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アウトサイダー  作者: 君島極
第二章:噛み合わない世界 | 第三節:戻る場所と、未来への誓い
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第3話:届かぬ声、芽生える火

――インサイダー養成学校・中等部


(卒業するときには、ちゃんと笑って二人の前に立てるように)


それからも、何度かチャンスはあった。


放課後、廊下の角で顔を合わせたときや、中庭で、二人の背中が並んで見えたとき。


声をかけようとして、喉で詰まる。


一歩だけ踏み出して、足が止まった。


目が合いかけて、先に逸らす。


(……今のままじゃ、無理だ)


うまくいっていない自分を、そのまま見せるのが怖かった。


期待されていた分だけ、落ちたところを見られるのが、もっと嫌だった。


何を言えばいいのか分からないまま、時間だけが、少しずつ先へ進んでいく。


気づけば、半年が過ぎていた。


◇


――昼/インサイダー養成学校・中等部


教室の空気にも、自分の名前にも、どこか薄い距離ができた気がしていた。


一年の学年末チーム模擬戦でついた評価は、今もまだ尾を引いている。


成績表の数字より、周囲の視線の方がずっと重かった。


休み時間になるたび、ざわめきの端で声が揺れる。


「なぁ、あいつさ」

「前にニュース出てたの、あれって“まぐれ”だろ?」

「虹咲が倒したって話、聞いたことあるし」


聞こえないふりをしても、耳にはちゃんと届いていた。


「この前の模擬戦もひどかったよな」


「動き固まってたし。ニュース見て浮かれてると、ああなるって見本じゃね」


笑い声が机の間をすり抜ける。


通り過ぎざま、わざと肩がぶつかった。


短い舌打ちだけが背中へ残る。


耳は塞げない。


全部、ちゃんと聞こえていた。


それでも彰は、教科書を開くふりをしながらゆっくり息を吐く。


(……前なら、これだけで折れてたな)


視線を落としたまま、小さく指先へ力を入れる。


ここには、あの頃を知っている視線はない。


道場でのことも。


巌のことも。


この学校では、最初から「できない奴」として見られている。


喉が乾き、呼吸が詰まりそうになる瞬間は、今でも確かにあった。


けれど、そのたびに思い出す。


(逃げてもいい。ただし――戻ってこい)


Windの声が、耳の奥で小さな火みたいに残っていた。


(ずっと逃げっぱなしなのは、ダサい)


あの時の言葉が、少し遅れて胸の内側へ重なる。


拳で胸を叩く音まで、妙にはっきり思い出せた。


『俺らは、お前の“逃げ場”になってやる』


『でも、最後には自分で前に出ろ。……“あの日のAKIRA”みたいにな』


その言い方だけが、不思議と耳に残って離れない。


思い出した瞬間、崩れかけていた内側へ火がすっと差し込む感覚があった。


耳の奥がじんと熱い。


唾を飲み込むと、まだ少しだけ喉に引っかかりが残る。


それでも――それを理由に立ち止まるつもりはなかった。


二年のチーム模擬戦で、凱と陽菜の誘いから逃げた。


「今の俺じゃ足を引っ張るだけだ」


勝手にそう決めつけて、自分から距離を置いた。


あの時の後悔は、今も綺麗には消えていない。


机の下で握った手には、まだ力が残ったままだった。


(……同じ逃げ方は、しない)


彰はゆっくり窓の外へ目を向ける。


中庭の向こうへ、午後の校舎の影が長く伸びていた。


授業が終わったら、また模擬剣を握る。


今度は、“追い詰めるため”じゃない。


“並んで立つため”に。


陽菜と。

凱と。


そして、いつか――Windたちとも。


(卒業までに、ちゃんと隣に立てるように)


やがて、その日の授業を終えるチャイムが響いた。


キンコンカンコン、と乾いた音が広がり、周囲のざわめきが少しずつ動き始める。


彰は教科書を閉じ、静かに立ち上がった。


ここから先は、自分で選ぶ時間だった。


しばらくすると、教室に残る生徒もほとんどいなくなっていた。


彰はバッグを肩へ掛け、流れ始めた帰宅組の間を抜けながら廊下を歩く。


窓の外では、夕方の光が校舎の壁をゆっくり橙色へ染め始めていた。


そのまま足を向けた先は、訓練場だった。


自動扉が開く。


冷えた空気と、金属が擦れる独特の匂いが静かに流れ込んできた。


放課後の訓練場は人が少ない。


遠くの区画では誰かが模擬戦をしているらしく、鈍い衝突音だけが壁越しに小さく響いていた。


彰は空いているスペースへ立ち、模擬剣を握り直す。


「……はっ!」


踏み込みと同時に、刃が空気を真っすぐ裂いた。


振り下ろすたび、訓練場の静けさへ乾いた風切り音が伸びていく。


床は照明を白く反射し、踏み込んだ靴底の下でわずかに軋んだ。


首筋には汗が滲んでいる。


以前なら、その熱だけで呼吸まで乱れそうになっていた。


けれど今は違う。


身体の熱も、荒くなりかける息も、ちゃんと自分で制御できている感覚があった。


手のひらには、昔潰れた豆の跡が今も残っている。


固くなった皮膚が柄へ擦れるたび、積み重ねてきた時間がそこへ残っている気がした。


彰は一度肩の力を抜き、汗で滑りかけた柄を握り直す。


余計な力を逃がしながら、ゆっくり構えを整える。


(焦りで振り回しても、意味ねぇ)


呼吸を整えた瞬間、不意にWindの声が頭の奥で重なった。


『リアルでも、一回下がるのはいい。今は、逃げてもいい』


訓練場の静けさの中、その言葉だけが不思議なほどはっきり残る。


彰は模擬剣を握ったまま、小さく息を吐いた。


(――戻る。ちゃんと、前に)


そう思いながら、もう一度構え直した、そのときだった。


背後で、自動扉の開く音が静かに響く。


「……アキ」


呼ばれて振り返ると、陽菜が小さな紙袋を胸の前で抱えながら立っていた。


訓練場の白い照明が髪の先をやわらかく照らし、その輪郭を静かな空気の中へ浮かび上がらせている。


「また練習、してたんだね」


「まぁ。クセみたいなもんだし」


彰は苦笑しながら模擬剣を下ろした。


以前なら、「今は集中したいから」と適当に理由をつけて、目も合わせないまま追い返していたかもしれない。


けれど今は、陽菜の抱えている紙袋の方へ自然と視線が向いていた。


「それ……?」


「あ、これ、ね」


陽菜は少しだけ表情を緩め、胸の前の紙袋を控えめに持ち上げた。


「昨日ちょっと作ってみたの。クッキー。甘いの食べたら、元気出るかなって……迷惑じゃなかったら、だけど」


言葉の途中で、視線が足元へ落ちる。


紙袋の口を握る指先には、小さく力が入っていた。


(前も、こうやって……)


似たようなことが、前にもあった。


差し入れをベンチへそっと置かれても、彰はまともに受け取れなかった。


『今はいい』


そう言って、自分から勝手に距離を作った。


あの時の空気まで思い出し、みぞおちの奥が小さく縮む。


「迷惑なわけないだろ」


彰はそう返しながら、一度だけゆっくり息を整えた。


模擬剣を壁際のラックへ戻し、そのまま近くのベンチを顎で示す。


「ちょっと座ろうぜ。せっかくだし、一緒に食おう」


その言葉に、陽菜は一瞬だけ瞬きを忘れたみたいにこちらを見つめた。


「……え?」


「陽菜が作ってくれたんだし。俺一人で食うのももったいねぇだろ」


陽菜は目を伏せたまま、紙袋を両手で抱え直す。


それから、小さく弾むみたいな声で返事をした。


「……う、うん!」


隣へ腰を下ろした瞬間、ベンチが二人分の重みできしりと鳴る。


彰は紙袋を開き、中へ並んでいたクッキーへ目を落とした。


形は少し不揃いだった。


けれど、その不器用な形が妙に陽菜らしくて、自然と口元が緩む。


彰はひとつ摘まみ、そのまま口へ運んだ。


噛んだ瞬間、素朴な甘さがゆっくり広がる。


バターの香りと、ほんの少し残る塩気。


訓練後の身体へ、その温度がじんわり染み込んでいく感覚があった。


「ど、どうかな……?」


陽菜が不安そうにこちらを覗き込む。


紙袋の縁を摘まむ指先へ、また小さく力が入っていた。


彰はもう一度クッキーを噛み、それから小さく息を漏らす。


「普通に、めっちゃうまい。売れるだろ、これ」


そう言った瞬間、陽菜の肩からふっと力が抜けた。


「よかった……。焦げてないかなって心配だったんだけど」


「焦げてても食うけどな」


「そこは正直に言ってよ!」


陽菜は唇を尖らせる。


けれど次の瞬間には耐えきれなくなったみたいに息を漏らし、肩を小さく揺らした。


その笑いにつられるように、彰の口元もゆるむ。


二人でクッキーを摘まみながら、しばらく訓練場の静かな空気を聞いていた。


遠くでは、まだ部活動の声が小さく響いている。


空調の風がゆるく流れ、クッキーを割る乾いた音だけが静かな空間へ混ざった。


前みたいな息苦しさは、もうなかった。


ふと、陽菜がこちらを見る。


「アキ。なんか……前より、顔が明るくなったね」


「そうか?」


「うん。前は……ちょっとだけ、苦しそうだったから」


陽菜は言葉を探すみたいに視線を揺らし、それでも途切れずに続けた。


「今も大変なのはわかるよ? でも、なんていうか……。ちゃんと前を見てる顔になったっていうか……」


目が合う。


陽菜は、今度は逸らさなかった。


その視線を受け止めた瞬間、Windたちの顔がふっと浮かんだ。


(……Windたちのおかげだな)


喉元まで出かかった言葉を、一度だけ飲み込む。


けれど、黙っているのも違う気がした。


「陽菜」


「なに?」


クッキーを摘まんだまま、陽菜の手が止まる。


彰はポケットの中で拳を握り、小さく息を吸った。


「俺……強くなるよ」


口にした声は、思っていたよりずっとまっすぐ出た。


「陽菜と、凱と。三人で、またちゃんと並んで立てるくらいには。もう逃げねぇ。次の模擬戦も、その先も、絶対に負けない」


言い切る前に、一度だけ呼吸が詰まる。


それでも、視線だけは外さなかった。


陽菜は口を開きかけ、そのまま静かに言葉を飲み込む。


夕方の光が横顔へ長い影を落としていた。


揺れたまつげの影が頬へ重なり、その沈黙ごとやわらかく染めていく。


やがて、陽菜の口元がゆっくり緩んだ。


「……うん」


小さいけれど、はっきりした声だった。


「アキなら、絶対できるって、ずっと思ってたから」


「……ずっと?」


「うん。ずっと」


陽菜はそう言って、小さく空を見上げた。


訓練場の高い窓の向こうには、校舎越しに滅亡時計の輪郭が薄く浮かんでいる。


その光を細めた目で見つめたまま、陽菜が息に紛れるくらい小さな声で呟いた。


「私のヒーローは、最初からアキだから」


空調の風へ溶けるみたいな声だった。


それでも、「ヒーロー」という単語だけは、妙にはっきり耳へ残る。


「なんか言ったか?」


彰が思わず聞き返すと、陽菜は慌てたように首を振った。


「な、なんでもない! なんでもないけど……」


クッキー袋を胸の前でぎゅっと握りしめ、そのまま真っすぐこちらを見る。


「アキが“強くなる”って言うなら……私も、できること、がんばる」


「できること?」


「うん。私には剣とか、アキや凱くんみたいな戦い方はできないけど……それでも、同じ場所で、隣で、ちゃんと見てるから」


陽菜はそこで一度息を吸い、それから小さく続けた。


「だから、また三人で笑えるように――後ろで支えられるように、がんばる」


その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが静かに息を吹き返す。


「……ああ」


うまく言葉が出なかった。


これ以上話したら、たぶん泣きそうだった。


彰はクッキーを持ったまま、陽菜の横顔をちらりと見る。


彼女は、自分が思っていたよりずっと長い時間、その背中を見続けていてくれたのかもしれない。


届いていなかった言葉も。


まだ聞こえていなかった想いも。


それでも――確かに、ここにあった。


静かな訓練場の中で、ベンチの上のクッキー袋がカサッと小さな音を立てる。


陽菜はその袋を抱え直しながら立ち上がった。


「じゃ、私そろそろ行くね。部活終わりの子たち増える前に出ないと、校門混むし」


「ああ。またな」


「うん。またね、アキ」


陽菜は小さく手を振り、そのまま夕方の校舎へ溶けるみたいに駆けていった。


彰はその背中が見えなくなるまで、しばらく訓練場の入口を眺めていた。


胸の奥には、まだ少し熱が残っている。


けれど、その熱に押し潰される感覚は、もうなかった。


彰は荷物をまとめ、バッグを肩へ掛け直す。


そのまま訓練場を出ると、廊下には部活動帰りの生徒たちの声が遠く響いていた。


窓の外では夕陽が傾き、中庭へ長い影を落としている。


彰は人の流れを横目に、そのまま帰宅しようと中庭へ足を向けた。


夕方の風が、訓練後に火照った身体をゆっくり冷ましていく。


校門へ向かう生徒たちの背中を眺めながら歩いていると、腕にはまだ訓練の余熱が残っていた。


クッキーの甘さも、少しだけ口の中へ残っている。


そんな感覚をぼんやり抱えたまま歩いていた、その時だった。


「おーい、アキ!」


背後から飛んできた聞き慣れた声に、彰は足を止めた。


振り返ると、凱がトレーニングジャージの上着を肩へ引っかけたまま立っている。


汗で濡れた前髪が額へ張り付き、訓練終わりの熱がまだ身体に残っているみたいだった。


「さっき、訓練場いたろ」


「見てたのかよ」


「ちょっとな。窓越しに模擬剣振ってんの見えた」


そう言いながら、凱の口元が楽しそうに上がる。


「なんかさ。最近のお前、いい感じじゃね?」


「いい感じってなんだよ」


「前はさ、追い詰められてる感じだったろ? 今は……ちゃんと“攻めてる”って感じ」


軽い調子で笑っているのに、その目だけは真っすぐだった。


「今日のフォーム、前より全然よかったぞ。重心の乗せ方とか、前のアキなら絶対やらない動きしてたし」


「マジで?」


「マジ。イケてると思う」


凱は肩をすくめながら、一瞬だけ視線を外す。


その何気ない仕草を見た瞬間、みぞおちの奥がきゅっと縮んだ。


前なら、こういう距離の近さすら苦しかった。


勝手に置いていかれる気がして、自分から離れていた。


けれど今は、凱の隣へ立つことから逃げたいとは思わなかった。


「なぁ、凱」


「ん?」


彰は歩幅を少しだけ緩め、前を向いたまま口を開く。


「俺……絶対追いつくから」


言葉にした瞬間、自分でも少し驚いた。


けれど、その言葉を引っ込めたいとは思わなかった。


「次の模擬戦も、その先も――負けねぇ。陽菜と、お前と。三人で、ちゃんと並んで立てるくらいにはなる」


凱は一瞬だけ目を見開き、それからふっと笑う。


「……ああ、そうこなくちゃ」


そのまま近づいてきて、彰の胸を軽く拳で小突いた。


「そういう顔してる時のアキ、俺好きなんだよな。前に出る時のアキってさ。結構頼りになるんだぜ?」


「頼りになるのはお前だろ。リーダー気質だし」


「リーダーが一番前じゃなくてもいいんだよ」


凱はそう言いながら歩き、ふと空を見上げた。


雲の切れ間の向こうには、滅亡時計の輪郭が薄く浮かんでいる。


「前に出られるやつが、一番前に出ればいい。俺は、その横でフォローするタイプだし」


「なんだよそれ」


「だから、並ぼうぜ。三人で」


凱はそう言って、口の端をゆるめた。


その笑顔を見た瞬間、胸の奥へゆっくり息が入る。


張りついていた何かが、少しずつほどけていく感覚があった。


一緒に歩く足音が、夕方の中庭へ静かに重なっていく。


(俺は、ひとりじゃない)


Windたちの顔が、呼吸の奥で順番に浮かぶ。


不器用に笑うKain。

小さな声で支えてくれたMelinda。


静かな言葉をくれたShizu。

そして――陽菜と、凱。


胸の奥へ浮かんだ名前が、全部同じ重さで並んでいた。


「……ああ。よろしく頼む、相棒」


「おう。置いてったら、怒れよ?」


「先に言うな」


そんな他愛ないやり取りが、夕暮れの中庭へゆっくり溶けていく。


やがて凱が手を振りながら部活棟の方へ曲がっていき、彰はその背中を見送ったあと、そのまま校門の方へ歩き出した。


帰宅する生徒たちが少しずつ校門の外へ流れていく。


その途中、昇降口の前で陽菜の姿が目に入る。


バッグを肩へ掛けたまま、後輩らしい女子生徒たちに囲まれていた。


「虹咲先輩、今日の光属性のやつって……!」


「えっとね、その時は――」


少し困ったように笑いながらも、陽菜は立ち止まって話を聞いている。


彰は小さく口元を緩めた。


(捕まってるな)


そのまま声はかけず、先に校門の方へ向かった。


彰は夕焼けに染まった通学路をぼんやり眺めながら、校門前でふと足を止めた。


鉄柵へ軽く背中を預け、ゆっくり息を吐く。


(……せっかくだし)


理由を考えるより先に、身体が自然とその場へ残っていた。


帰宅する生徒たちが校門の外へ流れ、笑い声と足音だけがゆっくり遠ざかっていった。


しばらくすると、校舎の方から小走りの足音が近づいてくる。


「……あっ、アキ?」


陽菜だった。


肩へ掛けたバッグを揺らしながら足を止め、少し驚いた顔でこちらを見る。


「まだ帰ってなかったんだ」


「まぁ、ちょっとな」


彰がそう返すと、陽菜の表情が少しだけ緩んだ。


夕陽が、陽菜の髪をやわらかく染めている。


自然に隣へ並びかけた時だった。


今度は後ろから、慌ただしい足音が近づいてくる。


「おー、いたいた!」


凱が片手を上げながら校門を抜けてきた。


「なんだよ、二人して先帰ってるかと思ったわ」


「お前が遅いんだろ」


「先生に捕まってたんだよ。ちょっとフォームの話しててさ」


そう言いながら、凱は自然な顔で彰の隣へ並ぶ。


その瞬間、三人の間へ少しだけ懐かしい空気が戻った。


完全に元通りになったわけじゃない。


まだ言えていないこともある。


残ったままの距離も、きっとある。


それでも、前みたいに離れたままではなかった。


彰は二人の横顔を見て、それから小さく息を吐く。


「……帰るか」


陽菜が「うん」と頷き、凱が「おう」と笑った。


校門を出ると、夕陽が地面へ長い影を落としていた。


陽菜と凱が少し前を並んで歩き、その後ろを彰がゆっくりついていく。


三人の影は、アスファルトの上でゆるく重なっていた。


完全に肩を並べているわけじゃない。


それでも、前みたいにバラバラでもなかった。


夕方の風が制服の裾を揺らし、信号待ちで立ち止まったタイミングで、陽菜がふと振り返る。


「アキ、次の模擬戦さ」


「ん?」


陽菜は視線を一度だけ落とし、それからもう一度こちらを見た。


「また、一緒に……出ようね」


言い終わったあとも、目は逸らさなかった。


彰はその視線を受け止めたまま、小さく頷く。


「……ああ。今度は、ちゃんと隣に立つ」


その言葉を聞いて、凱が横で笑った。


「じゃ、決まりな」


ちょうどその時、信号が青へ変わる。


歩き出した三人の影が、同じ方向へ長く伸びていった。


その光景を見つめながら、彰はゆっくり息を吸う。


胸の奥では、Windの言葉がまだ静かに残っていた。


『インサイダーでも、別の道でもいい。どんな形でもいいからさ。“守る側”に』


足裏には、アスファルトのざらつきがまだはっきり伝わっていた。


彰は呼吸を整え、信号の向こうへ視線を向ける。


逃げた記憶も。


言えなかった言葉も。


まだ整理しきれないまま残っていた。


それでも、足は止まらない。


陽菜と凱の背中を見ながら歩いていると、不思議と前へ進める気がした。


(俺は――守る側になる)


胸の奥で、その言葉だけが静かに形になる。


教室で聞いた声も、すれ違いざまの笑い声も、まだ内側には残っていた。


けれど今は、それに押し潰されるだけじゃない。


陽菜の声。

凱の背中。

Windたちの言葉。


その全部が、前へ進む理由として胸の中へ残っていた。


彰は小さく息を吐き、そのまま一歩踏み出す。


夕焼けの色が、道の先までゆっくり滲んでいた。


空に残る光の下、三人の影が同じ方向へ伸びていく。


彰は歩幅を崩さないまま、その帰り道を進み続けた。


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