……ちょっといい?」


陽菜の表情がわずかに揺れる。


それでも次の瞬間には、いつもの優しい笑顔へ戻っていた。


「うん、大丈夫。どうしたの?」


男子は緊張したように手のひらを握りしめている。


制服の裾をぎゅっと摘まみ、靴先で地面を軽く掘るみたいに動かしていた。


その様子を見た瞬間、彰の胸の奥が小さくざわつく。


(……あれ、告白……か?)


男子が何かを決めたように息を吸い、陽菜を校舎裏の方へ促した。


陽菜も少し戸惑った顔のまま、小さく頷いて歩き出す。


彰は気づかれない距離を保ったまま、通路を歩いた。


けれど、足裏がやけに重い。


踏み出しかけた重心だけが、前で止まりそうになっていた。


そのまま校舎裏へ差しかかる頃には、夕陽が影を長く引き伸ばしている。


風が足元の砂をさらい、二人の周囲だけがぽつんと静まり返っていた。


男子生徒は一度深く息を吸い、それから陽菜の前へ立つ。


「……好きだ。虹咲さん。ずっと前から。もし……よかったら、付き合ってほしい」


声はわずかに震えていた。


両手で鞄の紐を強く握りしめ、靴先が砂をきゅっと踏みしめる。


それでも、目だけは逸らさなかった。


言葉を伝えたあとも、その場に立ったまま陽菜を見つめ続けている。


陽菜は胸の前で手を握り直し、唇をわずかに結び直した。


長いまつげが揺れ、視線が少しだけ伏せられる。


「……ごめん。うれしいよ。でも……そういうのは、まだ考えられなくて」


小さな声だった。


けれど、その返事だけはちゃんと相手へ届いていた。


男子はしばらく俯いたまま立ち尽くしていた。


肩を落とし、握っていた拳をゆるく開いては閉じる。


それから、小さく息を吐いた。


「……そっか。ありがとう」


それだけを残し、背を向ける。


歩き去っていく背中が、夕陽の中で少しずつ小さくなっていった。


陽菜はその背中を見送ったまま、胸の前で手を握り直す。


指先へ力が入り、遅れて息がひとつ漏れた。


首筋へ落ちた髪を指先で整えながら、少し肩を丸める。


顎が落ち、足の位置が半歩だけずれた。


(…………断った)


指先に残った力だけが、うまく抜けきらない。


喉の奥で息が引っかかり、呼吸が一度だけ途切れる。


陽菜は小さく手を握り直した。


すると、砂を踏んだ靴底の感触が遅れて返ってくる。


足元の冷たさだけが先に身体へ残り、揺れていた思考を静かに縫い止めた。


陽菜は砂に残った靴跡を見つめる。


風が校舎裏を抜け、制服の裾を小さく揺らしていった。


逃げても。


隠しても。


足元へ残るこの冷たさだけは消えなかった。


その時だった。


校舎裏へ姿を見せた彰は、陽菜から少し離れた場所で足を止めた。


(俺は、まだ……陽菜の隣に立ちたいって思ってる)


陽菜が息を止めたまま、ゆっくり顔を上げる。


二人の視線が重なった。


一瞬だけ驚いた顔をしたあと、陽菜はすぐにいつもの笑顔を浮かべた。


そのまま小走りで駆け寄ってくる。


スカートの裾を押さえながら、足音だけが少し速くなった。


「アキ! 今帰るところ? 一緒に帰ろ?」


胸が、一度だけ強く跳ねる。


彰は小さく息を飲み、そのまま陽菜を見た。


(……ここで逃げたらダサい)


胸の奥で、Windの声が静かに重なる。


彰は短く息を吐き、それから小さく頷いた。


「おう。帰るか」


その返事に、陽菜が目を丸くする。


けれど次の瞬間には、安心したみたいに柔らかく微笑んでいた。


そのまま並ぶように歩き出しかけた時、彰が少しだけ視線を逸らす。


「……荷物、まだ訓練場だけどな」


「あ、私も」


「じゃあ戻るか」


二人は並ぶように校舎裏を抜け、そのまま訓練場へ向かって歩き出した。


夕方の風が制服の裾を揺らし、沈みかけた陽射しが通路へ長い影を落としている。


途中、自販機の前を通りかかったところで、彰がふと思い出したみたいに足を止めた。


「あー、そうだ。俺、飲み物買おうとしてたんだ」


「え?」


「そのついでに、たまたま校舎裏通っただけ」


少しだけ早口だった。


陽菜は一瞬きょとんとしたあと、その意味に気づいたみたいに小さく笑う。


「ふふっ、そっか」


その柔らかい声を聞いた瞬間、彰は余計に視線を逸らす。


「……なんだよ」


「別に?」


陽菜は肩を小さく揺らしながら、どこか嬉しそうに笑っていた。


彰は自販機へ硬貨を入れ、陽菜の方を見た。


「なんか飲む?」


「あ、じゃあ……ミルクティー」


「了解」


ボタンを押すと、落ちてきた缶が小さく音を立てた。


陽菜へ渡すと、「ありがと」と笑いながら受け取る。


そんなやり取りをしながら訓練場へ戻ると、静かだった空間にはもうほとんど人が残っていなかった。


彰は壁際へ立てかけていた模擬剣を回収し、陽菜も自分のバッグを肩へ掛け直す。


ちょうどその時、後ろから小さな声が飛んできた。


「あっ、虹咲先輩!」


振り返ると、さっきまで詠唱を教わっていた後輩たちが入口の近くで手を振っている。


「今日はありがとうございました!」


「さようならー!」


陽菜はぱっと表情を明るくし、そのまま軽く手を振り返した。


「うん、またね。本番頑張って!」


後輩たちが嬉しそうに頭を下げながら去っていく。


その背中を見送りながら、彰は小さく息を吐いた。


(……やっぱ、陽菜すげぇな)


自然に人が集まって、自然に笑わせている。


それはたぶん、自分には簡単に真似できない強さだった。


やがて二人は訓練場を出て、そのまま校門へ向かって歩き出す。


校門を出る頃には、空気へ少しだけ春の匂いが混ざり始めていた。


陽菜の歩幅が、彰の少し前でふわりと揺れる。


夕方の風に髪が流れ、その横顔だけが柔らかな光を受けていた。


「なんか……アキ、今日いつもより元気だね」


「そうか?」


彰が聞き返すと、陽菜は頬へかかった髪を指で払いながらこちらを見る。


「うん。顔が……明るいよ」


その言葉を聞きながら、彰はさっき校舎裏で見た光景を思い出していた。


少し間を置いてから、視線を前へ向けたまま口を開く。


「陽菜、さっき……誰かに告白されてたよな」


「っ……! み、見てたの……?」


陽菜の肩が小さく跳ねる。


彰は慌てたように頭を掻いた。


「いや、偶然だよ。ごめん。盗み見したわけじゃなくて」


陽菜は頬を赤くしながら視線を逸らし、スカートの裾を指先でつまんだまま小さく揺らす。


「い、いいの。別に……!」


その声は少しだけ上ずっていた。


彰は歩きながら、小さく息を吐く。


「でも、あいつカッコよかったよな。なんで断ったんだ?」


その瞬間、陽菜の足がぴたりと止まった。


肩がわずかにすくみ、絡まった指先へ力が入る。


「えっ……あ、あれは……その……!」


「もったいねぇっていうか……告白されたら普通嬉しいだろ?」


「う、うれしいよ!? でも……まだその……高校行ったら忙しいし……!」


ぎこちなく言葉を返しながら、陽菜は指先をきゅっと絡める。


彰はその横顔を見たあと、ゆっくり視線を逸らした。


返す言葉が、うまく見つからない。


(……俺ではまだ隣には立てない)


みぞおちのあたりが、きゅっと小さく縮んだ。


「そっか。……まぁ、陽菜らしいな」


彰がそう言うと、陽菜はさらに顔を赤くしながら歩幅を少し詰めた。


夕方の風が吹き抜け、揺れた髪が肩へ触れる。


少しだけ間が空いたあと、陽菜がおずおずと口を開いた。


「アキは……どうなの?」


「ん?」


「その……好きな人……とか」


喉の奥で、言葉が引っかかる。


彰はポケットの端を指先でつまみ、そのまま小さく息を飲んだ。


(陽菜、って言えるか?)


浮かんだ名前は、喉の手前で止まった。


……まだだ。


言うべき時じゃない。


彰は視線を前へ戻しながら、小さく息を吐く。


「今は……強くなる方が先だな。高校で、ちゃんと胸張れるようになりたいし」


その答えを聞いた瞬間、陽菜の歩く速さがほんの少しだけ緩んだ。


胸の前で握っていた手が、そっとほどける。


「……そっか」


返ってきた声は、少し嬉しそうで――少しだけ寂しそうだった。


◇


――夜/龍胆家・自室


部屋の窓から、淡い月明かりが差しこんでいた。


彰は上着を脱ぎながら小さく息を吐く。


帰り道の空気がまだ身体に残っているせいか、呼吸は思っていたより深かった。


ベッドへ腰を下ろすと、スプリングが小さく軋む。


静かな部屋の中で、今日一日の出来事だけが波みたいに胸へ寄せては返していた。


(……陽菜を守りたい。凱とも、もう一度並んで笑いたい)


目を閉じると、Windたちの顔が順番に浮かぶ。


不器用に笑うKain。


静かに支えてくれたShizu。


小さな声で背中を押してくれたMelinda。


そして――陽菜と、凱。


全部が、少しずつ前へ進もうとしている自分の背中を押してくれていた。


(……俺は、まだいける)


彰は手を握り直し、ゆっくり息を整える。


指先へ伝わる力を確かめながら、強くなった自分を思い描いた。


隣に立てる自分を。


――まだ、声にはできないけれど。


「俺は、インサイダーになる」


小さく口にした言葉が、静かな部屋へ落ちる。


彰は窓の外へ目を向けた。


風に揺れる枝が、月明かりの中でゆっくり影を揺らしている。


窓枠へ触れた指先に、ひんやりした夜気が伝わった。


昼間に見た蕾が、ふと脳裏へ浮かぶ。


まだ固く閉じたままなのに、その奥には確かに何かが息づいていた。


彰は手のひらを握りしめ、そのまま静かに息を吸い込む。


(咲かずに散る蕾もあるのか?)


胸の奥で浮かんだ問いに、自分で小さく首を振った。


(……いや。咲かせる。自分の力で)


腹の底へ落ちた熱だけが、まだ静かに残っている。


「……行こう」


声にすると、不思議と少しだけ笑えた。


彰は指先で膝を押し、そのままゆっくり立ち上がる。


足元へ重心を落としながら、一歩前へ踏み出した。

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