第4話:ひとりの背中、誰かの祈り
――数日後・放課後/インサイダー養成学校・中等部・中庭
午後の光が、少しずつ角度を変えていく。
伸びた校舎の影が石畳へ落ち、風に揺れた葉の隙間から、金色の光が細かくこぼれていた。
その光の中に――今日も、アキがいる。
木刀を握る腕。
踏み込みと一緒に振り下ろされるたび、空気が鋭く裂けた。
汗が頬を伝い、夕陽に照らされながら静かに消えていく。
背中は真っすぐだった。
けれど、その真っすぐさの奥に、どこか無理を押している気配が残っていて……どうしても視線を逸らせなかった。
「……アキ」
声に出したら届いてしまいそうで、私は喉の奥だけで小さく名前を転がす。
アキは、ずっと頑張っていた。
あの日、震えながらも私の前へ立ってくれた、あの時のままで。
なのに周りの人たちは知らない。
模擬戦の結果だけを見て、「落ちこぼれだ」と勝手に決めつける。
(そんなわけ、ないのに)
雑な言葉が飛ぶたび、アキは肩をわずかに強張らせていた。
それでも、今のアキは前みたいな“折れそうな背中”じゃない。
何がきっかけで変わったのかはわからない。
でも、表情は前よりずっと強くて、ちゃんと前を向いている。
中庭で振る木刀の軌跡さえ、前より迷いがなかった。
その変化を見るたび、胸の奥が淡く揺れる。
呼吸が少し浅くなって、気づけば肩に力が入っていた。
風が袖口を抜け、遅れて頬をかすめていく。
(アキは、ひとりで全部抱え込みすぎだよ……)
本当は、もっと近くへ行きたかった。
「無茶しないで」って、ちゃんと正面から言いたかった。
けれど、声をかけようとしても、最初の一言が出てこなかった。
私は足を止めたまま、視線だけをアキの背中へ向けていた。
そんな自分が、少しもどかしい。
草の上で靴先がわずかに動く。
踏まれた葉が、擦れるような音を返した。
その音を聞いた途端、昔の記憶が胸の奥へ浮かび上がる。
まだ私たちが小学生だった頃。
あの日のあと、私はひとつだけ強く決めたことがある。
――アキの隣にいたい。
怖い時も、嬉しい時も、泣いた夜も。
ずっと隣で同じ景色を見て、同じ道を歩いていたかった。
毎日一緒に笑える未来を、あの頃の私は疑いもしないまま信じていた。
それだけが、当時の私にとって一番はっきりした“夢”だった。
だから私は、中等部でインサイダー養成学校へ進むことを決めた。
才能があるとか。
向いているとか。
そんな理由じゃない。
ただ――アキと同じ歩幅で進める道を、迷わず選びたかった。
「……はぁっ……」
木刀を振り下ろしたアキの息が、中庭へ小さく響く。
夕陽を受けた横顔には疲労も滲んでいる。
それでも、あの日よりずっと明るかった。
最近のアキは、前みたいに私から目を逸らさなくなった。
話しかければ、ちゃんとこちらを向いてくれる。
今日だって、お菓子を渡したら一緒にベンチへ座って食べてくれた。
『……うまいよ。ありがとな』
あの時の笑顔を思い出した瞬間、胸の奥へじんわり熱が広がる。
(アキ……変わったね)
前みたいに自分を追い詰めるためじゃなく、ちゃんと“強くなりたい”って思いながら剣を振っている。
その変化は、苦しさじゃなく希望として胸へ残っていた。
私は制服の上から、そっと胸元へ手を重ねる。
「アキは、負けない人だよ……」
誰にも聞こえない声で呟く。
夕陽の色が、視界の奥でやわらかく揺れた。
胸の中には、まだ言えていない言葉がたくさん残っている。
――一緒に頑張ろう。
――そばにいるよ。
――あなたは、私の“最初のヒーロー”だから。
でも、今はまだ言えない。
喉の奥で、言葉になる前の息だけが静かにほどけていく。
だから私は、もう少しだけこの場所へ留まることを選んだ。
新しい一歩を踏み出す、アキの背中を。
前より強くなった眼差しを。
ひたむきに振る木刀の音を。
全部、ちゃんと近くで見ていたかった。
「大丈夫。ここにいるから」
誰にも聞こえない声で呟きながら、私はその背中から目を逸らさない。
夕暮れの光が、二人の影を長く伸ばしていく。
校舎の向こうから、掛け声がかすかに届いた。
その背中は、まだ形にならない未来へ続く、小さな道標みたいに見えた。




